2:かつての主人公は全てを救いたい
いつも通りの長いホームルームが終了し、放課後になる。数日前相良に鍵を渡された上月は、それから毎日放課後は実験室にいる。実験器具をいじったり寝たりして部活の時間を過ごしているが、たまに青葉がやってくる以外に科学部のメンバーが部室に来る事は一度もなかった。その日も適当に授業中に出された課題を進めている上月がふと顔を上げると、見知った顔が実験室の前を通り過ぎるのを見た。見知った、とは言ってもおそらくあちらは上月の事を知らないのだろうが。解けかけていた課題をそのままに、上月は実験室から飛び出してその男に声をかける。
「高橋颯斗!」
「君は…、ごめん、誰かな? 俺的には君とは初対面なんだけど」
上月の声に振り返ったのは高橋颯斗。サッカー部の副キャプテンを任されており、顔立ちもいい。そして何よりも、木山と関わりの深い人間だ。あの冬、木山は氷川から髙橋への告白を成功させるための障害となる川野咲を高橋の前から取り除くため、川野に告白したのである。だが、この事実は上月が一方的に知っているだけであり、もちろん高橋は上月の事を知らない。困ったような高橋の言葉に思わず我に返って謝罪を行う。
「あ、ごめん。俺はA組の上月風馬。ちょっとだけ高橋と話がしてみたくてな。今時間あるか?」
「今、か。ちょっと今は部活が大変な事になっていて職員室に用があるから、これが片付いたらだな。上月、だったな。今日はずっとここに?」
「分かった、そっちが片付くまでここで待ってる」
「必ず来るよ」
短く約束し、そのまま高橋は走って行ってしまった。上月は科学部の半壊を無しにしてもあれだけ部活動に熱心になれる奴がいればこんなだらけた部活も良いものになるのだろうか、と考えながら実験室に戻り、解けかけていた課題に再び手をつけ始める。
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実験室がオレンジ色に染まってきた頃、上月は部屋をノックする音で目を覚ます。どうやら結構難しかった課題が終わった達成感に浸っているうちに眠ってしまっていたらしい。ゆっくりと立ち上がってドアの方に向かい、戸を開けるとジャージから制服に着替えた高橋が立っていた。
「実験室なんて初めて入ったな。ここ、A組でも授業で使わないのか?」
「使わないな。だからこうして科学部が独占して使わせてもらってるんだ」
「科学部…。なるほど、でも他の部員がいないみたいだけど?」
「ああ、いや、ちょっと色々あってな…」
必死に言葉を探す上月を尻目に興味深げに実験室を歩き回っていた高橋だが、すぐに窓際にもたれ掛かって本題に入る。
「じゃ、話ってのを聞かせてくれ。上月とは初対面だけど、君はA組だから勉強の話でも無さそうだし、既に部活に入ってるって事はサッカー部に入りたいって訳でもない。もしかして友達になりたい、みたいな話かな?」
「全部ハズレだ。木山蓮についてちょっと聞きたい事があってな」
「…なるほど。木山に何か言われたのか? あいつあんな感じだけど多分悪気は無いんだ」
上月は何を言っていないのに必死に木山を弁解する高橋。その様子だけで木山が結構なトラブルメーカーである事が伺える。
「いや、そうじゃ無いんだ」
そして上月は高橋に説明を行う。去年の冬の木山の奇行についてオカルト研究部が推理した事実、その後の木山と氷川の関係、上月が実際に木山と話した時に彼が語った木山の思想。そしてそれが頭をよぎって合宿先で天滝を拒否してしまった事。
「…なるほど、とりあえずそのオカルト研究部ってのはあの時流れてた噂話からそこまで推理したのか。…驚いたな。で、君が木山の考え方に釣られて失敗してしまったって話で合ってるかい?」
「間違いない。なんかもうよく分からないんだ、何が正しくて何が間違っているのか。俺の中では木山が1番正しそうに見えたんだけど、今の俺の気持ちと天滝の様子、科学部の現状を思うと、多分俺が正しいと思った木山の考えでさえ正解じゃ無かったんだ…」
実際、最近ずっとこればかり考えている。木山が間違っていたのであれば、上月は天滝を受け入れるべきだったのだろう。しかし、そうしても天滝が確実にずっと幸せでいれる保証はない。となるとやはり木山の方が正しいのだろう。だが…、という風に思考がぐるぐると頭の中を巡り続けるのだ。
「俺は多分木山みたいになりたかったんだ。あいつには正しい答えが見えている。あいつの行動は周囲から間違いだと思われるようなことでも、結果的には良いところに落ち着くようにできている気がするんだ」
「冗談でもやめたほうがいい」
俯いて語る上月の言葉に、高橋は短く答えた。顔を上げると、高橋は真っ直ぐ上月の事を見ていた。オレンジ色の夕日がバックになって逆光で表情はよく見えないが、悲しそうな目をしている事は分かった。
「木山は確かに凄い。あいつは結果を見通してそれが良い方向になるように感情を殺して動く事ができる奴だ。だけどそれは憧れを抱いてもいいような透明な凄さじゃない」
頭も顔も良くてサッカー部の副キャプテンを務めるような高橋にここまで言わせるとは、と驚く上月をよそに高橋は話を続ける。
「裏を返せば、あいつは先を見通してその結果を良い方向に向けるためなら目前のものはなんでも捨てる。オカルト研究部が推理した通り、あいつは氷川のために自分自身をも一度捨てた。そして今は氷川のためだとか言いながらその氷川を捨てようとしている」
どこか寂しげな目をして語る高橋を見るに、高橋が木山を友人だと思っているのかただのクラスメイトだと思っているかは不明だが、少なくとも木山が何かしらの奇行を起こしてそれを周りから悪く言われるのは気分が良く無いのだろう。事実、さっきも上月が何も言っていないにも関わらず咄嗟に擁護していた。
「俺は、あいつにもう少し周りを見てほしい。他人をおもいやるのはもちろんいい事だと思ってるけど、もっと自分の気持ちに素直に、そして先だけじゃなくて今そこにある幸せを掴み取ってほしい。…もちろん上月、君にもだ」
「俺も?」
「俺はもう誰かが幸せを語りながら自分を、他人を殺す姿を見たくは無い。…あいつらだって、君だって、今自分がやりたいようにやりたいはずだ。それをただ1人の思想だけで咎めてしまうのは、あんまりだと思う…」
「それはつまり、木山のやり方を否定するって事か?」
「ああ、否定する。木山は多分最後まで俺の言う事には耳を貸さないと思う。それでも俺は、これ以上木山の取り繕った態度、半分諦めたような氷川の顔を見たくは無いんだ」
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あの後は特に内容のある話はしていない。適当にAB組共通の先生の愚痴を言ったり、科学部やサッカー部の事を話し合ったりしながら実験室を出て校舎を出た後、すぐに高橋は帰って行ってしまった。俺も帰るか、と上月がおもむろにポケットに手を突っ込むと指の先に硬い感触を感じる。それを取り出してみると以前相良にもらった100円玉が夕日に照らされてオレンジに光る。どうしたものかと考えて周囲を見渡すと、以前缶コーヒーを購入した自販機が目に入る。何か思いがあったわけでは無いが引き寄せられるように自販機の前に行き、上月は再び缶コーヒーを購入した。
少し離れたところにあるベンチに腰をかけてプルタブを起こし、缶コーヒーに口をつける。
「にっが…」
以前と変わらない苦味が口の中に広がるが、色々な人を傷つけてしまった事の罰、自分への戒めだと思えばすんなりと苦味を受け入れることができた。そして苦味を乗り越えると香ばしいコーヒーの風味が鼻を抜ける。1しか歳が離れていないはずの相良がなぜあれだけ大人びているのか、その理由が分かった気がした。
先日大量の誤字報告が送られてきました。まだまだ未熟さを実感する次第です。作品を読んでいただき、その上誤字の報告まで送って頂いた方に感謝します。