川の流れ(夏詩の旅人シリーズ第4弾)
2005年5月。
GW明けの平日午後。
僕は柳瀬川で釣りをしていた。
僕は暇になると、よくここに来て釣りをしていた。
釣りをしているといつも思う事がある。
川とは生き物の様だ。
ちょっとした大雨の度、川の地形はいつも変わる。
そして僕が大事にしていた好ポイントも、まったく別の場所へと変えてしまう。
「やっぱり今日は釣れないな…」
僕はそう言うと釣りを諦めた。
そして青空を向いて寝そべっていた。
「おい」
僕の頭上から明るく女性の声。
僕は起き上がり、声のする方へと向いた。
そこには学生時代、一緒にバンドを組んでいたジュンの姿があった。
「ずいぶん久しぶりだな…。どうしてここが?」
僕は彼女に聞いた。
「カズが言ってたの」
「あいつなら、きっとここだって…」
ジュンは笑顔で応えた。
カズとは、学生時代からの友人でギタリストだ。
僕らは青春時代、同じバンドで行動し、彼女はキーボードとコーラスを担当していた。
卒業後、ジュンとカズはプロとなったが、僕やその他のメンバーたちは就職し、社会人へとなっていった。
僕がジュンを始めて知ったのは、大学1年の時であった。
「おい、こいつ上手いだろ?聴いてみろよ」
スタジオ練習の休憩中。
ギターのカズが、スタジオ内に設置してあるカセットデッキに、1本のテープをセットした。
スピーカーから流れて来たのは、女性が歌うピアノの弾き語りだった。
少し哀愁が漂う中にも、川の水の流れの様に澄き通った、美しい歌声であった。
「俺の高校時代の軽音部の後輩なんだ。俺が3年のとき1年生で」
カズが言う。
「今度、バンドに入れてみようと思ってるんだけど、どうかな?」
「俺たちの曲にキーボードと、コーラスのできるやつが入ったら良くないか?」
「ふ~ん…」
僕はカズの言葉を聞いていた。
僕らは学生時代、カバーではなく、オリジナルをやっていた。
何故かというと、僕がオリジナルしかできなかったからだ。
僕が生まれて初めてバンドを組んだのは、大学に入ってからだった。
そこでカズと友人になり、一緒にバンドを組もうという話になった。
カズの方は、既に地元ではちょっと知られたギタリストだった。
当然彼は、数多くのカバー曲をこなして来ていた。
一方僕の方は、バンド経験はこれが初めて。
あの頃はカラオケボックスも無い時代だったので、僕は人前で歌った事などまだない状態であった。
いつも彼が「この曲をやろう」と持ってくるが、僕には当然その曲を歌えるはずなどなかった。
それなのに何故かカズは、僕と一緒にバンドを組む事にこだわっていた。
「じゃあ、お前が歌える曲を2人で作ろう」
カズは僕にそう言ってくれた。
こうして僕ら二人は、作詞作曲活動を始める事となった。
週末はいつもカズの家に泊まり、徹夜で楽曲作りを繰り返していた。
だから僕は、カバー曲を一度もやる経験がないまま、いきなりオリジナル楽曲を始めるという、ちょっと変わった音楽キャリアを持つ事となったのである。
当時、そんな僕らの作曲活動の中で、行き詰まりを感じ始めていた頃、サウンドの広がりを更に持たせる為、もう1つ、何かキーボードの様な音が欲しいと思い始めていた。
「分かった。良いよ」
僕はカズに、ジュンの加入をOKした。
初めてスタジオで会ったときのジュンはまだ高校2年生だった。
クラッシックピアノの経験がある、彼女のキーボードプレイと艶やかなコーラス。
はっきり言って、なんで僕がボーカルをやってるのか?、申し訳ないと思うほど、彼女の歌は上手かった。
きっと、当時は楽器演奏もできない僕が、歌う事でしかバンドに参加することができなかったからなんだろうと思う。
また、一人だけ高校生で参加していた年下のジュンも、「メインボーカルをやりたい」と出しゃばることもなく、バックに徹してバンドに参加していた。
月日が流れ、学園祭のシーズンとなった。
当然、僕らのバンドも参加する。
その時にジュンが1曲だけ、ソロパートで歌うオリジナル曲もやろうという事になった。
そしてライブ当日。
僕らのバンドの出番中、ジュンが1曲だけ歌うときが来た。
ジュンの歌う曲は、彼女が作ったピアノの弾き語りだけのバラードだった。
野外に設置されたステージから聴こえる、ジュンの歌声。
彼女の歌が終わると、会場からは拍手喝采の嵐が吹き荒れた。
僕たちの学園祭はメディアの取材も来る、大掛かりなイベントであった。
それがきっかけで、ジュンは音楽プロダクションへスカウトされる事となった。
その後、ジュンはバンドをすぐ脱退し、プロダクションと契約すると18歳でプロデビューした。
だが意外な事に、彼女はアイドル歌手としてデビューする事となる。
僕は、なぜジュンがシンガーソングライターでデビューしなかったのか違和感を感じつつも、陰ながら彼女を応援した。
やがて彼女は、たちまち同世代の若者から支持され、ヒット曲を連発する。
僕らは僕らでバンドを続けていたが、特に代わり映え無く、やがて卒業のシーズンが近づいて来た。
就職活動をしながら、時折TVからジュンの歌声が聴こえて来ていた。
そして僕やカズは就職した。
カズは父親の縁故で就職するも、入社半年で会社を辞め、スタジオミュージシャンとしてプロのギタリストとなった。
僕はその後、仕事の合間を縫って27歳の時に、腕試しに大手レコード会社の大規模なオーディションを受けてみる事にした。
そこである音楽プロデューサーと出会う事となる。
彼は、若くして亡くなった伝説のミュージシャンOを発掘した人物であった。
「君はOとタイプは違うけど、変わってて面白い」
「そういう意味では同じものを感じる」
「今は粗削りだから、すぐにデビューさせる事はできない」
「だけどまた曲を作ったらぜひ持って来てくれないか?、アポなしで構わないから…」
プロデューサーは、僕にそんな言葉をかけてくれた。
だが僕はその後、彼に曲を持っていく事もなく、会社勤めを続けていた。
そして38歳になると、僕もついに会社を辞め、この世界へ入る事となった。
現在、カズは地道にスタジオミュージシャンとして活動し、僕は今のところ鳴かず飛ばずのシンガーソングライターだ。
そしてジュンは、かつて華やかだった芸能生活から陰りが出始め、次第にメディアから遠のいていった。
この柳瀬川は、そんな僕らバンドメンバーが学生時代に、よくバーベキューなどで訪れていた場所であったのだ。
僕は彼女の顔を見た瞬間、そんなことを思い出していた。
「よくこんな暑いとこでずっと居られるわね。」
日傘を差した彼女が、僕の隣に座って言った。
「君だってかつてはそうだったじゃないか」
僕が言う。
「そうね…、そうだったわね…」
柳瀬川の流れを眺める、彼女の横顔。
「なんかね…、この川を見てると思うの」
「人生って、青春って、この川の流れみたいに、あっという間に過ぎ去っちゃうんだなって…」
「私がデビューしてから暫くすると、私と同じ様なタイプの若いコたちが、後から後からどんどんデビューして来たわ。私の事を追い詰める様にね…」
「私は追い詰められている後ろを振り返るのが怖くて、ずっとずっと前ばかり見て走ってた…」
彼女は川の流れを見つめながら僕に言った。
「そういえば、今日、のぞみはどうした?」
僕は思い出した様に、彼女へ言った。
「プライベートですからぁ…」
ジュンがカラッと笑顔で僕に応えた。
(珍しいな…)
僕は思った。
ジュンには、のぞみというマネージャーがいた。
二人は姉妹の様に仲が良く、いつも一緒に行動していた。
のぞみは中学生だった頃、ジュンの歌の大フアンであった。
ジュンの歌が好きだったのぞみは、高校を卒業すると、ジュンのマネージャーになる為、彼女の所属する事務所へ就職するほどだった。
だが、のぞみがマネージャーに付く頃のジュンは仕事も減り、かつての輝きも消えかけていた。
そんな中でも、のぞみは一生懸命、頭を下げて走り回り、ジュンの歌える場所を見つけ、彼女を支えていたのだった。
「ねぇ、今夜高田馬場のTへ来ない?、私のライブがあるの」
ジュンが僕に言う。
Tは、かつてのジュンがライブするには、かなり小さなハコだった。
「私、4月初めに新曲リリースしたじゃない?」
「でもほとんど反響ないんだ」
「何が悪いのか、あなたに聴いてほしいの」
「分かった何時からだ?」
「20時」
「じゃあそれまでに行く」
そうやり取りをして、僕らはお互いに別れた。
夜21時半。
高田馬場Tでの、ジュンのライブが終了した。
まばらだった客たちは皆帰り、テーブル席には僕しか残っていなかった。
「どうだった?」
ステージを終えたジュンが、しばらくすると僕の席までやって来た。
「どうって?」
「あなたの意見を聞きたいの」
「いいのか?、俺は辛口だぜ」
「知ってる…。だから聞いてみたいの」
「分かった。じゃあ言ってやろう…」
「君の歌っている歌詞の内容…」
「なんだありゃあ!?」
「“好き”とか“寂しい”とか…、中学生の作文かと思ったぜ」
「ひどい事いうのね」
彼女は、こういう意見を期待してなかったという表情をした。
「あれじゃ無理だ…」
僕は突き放す様に言った。
「でも、私はこれでずっとやって来たわ!」
「これで今までヒットして来たわ!」
彼女が僕に喰ってかかってきた。
「それは君が若かったからだ」
「君がアイドルだったからだ」
「でも今は違う」
「君も大人になった」
「そんな事も分からないのか?」
静寂のライブバー。
ジュンは、僕の言葉に言い返せないで黙って聞いていた。
「なぜアイドルでデビューした?」
「チヤホヤとおだてられ、耳障りの良い意見しか聞き入れなかった結果がこれだ」
「君の実力があれば、シンガーソングライターとして十分やっていけたはずだ」
「仕方ないじゃない!」
「この世界で生き残っていく為よ!」
「君がそれで良いのならそれで良い…」
「だが俺だったらやらない…」
「君はもう若くない」
「君がやっている事は、今の若い子たちには響かない」
「ひどいよ…」
ジュンが涙ぐんだ。
「でも現実だ…」
僕はポツリと言った。
「じゃあ私はどうすれば…?」
「若い奴らと同じ土俵で勝負する必要はない」
「僕らの年代は、僕らの年代ならではの音楽で勝負すれば良いだけだ」
僕はそういうと、タバコに火を付け煙を吐き出した。
「ねぇ、あなたが私のプロデュースして」
「私、社長に話付けてみる!」
ジュンが突然言い出した。
「無理だ」
と僕。
「なんで?」
と彼女。
「君は今回の新曲でだいぶお金をかけてもらった」
「作曲、アレンジャー、演奏メンバー、そして大掛かりなプロモーション…」
「それでも売れなかった君に、社長はこれ以上お金なんか出しはしない」
「それに君の事務所は大手だ」
「俺の様な、得体のしれない奴を抜擢するとは思えない」
「残念だが、次回のチャンスを待つんだ」
僕がそう言い終えると、ジュンが声を荒げて言い出した。
「それじゃダメなのッ!」
「私には時間がないのッ!」
「何をそんなに焦ってる…?」
僕が聞くと、ジュンは黙ってしまった。
「話してくれないか?」
「その訳を…」
そしてジュンは話し出した…。
彼女の話は、マネージャーの、のぞみの話であった。
のぞみは31歳。
ショートカットの似合う、童顔で明るい女性だ。
のぞみは、売れなくなったジュンと苦楽を共にした、いわば戦友の様な存在であった。
彼女はジュンの仕事を取るために、毎日がむしゃらに動き回っていた。
「なんか身体が重だるい…」
そう言ったのぞみに「あんま無理しないでね?、あなたが居ないと困るわ私」と、ジュンが言った。
それからしばらく経った4月の後半、のぞみは無理がたたったのか倒れてしまう。
緊急入院する事となったのぞみ。
「こっちは大丈夫だから心配しないで。早く元気になって戻って来てね」
ジュンはのぞみにそう言った。
のぞみも笑顔で「行って来ま~す♪」と、明るく応えた。
しかしのぞみは、なかなか退院することができなかった。
日々、痩せ細っていくのぞみ。
見舞いに行ったある日の帰り、のぞみの母からジュンは、彼女の容態を知らされた。
のぞみは急性白血病であった。
明日から抗がん剤の治療が始まるが、はっきり言っていつまで生きられるか分からないという状態であったのだ。
ジュンの話が終わった。
うつむいていて、髪で顔が見えなかったが、ジュンはおそらく泣いていた。
「だから私には時間がないの!」
「あの子が死ぬ前に、もう一度ヒット曲を出して、あの子を安心させてあげたいのッ!」
ジュンが訴える様に僕へ言った。
「分かった…」
「そういう事なら力を貸そう」
「ありがとう…」
「でも…私には、あなたを雇うだけの資金を持ち合わせていないわ…」
「ジュン…」
「僕らはバンドで知り合ったときから、一度だって金目的で音楽をやった事なんてなかったよな?」
「だから金の事は気にするな」
「君もあの頃の、そういう気持ちを忘れるな」
「ありがとう…」
ジュンはうなだれて、声を震わせながら言った。
「じゃあ、明日からカズの家のスタジオに集合だ」
「金もかけられない」
「だから新曲は、ピアノだけのバラードで勝負する」
「ピアノだけ…?」
ジュンが聞き返す。
「そうだ」
「俺が初めて君の歌を聴いたのは、君が弾き語るバラードだった」
「君がデビューするきっかけになったのも、そうだった」
「君の1番のウリは、弾き語りナンバーなんだ」
「分かったわ」
ジュンが応えた。
「それからヒットするか、どうかなんていうヨコシマな考えは止めろ」
「自分が今できる事だけを考えて実行するんだ。分かったな?」
こうして僕らは何十年振りかとなる、カズの自宅の録音スタジオに集まって、ジュンの新曲作りを始める事となった。
翌日。
僕とジュンは、石神井公園にあるカズの家の前に来ていた。
「じゃあ俺、これからレコーディングあるんで!」
これから青山のスタジオに出かけるカズは、勝手に使ってくれと僕らに言った。
彼も今では様々なレコーディングに参加する、売れっ子ギタリストとなっていた。
「出かけるときはちゃんと鍵かけろよ!いいな!?」
そういうとカズは車の窓を閉めて出発した。
僕らは走り去っていくカズの車を見送りながら、ポカーンと立っていた。
「いいなぁ…」
ジュンがポツリと言った。
「さぁ!、始めるぞッ!」
僕はジュンにそう言うと、レコーディングスタジオに入った。
「さてと…」
僕は言った。
「君の楽曲のアプローチはあれで良い」
「問題は歌詞だ」
「君の歌詞は、“悲しい”とか“辛い”とか、ネガティヴなワードばっか出てくる」
「自分の弱さを楽曲に込めて、ストレスを吐き出してる感じだ」
「昨日も言ったが、若いころだったらそれで良い」
「なぜなら若い時は繊細で、みんなそう悩んでいるからだ」
「当時君が売れたのは、そういった若者リスナーの“心の代弁者”になっていたからだ」
「でも代弁者になれたのは、君が彼らと年齢が近かったから、お互い仲間意識を持ってもらえた事が大きく作用している」
「今となっては君も、さんじゅうご…、と言いかけると、ジュンは僕をギロリと睨んだ」
「まっ…、まぁとにかくだな、若者の気持ちを僕らが同じ目線で語ったところで、拒絶されるのがオチさ」
「では、当時君の曲を聴いてくれていたリスナーは現在どうか?というと、僕らと同年代だ」
「結婚や子育てやらで、はっきりいって君の愚痴なんて聞いてる余裕なんかはない」
「じゃあどうすれば良いの…?」
ジュンが聞く。
「君は今まで、自分の事だけの気持ちを、独りよがりに歌詞にして歌って来た」
「“自分の事を分かって欲しい!”と、ひたすらにだ」
「今まで君の歌を聴いてくれていた人たちの為に、今度は君がみんなの力になれる様な歌詞を書くんだ」
「今度は自分の為じゃなくて、人の為に歌を作るんだ」
「やってみる…」
僕にまっすぐ向いてジュンが言った。
こうして、二人の曲作りがスタートした。
「ダメだ!ダメだ!こんなんじゃ!」
「特定の恋人や親族をイメージさせる歌詞は、ほとんどの人が他人事だと思って、メッセージに関心を持ってくれない!」
「“これって、もしかして自分にも当てはまるかも…?”と想像してもらえる様な、広くて、曖昧な言い回しにした方が良いんだ!」
僕はジュンの歌詞を何回も書き直させた。
そんな僕のダメ出しにも、ジュンは懸命について来た。
6月に入った。
ジュンと再会してから、ちょうど一ヶ月が経った。
新曲はまだ完成していなかった。
「遅かったじゃないか…」
いつもより遅れて現れたジュンに、僕はそう言った。
「もうやめましょ…」
ジュンはうつむき加減にボソッと言った。
「今日、のぞみのお見舞いに行って来たわ…」
そういうと彼女はシクシクと泣き出した。
「彼女は、今生きてるのが不思議なくらいだってお医者様が言ってたわ…」
「今度こそ本当に長くはないだろうって…」
「これじゃ曲ができたって、ヒットするまでには間に合わないわ…」
「売れるかどうかなんて、考えるなと言ったはずだ…」
「だってどうやったって、彼女は死んでしまうのよッ!」
「死ぬ前に安心させてあげられなかったら、意味ないのよ…」
そういうとジュンは泣き崩れた。
「甘ったれんなッ!」
「何で彼女が死なないで、ここまで頑張ってると思ってんだ!?」
「彼女は君なんかよりもっと絶望的なのに、君のところへ戻るために懸命に生きてるんだぞッ!」
「分かってるッ…分かってるよわょ…」
「でも、あたしだって、もうボロボロなんだよ…」
「なんであなたっていつもそうなの…?」
「もっと…、優しくしてよぉ…」
僕は泣いて震えている彼女を、しばらく見つめていた。
「なあジュン…」
「君は別れというものを勘違いしている」
少し落ち着きを取り戻した彼女に、僕は言った。
「人は別れても、絆は断ち切れるものじゃない」
「だから別れるとき、1番大事なことは相手をどう見送るかという事なんだ…」
「たとえ、のぞみがジュンの目の前から見えなくなってしまっても、君の新しい歌があれば彼女はずっと君の傍にいる…」
「傍に?」
「ああ…、傍にだ」
「さあ、始めよう」
僕は泣いているジュンを抱え上げ、ピアノの前に座らせた。
それからジュンの歌詞は変わった。
人を思いやり、心の支えとなる様なメッセージを書き綴る事ができる様に…。
そして2週間後、ついにバラードが完成した。
カズのスタジオで生録した彼女の歌うバラードは、哀愁が漂う中にも、どこか心地よく、人に力をみなぎらせてくれる様な曲であった。
「のぞみのところへ行って来るわ」
ジュンはそう言うと、i-Podに入れたバラードを持って、のぞみのところへと向かった。
「あっ、ジュンちゃん…」
鼻にチューブを通された彼女は、病院を訪れたジュンに弱々しく笑った。
のぞみは生地の薄いニット帽をかぶっていた。
彼女のトレードマークだった可愛いショートヘアーの髪も、今では抗がん剤の副作用で全て抜け落ちていた。
その痛々しい姿を目にするだけで、ジュンは泣きそうになるのだが、彼女の前では泣くまいと、必死に笑顔を作るのだった。
「のぞみ、出来たよ新曲が!」
「本当!?」
そう笑顔で言ったのぞみに、ジュンはi-Podを手渡した。
イヤホンを付け、曲を聴き始めるのぞみ。
すると彼女の目から、涙がぽろぽろ溢れだした。
「ジュンちゃん、これすごく良い曲…」
「今までのジュンちゃんの曲とまるで違うのに、でも確かにジュンちゃんの歌だって分かるよ」
「そう…」
ほっとした様に、のぞみを見つめるジュン。
「なんかね…」
「すごい伝わってくるの…」
「私たちが一緒に頑張ってた頃の場面が目に浮かんで来て…」
そういうとのぞみは、涙で言葉を詰まらせた。
「ジュンちゃん…」
少し経ってから、落ち着いたのぞみが言った。
「何?」
「あたしほんとはね」
「自分はもうダメなんじゃないか?」
「死ぬんじゃないか?って思ったりしてたの」
「でもね」
「ジュンちゃんがいつもお見舞いに来た時、あたしに聴かせる新曲を作ってるんだっていうじゃない?」
「うんうん…」と、ジュンは目を潤ませながら無言で頷いた。
「だから、私は死なないんだって分かったの」
「だって私が死ぬと分かってたら、ジュンちゃんは私に聴かせる曲なんて作らないでしょ?」
「あたり前じゃないのッ!」
「ばかね…」
ジュンは涙を必死にこらえていた。
「ジュンちゃん…」
「ん?」
「ありがとう」
「なんか力が湧いてきたよ」
「この曲、ぜったい売れるね」
「別に売れなくたって良いのよ」
「第一、あなたがいなければ、この曲だって売れやしないわ」
「うん」
「あたし絶対元気になって、また仕事にカムバックする」
「だからもう少しだけ待っててね…」
しゃべり過ぎたのぞみが、はぁはぁ…と、少し息苦しそうに言った。
「うん…」
「分かった」
「待ってる」
「だから無理しないで」
「そのi-Pod預けとくね」
「また来るから…」
「お大事にね…」
ジュンはそう言うと、病室を後にした。
ドアを閉めた瞬間、ジュンは震える口を手で押え、込み上げる嗚咽をのぞみに聞かれまいと必死に堪えた。
そして、その場に崩れるように沈み込んでしまうのだった。
それから2日後…。
のぞみは親族やジュンの見守る中、静かに息を引き取った。
のぞみの顔は、まるで眠りについている様な、安らかな表情であった。
「神様は不公平ね…」
昨夜、散々泣きはらしたであろう顔をしたジュンが、僕にポツリと言った。
僕らは柳瀬川の流れを二人で見つめていた。
「今回は本当にありがとう…」
柳瀬川の先を見つめながら彼女が言う。
そしてニコッと笑うと僕に振り向いて言った。
「今度、あなたの作った歌。私にも歌わせて。」
「それはダメだ」
「どうして?」
「俺の歌は、俺の言葉で作った歌だ。他の誰かが歌ったらその意味が変わる」
「だから誰にも渡さない…」
僕は川に向かって、ジュンにそう応えた。
彼女は、ふっ…と微笑み、「あなたって本当ナマイキね。」
「売れてないくせに…」と、そう言ったあとにクスクスと笑った。
「1番売れているものが最高なら、百均商品が世界一という事になるぜ…」
僕がそう言うと「確かに…」と、彼女がまた微笑んだ。
「またいつか会えるかしら?」
「ああ…」
そう言った僕は、また川に視線を戻し、その流れの先を見つめた。
ジュンのバラードはその後、口コミや噂でどんどん広まり出し、その年、空前の大ヒットとなった…。
fin