【 M. autumnalis cv. Luciola 】
浴衣姿のルキオラは、屋外で本体からそう遠く離れることができない。
持参した小型のクーラーボックスに、浅く水を入れてから、そこへ球根を移して蓋を締め、肩紐をかけて「行きましょう」と立ち上がる。
両袖に両手を突っ込み腕組みをしたまま手順を眺めていた自称・樹海の聖女は、皮肉めいた口調で「随分とまぁ用意がいいのねぇ」と呟いた。
「幻覚にしては感触があるでしょう?最近は自分で自分を持って移動もしてます。この入れ物もいくつか試作品をこしらえたんですけど、どうしても空気穴を開けるしかなくて……」
「球根に空気穴?」
「幻覚成分が遮断されると、すぐ消えちゃうんです」
「知らなかったわ」
大喜びで踏込みへ駆けて行って草履を履いた。
部屋の扉を開けて、1歩目でコロンと転んだ。
本体はこちら、だから怪我こそしないのだが。
「痛~っ! (>_<) 」
痛いことは痛いらしい。
「運動神経ゼロよ」
「植物ですからね」
「知らなかったわ」
「そうでしょうね」
衝動的に動いて、ひどくオッチョコチョイ。
加えて運動神経が良し悪しではなく、無い。
とてもじゃないが危なっかしくて、自分で持って歩けとは言えない。
もしも単独で球根に戻ったら、打つ手がない……出先では要注意だ。
チ~ン♪
エレベーターの扉が軽快な音と同時にゆっくり開いていく。
飛び出したルキオラはフロントへ向け一目散に滑り込んだ。
「観賞ドーム!開いてますか~?」
「もう開いてるよ。お、外人さんかな?日本語がお上手だね」
「いいえ~♡ こう見えて人外なんです!」
「ジンガイさんですか、こりゃ失敬、失敬」
「マンドレイクですがパチモンなんです!」
「マンドレイク、そりゃーたいしたもんだ」
「どういたしまして! 開いてるって~☆」
樹海の聖女は口をあんぐり開いて、何かを言いかけた。
ぱくぱくぱく、と開け閉めして、開いたまま止まった。
クーラーボックスを放り出して、転倒したことはあった。
自宅周辺ならご近所さんが「ありゃ~」と戻してくれる。
マンドレイクが走り回っても安心な環境。
これは説明しておいたほうが良いだろう。
「驚きましたか?こっちの人達、あんな調子なんですよ」
「だって今あの子」
「球根に戻っていたルキオラを見て近所のおばあさん、なんて言ったと思います?ちっちゃこくなってー!好き嫌いすっからだよ?と、こうなんです」
「見られたの!?」
「次の日にね、これぐらいある大きな白菜を4個も持って来ちゃって。ルキオラは食べられないし、かといって断るのも悪いでしょう?ほとほと困りました」
「どうする気ッ!」
「なんとか一人で完食しましたよ、大変でしたけど」
「じゃ……なくて」
樹海の聖女がしかめっ面でこめかみを揉みほぐし始めたので、「頭痛ですか?」と尋ねると「そうね、頭の痛い問題だわ」と睨め付けられた。
一旦、部屋で休んでもらったほうがいいだろうか?
視線を水平に走らせると、足を止めて話し込む姿を、玄関先で足踏みしながら見ているルキオラと目が合った。
辛抱できず戻ってきて、袖をグイと引っ張られた。
「なんのおはなししてるの~?」
「興奮しすぎてる。また転ぶぞ」
「大丈夫だよ、気を付けてる!」
「体調が悪いみたいなんだ」
「え!? ……そうなの?」
「もういいわ。左手にあった建物が繁殖施設なのね」
よろよろ歩き始めた後ろ姿を、不安気に見詰めていたルキオラの頭を、ポン!と軽く叩くと「大丈夫?」と聞かれたので、思わずフッと息が漏れた。
初日、斜向かいのおばあさんに見付かった失敗談で、あの有様。
すっかり感覚が麻痺している御近所さんの間では笑い話になっていた、こちらに来てから巻き起こした大騒動の数々を話したら、本当に体調を崩してしまい部屋に戻るしかなくなるかもしれない。
「ちょーっと環境の変化についていけてないのかな?」
また走り出さないように、手を繋いで歩いて行く。
観賞ドームの入口に立っていた人影が手を振った。
近付くにつれ首を傾げて困った表情が見て取れる。
「ど~したの~?」
「入らないで待っていてくれたんですか?」
「鍵を開けていた職員さんと話しをしたわ」
樹海の聖女が扉を開いたので、3人で施設へ入った。
薄暗い、どこも光っていない。
問題があったのかもしれない。
暗がりの中で顔を見合わせた。
「スマホで見たのと違ぁう」
「本当だ、中は真っ暗だな」
「あれは合成。絞り値開放で撮影して、後で編集するのよ」
「 「 え? 」 」
「それにね、施設の中にあまりホタルはいないそうよ」
「 「 え? 」 」
「園路を散策するといい、そこらじゅうにいるからって言われたわ。そんなことも知らないで誘ったの?そこの道でも大声を出すまで光ってたでしょ」
「 「 えぇえ~ぇ? 」 」
この一帯、立ち入りは自由だ。
いつ来て何時までいてもいい。
大急ぎで来て宿まで取った綿密な計画が?
計画自体ほとんど全部失敗しているけど。
聖女は小さく鼻を鳴らし「本当に杜撰な計画ね?」と言ったが、普段の小馬鹿にしたような調子ではなく楽しんでいるように見えた。
ここにいないと聞いても諦めきれないらしく、キョロキョロ探し回るルキオラの瞳を背後から、そっと両手でふさいだ。
そのまま、しばらくして。
ルキオラの耳元で「こうするのよ」と囁いて、手を離した。
「 う わ ぁ ~ ぁ あ ~☆ 」
「えっ、な、なに?」
ふらふらとホタルを求めて歩きだしたルキオラを、満足気にうっとりと見詰めていたが、こちらの視線に気付いて「目がなれると意外に探せないものよ」と、少し笑顔を見せた。
ぐるりと繁殖施設を見回していく。
カマボコ型をした、精々鉄骨の立派すぎるビニールハウス。
体育館ほどあると思っていたが、拍子抜けするほど小さい。
肩を落として「こんな田舎町で、できるのにね」と呟いた。
ルキオラの名を聞いたときに唐突に話し始めた由来。
老朽化を理由に閉鎖された東京の繁殖池。
想い出の場所だったと、そう言っていた。
田舎町でできたことが、東京ではできていなかった。
今なら、その意味がぼんやりわかる。
「あなたは迷わず萎れてしまったルキオラを伐った」
「球根だから伐ったのよ」
「まるで人間を接ぎ木したような植物、ルキオラが球根から育つ、普通じゃない。また花を咲かせると知っていなければできない筈です。父親は人間と言っていて、そう教わったように聞こえた。あなたが母親で毎年咲かせていた、その間に教えたことなら辻褄が合うと俺は思うんですけど、違いますか?」
この質問には黙秘だった。
「カルタヘナ法、御存知ですか?」
樹海の聖女は無表情だったが、心当たりがあるのだろう。
背筋は自然ビクリと竦んだ。
「話が……随分と話が変わったわね、今の話に何か関係あるのかしら」
「あります」
「遺伝子組換え生物を規制する国内法」
「遺伝子組換えのマウスや豚を販売、44の大学や研究機関が無届けで研究に使用していました。バイオセーフティに関するカルタヘナ議定書に反する行為で、当然日本のカルタヘナ法にも抵触していた。どうなったか御存知ですか?」
やや目をそらして「管理が雑ね」と呟いた。
それには同感する。
「文書で厳重注意です」
「たった、それだけ?」
「それで終わりでした」
「カルタヘナ法違反で」
擦れた声で唸ったきり、押し黙ってしまった。
やはり知らなかった、調べる余裕も無かった。
逃げ回っていたから。
「このあたり。丁度、走ってきた一帯は、協力雇用主が多いんですよ」
「協力雇用主?」
「刑務所出所者の事情を理解した上で立ち直りを支援する雇用主です」
「まるで聖人君子だわ」
「どちらにせよ時間はかかるでしょうが、良くて注意、捕まってもここなら帰ってこれる、帰る場所があって待ってる人がいる、そうは考えられませんか?」
樹海の聖女は「フン」と軽く鼻を鳴らして、目をそらした。
それだけでは苛立ちが抑えられなかったらしい。
ヨシかなにか、水際に特有の背の高い草をパシンと叩いた。
「あれがバケモノと知っていて育てた、交番行って自首でもしたら罪が軽くなるとでも?あんたなんじゃないの?存在が露呈して困るのは他でもない、あ――」
話すうちに感情が昂り、声が大きくなっていく。
唇に人差し指を立てて「しーっ」と小声で話すように頼むと、ハッとしたようにルキオラを見た。
「この話、あの子は知ってるの?」
「ルキオラが必死に調べたんです」
「ルキオラが……?」
「大声出しちゃ駄目なんですよね」
目交ぜしてから視線を移した先。
ルキオラが飛び回る蛍を捕まえようとしている。
先回りが苦手なようで、後を追いかけてばかり。
子供のように不器用で危なっかしい。
思わず苦笑いした。
「ホタルが? ……そうだったわ」
樹海の聖女はその場に「ふ――ぅ」と溜息をつきながらしゃがみ込んで、拍子抜けしたように、ぼんやりとその姿を目で追っていた。
そのうち、ぽつりと言った。
「おおよそ想像通りよ」
「おおむね正解ですか」
「聞いてしまえば共犯者になるとしても?」
「教えてください、話せる範囲でいいです」
「あの子の父親は、残業中に休憩スペースで頻繁に見かけたけど、挨拶くらいで、話もしたことなかった。いきなり残業中に、動物性集合胚の基礎研究をしている、今から一緒にホタルの飼育施設へ夜間公開に行きましょうってデートに誘われた。全然それ関係ないじゃん? しかも、とんでもないインチキ施設でね?」
「板橋の施設ですね」
「優しすぎるくらい優しくて、子供にまじって、子供みたいに喜んで。でも突然、行き詰ってた研究がピンと来た、湧いてきたってトンボ返りしたの。偶然、それが実を結んでしまった」
悲痛な面持ちで「聖女なんて笑わせるわ」と、呟いた。
[人―動物合成体]以上の成果。
あまり良い展開は想像できない。樹海へ消えた研究員、その着想の源泉となった女性と、手元に遺された、たったひとつの成果物。
何故か球根、植物だった――
どうもルキオラは動くものに釣られてしまうようで、小さな口を半分開いたまま上ばかりキョロキョロ見て、ヨタヨタと覚束無い足元で歩いている。
落ち着いて周囲を見たら、あちらこちらで葉の裏が光っている。
それには気付いていないようだった。
樹海の聖女は「そっくり」と呟いた。
そして、いかにも可笑しいという風にクスクス笑った。
「でも、大切な想い出だった」
それこそが「 M. autumnalis cv. Luciola 」の意味。
植物と合成されたのは、ホタルなんかじゃなかった。
ホタルに淡く照らされる想い出のこども。
ヒトと植物の合成体、ルキオラ――――
「その話、ルキオラも知ってるんですか?」
「言えなかった。あなたから話してあげて」
樹海の聖女が声をかけると駆け寄ってきた。
小さな声で「似合うわよ」と言われて小首を傾げている。
そっと頭に手をのせて、やわらかく握る。
その手をルキオラの目の前でゆっくり広げていくと、一匹の蛍が、魔法のように現れて……そのままポンと、小さなてのひらにのせた。
少し経ってから。
ひときわ明るく光を放つ蛍の光が瞳に映り「っふ わ~ぁ!」と、ちょっと間の抜けた歓喜の声をあげた。
少し居心地が悪かったのか徐々に指先へ移動した蛍が、中指の先端で翅を広げて震るわせてからフワリと飛翔。
ルキオラは「あ~あぁ」と溜息を漏らしながら目で追っていたが、それが暗闇に紛れてしまうのを見届けて、そのままくるりと回転しこちらを向いた。
っとっと、と踏鞴を踏み、やや斜めの姿勢で止まった。
「なんのおはなししてたの~?」
「 「 運動神経ゼロって話 」 」
「ひっど~い! ヽ(`Д´)ノ 」
ルキオラの肩に手をかけると、くるりと巻き付いてきた。
少しひんやり冷たい体温、柔らかい感触。
これが幻覚だとは、今でも信じられない。
それでもいいと今は思っている。
「ここは冬になれば雪に閉ざされ、気温が低くて乾燥します。気候は厳しいけれど種苗メーカーの研究所が多いから、育苗資材を扱う会社を探して再就職しました。風通しが良く寒い場所で乾燥させてルキオラを花芽分化させる。毎年成功するとは限りません、今年いきなり失敗してルキオラを失うかもしれない、でも!」
それ以上は言葉にならなかった。
このひとは俺にとっても、聖女だった。
ルキオラという神聖を宿していた女性。
帰る場所があって、待ってる人がいる。
それが心の支えになると教えてくれた。
「 恋茄子は香り
その見事な実は戸口に並んでいます 」
母親に教わった一節、旧約聖書はここしか知らない。
ルキオラに聞いたとき思い浮かべたのも、このひと。
いつも優しい目で、どこか寂しそうに見詰めていた。
「 新しい実も、古い実も たくさんの想い出も
愛してくれたママのために 取っておきます 」
樹海の聖女は深く頷いて、下を向いたまま瞼を閉じた。
沈思黙考する静かな時間が続く。
「伐るのよ? 3か月もすれば冬になる」
「伐ります」
「伐れる?」
「伐ります」
「アンタに伐れる?!」
「ルキオラを信じます」
「毎年、毎年、芽吹くかもわからないのに、ブツリ、ブツリ!」
「俺がルキオラを伐る。貴女がそうしてきたように、伐ります」
「なにを、根拠に……」
「貴女は迷わず伐り落としました。また逢えるって信じてた!」
なにか反論しかけたように見えた、が。
そのまま俯いてしまった。
不意に、左手を握る小さな手の感触に気付いた。
言い争いに聞こえたのだろう。
不安そうに見上げてくる蒼い瞳と、目が合った。
「このあたり」
「……なに?」
「ここ、昔っから蛍が住んでいたそうです。数が減ってきたから、譲り受けた蛍を養殖で増やした。違う種類だったから外来種って言われたら、そうなんでしょう。そんなにいけないことですか?」
「……駄目に決まってるじゃない」
「優しかったんだと思う。蛍のいる風景を守ろうとした人も、譲った人も」
「その身勝手が生態系を壊すのよ」
「俺はそんな風に割り切れません」
「アンタねぇ。 ……そんな話をしたくて連れてきたの?!」
「これは想像ですけど。樹海で引き留めてくれたのは、ルキオラの父親を止められなかったからじゃないんですか? それからは貴女が育てていた。俺にもできると思ったからこそ、大切な球根を託してくれたんじゃないんですか?」
「利いた風な口を!」
「知らないことが多すぎました。今度はやれる、もう一度だけでいい。俺のこと、信じてくれませんか」
大きく2度、首を振った。
俯いたまま、身じろぎもせず立ち尽くしている。
葉擦れの音すらない、静かな時間が流れていく。
「確信なんて無かった、ただ祈るしかなかったわ」
「それだけ聞けたら満足です。実は、カルタヘナ法で逮捕されたケースはあった。すべて営利目的に限られていました」
「金を払わせたわ……駄目じゃないの」
「金品を受け取りましたか? 領収書は、幻覚のように消えた」
顔をあげると、初めて見る柔和な表情をしていた。
「どうなるのか、どれくらいかかるのかはわからないけど――」
片田舎の繁殖池を飛び交う蛍光を見晴かしながら。
そこまでで、樹海の聖女は言葉に詰まってしまった。
唇だけは動いて、かすれ声は「まってて」と聞こえた気がした。
「ふたりでママの帰りを待ってます」
「また3人で、蛍狩りに来ましょう」
宣伝の編集された映像とは似ても似つかない、弱々しい若草色の涼しい蛍光が、時代の流れとともに大っぴらには宣伝できなくなった施設のなか、ひっそりと明滅しながら飛び交う。
でも、ちいさな生命が放つとは思えないほど明るい光だ。
樹海の聖女は自らへ言い聞かせるように、何度か頷いた。
「ええ。 きっと3人で、またここへ」と囁いて、咲った。
挿絵:Ⓒ管澤捻さま ありがとうございます