4:告白
「おお、これは凄いな」
運動部がグラウンドで掛け声を上げながら体を動かしているのに対し、上月は実験室で顕微鏡を覗き込んでいた。プレパラートに挟まれているのは先程学校を少し出たところに流れる小川からスポイトで採集したサンプルだ。先日の高橋の様子を見てたまには真面目に科学部っぽい事をやろうとした結果このような小学生の実験のようなものにたどり着いたのだが、これが意外と面白い。今日は一応実験室に人を呼んでいるのだが、それも忘れて名前も知らないプランクトンを眺めていると突然実験室の扉が開く。
「おお、来たか…って青葉か」
そこに立っていた意外な人物に驚く。それもそのはず。今の時刻は17時半を少し過ぎた辺りだ。呼んでいた人物が現れないのも謎だが、帰宅部のはずである青葉がまだ学校にいる事も驚きだ。
「せっかく久しぶりに顔出したのにその反応はないぜ? って、なんか科学部っぽい事やってんじゃん!」
上月の言葉に少し残念がる青葉だが、上月の目の前にある顕微鏡を見て明らかにテンションが上がる。「私にも見せろー!」と上月の机に駆け寄り、上月の隣に腰掛ける。
「いや、ここ科学部だからな」
突っ込みを入れる上月を無視して顕微鏡を奪い、覗き込む青葉。しばらく「おお、なんだろこれ」「こいつは知ってる! 確か名前は…」などと顕微鏡を覗きながら騒いでいたが、痺れを切らした上月が顕微鏡の照明のスイッチをパチン、と切る。
「あのな、この後人が…」
「上月、私嬉しかった」
「…え?」
上月の話を完全に無視して、何も見えないはずの顕微鏡から目を離さないまま青葉が話し始める。その声は若干震えているようにも聞こえた。突如として訪れた沈黙に遠くから聞こえる運動部の掛け声が小さく響き渡る。
「盗み聞きとか悪いとは思ったんだけど、あの後聞いちゃったんだ。天滝を振った理由、天滝が上月にはもったいないかららしいじゃん」
「…付いてきてたのか」
恐らく青葉が言っているのは以前屋上で話している時に相良に急遽実験室に呼び出された時の事だろう。どうやらその時に青葉は上月にこっそり付いてきて実験室内での会話を聞いていたらしい。
「言ってたよな。天滝は可愛くて優しくて一緒にいたら元気が出るとかなんとか」
自分で言っていた時はあまり気にならなかったセリフだが、それを掘り返されると一気に恥ずかしくなる。青葉には見えていないが、みるみるうちに上月の顔が真っ赤になっていく。
「でもさ、私なら上月の器に収まる事ができる。私は天滝に比べて何も持ってないから…。全部天滝以下だからこそ上月にとってもったいなくなんか無い存在になれるかもしれない」
そして青葉は不意に立ち上がる。椅子がガタン、と後ろ向きに倒れるがそれでも構う事なく上月に背後から抱きつき、青葉自身も頬を染めながら言葉を続ける。あまりにも突然の事で、それも全く想像する事も無かった状況に上月は何も言葉が出てこない。
「ずるいよなこんなの。でも仕方ないんだ。狙ってるだけじゃいけない、届かないと意味がないんだ。上月、今答えてくれ。答えなんてわかってるけど聞いておきたいんだ。だから早く…」
「おい、来てやったぞ…って、うおっ!?」
決意を胸に一気に言葉を吐き出す青葉だが、その言葉は上月が呼んでいた人物によって無惨にも断たれてしまう。青葉がゆっくりと上月から離れて声の方向を向くと、そこにはまだ夏が終わっていないにも関わらず上着を羽織っている男がそこに立っていた。その特徴もあるが、青葉も一度その姿を見た事があるから分かる。彼が木山蓮だ。
「な…、なんで…」
最悪のタイミングで現れた木山に対して何か言おうとする様子の青葉だが上手く言葉が出ず、顔を真っ赤にしながら木山を押しのけて自慢の足の速さで実験室を飛び出して行く。
「なんだったんだ…?」
気まずさ全開の場の雰囲気に耐えきれずに上月がぽつりと呟く。それを合図にして木山は実験室に入ってくる。そしてゆっくりと上月の向かい側の席に座る。さっきは少し動揺していた様子の木山だったが、すぐにいつもの調子に戻って口を開く。
「なんだったんだ、じゃないだろ。それは俺が1番聞きたい事だ。まさか今のを見せつけるためにわざわざ呼び出したわけじゃないだろうな」
「ち、違う! 俺にも何が何だか…」
冷静さを取り戻す木山に対し、まだ動揺を隠せない上月だが、さっきのは一体何だったのだろうか、だなんて言うほど鈍感ではない。しかし今は木山がわざわざ実験室に来てくれたのだ。まずはこちらの用事を優先すべきだろう。上月の心中を察したのかはたまたただの身勝手か、上月が慌てているうちに木山は既に机に座って待っている。本当は青葉を追いかけたい所ではあるが、そもそも足の速い青葉に追いつけるわけもないので一旦諦める事にする。
「違うなら別にいい。早く要件を言ってくれ」
「…分かった。まぁでも本当に雑談みたいなものなんだけどな。…夏休みに幼馴染の天滝って奴に告白されたんだ。もちろん嬉しかった。だけど木山から聞いた話が頭をよぎってな。天滝を幸せにしてやる事ができるのか不安になってしまった」
最初こそはただの自慢話か何かだと思っていたが、自分の言った事に影響されてしまった、という話らしい。木山はそう察する。知らんがな、と切り捨てる事は容易いが、もう少しだけ話を聞いてやる事にする。
「…その感じだと振ったのか」
「振った。ただ受け入れるよりも断る方が後々の天滝の幸せに繋がる、そう考えたんだ」
考えた、と上月は語るが、考えてなどいない事は上月にも木山にも分かる。これはただの真似事だ。上月は自分に自信が持てなくなって木山の思想に逃げたのだ。あの冷静沈着で合理的な木山の考えならば間違っているはずはない、と自分に言い聞かせながら模倣しただけだ。
「で、どうだった。俺の真似して振った感想は」
「…最低の気分だ。最高に後悔してる」
酷く苦しそうな声と曇った表情がそれが偽りではない事を証明している。それを見て木山は「はぁ」とため息を吐いて口を開く。
「あのなぁ、上月は後悔してるし苦しいかもしれない。だが、俺から言わせて貰えばただの迷惑な話だ。勝手に俺のやり方を模倣されて、勝手に後悔されて、次はなんだ、『お前のやり方は間違っている』、とでも言うつもりか?」
「…返す言葉もない」
「上月には上月のやり方がある。俺は前そう言ったはずだ。…これ以上は時間の無駄だ。帰る」
そう言い残し、木山は立ち上がって実験室から立ち去ってしまう。上月が1人取り残された実験室に再び運動部の掛け声が静かに響き渡る。
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実験室から飛び出した青葉は、一直線に下駄箱へと向かう。青葉にとっては木山に聞かれた事よりも言ってしまった衝撃の方が大きい。上月と天滝の間に割って入る行為はあのメールだけ。その後は全部見届ける。そう心に決めたはずなのにこの有様だ。おまけに木山の乱入のせいで上月から結果を聞くことも出来なかった。次上月にどんな顔で会えばいいと言うのだ。
足の速さを生かしてすぐに下駄箱にたどり着き、自分の下駄箱から靴を取り出して上履きを自分の箱に投げつけるように突っ込む。そこで一旦落ち着き、後ろから上月が追ってきていない事を確認する。
「あはは…、やっぱり来ないか」
小声で独り言を呟く。恋愛ドラマの主人公ならばここで追いかけてくれたのかな、と考えて息を吐く。上月が来ないのであればゆっくりと帰れるな、と表向きの気持ちを切り替えて校門から出ようとしたその時、後ろから声をかけられる。
「夏希…ちゃん?」
振り返って見るとそこには意外な人物、天滝が意外そうな顔で立っていた。お互いに科学部にほぼ顔を出さなくなったせいで既に帰ってしまっていると思っていたのだ。
「天滝…、帰ってなかったんだ」
「うん、先生に分からないところ聞きに行ってたんだ。次の試験、みんなで勉強会できるか分からないから」
「そう…、だな」
「夏希ちゃんはどうしたの? すごい慌ててたけど」
「いやぁ、私はほら、その…」
「風馬と話したの?」
最初こそ元気に取り繕う天滝の姿が痛々しかったが、妙に鋭い発言にそんな事を気にする余裕が消え失せる。そういえばあの日、青葉も上月を狙っている、という内容のメールを送ったのを思い出す。まさかこんな事になるとはあの時は思ってもいなかったが、あのとっさの行為のせいで余計に事情がややこしくなっているのを青葉はひしひしと感じていた。だが、ここで下手に嘘をつくと余計に話がこじれていくのは目に見えている。青葉は決心して口を開く。
「うん、話した。告白もした」
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