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タイは無いよね?  作者: 不完全化粧
3章 VS満天地蔵
8/12

八話 地蔵は妖怪か?

 少しして関係者区画から一般の通路に出て、人が多くなってくると美咲は声を上げるのを止めた。そのときにはもう自分の足を勝手に動かす念動力も解けていたが、しぶしぶといった表情をしながらついていく。

 ーーいったい、どうなっちゃうんでしょう。これから。

 そう心に思う。

「あれ? おーい!」

 と、そのとき聞き覚えのある声が遠くから聞こえてきて、誰かがこっちに駆け寄ってくるのが見えた。ややあってその女の子が三人の前で立ち止まる。それはむいだった。

「美咲ちゃん。こんなところにいたんだ。どこかに行っちゃったから探しに来たんだけど。それは置いておいて、明晴ちゃん! 明晴ちゃんもここに来てたんだ!」

「ああ」

「……あれ? どうしたの。いつもの明晴ちゃんと全然違うけど」

「わかるんですか!? ああ、しか言ってませんけど」

 美咲は口を挟んだ。

「うん。あと、この人は?」

 むいは社長に顔を向けて小首をかしげた。

「その人はこの施設を経営する会社の社長です。実は日本中の人を洗脳してたらしくて、天蓋司くんも洗脳されちゃったんですよ」

「洗脳? ……明晴ちゃんが?」

 普通ならどういうこと? と聞き返したくなるだろう美咲の早口の説明だが、

「そうなんだ」と、むいは納得したらしい。

「でも、明晴ちゃん。だったらこんなことしてて本当にいいの?」

「ん? まあ、いいんだ」

「またまた」

 むいは笑った。

「駄目だよ、明晴ちゃん。やらなきゃいけないことはちゃんとやらなきゃ。そうでしょ?」

「……」

 そうして四人の立つ場は沈黙した。

 彫刻的な無表情で、明晴が自分を見上げてくるむいをじっと見下ろす。そのまま時間の止まったような時が過ぎた。ふいに、明晴の口が動いた。

「それはそうだな」

 その瞬間、明晴は旋風のように体をコマ回りに回転させ社長へ向くと、五指を広げた右手を突き出した。

明澄漠良めいちょうばくら

 唱えて、その瞬間、右手を向けられた社長の体にガラスを砕いたような亀裂が走った。弾けて、まばゆい光が一気に広がる。

 少しして、美咲が目を覆っていた手を下げ、閉じた両目を開くと、そこに広がっていたのはさっきまでいた建物の中とはまるで違う光景だった。

 目を見張って、のどが詰まり、言葉を発することもできない。自分と、むいと明晴が立っていたのはどこまでも壁のない青い天空の世界だった。

 そこはまさに雲の上の世界としかいいようがない。飛行機に乗らなければ見られない幻想的な世界にいて、しかも体をむき出したまま吹き抜けていく風を感じながら美咲たちはそこに立っている。足下いっぱいに広がる白い雲を確かな足場として。

 その上、意味が分からないのは自分たちの目の前の存在だ。果てしない青い天空を背景に雲の上に立っているのは地蔵の石像だった。

「な、なんですかこれ」

 美咲がやっとつぶやくと、

「明澄漠良」と明晴が続けた。そして、

「明澄漠良。漠とは過去。この術は物体を過去の状態に戻すことができる。そのため変態した相手の正体を暴くのには確実な手だ。おれは、この術をあの者にかけた」

「そ、それじゃあ、つまりあの社長の正体はこの目の前にいるお地蔵さまだったっていうことなんですか?」

 美咲は信じられないものを見る顔で地蔵を見ている。

「そうだ。やつの正体、これは『満天地蔵』だろう。本来の地蔵菩薩とは別物。満天地蔵は願い事を叶える力を持っているという」

「それじゃあ、今いるこの場所は? ここに来たのも天蓋司くんの術の効力なんですか?」

「それは私がやったよ」

 そのとき、別の声が挟まれた。声がして変化が起こったのは地蔵だ。ふっ……ふっ……と点滅するように色が薄くなると次の瞬間、さっきまでの社長姿のものがそこに立っていた。

「公衆の前で正体を暴かれそうになったのでとっさに場所を変えた」

「おかげで、おれの手間がはぶけた。この空間、満天地蔵の能力によって作られたものか」

 美咲は今一度辺りを見回した。空間を作るなんて、とんでもない能力だと思う。

「……あなたの正体は、本当にお地蔵さまということなんですか?」

 地蔵はコクリと一度うなずいた。

「そんなあなたの目的はなんなんですか? お地蔵さまともあろうものが世間の人たちを洗脳なんかして、いったいどうしてそんなことをするんですか?」

「君には、社長室で話したはず。私があのとき話したことには何の嘘偽りもない。私は人々を支配したり操ったりしようなどとは思っていない。私の目的はただ一つ。みんなに自分の心を解放してほしいんだ」

「ならいったい、どうしてそんな目的を持つようになったんですか?」

「気になるかな? いいよ。少し語ろう。私の過去を。

 私がこうして人間の姿を取らず道に立っていたころ、私をよく気にかけてくれてた男女の子供がいた。たまに私に供え物をしたり周りを掃除してくれるなど優しい子たちで二人は幼い頃からとても仲が良かった。そんな子たちも青年へと成長していくにつれて互いに相手に恋心を持ち始めていくのが見て取れた。この二人なら仲むつまじく過ごしていけると私は思っていた。

 しかし、二人が自分の思いを相手に告げることはなかった。自分の胸の内を打ち明ける恐怖、周囲の目を考えての遠慮、二人は自分の心を解放することをためらい、ついには人生の道を別れた」

「かわいそう……。それでも言えば良かったのにね」

「いや、むいはそう思うかもしれませんけど。やっぱり難しいんじゃないんですか……? そういうことは」

 美咲はちらと明晴に目を向けた。彼は表情を変えずに地蔵の話を聞いている。

「私は残念だった。あんなに良い子たちが自分の心を閉じこめてしまったことが。人間たちが生きる社会で心を解放することはそれほど無理なことなのか? と。しかし、ある日、私はある光景を目にして驚いた。それは小さな子供たちだ。その子たちはある言葉を口にしながらはしゃいでいた。そう、おちんちん、おちんちん、と! そうなのだ。人は本来、あの子供たちのようになにはばかることなく、あけっぴろげに自分の言いたいことを言えるはずなのだ。それがわかったとき、それを人々に伝えるため私は動きだし、そして今に至った。おちんちんとは私にとって心の解放の象徴だということなんだ」

 語り終えた地蔵。美咲もその目的については納得する思いがした。

「なるほど。今回の行動の原理、目的についてはこれで納得がいった」

 明晴もまたそう口にする。

「今回行動が自分なりに世の人間のことを想ってのことであることも、悪意があるわけではないこともわかった。しかし、おれは霊能力者としてやはり人々を洗脳するやり方を許すわけにはいかない。心を解放することやそれができるための社会作りは人間の手でやるべきだ。したがって、おれはお前を討ち祓わなければならない」

 そうして明晴は目を細め、体を半身引いて、戦う構えを作った。

「そうか」

 地蔵はそれに納得するかのように一つ頷いた。

「仕方がないね。それが天蓋司というものだ。では」

 そのとき、地蔵がちらりと美咲に目を向けてから明晴に戻し、空を抱くように両腕を広げた。

「戦うとしよう。心の解放のために。さあ、ここは願いの叶う場所だ!」

 次の瞬間、美咲はまた別の場所にいた。ハッとして周りを見回すと、ロッジ風の丸太小屋の部屋にいる。部屋は狭くて装飾も置物も何もない。隣にはむいが椅子に座っていて、気付けば自分も同じく座っていた。顔を正面に戻せばそこには巨大な窓があって、そこからはさっきいたのだろう天空の世界が広がり明晴と地蔵が向かい合っているのが横から見えた。

「彼女たちのいるあの小屋はどんな攻撃も届かない絶対安全な場所。私たちの動きに常について動き、こちらを映す窓は私たちのどんな動きも分かりやすく見せる。我々の戦いに二人を巻き込む心配はないというわけだよ」

「ほお。気を使ってくれる。いいのか?」

「それだけこちら側の戦いは激しくなるということだよ。二人はそこでちゃんと観戦してるんだ。飲み物も菓子も用意してある」

 確かに美咲とむいが並んで座るところの台にコップと皿が置いてあった。アイスティーと、ちんすこうらしかった。

 菓子まで用意してある美咲側と違って、対立する明晴たちの方はふと目を上げたときにはもう両者の間に戦意といういうべきものがみなぎっているようだった。

「……相手がお地蔵さまって、いったいどういう戦いになるんでしょう?」

「わからない。とにかく明晴ちゃんが怪我しないといいけど」

 美咲とむいが口を閉じる。

 その瞬間、明晴が動いた。突如前に飛び出して、続けて流れるように地蔵の側頭に右の上段蹴りを放った。

「あっ!」

 と、美咲が度肝を抜かれた声を上げた。美咲は動き始めを見逃して、明晴がいつの間にか一瞬にポーズを変えてしまったように認識した。

「あ」

 だが、明晴の足が少し下り、隠れていたものが見えると美咲は声を漏らした。

 地蔵は転瞬の合間に頭の横に左腕を備えていた。

 すかさず地蔵のもう片方の手がぐわと開いて明晴の襟元へ伸びる。

 素早く地の雲に足をついた明晴はそれを右に大きく体を振って顔の横にかわした。間近でかわした彼は見開いた目に怖じ気もなくそのまま地蔵の懐に潜り込んだ。潜り込みながらその右肘が腰元で引かれている。地蔵のわき腹にアッパーカットが突き刺さった。

 が、パン、と肉を叩く音が鳴った。地蔵はまたも防いでいた。頭の横に上げていた左手を、肘を軸にグリンと下へ下ろし、わき腹まで下げてすんでのところで明晴の拳を受け止めている。

 流れるように拳から手の甲を撫でて地蔵の左手が明晴の手首を掴んだ。そのまま頭上に引っぱり上げる。

 明晴の右腕はぐいと伸びて、同時に足首も伸びた。ぐいっと足下のバランスを崩した彼は前のめりに地蔵の胸に飛び込むようになった。彼の背中に先ほどかわした地蔵の右手がまわされる。

 抱き捕まえられるーーと思われたその瞬間、明晴はコマ回りに回転した。自分の右手と背中に触れる地蔵の手を弾いて竜巻のように回転しながら後ろに飛ぶ。

 着地し、ゆらりと舞うように一度慣性の回転をして明晴は直立した。

 間一髪、ピンチから逃れた。と、美咲はほっと息を吐いた。そして、

「ふ、普通に格闘技の対決みたいですね」と言った。

「ははあ、格闘戦、か……」

 すると地蔵が自分の中で何かを確認しているように顎に手を当てて何やらコクコクと頷き始めた。数秒して「では」とつぶやくと拳を握った両手を腰の側で開いて構えた。少し膝を曲げ、そして、地蔵はふいに跳び上がった。

「えっ!?」

 と声を上げた美咲だけでなく、明晴も目を見張って上空を見上げている。

 地蔵はロケットが打ち上がるみたいに素早く、しかも姿が見えなくなるほど天高く跳んだ。やがて天にその姿が段々大きくなり、地蔵は明晴に向けて右足を突き出し、流星みたいに落ちてきた。

 明晴は頭上に向かって両腕を交差させる。間もなく地蔵の飛び蹴りはその両腕に突き刺さった。木のきしむように震えた明晴が両腕をバッと開いて地蔵を弾く。

 空中で宙返りした地蔵は着地と同時に明晴へ踏み出し、右ストレートを放った。それを腹に食らった明晴の体が衝撃を受けて飛ぶ。バットに打たれた白球のように!

 人間の体でないように吹き飛んでいく明晴を追って、地蔵が消えるような速度で走り始めた。

 それから、何度かの打ち合いが起きた。鈍くも激しい衝撃音と共に、上に横にと風を切って明晴たちが吹き飛び、移動し、尾を引く。この壁のない天空の世界が狭いかのような縦横無尽ぶりだった。

「な、なんですか急にこんな!」

「すごい……! 明晴ちゃんがこういう戦いをしてるところ初めて見れちゃった。普段はわたしの目だと見えないから」

 美咲たちは呆気に取られている。そのとき、天から地面の雲に向けて誰かが勢いよく落ちてきた。続けて、別のもう一人もふわりと下りてくる。後から着地してスッと立ち直したのは地蔵だった。すなわち、先に落ちてきたのはーー。

 美咲とむいが「あ……」と声を漏らす。二人の目の先で片膝ついてうずくまっているのは明晴だった。

「お前、その力と速さは……」

「私は満天地蔵。願いを叶える力を持つ。今私は、誰をも超えるこの世で最も優れた身体能力を得ているのさ」

「そんなの、勝てるわけないじゃないですか」

 美咲は思わずつぶやいてしまった。

「どうかな? 諦めるかな?」

 地蔵は余裕たっぷりに明晴を見下ろしながら問いかける。

「……諦める? 得もないのに諦めてどうする……?」

 明晴が片膝立ちからふらりと立ち上がる。両手で前髪をかき上げて、ニッと不敵に笑った。

「おれはどんなときも諦めない。おちんちんは常に前向きなんだ」

「素晴らしい!」

 声を上げた地蔵は上体を後ろに傾け、今にも突進する体勢に入った。一方、明晴は半身になりつつ大きく上げた右足を前に向けて踏み出し、床の雲を鳴らすぐらい力強く踏みつけた。

「力で勝てないなら、技によって勝つ。見せてやろう。究極の霊体術を」

 言葉と共に、左拳を腰元に、右拳を前に出した右膝の上に構えた明晴の体から木の枝の伸びるようにもう一人の明晴の上半身が別の構えを取って現れた。直後、突進してきた地蔵を明晴は受け止めた。離れて、続く地蔵による拳のすさまじい連打を受け流し、さばいていく。それに明晴の体から生えたもう一人の明晴が大きな助けとなっている。これは明晴の魂だ。

 そのとき、地蔵がストレートを放って伸ばした右腕に明晴の体が空中に飛び上がって両腕を使ってぶらさがるように抱きついた。すかさず、クワガタ虫の足みたいに開いた明晴の両足が地蔵の頭を挟もうと狙う。

 しかし、地蔵は右腕を少し上げて、ブンと下へ揺らしただけで明晴を振りほどいてしまった。明晴が地面に対して仰向けの格好のまま落下していく。

 が、なんと明晴はその仰向けの格好のまま再び地蔵の顔の前まで飛び上がってきた。ぐるんと背骨を軸に腰を回転し、足を振り上げて地蔵の横面に蹴りを食わせる。そのまま重力に従い地に落ちていくがまた地に平行のまま飛び上がり、蹴りを食わせる。三度、四度、五度ーー何度も飛び上がりその度に腰を回して蹴りを放つ明晴は今や車のタイヤみたいに高速回転している。

 地に平行のまま飛び上がれるのは明晴の魂が腰回りから足を出し、地面を蹴っているからだ。

 この通常の体術には絶対ない動きに、対応に手こずるらしくいいように蹴られっぱなしの地蔵がそのとき両腕を左右に向けて勢いよく伸ばした。すると、明晴の体が空中で止まった。

「身体能力だけじゃない。今から君を縛って捕らえるこの念動力も、この世で最も強いものを得た!」

 そうして、明晴の体がその姿勢のまま宙に飛び上がった。空中に放物線を描いて地の雲に叩きつけられ、また浮かび上がっては振り回されて何度も叩きつけられる。念動力に捕まった明晴は激しく沸騰する鍋で踊らされる麺同然だった。

 しかし、これまで最初の姿勢のまま固まっていた明晴が上空で突然何かを引き剥がすみたいに手足を広げた。

「いくら強い念動力に捕まえられても、念動力への深い理解と長い鍛錬があれば抜ける術はある!」

 声を上げた明晴は落下しながら右手を地蔵に向けて突き出した。対して地蔵も銃を突き返すみたいに右腕を伸ばす。しかし直後、地蔵はカクンと左膝を折り、右腕を肘から曲げた。

「そして、抵抗をかわすこともだ!」

 着地した明晴はすかさず地蔵に駆け出す。地蔵が素早く体勢を立て直して、二人は打撃の撃ち合いを始めた。

「ハハハ。これほど動的な戦いは珍しい! 持てる技と技のしのぎ合い……! これぞ、兜合わせだ!」

「おお……!」

 体術を繰り出しながら興奮した口振りでほえる明晴にむいが握り拳を作って声を上げる。その隣の美咲は「兜合わせ……」と声を漏らした。

「いいじゃないですか。かっこいい。好きですよ、私」

 そしてそう言った。

 奮戦する明晴だが、しかしそのとき大きく吹き飛ばされた。地面に落ちて、雲をかき分けて擦ると一度足を天に向けて一回転してようやく止まる。グワッと上げた両の手のひらを勢いよく地面に突いた明晴は、しかしそのまますぐに立ち上がらなかった。四つん這いで顔をガクリと伏せたまま。

「どうした? さすがにもう立ち上がれないかな?」

 地蔵が声をかける。続けて、

「確かに君にとって非常につらい状況だ。いくら前向きでいようと頑張っても、人間にはどうしても無理だというときがある」

「いや、おれはまだ大丈夫だ」

 静かに言った明晴は地面に片足をつき、立ち上がり始めた。

「どんなにつらい状況に置かれても、おちんちんが立つ限りその者はまだやれる。おちんちんが立つ限りおれが立たないわけにはいかない」

「明晴ちゃん……」

 あくまで立ち上がろうとするその姿にむいが胸の前で祈るように手を組む。その隣の美咲はーー。

「…………………………」

 完全に立ち直した明晴はそれでも「ふう……」と重いため息を吐いた。地蔵がそれを見て口を開く。

「とはいえ、体と念動力の力の差はどうにも厳しいんじゃないかな? 何しろ私のは、最高のものだ」

 過酷な事実を突きつけるように言う。

 地蔵を見返す明晴は反論しようとしない。できないと言っていいのだろう。

 沈黙の中で、「あ、でも!」と声を上げたのは美咲だった。

「天蓋司くんには水呼のときに最後にやったあの変身するやつがあるじゃないですか。ほら、あのとんでもなく怖いやつですよ」

「魂剛殻か。……あれにはなれん」

「え!? 何でですか?」

「魂剛殻の発動には激しい怒りが必要だ。だが怒りが、湧いてこない」

「おちんちんin the sky。君の中におちんちんは変わらずあるということかな」

 地蔵はそう語る。

「なら、どうするんですか……?」

 美咲もこれに答えを返すのはとても難しいはずだとわかっていながらそれでも問いかけるしかなかった。

「今、一つ気がついたことがある」

 すると明晴が意外にも返事をしてくれた。

「ここまで攻撃をもらってきたおれの体の事だ。痛みはあるので気付くのに遅れたが、実は怪我はしていない」

「え?」

「あれだけの打撃を受けて怪我がない、というのは不思議なことだ。これには何か原因があるのは間違いない」

 言いながら明晴は地蔵をジッと見据えている。見つめられる地蔵はゆったりと落ち着いた立ち姿で目線を返している。例の暖かな瞳で。

「そういえばわたし、明晴ちゃんに怪我をしてほしくないって言ったかも」

 ふいにむいがそう口にした。え、と美咲が隣に顔を向ける。

「それが何か関係あるんですか?」

「確証はないけど、あるとすればそれかな? と思っただけだよ」

「戦い始めるとき、満天地蔵はここは願いの叶う場所だと言った。満天地蔵がもしもむいの願いも叶えていたとしたら、そうだろうな」

 三人は改めて地蔵を見つめた。三人に見つめられて、何の動きも返事もしない地蔵がしばらくしてふと笑みをこぼした。

「ばれちゃったか」

「え。利敵行為じゃないですか。どうして?」

「けれど、君たちの願いの効力は打ち切る。そして、そろそろ決着をつけよう」

 地蔵は左足を引き、左手を腰の横に、右手を前に出して空手のような構えを作った。

「出させてもらうよ。必殺、瞬間無限地蔵拳を」

「瞬間無限地蔵拳?」

「そう。瞬間に無限の拳の連打を繰り出す。受ければ終わりの必殺技だよ」

「ならば、おれは最強の防御結界を張ってそれを防ごう」

「無駄だよ」

 地蔵は明晴の言葉を即座に切って捨てた。

「たとえそれがどれだけ強固な防御でも、雨垂れが石をうがつように瞬間無限の拳の前には破れるしかない」

「では、次元の壁の向こうに逃れてしのごう」

「それも無駄だ。瞬間無限の拳は次元の壁も破壊して君を襲う」

「では、体を透過させてやり過ごせばーー」

「そういうのもなんやかんやで全部無効化して君を倒すから」

「小学生ですか!」

 美咲は声を上げた。

「そうさ。やはり子供の発想こそが最強なんだ。では、行くぞ!」

 構えを作り、はあああああと強く声と息を吐く地蔵の体に力がみなぎっていくのが誰の目にもわかった。続いて三人の視界がぐわんぐわんと震え始める。地蔵の力が覇気となって体表から溢れ出てるとみんな直感した。

「大体、地蔵が必殺っていいんですか? と、とにかく、どうしたら。このままだと天蓋司くんが!」

 美咲は声を上げるが、むいはただ明晴を見守り、明晴は身じろぎもせずたたずんでいる。

「そういえば」

 その中でそう独り言のようにつぶやいたのは地蔵だった。

「この空間にはまだもう一人、願いを叶える権利が残ってたのを忘れてた。まだ願いを叶えていない者が残っているからね。そうか。それを使われたら逆転されるかもしれない」

「もう一人?」

 美咲はそのつぶやきを拾った。

「もっとも、願いを叶えるためには心を解放しなければならない。そうか。だから問題ないか」

「もう一人って……」

 美咲は意見を聞くようにむいに顔を向けた。

「美咲ちゃんだろうね」

「そ、そうですよね。でも心を解放するって、そんなのどうすればいいんですか!?」

 美咲はあわあわしながら聞いた。

「お地蔵さんの過去の話を聞く限り、美咲ちゃんが言葉にして言えばいいんじゃないかな。おちんちんって」

「えええ!? 私が!?」

「美咲ちゃん。ここは一つお願いします」

「は、はい。いや、でも、ちょっと待ってください! ううん……」

「地蔵拳を放つための気力がどんどんたまっていくぞ!」

 地蔵が声を張り上げ、空気の震えが激しくなっていく。

「美咲ちゃん」

「勢いよくたまっていく!」

「美咲ちゃん」

「ものすごくたまる。今日調子良いぞ私!」

「美咲ちゃん」

「ちょっと待ってください! 心を解放するって、もしかしたら一生懸命願うってことかもしれません。天蓋司くんが満天地蔵に勝ちますようにって。一度言ってやってみますからそれでーー」

「今、私の能力で宇宙概念的に私自身の名前を書き換えた! 今から私の名前はこの世に五体いる同族を含めて満天おちんちんだ!」

「なにとんでもないことしてるんですか! これ以上の迷惑ってありますか!?」

「さあ! たまるぞ!」

「美咲ちゃん」

「さあ!」

 二人に挟まれて美咲がうぐぐとばかりにうめいて顔を伏せた。

「珠水」とそこに明晴の声が耳に届いて顔を上げた。

「おれは大丈夫だ。好きにしろ」

 明晴はまっすぐ美咲を見てそう言った。

「……わかりましたよ。天蓋司くん! 満天……おちんちんに、勝ってください!」

 その瞬間、元地蔵の体から光の粒子のようなものがあふれ出てきた。そして元地蔵は構えをゆっくりと下ろして立ち直した。美咲に顔を向けて優しい目を笑わせる。

「言ったか……。そうだよ。心を解放するのは、その調子でやればいいんだ。君はまだ本当に心を解放できてはいないけど。その調子を忘れないでほしい」

「いい迷惑ですよ。こっちは恥ずかしいんですから」

 美咲はふいと顔をそらした。

「さあ、では私は退場しよう」

 元地蔵から出る光の粒子は大量に数を増やしていく。美咲とむいが目元に手をかざさなければならないぐらい辺りをまぶしく照らしていく。ついに目も開けてられないぐらい光は満ちた。

「いつも心におちんちんを!」

 元地蔵の声が聞こえたかと思うと、光は収まった。

 閉じて暗くなった視界の中で、ざわざわと多くの人が話す声が聞こえてくる。目を開けると美咲たちは別の場所にいた。見回すと施設に来たときに最初に入った玄関口である建物の中らしかった。一瞬に戻ってきたようだ。

「あのお地蔵さまは、どうなったんですか?」

「消えた。今回の件はこれで終わりだ。みなにかけられた洗脳は解けるだろう」

 美咲に明晴が答えた。

「消えた……。社長が消えて、この施設はどうなるんでしょう?」

「このまま経営を続けていくだろう。ここで働いている人たちは正真正銘普通の人間だ」

「そうですか。それならいいですけど」

「それじゃあ!」とむいが二人の前に歩き出て声を上げた。

「遊びに戻ろうよ」

「そうですね。二人も待ってるでしょうし」

「待ってくれ」

 するとそこに明晴が口を挟んだ。

「実は珠水に話がある。二人きりで。ついてこい」

「え?」

 美咲はいつになく有無を言わせぬ申し出に声を漏らした。

 それから美咲は明晴に連れられて建物の外に出た。隣並んで通路を歩く。

「あの、天蓋司くん。二人で話って何ですか?」

 聞いて、しかし明晴は何も反応してくれない。横顔を見ても無表情でただただ前を向いて歩いていく。段々周囲には人気がなくなっていった。

「ここがいいだろう」

 ふいに、明晴がそう言いながら低木の植え込みがされた場所に入っていった。植え込みで囲まれた広場というには狭い空間だった。ちょっとした休憩所だろう。ベンチこそ端に置いてあるが、花もないし、そもそも施設の隅の方で当然人は他に誰もいない。

 先を行く明晴が振り返って立ち止まり、美咲たちは向かい合った。

「それで、こんなところまで来て話ってなんですか?」

 美咲が聞くと、めずらしくぼんやりとした顔つきをしてるようにも見える明晴は口を開いた。

「……今回の件についてどう思った?」

「どう思った? ううん……それは、またおかしな事が起こったな、と思いましたよ。それに、天蓋司くんが洗脳されたときなんか、どうなることかと思いました」

 からかうように口元をゆるませていたずらっぽく言った美咲に、

「今回はおれも色々と翻弄された」

 と明晴は少しばつが悪そうに返した。

「しかしだ。実はな、今回のことでおれは確信が持てないと前々から決断を引き延ばしていたある問題に、答えを得ることができたぞ」

「へえ。それはよかったじゃないですか」

「おれは水呼のときも女幽霊たちのときも今回のときも、脳の中では一番手前にそのことを考えていたーー」

 明晴は改めて目を美咲の顔にジッととめた。

「珠水美咲のことだよ」

「……私……ですか……?」

「珠水は何故、洗脳されなかった?」

「え……」

「今回の件で日本中の人々が洗脳された。おれですらだ。しかし、例のコマーシャルまで見ていながら唯一珠水だけは洗脳を受けなかった。いったい何故だ?」

「……そ、そんなのは、知りませんよ……」

「ところで珠水。珠水もこれまで見てきた通り、妖怪や幽霊というものはこの世に実在する。にもかかわらず世間的にはそれらは虚構のものだとされるのが一般的だ。何故か? それはおれたち霊能力者が社会や経済の中枢にいる極々一部の人たちを除いてフタをするように世間には隠しているからだ。どうして隠すかというと、霊能力を持たない人たちが安心して日々を過ごせるようにだ。警察官より人数の少ない霊能力者にしか対処できない危険な存在が、日常のどこで現れるかもしれないとなればみんなは不安で不安で仕方ないからだ。では何故おれは、水呼の説明をしたあの教室に、わざわざ珠水も同席させたと思う?」

「そんなの。それは、それはぁ……し、知りませんよそんなの! 天蓋司くんが私を巻き込んで勝手にやったことでしょう!?」

「そうだ。おれは入学式で見かけたときから珠水のことを疑っていた。だが、おれの目を持ってしても確信が得られなかった。だから確信が得られるまで待って見極めることにした。そのために珠水を試したこともある。そして今回の件で確信を得ることができた」

「……………………」

「相手を過去の状態に戻すこの術を普通の人間に使ってしまえば大事だ。だが今ならためらいなく使える。では、心して聞くように。これより緊急かつ重大な案件の説明に入る」

 明晴は五指を広げた右手をサッと上げて美咲に向ける。

 美咲はとっさにかばうように両手を顔の前にかざす。が、その体にガラスを砕いたような亀裂が走った。

「明澄漠良」

 弾けて、まばゆい光が一気に広がる。今まで美咲が立っていた場所ーー代わってそこにいるのは人間と変わらないサイズをした、蝶のような羽の生えた光の玉だった。

「珠水美咲の正体は、妖怪だ」

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