根はより深く、より広く 2
少し日が経って、瀬織津姫神社の例大祭。
仮設の小さな拝殿で朝から例祭の神事が始まっている。奥で大きめの社殿を建てているけれど今日はさすがに作業は止まっている。
周囲の集落からも村長や乙名以下数人ずつが来てくれていて、拝殿で見学してくれている。寺社勢力プレイで得た祭典用の儀式は神道様式も仏教各宗派様式もスキルとして習得している。もちろん配下武将が。
集落の人たちには正午過ぎになって一旦休憩ということで集会場へ移ってもらった。この時代に昼餉の習慣はなかったらしいけれど、近現代以降の人間だってお腹が空けば間食を食べる。だからこの時代の人間だってお腹が空けば何か食べる。もちろん余裕があればだけれど、この時代、実際は現代人が想像しているより裕福だ。現代の一般大衆が考える裕福というのは流動資産の豊かさだろうから、そういった指数から判断すれば確かに貧困国でしかない。でもそれは現代人の感覚だからで、この時代の感覚からすれば、充分に食べていけるだけで裕福なのだ。じゃなければ医療技術もなく戦乱が続いているのに人口の増加はしていない。
もちろん飢饉になれば飢えるし、強い寒波に襲われれば大量の凍死者だって出る。でもそんなのは現代の先進国でも起きてることだ。そういう思い込みというか印象は俺みたいにゲームの影響で少し歴史を触れただけでも「世界大戦以前の日本は貧しく権力者によって虐げられていなければならない史観」みたいな現代日本人特有の価値観から解放される。
なので周囲の村でもそれなりに備蓄された食料があったりする。手ぶらで来てくれとは言ったけれど、さすがに真に受けて手ぶらで来る日本人はいない。粟や稗、蕎麦、橡の実やこの時期の山菜や野草など山の恵みもあった。それらも祭殿に捧げられている。
おっと昼餉の話だった。まあ昼餉といっても用意したものは橡餅や黄粉のおはぎ、鱒の押し寿司。餅やおはぎには砂糖を使ってないので、どちらかと言えばおやつではなくおにぎりみたいな感覚だ。だけどこの時代だと、もち米や白米なのでそれなりにちょっとした贅沢な間食だ。雑穀や山菜を持ってきて白米がもらえるなら対価としては十分だと思う。それにお下がりの食事として出されるから恩着せがましくもない。朝貢外交は恩着せがましくもなく、だけど感謝を得られるようにするのがベターなのだ。
「へえ、なるほど、瀬織津姫さまは水神様なんだ。聞いたことのない神様だったのでどんな神様なのか知らんかった。」
「そうですね、有名な神様ではありませんね。我々も石川郡の山中で細々と伝えてきただけですからね。」
自分でもおはぎを食べながら、集落の人たちと交流する。当然、この神社の話もにもなるし、周囲の人たちも気になっていたのか興味深そうに聞いてくれている。
「お坊様は手伝わなくてもいいのかい?」
拝殿では瀬織津と織津一門達が儀式を交代で続けている。なのに立場のありそうな俺がここで話していて大丈夫かとなりで聞いていたお婆ちゃんが心配になったようだ。
「大丈夫ですよ。私は瀬織津姫様に仕えてはいますが、この神域を仏法で守るための別当の僧侶なんですよ。なので別の日に仏式でお経をあげるんですよ。その時に講を開くので是非来てくださいね。」
神式の儀式は出来ないけれど、教を読むことは出来るよ。それなりに練習したし、元々田舎でこの年齢まで暮らしているとそれなりに触れる機会は多い。門前の小僧じゃないけど習わぬ教を読むくらいは出来るようになる。オタク程じゃないけど歴史好きや世界の神話好きなので日本の宗教にも興味があったしうわべの知識くらいはある。
「それはありがたいがこの辺りは親鸞様の教えを慕ってるものたちばかりですからの。」
となりの集落のおじいさんが心配そうにやんわり断ってきた。本願寺系の影響が強いからだろうね、地域を纏める寺院に知れたらさすがに怖いんだろうね。
「大丈夫ですよ。この辺りのお坊様には私どもの事はお伝えしてありますし、真宗ではないので正信偈は読まないですけど、私たちも阿弥陀経を読みます。親鸞様の教えに背くことにはならないですよ。」
「そうなのかい?お寺のお坊様に怒られないのなら安心だけどね。」
とさっきのお婆ちゃんがぶっちゃける。周りの人たちも少し苦笑いだ。
「大丈夫ですよ、安心してください。私たちは門徒を抱えるために活動してませんので。仏道を通して瀬織津姫をお守りするためのお経ですから。」
「そうかお坊様がそういうならそういうものかも知れないね。またその時は寄らせてもらうよ。」
日ごろの物々交換の交易もしてきたり害獣対策だったりを重ねて、今日もこうやって同じ目線で話したり、世話係の丁寧なおもてなしをしたことが功を奏したんだろうね。警戒心が解けてきたのを感じる。
「はい、私たちはどこかの宗派に属していません。そのあたりは分かってもらえていると思いますから。」
お婆さんのまわりでも「ならだいじょうぶか。」「せっかくだから断るのも悪いからな。」と言ってお互いで納得してくれているようだ。
ひとまず今日の目的は達成できたようだ。その後も集落の人たちは色々な俺の話を聞いてくれた。娯楽のない時代だから、僧侶による講も現代でいえば演劇やコンサートみたいなものだ。俺が話して聞かせた瀬織津姫神社の御利益とそれを守る真護寺の教えも興味深そうに聞いてくれた。
瀬織津姫さまはこの世の穢れを流す水神さま。
穢れが溜まってしまったら、時には荒ぶる龍神さまになってすべてを押し流してしまうこと。
だけど基本的には恵みをもたらす存在だという事。雨もそうだし増水の後は肥沃になることをたとえに挙げて説明した。
流した穢れは根の国に流してしまうこと。根の国は死者の国で海の向こうにあること。
瀬織津姫は貴族や豪族の祖霊ではなく、大和の民だけではなくまつろわぬ民も、唐も天竺も、この世に住まうすべての人々の穢れを洗い流すこと。
瀬織津姫からは人々に何も求めず、憐み、穢れを流す事だけをしているとこ。
なので真護寺の教えも一切の衆生をお救いする阿弥陀如来にお願いをして守護していただいているのです。
何も唱えなくともよい、信仰すらいらない。その救いは正邪問わず三千世界すべての衆生に行われること。
だから安心して暮らせばいい。信じていい。自分の幸福を考えて一所懸命に生きればいい。
だけど穢れてしまうと生きてる間にも根の国に流されてしまう。お天道様に恥じないように生きよう。
などなど。
キリスト教伝来を見越してキリスト教をも取り込めるような都合の良い教義を説明していった。
あくまで説教や説法をしているつもりはなくこちらの説明をしているだけ、という体で。だけど実際は勧誘してるのと同じ。聞いてもらう知ってもう共感してもらう。そういうのは結局は勧誘だ。集落の人たちは興味を持って聞いてくれて感心したり共感してくれた。まあそもそも究極の大乗仏教である一向宗に傾倒してる人達だ。中世の差別主義的なものではなく、現代のキリスト教の更に上っ面の耳障りの良さそうな部分も、本願寺支配への対策にもなるように平和主義の毒もほんの少し取り込んで作った瀬織津姫教はさぞ魅力的に聞こえると思う。
もちろんこの時代の大衆もそれほど程度は低くない。実際のキリスト教布教時にも宣教師は無知な低知能階級だと思った農民や町民に反論されて困ったという逸話もあったくらいだ。
イエズス会だろうが折伏好きの宗派だろうが突っ込まれないような程度は掘り下げて作ってある。いわゆる聖書や経典はないけれど、宗論になった時の為の想定問答集を作って神職や僧籍の武将と共有してある。想定集を作ったのは叔父の光顕だ。叔父と言いても隠居組ではなく同世代だ。彼も今回は集落の人たちを饗応する担当をしていて話に入れない子供たちの相手をしながら俺の話の反応を逐一確認していた。もし気になるところがあれば想定集を改定するんだろうね。
話は雑談や村人の相談になってそれも落ち着いてきたころ、神事を終えて晩餐の時間になった。まだ太陽は沈んでいないけれど暗くなったら何もできなくなるし帰りも危険になっていまう。少し離れた集落の人たちはここで泊まっていってもらうけれど、基本的には日中の間に済まてしまうのだ。
晩餐というか宴会は勿論お昼よりか豪華だ。海水魚などは当然ないけれどイワナやヤマメ、獣の肉や、天日干しをしたきのこや山芋の料理、少しだけど俵物もある。
俺が教えた現代っぽいアレンジをした料理もあってそれなりに豪華な晩餐になったと思う。集落の人たちもかなり喜んでくれれたようだ。米と麦芽で作った水あめも少しづつ分けた。「神武天皇もお好きだったみたいですね。」という蘊蓄もかなり感心された。話題に飢えているんだろうね。ちなみに『神武飴』という商品名を提案したらさすがに不謹慎とか不敬だと言われるかもしれないという事で却下された。まあうちはまつろわぬ民だからね。
ともあれ例祭は成功したと思う。
残って泊まる人もいるけど近場の人たちは帰っていった。とても感謝していたし、大人も子供もすごく楽しそうだった。次回からは少しずついわゆるお祭りにしていくのもいいのかもしれない。開催日はお知らせするけど、招待しなくても気軽に来てくれるような、現代のあの『お祭り』を目指すのもね。
神職の皆もよくやってくれた。新規作成武将として作成された配下達の感覚は興味深いもので、21世紀日本で暮らしたこともないしゲームにそんな設定もなかったので、この戦国時代に生きてることには違和感がなく、だけどNPC時代の記憶もあって自分がゲーム上で作られた武将だという知識も持っているらしい。
信仰心の厚さも人それぞれだけれど、後付けされたキャラ設定で演技じてるような感じではなく、立ち居振る舞いも普通にその職業の人という感じだし、本人もその職業人の自覚を持っている。
外から来た感覚がどうしても残る俺と違って、みんなはここで生きているのは当然で自然だ。そこは俺と違うし共感は出来ないけれど、特に寂しいといった感覚もないし、そんな感じなんだなって思うだけだ。
まああまり派手にやって真宗勢力に目をつけられないよう、ゆっくりとでも確実に侵食していこう。気が付いたら能美郡の民衆すべてうちに取り込まれていた、とういうのが理想だね。
晩餐のあとを片づけたら今日はもうみんなを休ませよう。明日は朝から反省会も含めて作戦会議だ。ゲームの時に考えていたのよりも現実のこの状況は安易ではなさそうだからね。親父達にも来てもらって対策を考えていこう。
真護寺光顕 しんごじみつあき、こうけん
主人公の叔父。父崇顕の末子。続柄は叔父だが主人公より同世代で年下。寺社勢力プレイ時に後方支援用に軍政タイプで作成。前線用の武将はそれなりに揃っていたため、完全に後方要因として作成された。ただ頻発する小規模戦闘で前線の指揮官が足りなくなり、しばしば後方の責任者だった崇景とともに前線にも動員される。そういった事態を改善するために謀略に用いることになり、光顕はその担当になった。謀略系の立案に必要な能力はカンスト、軍政関係はそれなりに高水準、そこそこ有能な戦略はともあれ戦術は平均程度、戦闘は素人。その他内政系や生産系などは凡人といった能力。なぜ軍政が務まるのに内政系に弱いのかは謎。琥珀曰く「謀略家で後方支援が専門の軍政家。なのに当家一の戦争家。発想がすべて戦争ありき。」らしい。設定能力値の矛盾が知能の水準ではなく性格や人格によるもの、という形になって表現されることになった。いささかサイコパスじみてはいるが、あるいはそれゆえか何故か子供に人気。少しふくよかで笑顔が優しい。ゆるキャラ感。到底謀略家の戦争狂には見えない。