後輩ちゃんはいつも嘘つき
「先輩、私と付き合ってください」
おののく俺の前で、ぎゅっと目をつぶる一人の少女。
胸の前で握られている手は緊張しているのか、微かに震えている。
時は放課後。
夕暮れに染まる校舎裏にて。
お互いに近い距離で向かい合う男女の姿は、はたして周りからどのように見えるのだろうか。
それは付かず離れずの焦れったい関係に、思い切って距離を詰めようとしたところだったり、いつまで経っても自分の好意に気づいてくれない相手に痺れを切らしたところだったり。
傍目には儚い青春の一幕のように映るに違いない。
俺はぱちくりと目を瞬いて今一度状況を認識したあと、猛烈な感情が胸の内から湧き出てくるのを感じた。
――何言ってんのコイツ?
第一に俺はこの女子のことを知らない。
同じクラスだけど話したことがないとか、そんなレベルじゃない。名前すら聞いたことがない。まだ一目惚れして告白してきたならありえよう。しかし、俺はこの女子について何一つ知らないのだ。
そもそも、こんな奴後輩にいたか?
いや、いない。ていうか、俺が一年生であること踏まえたら、順当に考えて後輩なんているはずがない。
つまり嘘。この告白は偽りのもの。
俺はその事実に気づき、跳ね上がるように顔を上げて周囲を見渡した。
万が一というか、十中八九この告白は偽物だ。罰ゲームとしてやらされている可能性が高い。だとするならば、それを後ろから面白がって観戦する仲間の姿があるはずなのだ。
俺は確信めいたものを意識して人影を探したが、それらしき人物を発見することはできなかた。
じゃあこの女子は……
目の前で俺の返事を待ち続ける女子に目を向ける。
まさか本当なのかと俺は一瞬思ったが、すぐにその考えを頭から振り払った。もし告白が本物だったら後輩なんていうわざとらしい嘘を使う必要がないのだ。
俺はとりあえず、それらの真偽を確かめるためにも声をかけた。
「ねえ、目を開けてくれないかな」
彼女は一瞬肩を跳ね上げたが、それが期待していた言葉じゃないと分かって指示通りにゆっくりと目を開けた。
どこか異国人めいた茶味を帯びた瞳が姿を現す。
「まず、君は――」
――誰なんだ?
と、尋ねようとしたとき、少し離れた場所から数人の女子の話し声が聞こえてきて、とっさに口をつぐむ。
いま二人でいるところを見られたら、ありもしないことを勘ぐられかねない。
自分や彼女の名誉を守るためにも、それだけは避けるべきだ。
「人が来たらから静かに! ……ってあれ?」
俺が正面に顔を戻すと、彼女はその場からいそいそと離れていくところだった。
思わず大声で呼びかける。
「おい!――ッ」
急いで口を押えたが無駄だった。
「あ」
わざわざ湿りっけの多い校舎裏までやってきた女子たちに、一人で喋っているさまを目撃されてしまう。
「なにーアイツ」
「一人で会話してんのキショ」
「イマジナリーフレンドってやつ?」
その日から一部の女子たちに、イマジナリーフレンド、訳して『イマジン君』と呼ばれるようになったのは、誠に遺憾である。
○
「おい和也、なにをそこまで必死になってるんだ」
俺、若月和也は友人の問いを右から左に聞き流しながら、学年の名簿票に目を通していく。
もちろんアイツの名前を知っているわけじゃないが、名前を見れば何か思い出せるかもしれないと考えたからだ。
けれど、そう簡単にいくわけもなく、時間ばかりが浪費されていく。
何か、何か手掛かりはないのか――
「――和也ッ!!」
鼓膜が張り裂けるのではないかと思うほど至近距離で名前を叫ばれた俺は、はっとなって顔を上げる。
オレンジ色の光が差し込む教室。
チクタクと、静寂に響く時計の音。
そこで俺ははじめて放課後になっていたことを知覚した。
「わ、わりぃ。俺、焦ってなにも見えてなかった」
「気にすんなよ。俺はただお前が思い詰めていそうだったから話を聞いてあげようとしただけだ」
「……いいのか?」
「何言ってんだよ。友達だろ?」
親しみやすい笑顔で語りかけてきたのは、同じクラスの田中。入学時いまいち高校に馴染めなかった俺を気にかけてくれた彼とは、今では放課後に遊ぶ仲である。
いいやつ感が滲み出て、俺としても絡んでいて楽しい。
「で、具体的に何があったんだ」
「ああ。実は昨日のことなんだけど――」
俺は田中に昨日の奇妙な出来事を説明した。
にわかに信じがたい話であったが、田中は口を挟まず最後まで耳を傾けてくれた。さすがに嘘の告白であることを伝えたときには、驚いた表情をみせたが。
「――ってことがあったんだ」
田中は伝えた情報を咀嚼し、十分に考え込んでから発言した。
「つまり和也は、偽の告白をしてきた女子を特定したいってことか?」
「まあ、一言で言うならそうだな」
昨日。部活のある田中を学校に残して帰宅しようと下駄箱を開いた瞬間のことだ。
ひらりと舞い落ちてきた一枚の紙を開くと、このあと校舎裏に来てくれという旨が、女子っぽい丸みを帯びた字で記してあった。
その後、うきうきと校舎裏に向かった俺は、まんまと罠に引っかかったわけだ。
思春期の男子の純情を弄ぶ行為が許されていいはずがない。
そんな俺の心情を読むように、田中は続ける。
「仮に特定できたとして、次はどうするんだ? やり返すのか?」
「ん~~考えてなかったな。でも、とにかく告白してきたことの真意を確かめたいのが一番かな」
「もし、その女子が本当にお前を好きだったら?」
「そっそれは、まあ……そのとき考えるよ」
執拗な質問攻めに面食らいかけたとき、田中の口角がニヤリと持ち上がるのを俺は見た。
田中は不敵な笑みを浮かべる。
「そいつのこと、知っているかもしれねぇ」
「マジかよ。どこのどいつだ!?」
「まあ落ち着けって、時間はいくらでもある。俺が知っている情報は――」
曰く、彼女はとんでもない嘘つき少女らしい。
良心が欠如しており、他者に平然と嘘を付く。巧みな情報操作で関わった人間を惑わし、人間関係を破滅に導くという。
それでも被害者が後を絶えないのは、表面上は魅力的で愛想がよく、人に愛されやすいかららしい。
俺の話を聞いて最初に思い当たった人物が彼女だという。
「この女子で合ってるか」
「ああ」
聞けば聞くほど、そうではないかと思えてくるが、それを決定づけたのは、田中が見せたスマホに映っていた一枚の写真だった。
紅茶を連想させる色素の薄い髪。肩のあたりで切りそろえられていて、左右に分けられた前髪からは、髪色と同じく茶色の目が覗いている。
その写真には、授業中に眠気に抗おうと目蓋を擦っている姿が切り取られていた。
彼女の仕草はこたつの上の猫を思わせる。
とても人に平気で嘘をつくような人物に思えなかった。
「こんな可愛い顔して嘘をつくんだから、人間見かけによらないよなぁ。もっとも嫌っている生徒も多いみたいだけど」
田中は他人事のように言っているが、当事者の立場になったらたまったもんじゃない。
俺はこれから直接話しにいかなくてはならないのだ。
「名前は」
短く尋ねた俺に、田中は小さくうなずき答える。
「清水希子。二個となりの六組だ」
一晩中悩んでも何一つ進まなかった問題解決への糸口が、わずかな時間で発見できた。
やはり持つべきものは友である。
俺は田中にお礼を言い、行動を再開した。
〇
翌日の放課後、俺は部活のある田中と別れ、一人昨日と同様に校舎裏に向かっていた。
もちろん考えなしに行動しているわけではない。
昨夜思いついた”仕込み”は昼休み中に完了していている。
俺は生徒玄関を出てすぐに右に回り、少し入り組んだ細道を進んでいく。すると、校舎に陽光が阻まれた暗い空間が現れる。この学校において校舎裏とは、このジメジメとして草木の覆い茂った空間のことを指す。
先日、俺が呼びだされたのもここで、何かを秘密裏に行うにはうってつけの場所だ。
「さて、ちゃんとアイツはここに来てるかな」
俺が昨夜思いついた作戦とは、同じ手法を相手にやり返すということだ。
相手が必ず従う確証はないが、学校中に話しかけるよりはよっぽどハードルが低い。来たらラッキー、来なかったらそれでまでで、夕方の無為な時間を多少消費するだけだ。
だが、ガツンと言ってやりたいことには変わりがない。俺は期待しながら校舎裏へと続く曲がり角を覗くと、予想外の光景があった。
確かにお目当ての清水希子はいたのだが、その他に俺に『イマジン君』などという不名誉なあだ名を付けた女子グループが混ざっている。
少しの間観察していると、何やら彼女と他の女子たちで言い争いが発生しているようだった。
そのグループのリーダー格の女子が、清水希子の胸を手で突き飛ばして言う。
「あんたの所為で、弘樹が私のことを見てくれないじゃない。どうしてくれるのよ!!」
弘樹とは成績優秀、スポーツ万能でモテると、もてはやされる男子のことだろうか。どうやらお目当ての男子が振り向いてくれない腹いせに暴力をふるっているようだ。
一方、清水希子は何も言い返さず、壁に寄りかかったまま下を向いている。
それを良いことに女子は、もう一度彼女の肩を突っぱねた。なおも一言も発さない彼女に、どんどん行為はエスカレートしていった。
「あんたなんて他の男に犯されるか、いなくなっちゃえば!!」
「……ッ」
「ちょっとくらいいい顔してるからっていい気になってんじゃないわよ――ッ!!」
重たい一撃を受け、地面に倒れ込む清水希子。もう立ち上がる気力すらないのか、土まみれになって横たわっている。そこに照準を合わせて高く振り上げた女子の腕を、俺は掴み上げていた。
「――誰!? 何するのよッ!!」
女子はヒステリックな叫び声をあげ、助けを求める。そして何とかして手を振り払おうともがくが、拘束が剥がれることはない。
突然の乱入者の存在に、取り巻きたちは硬直してしまっている。
「ちょっと離しなさいよ!! あんた達もほらッ」
その言葉でようやく正気に戻った取り巻きは、俺に敵意を剥き出しにした。
「いま自分が何してるかわかってる!?」
「そうよ。女の子に暴力を振るうなんて酷いわッ!」
どの口が言ってるんだと言いたくなったが、この状態を誰かに見られたら有無を言わせず俺が悪いことにされるだろう。たとえ正当防衛を訴えたところで、数の暴力で清水希子への暴力でさえ俺の犯行にされてしまうかもしれない。
だから狼狽えている暇はない。
「――何故手を離さないかだって?」
低く平坦な声。女子たちの喚きは鳴りを潜め、俺の顔を見上げる。
「こうしとけば、誰も傷つかないだろう?」
静かになった彼女達に目線で見る先を誘導する。
その先には、地に背中を付けて横たわる清水希子。
色素の薄い目はぼんやりとこちらに向けられていた。
はたして目の前の女子たちは何を思ったのか。彼女への変わらない怒り、それとも悪いことをしでかした罪悪感、はたまた罪に問われるのではないかという焦り――あるいはその全て。
焦燥に駆られたであろうリーダー格の女子は、とっさに言い返す。
「あんたは……アイツとどんな関係なのよ――ッ!」
「俺は……」
「どうせあんたもアイツの嘘でいいように利用されたんでしょう。だったら邪魔しないでよ!」
たしかに彼女を助ける義理は、俺に存在しない。
だが、彼女の何かが、変化に乏しい俺の心を突き動かしたのは事実だ。
ではすべてのきっかけであるあの時、なぜ彼女は俺なんかに告白をしてきたのだろうか。なぜ嘘をつく必要があったのだろうか。
数日前、不自然なタイミングで校舎裏に来た女子グループ。
そして目の前で繰り広げらているいじめの現場。
そこまで情報が集まれば、このあと俺がすべき行動も自ずと見えてくる。
あとはその言葉を口に出すだけだ。
「俺は、清水希子の彼氏だ」
○
事態は思ったよりも早く終息した。
口を開けたまま固まる彼女らに、再度そのことを主張すると蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
唯一懸念されるのはこのことを俺が不利になるように教師に言及することだが、もともとは清水希子への嫉妬や腹いせから始まったものだ。そう強く主張できないだろう。
かくして一連の出来事は解決したことになる。
しかしまだ俺には一つ問題が残っていた。
ふと背後に人が起き上がる気配を感じる。
ゆっくりと振り返ると、彼女は悠長に伸びをする最中だった。痛手を受けていたにしては滑らかな動作で、暴力の影響を感じさせない。はてには欠伸さえ聞こえてくる始末だ。
おそらく彼女にとっては日常の一部で慣れてしまっているのだろう。
それが良いことなのか悪いことなのか俺には分からないが。
いつの間にか、文句を言いたい気持ちは消えてなくなっていた。
「ねぇ」
呼びかけられ、視線を彼女の顔に合わせる。
「君ってこの前ここであった人だよね」
「そうだ」
「そっか」
忘れるはずもないあの出来事。でも今ならなぜ彼女がああしたのか判る。
あの日、清水希子はさっきの女子グループに目を付けられ校舎裏に呼び出されたのだろう。そこで清水は、仮初の彼氏を作ることで、なんとか危機を脱しようとした。そのとき運悪く標的にされたのが俺。しかし彼女は読み間違えた。俺を認識していなかった故、上級生だと判断し、『先輩』という単語を使ってしまったのだ。もし彼女が違和感なく告白していたのなら、俺は今頃彼女を恨む生徒の一員となっていただろう。
「なんで私を助けてくれたの? 私は君を騙したんだよ」
まるで理解が及ばない、といった表情で清水は俺に問い詰めた。
「今回だけじゃない、いままでだってそうだった。君みたいな人を騙して利用してきたんだよ散々。それなのにどうして私のために行動できるの……」
答えはすぐに出なかった。気づいたら体が動いていたと言えば聞こえが良いが、それは単なるエゴでしかない。
「……目の前で困っていたから」
俺はそれだけを呟く。
もちろん心情はまとまっておらず、とりあえずの回答だった。
しかし清水はそんな俺の答えを真に受けたようだった。いや、俺の浅はかな考えなんてすでにお見通しなのかもしれない。ともかく、彼女はまっすぐな視線を俺に向けて言った。
「今回は何事もなく済んだからよかったのかもしれない。けれど次に困るのは君かもしれないんだよ。巻き込もうとした私が言えることじゃないけど」
「ごめん」
「なんであなたがあやまる必要があるの? 私はあなたを騙したんだよ」
「いやそんなことは関係ない! 俺はもっと早くあいつらを止められたはずだ。そうすれば……君が傷つくことはなかった」
気づけば言葉が口に出ていた。彼女に対する後ろめたさの原因が、自分の口から飛び出て初めて理解できたような気がした。
清水は静かに目を伏せる。
「……どうして君はそんなに……」
俺ははっきり言って清水希子のことを掴みかねていた。
第一印象は気の弱い女の子。しかし周囲の評価を見れば人を嘲笑う悪魔の顔が浮き出てくる。
そして今度は、親身になって気にかけてくれる優しい姿。
いったい何が本当で何が嘘なのだろう。
そもそも本物なんて存在――
「でも、ありがとう」
清水は屈託のない笑顔で俺に微笑む。
その笑顔はどうあがいても嘘をつくような人の顔には見えなくて。
俺はあまりの美しさに息を呑んだ。
「……どういたしまして」
俺は心を悟られないよう、ぶっきらぼうに言った。
二人の間を涼やかな風が通り抜ける。
空はいつかのように真っ赤な夕焼けだ。
「ねえ、もし私がいま君と付き合いたいって言ったらどうする?」
「ああ、そうだな」
俺は今日いろいろなことを知った。
学校にとんでもない嘘つきがいること。その女子は理不尽にいじめられていたこと。悪評で塗り固められた人間性の内に、心優しい一面を持ち合わせていたこと。そして満面の笑みで笑ったりすること。
本意な形ではなかったけれど、そんな女子を助けたりできたのは嬉しい限りだ。
――――やっぱり俺は
「俺は年下とは付き合いたくないんだ。嘘つきな後輩ちゃん」
嘘つきの後輩は一瞬だけ言葉を失ったが、すぐに気前を取り戻し
「ふふ。そんですかソレ、後輩の思いを無下にするなんて酷い先輩ですね」
俺に手を振ってから、軽快な足取りで離れてく。
そして曲がり角に差し掛かったところで振り向き、大声を出した。
「せーんぱーいっ。でも拳を止めた時、カッコよかったですよ!」
それから清水は逃げるように姿を消した。
「嘘、か」
嘘とは誰でもつかえる人間の武器である。誰がどう使おうが個人の自由だ。単身では全く役に立たなくとも、使い方と状況次第ではいくらでも化ける。
ならば自分そのものを偽って生きる人がいても何等おかしくないだろう。
俺は静寂に満ちた校舎裏で独り言ちた。