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あずまの日記


1月13日(日) 『くだらない思いつき』 記:東野ひめか


「えー、皆々様におかれましてはますますご健勝のこととお喜び申し上げます。さて、この度、私東野(あずまの)ひよりがこのような会を催すに至ったことには私事ながらよんどころない実に深い事情が関わっているわけでありまして、円滑な会には良好なる共通理解が必要であるという理念の下、まずはその経緯につきまして少々お時間をいただいて説明をさせてもらおうかと……考えている次第であります」



 一区切りの台詞を言い終えたのだろう、ひよりはそこで力強く頷いて一同をぐるりと見まわした。

 その眼には溌溂とした暑苦しいほどのまぶしい光をたたえている。


 すると、ひよりの丁度向かい側に座っていた、小柄で年齢の割には発達の遅れ気味な(彼女の名誉と尊厳のためにその詳細は伏せておくことにするが)少女が苦痛に耐えかねるといった表情でテーブルを叩いた。



「あんたねえ、急に集まれって言うから仕方なく重い足を運んであげたのに何なの、どうせしょうもない茶番なんでしょうけどどうでもいい前置きはいいからさっさと本題に入りなさいよ」



 一気にまくしたてた彼女、東野ひめのは、苛立ちにまかせてもう一度テーブルを叩いた。

 テーブルを叩いた右手をゆっくりと引っ込め、テーブルの下、彼女のふとももの間に仕舞う。

 右の眉毛を下げていまいち微妙な顔をしているのは、おそらく強く叩きすぎて少々痛みが生じているからだろう。


 およそ衝動にまかせた言動というものは、多くの場合良い結果を生むことはない。その意味で、彼女は愚かな行動をしたと後悔をしている最中に違いない。

 常日頃から“冷静で落ち着いた女性”を気取っている彼女だが、これではとんだお笑い草である。そもそもの間違いが、自身の性格を“冷静沈着”などと謳っていること自体なのではあるのだが……。

 これについてはこちらとしてもどこか触れることにためらいが生じるので、彼女がいつしか自分で気付く時が来ることを願うばかりだ。


 ひよりの眼は依然としてやる気に満ち満ちている。

 「やる気」と前述したのは、ひよりがこのようなことを始めた場合、例外なく下らない“思いつき”を披露するという事例の山からそうなのだろうと推察したまでのことである(追記:実のところ、この時点でひよりのたくらみについては把握していたのだが)。

 つまり、これから何かをやろうとする、そのエネルギーが溢れかえっていて少しばかり鬱陶しい、そういうことだ。


 どうせ持続しても数時間、そのやる気の対象によってはせいぜい数日といったところか。

 今回の場合もそう長くは続かないことは確定的、非常に短命で哀れなやる気さんである。

 主人の気まぐれで駆り出されては即撤収、そんなことを何度も繰り返していては彼女に勤めるほど健気で殊勝なやる気さんも、いつか愛想をつかして旅に出ることだろう。

 そんな時が来たら、彼女は一体どうなってしまうのだろうか。無気力なニートになったとしたら、我々家族としてはどうにか尻に火をつけるか、もしくはどうすれば後腐れなく家から追い出してやれるかと頭を捻るか……しかしまあ、これ以上は考えるのが億劫なので、それはまた実際にその時に直面した際に持ち越すとしよう。

 


 不意に、ひめのがこちらを凝視し始めた。

 訝し気な視線を寄こしてくるのは別に構わないのだが、せめて何か喋ってほしいものだ。ただ見つめられるだけというのは、あまり居心地の良いものではない。

 ただ、怪訝そうにしているからには、少なくとも何かしら言いたいことがあるに違いない。



「ひめかさあ……」



 そら来た。どうしていちいち発言に溜めをつくるのかは甚だ疑問であるが、これもひめのの辛子めんたいマヨネーズのような性格に由来していることは承知のうえだ。


 俯けていた顔をひめのに向けると、湿っぽい目が私を迎えた。



「さっきから一生懸命に何書いてるの?」

「記録係」



 手元のノートをひめのの眼前に差し出す。ひめのはノートを受け取ると、さっと私の書いた文章に目を通した。



「消しゴムは?」

「ない」



 ひめのの苛立ちが、彼女の細い眉毛からわかりやすく受け取れる。

 眉間にしわを寄せて、非常にお怒りである。

 ひめのは溜息をついて、椅子から立ち上がった。



「消しゴムとってくる」

「ボールペン」



 私の言葉に、ひめのは「は……」と声をもらして動きをとめた。

 言葉の真意がうまく伝わっていないようだ。



「ボールペンで書いてる」

「は?」

「この記録は、ボールペンで、書きました」



 机に転がっていたボールペンを指でつかみ、これ見よがしに振ってみせる。



「あー……破り捨てていい?」



 この女、とんでもないことを口走りやがった。



「だめ」



 首を振ってひめのの提案を拒否すると、彼女は改めてまじまじとノートを読み返した。



「このさ、年齢の割に発達が遅れ気味ってさ、なんのこと?」

「さあ」

「大体さ、あんたも同じようなものでしょ」

「そうかも」

「他にもいろいろつっこみたいことはあるんだけどさ、とりあえず何なのこれ」

「記録係」



 ひめのがかなり深い溜息を吐くと、私たちのやりとりを黙って聞いていたひよりが間に割って入った。



「あの、ひめかさん、そのノートは記録じゃなくて日記ですよ」

「日々の記録、略して日記」

「間違いないね」



 ひよりは納得顔でこくこくと頷くと、そっと身を引いて再び黙した。すると、ひめのがひよりに向って指をさし、呆れ気味な声を発した。



「言っとくけど、あんたのことも大概言いたい放題書かれてるからね」

「それは日記を書く人の自由だから仕方ないよ。日記ノートはそういう主旨のものだからね、内容に口出しはできまい。それにひめかは自ら名乗りをあげた筆者第一号だからね、ちょっとくらい大目にみる器量は持ち合わせてるよ」

「さすがひより、心が広い」



 そう言ってちらっとひめのの顔を見遣ると、反発心丸出しの目で睨まれた。



「なによ」

「なんでもない」



 目をそらし、口をつぐむ。まったく、好戦的で恐ろしい姉だ。



「で、結局この集まりは何なの」

「そうだった」



 ひめのの言葉に虚をつかれるひより。得意顔になって、再び先ほどのように演説調で話を始める。



「えー、この度ですね、不肖私東野ひよりはですね」

「ほんと不肖よね、心の底からそう思うわ」



 ひめのの空気の読めない遮りに、ひよりはむっとした表情で身を乗り出した。

 これには断固抗議を行いたいらしい。



「ちょっと、人の話に茶々を入れて、あまつさえそれがただの暴言ってどういうつもりなの。そもそもの話がねえ、ひめのからは姉への敬意が微塵も感じられないんだよ、どうなってんだ!」



 魂の叫びを吐露するひよりに、ひめのは両手で耳をふさいで顔をしかめた。こんなしょうもない言い合いを聞かされるこっちが耳をふさぎたいというものだ。

 一応レコーダーで音声は撮っているとはいえ、書き起こすためだけに何度もこんなやり取りを聞きたくはない。



「うるさいわね、敬うべき姉ならとっくに尊敬してますけど。例えば詩織姉さんとか詩織姉さんとか詩織姉さんとか。姉らしいことのひとつもしないで何が敬えよ、ちょっとは詩織姉さんを見習ったらどうなの」

「見習った結果がひめののその中途半端でお粗末な性格と話し方ですか?だったら見習わない方がましだね」

「はあ?あんた喧嘩売ってるでしょ、いつものことだけどほんと腹立つのよそういうところ」

「あーはいはいそうですね……大体どうして無理に姉ちゃんみたいになろうと思うのかが分からないんだよ」

「そりゃ詩織姉さんは優雅でお淑やかで大人の女性だからね、憧れてんの」

「それは知ってるしもう何度も聞いたけどさ、憧れるのは勝手だけど別に姉ちゃんみたいになろうとしなくてもいいじゃん。ひめのにはひめのの良いところがあるんだからもっとそこを隠さないようにすればいいのにもったいないよ」



 途端にひめのが目を泳がせつつ顔を俯け、もじもじしだす。



「……ひよりには関係ないし」



 ここでようやく会話に落ち着きが戻り、若干の沈黙が流れる。

 というのも、ひめのは照れてしまうと途端に口数が減ってしまうのだ。

 まあこの展開もおよそいつも通りのことである。



「そんなことはどうでもいいんだよ、脱線させるんじゃないよまったく。それでね、私は思ったのです」



 ひよりが無理矢理に話を本題に戻し、語り掛けるように続ける。



「無事に新年も迎えたことだし、ここらで一丁一念発起してみてはいかがかと」

「一丁一念発起」

「とっくに松の内も過ぎてるけどね」



 ひめののツッコミに、ひよりが眉をひそめて閉口する。話が進まないので助け船を渡そう。



「関西では十五日まで」

「さすがひめか、今日はまだ十三日です、松の内です、正月気分です」

「あんたら自分がどこに住んでるのか忘れたの?ここは関東ですけど」



 そうですよね、はい、知ってました。



「はいそこ、いちいち話の腰を折らない。お前の得意技はあれか、サバ折りか」

「どすこい」

「は?」



 ひめかが心底意味がわからないという顔をした。これではまるで私がわけのわからない発言をしたみたいではないか。迷惑千万である。



「じゃああれか、チューペ〇トか」

「膝で折るのは世界共通」

「あー……そうかもね」

「そこで私は新しい試みとして日記を始めようと考えたわけですよ!」



 拳を握りしめ、唐突に歯切れよく声高に言明するひより。この一言に到達するまでにいやに時間がかかった気がする。



「まあ日記だなんだって話してた時から察してはいたけどさ、それを私たちに宣言してどうするわけ?」

「それはまさに今現在日記を書いているのがひめかであることが答えだ」



 その通り。



「その通り」



 ひめののジト目が私を責める。



「その通りって、あんたが書いてちゃ意味ないでしょうが。ひよりに書かせなさいよ」

「違う違う、それだと絶対三日坊主になるからね、自覚ある賢い私は考えたんだよ。みんなが書きたいときに書く日記。つまり、私自身が書かなくても他の誰かが日記をつけさえすれば、発案者である私の日記が更新され続ける」

「よっ、ひより賢い」

「馬鹿じゃないの?」

「最初から他力本願、これぞひより、さすがひより」

「ひめかは私を褒めてるの?貶してるの?」

「表裏一体」

「え?」



 ひよりが戸惑い、ぽかんとする。ひめのは呆れ果てて言葉も出ないらしい。



「とにかくね、君たちには思い立ったときに自由にこのノートを使ってほしい。日々の出来事と感じたことを書き連ねてほしい」

「この議事録ノートに?」



 ひめのの半ば馬鹿にするような発言に、ひよりがぱちんと指を鳴らした。



「そう、今は議事録ノート。またある時は日記帳。あくまでも自由だから!その人の書く内容によってノートの在り方も変幻自在!」

「適当なこと言ってんじゃないわよ」

「ひよりの意思も変幻自在」

「今のは絶対馬鹿にしたよね、ひめかさん」

「表裏一体」



 ひよりが「ふむ」と言って目をつむり、何か思案するように腕組みをした。

 ひめのはもううんざりして、早く自室に戻りたいようだ。



「ねえ、もうそろそろ解放してほしいんだけど」

「ではこの次に日記を書くのはひめのということで、本日は解散としましょうか」

「はあ?自分で書きなさいよ。そもそも最初ぐらいあんたから始めなさいよ」

「だってひめかがどうしても書きたいって」

「どうしても書きたかった」



 ひめのに顔を向けてこくこくと頷く。



「初めくらいやらせないとこのおバカは今後一切やらない気がするんだけど」

「どうせ帰結する未来は同じ」

「まあね、確かにその通りだけどさ」

「ちょっとあなたたち今日辛辣過ぎない?」

「全部もれなく書き起こす」

「おう……頑張ってくれ」



 この機会に我々がひよりに対して日頃どんな思いを抱いているのか、きっちりと目に見える形で残しておかなければ。

 これが彼女の堕落への猛走行を抑止してくれたらどれだけ良いことか、きっと叶わぬであろうこの自覚ある妄言も諸手を広げて願っていることだろう。(終)




(MEMO)

 音声の書き起こしはろくな作業ではないので、今後記録を残す際には実行しないことを推奨したい。

 自らの曖昧な記憶と脚色捏造の腕を頼りにすべし。

 

 





※括弧内はひめかによる追記

(1月14日 月曜日(祝日) 記:東野ひめの) 

ひよりへ 

 部活から帰ったら洗濯物を取り込んでおいてとお母さんからの伝言がありました。


(記:東野ひより)

ひめのへ 同上



1月14日 『家族の伝言』 記:東野ひめか


 私としては、二日連続でこのノートに筆録を残すつもりはまったくなかった。

 というより、休日の大半を読書で埋め尽くされる私にとっては、特に書き記すことも起こらないだろうと思っていたわけだ。


 それなのに、現に私は筆をとっている真っ最中である。これはどうしたわけか。

 私の怒りの発露を君、『いかなる感情をもその広大な心で受け止めるノート』にぶつけさせてもらう。


 本日午後5時。

「お姉ちゃんたち、お母さんが呼んでるよ」

 部屋のドアを開けるや否や、自室で読書にいそしんでいた私とその隣で裁縫をしていたひめのを呼んだのは、妹の茉莉まつりだった。


 私とひめのは互いの目を見合わせてから、一言も発しないまま部屋を出た。

 するとどうだろう、母上からのありがたいお叱りをいただいたではないか。

 原因はもちろん、洗濯物が取り込まれていなかったから、である。

 

 おい、この記述の上の方で頼まれごとを他人に押し付け合っているふたりよ。よく聞け。いや、よく見ろ……いや、よく読め。


 このノートは伝言板などでは決してない。そもそも、紙面上でやり取りをしたからといってそれが相手にすぐ届くとは限らない。だから今回こんなことになってしまったのだ。


 さらにそもそもの話が、最初に頼まれたひめのがやっておくべきことだったはずだ。

 このろくでもない姉はチクチクと裁縫などやっていたが、そんなことをして家庭的を気取るくらいならまず、“憧れの”詩織姉さんのようにさも当たり前のことだと言わんばかりに率先して洗濯物を取り込めるようになれと、私は言いたい。


 これがふたりに読まれる時が果たしてやってくるのだろうか。否、来ないと知っているからこそ私はここに発露の穴を見出したのだ。

 

 哀れな『いかなる感情をもその広大な心で受け止めるノート』くん。合掌。(終)




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