十二話
後日、昼。美咲は覚に来いと連れられて人里離れた山の中を歩いていた。道はなく、大きな石が多く埋まって、人間には安全ではないけわしい場所だ。美咲たちはそこをスルスルと流れるように移動する。
「こんなところに何の用、か? この先にお前に会わせたいやつらがいる」
覚が聞かれてもないのに突然言った。美咲は行き先に目を凝らす。そのとき、視界の端にクマの死体を見つけた。
すぐに美咲は洞窟の入り口にやってきた。覚に続いて中に入る。闇を少し進むと突然空間が一気に広がった場所に来た。洞窟内で明かりもつけていないが、美咲はここに何者かがいることを察した。背筋にヒヤリとしたものが走ったのは岩肌の洞窟だからじゃない。この空間には多数の気配があった。壁際にも天井にも、地面にも。びっしりと。
「よく集まった」
覚が少し前に出て声を上げた。音が響く。すると、暗闇の中に無数の目が一斉に目を覚ましたように光った。
「話した通り連れてきた。これが天蓋司の体を奪ったやつだ」
途端に空間内がどよめく。立ち尽くす美咲へ覚が腰を回して振り向く。
「ここにいるこいつら、全部妖怪だ。お前のためにここ数日俺が声をかけて回って、仲間になりたいって集まったやつらだ。他にももっといる」
「仲間」
「これから俺の組を作る。もちろんお前はそこに入る。これでお前は一人じゃない」
「私が?」
「その立ち上げは、繁華街の駅前の広場でやろうと思う。明日の昼、お前の能力であの広場に人を寄りつけないようにしろ。わかったか?」
覚は返事を聞かずに腰を戻すと、両腕を広げ、空をあおぐみたいに天井を見上げた。
「一番人が幅を利かせる街をカラにして俺たちが代わる。これが、これこそが……! アハハハハハハ!」
覚は狂ったように笑い出した。
このビルの立ち並ぶ駅前広場に人っ子一人、車一つない様子はもう二度と見れない光景だろう。美咲は曇り空の下、死んだ街のど真ん中にぽつんと立っていた。そこに「よくやった」と声をかけて覚が寄ってきた。
「どうだ? この光景。この道にこうしてゆっくりと太平楽に突っ立ってられるやつは人間にもいない。そう! ここはもう俺たちのもんだ!」
すると、ビルの屋上、建物の隙間、マンホールの下などから黒い影が次々と姿を現していった。昼なのに影の姿だ。大小や形は様々で、地面に立てたバットみたいに高層ビルに寄りかかってる人型のやつもいれば、ビルとビルの合間に吊り下がった巨大なクモみたいなやつもいる。地上にも人型らしいやつや犬みたいなやつ、雲みたいにふわふわしたやつなど、指差して数えようとしたらきっと途中でわけがわからなくなるほど数としてはとんでもなかった。
「さあ、それじゃあお前にここに俺たちが集まったことへの喜びでもスピーチしてもらうことにしようか。そして誓うんだ。これから俺たちは仲間として活動を共にしていくと」
覚が言うと、黒い影に包まれた街はズンと静まり返った。ここにいる誰もが美咲に注目し見守ってる。
美咲は無表情で立ち尽くしたままでいる。しばらくして、その顔を少し上げた。
と、思ったら、ピクリと眉を動かしなぜか突然後ろを振り返った。
その方にいつの間にか立っていたのは明晴とむいの二人だった。
途端に妖怪だらけの場が動揺し騒がしくなる。
「性懲りもなく来やがったか!」
覚が歯をむく。
静かなのはむいと明晴とそして美咲だけだった。双方はじっと見つめ合う。
「来たんですか」
美咲が声を出すと場はスッと静まった。
「ああ」
明晴が答える。
「何をしに来ましたか?」
「もちろん、珠水に会いに」
「体を取り返しに来ましたか?」
「もちろん」
「……」
美咲は目を閉じた。
「あと、美咲ちゃんをむかえにだね」
「え」
美咲は目を開いた。
「そうだな。前回も言ったとおり」
「あ。ちゃんと言ってたんだね、明晴ちゃん」
「ああ」
「え」
明晴は美咲に改めて向き直った。
「帰ろう。珠水」
「ふざけんな!」
そのとき覚が顔を怒らせて美咲の隣にやってきた。
「こいつにはもうこの世に帰る場所なんかねえ! いったいどこに帰るつもりだ!?」
「少なくともまだ一つ残ってる。おれたちの側だ」
「おれの側ぁ!? お前は霊能力者だろうが! そしてこいつは妖怪だ。なのにお前の側にどの口で居場所があるって言うんだ!?」
「それでも、おれたちは友達だからな。そうだろう? 前におれにそう言ったのは珠水なんだからな」
美咲は見開いた目を向けた。
「わ、私は……」
「騙されんな!」
覚が美咲の肩を引き止めるようにガッと掴んだ。
「やつは自分の体を取り戻そうとうまく騙そうとしてるだけだ。用が済めば祓われるぞ」
美咲は一気に不安そうな表情に変わった。
「そんなことはしない。これからのことについて話し合いたい」
「俺は人の心を読める覚だぞ! 俺にはやつの本心がわかる。やつの嘘もな」
美咲は唇を噛み、悩み苦しむ顔をする。
「珠水、何も難しく考える必要はない。心を読めるらしい覚とおれたち、どちらを信用するんだ? という話だ」
美咲は眉根を寄せ、目を閉じると顔を伏せた。
「俺だ! そうだろう? やつらは人間、お前は妖怪。いくらお前でも生まれだけは変えられねぇ。しょせん相容れん。しかも、やつは霊能力者だぞ。例えるなら警察と犯罪者。警察が犯罪者と仲良くすると思うか?」
「珠水は犯罪者とは違う。悪行をしていないと思うからこそおれたちはここに来た」
「友達っていうが、佐藤むいに感じる友情は霊媒体質が原因のものだってわかったはずだ。お前らの間にある絆は理屈ばった偽物なんだよ!」
「原因があっても、好きになって当然って他人に言われても、そう感じる心がわたしたちの全て。わたしはそう考えてるよ、美咲ちゃん!」
「頼む! 俺を信じろ! 俺は人の心を読める能力を持ってるんだぞ! やつらの言葉は全部嘘なんだ!」
「珠水――」
美咲は明晴の鈴の静かに鳴るような綺麗な呼びかけの声に、ふ、と顔を上げた。
「――他意はない」
その瞬間、美咲は満面に光を浴びたような顔をした。そして、一瞬に様子は変わっていた。むいの隣には天蓋司明晴が立ち、覚の隣には珠水美咲が立っていた。
「ごめんなさい」
美咲は覚の方を向くと、目を伏せた。
「私はこの後どうなっても二人のことを信じたいんです。二人といっしょにいたときがやっぱり楽しくて好きだったから。だから体は返しちゃいましたけど。でも! 私がどうなってもここにいる妖怪のみんなは絶対に帰れるようにしますから」
早口にそう言う美咲が目を見上げたとき、アッと驚く顔をした。見上げた先にいる覚は拳を激怒した顔の横まで引き、攻撃する寸前だった。
瞬間、美咲の体が引っ張られて飛び、覚の拳は空を切った。
飛んだ美咲の体を、右手を何かを引き寄せるように引いた明晴とむいが抱きとめる。
「くそっ!」と悪態をついて覚は燃えたぎるような目を美咲に向けた。
「天蓋司の血とその能力があれば全世界の人間を好きに支配できたのに。どうして俺の思ったとおりにやらねぇんだこのゴミが!」
美咲がひどくショックを受けた顔をする。
覚は空を切った手を戻すと、あごを上げて「聞け!」と声を張り上げた。
「こうなったらこいつらは許さねぇ。裏切り者も含めて全員でこいつらを殺せ!」
するとこの場を囲う黒い影たちが一斉に身じろぎし殺気を放ち始めた。その中心に立つ美咲たちの周囲の空間が陽炎のようにゆがんで見えるすさまじさだ。
「ここに集まった妖怪の数は数千。その上、俺の最強の体は変わらずそのままだ。それらに襲いかかられて無事で済むかな? お前一人なら少しぐらいしのげたとしても他の二人を守り切ることは不可能だぜ天蓋司ィ!」
「天蓋司くん……」
美咲が明晴を見上げる。目を向けられる明晴は、そのとき唇を薄く笑わせた。
「南無、火天、閻魔王、天蓋に触れ獄門開きたまえ」
そして静かに呪文を唱え始める。そのとき、どこからかバサバサと鳥の大群が羽ばたいてるような音がして、それが急速に近く大きくなってきた。
妖怪たちがざわめいて辺りを見回しだす。
「今日は大盤振る舞いだ」
明晴の言葉の直後、音の正体が知れた。明晴の背後で空を飛ぶ大量の御札が左右のビルの角を曲がりこの道に飛び込んでくる。そして、御札は飛び散ってそれぞれ妖怪へ向かっていく。
「招雷業是」
それからこの場はあちこちから叫びの上がる騒乱たる有様となった。御札の貼り付いた者は体が沸騰し、やがて跡形もなく消えていく。
覚はその有様を首を振って見回し、叫びがあらかた消えたころ、ふと明晴に目を戻した。そこには腰布のように青い炎をまとった全身に白い鎧を着た幽冥の世界の戦士のような存在が立っていた。
「そ、それは」
「魂剛殻。今はもうおれの心を読むことはできないだろうが、読む必要もないだろう?」
覚はグッとうめくと、右足を引いて前傾姿勢をとった。数秒経つ。そして――くるりと反転して背を向けると消える速度で走り出した。腕も足も車のタイヤより勢いよく回して一もニもなく離れる。が、突然その肩をつかまれて覚は止められ姿を現した。鞭のように首を振り向けると背後から肩をつかんでるのは白い兜を被ったような明晴だった。
「な、なに!? 嘘だ!」
「たとえ心を読めたとしても、何からも逃げられないさ」
明晴はつかんだ肩を引いて覚を正面に向き直らせた。すかさず、右足が発射される。明晴の回し蹴りが覚の体を薙ぎ切る。覚は全身霧のように霧散して消えていった。
「終わったな。帰ろう」
翌朝、セミが元気に鳴く晴れ晴れとした空の下、美咲は学校の制服を着て通学路の途中で立ち尽くしていた。時々額の汗をふいていると、そのとき遠くから二人の男女がやってきて、あっと声を漏らした。二人が美咲の側までやってくる。美咲ははにかんだような微妙な笑みを向ける。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよー、美咲ちゃん」
三人はそろって道を歩き出した。
「美咲ちゃんは、これは久しぶりの登校だね。大丈夫?」
「はい」
「前までと同じに戻ってるんだ。何も心配することはないだろう」
「でも、本当にいいんでしょうか。妖怪の私が学校に通って、珠水の家にも戻って家族として振る舞って」
「だが、そう思ってるのは珠水だけだ。珠水が家族のみんなを幸せにしてやればいいさ」
美咲は深く感じ入る声で「はい」とうなずいた。「だが」と、明晴が続ける。
「珠水が妖怪として自由に力を使える状況をおれは霊能力者としてやはり許すことはできん。それは今日になっても考えが変わらずに納得してくれるな?」
「はい」
「珠水の肉体にはおれが術をかけておいた。珠水はおれの許可なく妖怪の力を使うことはできない。が、おれと同等以上の実力でもなければ正体が妖怪であると気付かれることもない」
三人はそれから会話が途切れて黙って歩き続けた。ふいに美咲が聞いた。
「霊能力者として許せないのに、どうしてそもそも私のことを友達と受け入れてくれたんですか? むいも」
「おれたちは生まれも違う。個性も違う。それはどうやっても変えることはできない。おれたちは決して同じにはなれない。なれるとすれば、友達になることだけだ。その考えを大切にしたいと二人で決めたんだ」
美咲は花開くように笑顔を浮かべた。
セミの声が響く。夏はあつい。
読んでくれてありがとうございます。
次作も読んでもらえたらうれしいです。