『速記シャープの芯』
ある日のことです。お釈迦様は極楽の蓮池の縁をお一人で歩いていらっしゃいました。
お釈迦様が、蓮の葉の間から、ふと下の様子をごらんになりました。この極楽の蓮池の下は、ちょうど地獄の底に当たっておりますから、三途の川や針の山の景色が、ちょうど見えるのです。
すると地獄の底に、カンダタという男が一人、ほかの罪人と一緒にうごめいている姿がお目にとまりました。このカンダタという男は、まだ五ミリくらい書ける速記シャープの芯を捨ててしまったり、原文帳で濡れた手をふいたり、ミス数をごまかして切りのいい数字を報告したり、いろいろ悪事を働いたのでございますが、それでもたった一つ、よいことをいたした覚えがございます。と申しますのは、学生時代に速記の全日本大会の採点をしているときに、一次審査の結果をうのみにすることなく、見出しと通しの文字数の差を見抜いて、ミス数を二つばかり減らしてあげたからでございます。
お釈迦様は地獄の様子をごらんになりながら、このカンダタには、正しい採点をしたことをお思い出しになりました。そうしてそれだけのよいことをしたむくいには、できるなら、この男を地獄から救い出してやろうとお考えになりました。幸い、そばを見ますと、ひすいのような色をした蓮の葉の上に、速記シャープが置いてあります。お釈迦様は、その速記シャープをそっと手におとりになって、かちかちかちかち、はるか下にある地獄の底へ、まっすぐに芯をお下ろしなさいました。かちかちかちかち…。
地獄の底では、血の池で、カンダタが、浮いたり沈んだりしています。血は水よりも重いので、浮力が働いて心地よいと思えるほど、地獄暮らしが板についてきました。
あるときのことでございます。何気なくカンダタが頭を上げて、血の池の空を眺めますと、何やら細長いものが、するすると自分の上へ垂れてくるではありませんか、カンダタはこれを見ると、思わず手を打って喜びました。なぜかこんなところにある速記シャープの芯にすがりついて、どこまでも上っていけば、きっと地獄から抜け出せるのに相違ございません。いや、うまくいくと、極楽へ入ることさえもできましょう。
こう思いましたからカンダタは、早速その速記シャープの芯を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐり上り始めました。速記をやっていたので、こんなことはお茶の子です。
しかし、地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、幾ら焦ってみたところで、容易に上へは出られません。ややしばらく上るうちに、とうとうカンダタもくたびれて、もう一たぐりも上のほうへは上れなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、はるかに目の下を見下ろしました。
すると、一生懸命に上ったかいがあって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう見えません。カンダタは速記シャープの芯にしっかりつかまりながら、「しめたしめた」と笑いました。ところが、ふと気がつきますと、速記シャープの芯の下のほうには、数限りもない罪人たちが、自分の上った後をつけて、まるでアリの行列のように、やはり上へ上へ一心よじ上ってくるではございませんか。自分一人でさえ折れそうな、この速記シャープの芯が、どうしてあれだけの人数の重みに耐えることができましょう。もし万一途中で折れたとしましたら、せっかくここへまで上ってきたこの肝心な自分までも、もとの地獄へ逆落としに落ちてしまわなければなりません。
そこでカンダタは、大きな声を出して、「こら、罪人ども。この速記シャープの芯は俺のものだぞ。お前たちは一体誰に聞いて上ってきた。下りろ、下りろ」とわめきました。
そのとたんでございます。今まで何ともなかった速記シャープの芯が、ノックしながら速記シャープの先端から抜くときのように、するっと落ちました。ですからカンダタもたまりません。みるみるうちに地獄に向かって、真っ逆さまに落ちてしまいました。
お釈迦様は極楽の蓮池の縁に立って、この一部始終を見ていらっしゃいましたが、やがてカンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな顔をなさりながら、またぶらぶらお歩きになり始めました。自分ばかり地獄から抜け出そうとするカンダタの無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰を受けて、もとの地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦様のお目から見ると、浅ましく思し召されたのでございましょう。あるいは、速記シャープをかちかちし過ぎて、右手親指が痛いからというのが正しいのかもしれませんが、お釈迦様はお認めにならないかもしれません。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんなことには頓着せず、その球のような白い花からは、何とも言えないよい匂いが、絶え間なくあたりへあふれております。極楽ももう昼に近くなったのでございましょう。
教訓:速記シャープ(多分プレスマン)から芯がするっと抜けてしまったのは、お釈迦様が予想していたよりも、芯が五ミリほど短かったからでございます。カンダタが生前にむだにした分だけ、むくいがあったということでありましょう。
お釈迦様が、長い長い速記シャープを下ろしてくれれば、極楽まで上れたかもしれませんが、そんなことはお釈迦様でも気がつかないことでありまして、カンダタも気がつかないままでありました。