最終話:小さな物語と共に夏は幕を閉じる
9月18日。いつもと変わらない時間に登校した上月は自分の席に座って1限目に使う教材を鞄から取り出して机に並べていく。すると隣に天滝が駆け寄ってくる。
「風馬おはよう! 今日は長袖なんだ」
9月も後半に差し掛かり、半袖だとやや肌寒いと感じた上月は長袖のシャツを選んできていた。対する天滝はまだ半袖のままである。元気だな、と適当な感想を口に出そうとする上月だが、教室に入ってくる青葉の姿を見て口が止まる。上月の視線に気付いた青葉はこちらを見た後複雑そうな顔をしたが、すぐにニヤニヤと笑みを浮かべてこちらに駆け寄ってくる。
「よう、その様子だと…、って事で合ってるか?」
「ま、まぁな。青葉、あの時はだな…」
あの実験室での件以降青葉とちゃんと面を合わせて会話することは無かったため機会が無かったのだが、まだあの時の返事をしていないのだ。それに焦った上月だが、青葉は「いいっていいって」とへらへら笑う。
「あれ、全部嘘だから」
「…は?」
上月は隣を見て天滝の表情を伺うが、以前にも同じ事を言われた天滝は特に驚いた様子を浮かべることはない。
「だーかーら、嘘。私がいい具合に上月を刺激してあげないと天滝にアタックできなかったろ? そういう事だよ」
「いや、どういう事…?」
「夏希ちゃん…」
心配そうに呟く天滝に気づいた青葉は天滝の頭に手を乗せて笑いかける。
「なーに言ってんだ、私は祝福してやるって。おめでたい事じゃないか」
事情が掴めていない上月を放ってやりとりを終えた青葉は、また後でな、と自分の席に向かって行ってしまった。その日、青葉は心ここに在らずと言った感じで常にどこか遠くを見つめていた。
そして放課後。青葉は上月達を先に部室に向かわせ、しばらく教室の机で頬杖をついて窓の外を眺めていた。
「青葉、ここにいたんだな」
聞き慣れた声に青葉が振り向くと、そこには相良の姿があった。青葉1人だけが取り残された教室に入ってくると、そのまま青葉の前の席の椅子の向きを変えて座って青葉と向かい合う形になる。
「先輩はこうなる事が初めから分かっていたんですか」
相良が座った途端に吐き出された青葉の言葉に、相良は「どうかな」と曖昧に返す。それと同時に昨日の記憶が相良の脳裏に蘇ってくる。
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「待て」
上月を遠くから追いかけていた相良は、自分の後ろを走る木山に小さく合図する。その視線の先には公園に入っていく上月の姿があった。
「…本当にここに居るんだろうな」
半信半疑の木山だったが、相良の後をゆっくりとついていく。相良は公園には入らず、入り口付近の茂みの後ろにしゃがみ込み、木山に隣に来るよう合図を送る。木山はそれに従い、隠れて様子を伺って驚く。ジャングルジムの上で花火を見る女子が木山の視線の先にいた。上月の反応を見ている限り、恐らく彼女が天滝楪なのだろう。
「これは驚いたな。こんな場所はリストに無い」
木山と同じ感想を抱いたのか、暗闇で目立つ白衣を脱いでリュックにしまい込みながら木山に話しかける。
「ああ、まさか思いつきで来た場所がドンピシャだったなんてな」
しばらく2人で様子を見ていると上月と天滝が話始める。花火の音で途切れ途切れではあるが会話の内容は大体聞き取ることができた。そして天滝が上月に告白し、上月は少し考えるような素振りを見せたが、天滝を受け入れた。その様子を満足気に見ていた相良は、上月達の方を見ながら木山に話しかけてくる。
「君も本当はあんな結末を迎えたいのではないか? 実に幸せそうな顔をしているだろう」
「…俺の考えは変わらねぇよ。確かに2人とも腹立つぐらい幸せそうなオーラ全開だが、俺は俺のやり方で氷川を幸せにするって決めてんだよ」
「そう…か。まぁ、仮に君があの様子を見て氷川を受け入れる気になったとしても、私の目的は達成できないんだがな」
「…なんだそれは」
この女、もういよよ何を考えているのか分からなくなって来たな、と顔に出す木山の表情を見て、相良はすらりと答えを述べる。
「私は完全に君を否定したいんだよ。君の考えることとは逆の行動を取って幸せになっている人の姿を見せる事で、君のやり方が間違っていると証明するんだ」
「それならもう目標は達成したんじゃないのか。いや、俺は俺の考えを曲げる気はないが」
「もう1人、君と同じ行動を取る人物がいるだろう?」
「…もしかしてあの暴力女の事か」
木山の言う通り、青葉もまた木山と似たような道を歩むことを決意した人物である。しかし、青葉が幸せになる事で何が起こるかなんて誰にでも容易に想像がつく。
「あんた、何考えてんだ? まさか全員幸せな未来でも作ろうとしてるんじゃ無いんだろうな。正直詳しい事情は知らないが、少なくとも今の状況で上月も青葉も幸せになるのは不可能だ」
「何を言う。その通りに決まっているだろう? 私は部員全員が幸せな未来を求め続けている。君の思想の否定など、その道に過ぎない。…だが、君の思想を全て否定してしまうと矛盾が生じるのも確かだ。誰かが幸せになるためには多少の犠牲はつきもの。こんな仕組み間違ってるとは思わないかね」
「間違ってる…とは思わないな。それがこの世界のメカニズムなら仕方ないだろ。それに気付けて良かったじゃねぇか。だが…、上月はあいつなりの方法で幸せを掴んだ。科学部的には今はそれでいいだろ」
そう言って立ち上がった木山に「どこに行く」と声をかける相良。しかしその言葉を無視して木山はそのまま帰路に着く。花火を見ながら坂道を下る木山の表情は複雑なものであった。
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「…先輩?」
しばらく固まっていた相良に心配そうに声をかける青葉。その声で我に帰る。
「すまない、少し寝不足気味でな」
「大丈夫ですか?」
「…青葉は優しいんだな」
少し心配そうにする青葉に、微笑みながら青葉の頭に手を置く相良。「すまなかった」と短く謝罪して言葉を続ける。
「私は君のことを幸せな道に導くことができなかった…。君の心を勝手に揺さぶったのは私だと言うのに」
「ちょ、そんな、先輩は悪くないですって」
「いや、私の目的のために君を駒のように使ったんだ。非難されて当然だ」
「…私、振られたんですね」
今まで見たことない相良が落ち込む姿を見て、ようやく青葉にその実感が湧いてくる。結局上月は最後まで直接青葉を振ることは無かった。それは悪意ではなくて優しさ故の事だろう。だがいっそのことちゃんと向き合って振って欲しかったと青葉は思っている。そうでないとは分かっていても、まともに相手すらしてくれなかったと認識してしまっている嫌な自分がいる。
「後悔しないって、ちゃんと喜んであげようって決めてたんですけどね…」
涙が頬を伝っていく感触を感じる。相良はしばらくずっと青葉の頭を撫で続けた。
小さな恋の物語は終わりを告げる。当人達にとっては大きなドラマだったのかもしれないが、周囲の人達からすれば背景の一部分に過ぎない。しかし、そんな背景を見て変わる人物が存在することもある。
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チャイムが鳴り、昼休みの時間になる。氷川はぐぐっと伸びをしてから一気に脱力して机にへたり込む。そんな氷川の前にクラスで1人だけ上着を着ている人物がやってくる。人の気配を察知した氷川が顔を上げると、その人物は口を開く。
「その、俺と…、付き合って欲しい、んだが…」
一瞬ぽかんとする氷川だが、直後一気に顔が明るくなる。
「うん! どこに行くのかな?」
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。
こんな結末で本当に良いのだろうかと考えながら書いていましたが、木山に翻弄される科学部を描くことができて、さらに心の中でコンセプトにしていた、決して壮大ではないけど上月や青葉にとっては大きな物語というものを書けた気がするのでとても満足しています。心残りがあるとすれば、天滝ちゃんはもう少し掘り下げても良かったかな、と思っています。
冬、春、夏、と続いた「やさぐれ男の越冬記」シリーズですが、ここまで来れば秋の物語も書きたいなと考えています。いつになるかは分かりませんが、評価や感想など頂けるととてもモチベーションが上がりますのでよろしければお願い致します。
次はもっと良い作品を書けるよう精進します!
追記
「底辺男の向夏録 晩夏」の続きかつ、「やさぐれ男の越冬記」シリーズの最終章となる「消極男の悲秋暦」を現在連載中です。もしよろしければそちらもご一読ください。