5:青葉夏希は決意する
部活動をしている生徒は部活動に専念しており、部活動をやっていない生徒は既にみんな帰宅している。そんな人通りの少ない時間に、校門の前に立つ青葉と天滝の間に深い沈黙が訪れる。
「風馬、なんて言ってた?」
最初に沈黙を破ったのは天滝。彼女自身、いつかこうなることは分かっていた。そして口には出さないが、青葉の結果も天滝には大方の予想はついている。そんな天滝をよそに、青葉は申し訳なさそうに口を開く。
「それが、途中で木山が乱入してきたせいで結果は聞けなかった」
「そ、そうなんだ」
想像していたものとは外れた答えに肩透かしを食らった気分になった天滝だが、すぐに調子を取り戻して、いや、実際にはいつもの天滝の様子とはかなり変わっているが、落ち着いた様子で口を開く。
「また挑戦してみようよ。夏希ちゃんなら、風馬とも上手くやっていけるよ」
「おい、天滝はいいのかよ…」
「風馬に振られた時、他に好きな人が居るって言ってたから。もしかしたら夏希ちゃんの事かもしれないね」
笑みを浮かべて話す天滝のこの言葉に偽りはない。実際天滝が振られた時、上月はそう話していた。が、その言葉が嘘だということを天滝は分かっている。確信はない。だが、幼馴染として長い年月上月と過ごしてきた経験から、あの言動は嘘だとはっきりと分かるのだ。つまり、青葉が何度上月に迫っても上月はそれを受け入れることはない。天滝はそう確信している。だからこんな事を躊躇する事なく話す事ができるのだ。
「…そ、そうなんだ」
だが、上月の言葉が嘘だという事を、青葉も知っている。振った本人があそこまで落ち込んでいるのだ。間違い無いだろう。つまりそれは自分がどう頑張っても上月と付き合う事はできない、という事を青葉自身も分かっている。「上月の言葉は嘘だ。本当は天滝の事が好きで、振った事を死ぬ程後悔してるぜ」と言ってやるのが友人としての義務だ。それは天滝のためでもあり、なによりも真実なのだ。だが、縫い付けられているのではと疑うほどに青葉の口は開かない。私は本当にずるい。この期に及んでまだ上月を諦めきれていないのだ。そう感じながら、恐る恐る口を開く。
「本当にいいのか…?」
「うん。でも、今の風馬おかしいよ。ううん、合宿の前からちょっとおかしい」
天滝が付け加えた言葉に青葉は同意する。上月はオカルト研究部での一件以来様子が少し変わったように感じていた。なんというか、少し考え込む事が多くなったような気がしていた。あの時はオカルト研究部の根暗男、黒木拓真が事件を解決する様子に影響されていたのだと思っていたが、実際にはその元凶は木山だったのだ。
「待てよ…」
天滝にすら聞こえないほどの小声で青葉は呟く。もしかしたら天滝は木山が原因で上月が変わってしまったと知っているのではないのだろうか。いや知っているに決まっている。冷静に考えてみれば知らないはずがない。ならばさっきの言葉は自分を気遣ってくれたのだろう、と青葉は解釈してしまう。無意識のうちに都合のいい捉え方をしてしまうのは人間の悪い癖である。
「天滝…」
「あ、私そろそろ時間だから帰るね。…部活、もうしばらくは顔出せないかも」
「あ…、うん」
やっぱり上月のあの言葉は嘘だと伝えようとしたが、悪いタイミングで天滝が口を開く。そして一方的に言葉を吐き出して駆け出してしまった。上月の事が好きなのは事実なのに、それは決して願わない。さらにそれを願おうとするだけで友人の道を塞いでしまいかねない。八方塞がりの状況に青葉は深いため息を吐いた。
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青葉が上月に告白した日から少し経って9月12日。
木山はその日少し遅れて学校に到着した、とは言っても遅刻したわけではなく、いつもより5分ほど家を出るのが遅れてしまっただけであるが。あくびを噛み殺しながら下駄箱で靴を履き替え、自分の教室に向かおうとした時にふと視線を感じて振り返る。
「あ…」
振り返った先でこちらを見ていたのは確か実験室に呼び出された時に上月と居た女子。名前は知らない。その女子は木山と目が合うと同時にみるみるうちに顔が赤らんでいき、ついにはずんずんとこちらに向かって歩き始めた。面倒事は避けるべきだ、と木山は回れ右をして早足で立ち去ろうとしたが、そこそこ距離があったはずなのにも関わらず、すぐに腕を掴まれる。
「瞬間移動か何かかよ」
「何意味わからない事言ってんだ、ちょっとこっちに来い」
そのまま連れて行かれたのは図書室前の廊下。人が少ない、と言うよりもはや人がほぼ居ないのは朝の時間でも例外ではない。到着して少し沈黙が流れるが、すぐに青葉が口を開く。
「ここで振られたんだってな」
「…あいつから聞いたのか」
誰にも言わないみたいな約束をしてたと思うんだが、とオカルト研究部に真実を全て知られた時の事を思い出す。後で上月の教室に乗り込んで問い詰めてやろう、と考えるがそんなコミュニケーション能力を木山は持っていないため早々に諦め、青葉に質問する。
「まぁいい、質問を変える。なんの用で呼ばれた?」
訊ねつつも、木山はおおよその予想を立てていた。大方あの時の乱入の件だろう。口封じか、はたまた協力依頼か。どちらにせよいつも通り面倒事は避けるスタンスを取っていくつもりだ。しかし、珍しく木山の予想は外れる事になる。
「上月に何を吹き込んだ」
「…なんだって?」
木山は思わず問い返していた。しかし、木山の返答が気に食わなかったのか、青葉はじりじりと木山に距離を詰めてくる。それに合わせて一歩、二歩と後退する木山だが、ぺたりと背中が壁にくっつく感触を感じて足を止める。そして、青葉はそんな木山に急接近し、胸ぐらを掴み上げる。
「お前が…、お前が科学部をめちゃくちゃにしたんだろ!」
いきなり呼び出しておいて理不尽に激昂する青葉に流石の木山も苛立ちを隠せない。自分の胸ぐらを掴む青葉の腕を右手で掴み、やや強めの口調で言い返す。
「ちゃんとわかりやすく説明しろよ。いきなりキレられても訳わかんねぇんだよ」
「そのままの意味に決まってるだろ。お前が上月に変なこと吹き込んだせいであいつは天滝を振った。どっちもそんな事望んで無いのにお前の言葉に惑わされたせいで科学部は崩壊した!」
確か以前上月と話した時、天滝という人物は上月の幼馴染とか言ってたような気がする。ならば目の前の暴力女が言っている事は恐らく上月に聞いた話と繋がっていると見て間違い無いだろう。
「…俺は別に『これが正しい価値観だ』ってつもりで話したわけじゃない。あくまでも俺個人の価値観の話を聞かれたからそのまま答えただけだ。上月が幼馴染を振ったとか、その責任が俺にあるだとかそんな話は知らない」
胸ぐらを掴む手を握ったまま、あまり暴力女を刺激しないようにゆっくりと簡潔に自分の考えを話す。だが、その途中で違和感に気付く。
「そもそも、上月が幼馴染を振ったのはお前にとって都合の良い話だったんじゃないか? 実験室のあれも多分そういう事だろ。…お前なんで怒ってんだ」
以前実験室で見た光景。もちろん一部しか会話を聞けなかったし、あれがどんな状況だったのかは木山の憶測に過ぎない。だが、もしあれを告白か、それに近い何かだとするとなぜ目の前の暴力女はここまで怒っているのだろうか。木山の問いかけは図星だったらしく、胸ぐらを掴んでいた力が途端に緩くなる。それに合わせて木山が腕から手を離すと、釣られるように暴力女は木山の胸ぐらから手を離す。
「さっきも言ったけど今の上月は木山の思想を中心に動いてる。つまり天滝を振ったのは、天滝の事が好きだからだ。あいつが天滝を振ったからって、私が付け入る隙があるなんて思っていない。それでも自分の想いってやっぱり伝えるだけになったとしても伝えたいものなんだ」
つくづく理解できない話だ、というのが木山の率直な感想である。だが話のつじつまは合っているため深掘りはしない。要するに今の青葉は天滝の恋敵ではなく、天滝の友人としてここに立っているのだ。
「つまり今はもう上月と付き合うのは諦めて、奴の幼馴染を応援するために動いてるって事か? 理解できないな」
「理解できない…か。私はお前がなんであそこまで必死に氷川を高橋とくっつけようとしていたのか少し分かった気がしたけどな」
木山が氷川に好意を知られないようにするために氷川と高橋をくっつけようとしたように、青葉もまた諦められる納得のいく理由を得るために上月と天滝に付き合ってほしい。理由は違えどここにいる2人は似たような境遇なのだ。それに気がついた木山は小さく息を吐く。
「勝手に俺の心の中の事分かってるみたいな言い方すんな、気持ちが悪い。あと、俺と同じ道を行くなら上月みたいに後悔すんなよ。面倒だからな」
言い終わると共に予鈴が静かな廊下に鳴り響く。木山はそれ以上語る事なく既にその場を離れていた。
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