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野球と解散

「あれ……?」

と、貴子が何かを見つけたらしく玄関の近くのものを手に取った。

「小宮山さん、野球するんですね」

貴子の手には野球のグローブと軟式の野球のボールがあった。

その近くには金属バットもある。

「……貴子が知らないなら、俺が知ってる訳ないだろ?」

記憶を失って一週間なのだ、野球を始める余裕など無く、自然と記憶を失う前の話となる。

「あ……ごめんなさい」

「あ、いや、謝るような事じゃない。わかんないんだ。なんで野球の道具がここにあるのか」

「じゃあ、実際にやってみるといいよ」

「え?」

俺は既に靴を履き終わっている今江を見た。

「七志くん、ほとんどの記憶を失ったって聞いたけど、学校の授業はどうしてるの?」

「授業?」

何故、野球の話で勉強の事が出てくるのか不思議だったが、素直に答える事にした。

「えっと、記憶を失くす前の自分がとっていたノートを見て勉強し直してるよ」

「それで授業についてこれてるんだよね?」

「ああ、記憶がないとは言え、自分でとったノートだからな。俺にとって解りやすく纏められてたから、なんとか」

「そういう理由もあるんだろうけどね」

「……違うのか?」

「うん、七志くんは単純に自分でとったノートを勉強する事で思い出してるんだと思うよ」

「思い出してる……授業の内容を、か?」

「というより、自分がした勉強だね。七志くんは元々常習的に勉強をする人だったんだと思う。記憶は失くしても身体は覚えてるんだよ、そういう毎日繰り返した勉強法とその内容を」

「そうか、だったら、野球も実際にやってみたら……?」

とその時、俺は違和感を持った。

昨日持った違和感に近かった。

「七志くん、どうしたの?」

「あ……いや、なんでもない。取りあえず実際に野球をやってみたら、何か思い出すかも知れないって事だな」

まぁ、思い出したところでその野球についての事ぐらいだろうが。

「そうだね、七志くんの記憶はそうやって取り戻せると思うよ。ただ……」

今江は言い辛そうに目を反らした。

「ただ……なんだ?」

「本当の……生前の名前は取り戻せないと思う」

ショックがなかったと言えば嘘になるが、なんとなくそんな気はしていた。

様々な記録から抹消されていたのだ。それを俺だけの問題と、俺が思い出せば済む問題と考えるのは無理がある。

「今江もそうなのか?」

不意打ちを喰らい、今江は目を大きく見開いた。

「そうだよ。幽璃って名前は七志くんと同じみんなに決めてもらった名前なの」

「だろうな。ローマ字読みで幽霊(YUUREI)のEを取っただけだろ?」

今江はコクリと肯いた。

名無しだから当て字で七志ってつける連中だ、そんなものだろう。

というか今更だが、当て字にしたって七つの志しってなんだ、ぶれ過ぎだろ、それ。

「幽霊のほとんどは名前を失ってるの。だから……あまり、気を落とさないでね」

「そういうものだって言うなら受け入れるしかないだろ?大丈夫だ」

ただ、昨日、貴子とした約束だけが気がかりだった。

「うん、なら安心した。それじゃあ、いい加減そろそろ帰るよ」

そう言って今江はドアノブに手をかけた。

「道、分かるか?途中まで送っていくよ」

「大丈夫だよ。街の事はよく知ってるよ」

そう言って、今江は出て行った。

窓から赤い光が部屋に差し込んでいた。

礼儀的にはどうかはわからないが送っていかなくてもいいというのなら無理に引き下がる事もないだろう。

「じゃあ、僕も行きます」

今江に続いて、貴子も出て行こうとした。

「貴子も大丈夫なのか?」

「はい、道は憶えています」

そう言って、貴子は俺に向き直った。

一瞬、何かを言いたげに口を開けたが、思い直したように口をつぐんだ。

「貴子?」

「僕の事は心配には及びません。その、ゆっくり考えて下さい。これからの事」

「あ、ああ」

貴子は軽くお辞儀をすると部屋を出て行った。

「あー……流石にこれ以上は無理やな。ワイも帰るか」

「なんでそんなに俺の部屋に居たがるんだよ」

「だって面白そうやもん、小宮山君トコ」

こいつは何を言っているのだろうか?

「こんな殺風景な部屋の何が面白いんだよ?」

「確かに何もなさそうやけど、探したらなんかありそうやで」

「何かって、何だよ」

「そりゃあ、思春期の男子やしな。色々小宮山くんにとって恥ずかしいものが……」

「とっとと帰れ。」

「なんや冗談やって、それとも小宮山くんほんまにそういうのあるんか?」

「知る訳ないだろ」

俺は記憶喪失なのだから。

「あ、そうやった。すまんな」

「別に気にしてないが……だからって勝手に探ろうとするなよ」

押し入れに向かっていた、明石翼がビクリとした。

「……」

俺は玄関を指差した。早く帰れという意味だ。

「せやから、冗談やって」

「はいはい」

まともに相手するのが馬鹿らしくなってきた。

「む……しゃーない、このへんにしといたるわ」

明石翼はそう言って肩をすくめた。

どっかのコメディかと思ったが、ツッコミを入れれば更に続きそうなのでやめた。

明石翼はそのまま玄関で靴を履き、出て行こうとした、が。

「――――なぁ、七志君」

ドアを開けたところでそう言った。

「明石?」

「今後の事、悩んどるんやったら、昨日みたいに……」

「昨日?」

俺は昨日まで、記憶を遡ろうとした。

「あ!いや、やっぱいい!直接自分で考えて答えを出す事だからね!」

明石は何を焦っているのか、しどろもどろになってエセ関西弁でなくなっていた。

「いや、明石、そういう事なら、何かあるなら言ってくれ」

「あ、いや……帰る!」

「お、おい!?待――」

――てよ、と言い切る前に明石翼は出て行った。

追いかけようと考える以前に俺は驚きで固まってしまっていた。

「なんなんだ、一体何があったんだ?」

全く、訳がわからない。元からわからない奴ではあったが。

「……アイツ、なんで俺の事七志って呼んだんだ?」

本当に何故だ?


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