表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日々も積もれば幸となる  作者: ハルコ
3/3

後編

3ヶ月に1度はある。

私は必ずと言っていいほど店頭に立っているのでほぼ100%当たってしまう

悪質なクレーマー。言ってることは支離滅裂だ。

「何だこの弁当!?冷めすぎて肉は硬ぇし野菜はまじぃしさ!」

不健康そうな小太りのおじさんはそんなような内容を繰り返すだけ

店長が居れば…なんて間の悪い。店長は今、会合に行ったばかりだった。

私はとにかく「すいません。」「私共の勉強不足でした。」「ご指摘いただきありがとうございます」と言ってるだけ。

訳の分からないクレームなんて聞いちゃいない。

そう、いつか終わる…そう考えるだけ

しかしその人にとっては私の言葉は火に油を注ぐだけだったようで

「それしか言ってねぇじゃねぇかよおいっ!」

とショーケースをバンバン叩きながら私を威嚇するように叫ぶ

きっと駅にいる人にもこの声、そして悪質なクレーマーだって分かっているはず。私が困っているってわかっているはず

けど…誰も助けてはくれないんだ…分かってる。私だって見て見ぬふりをしてしまうだろう。

この人の多い駅の中でたった1人の気分。あぁ、この感じ知ってるな。いつもそうだったな

大丈夫…大丈夫…慣れてる。慣れたじゃん。いつだってそうだったしさ。

1年前…前の会社じゃほぼ毎日。

会社の裏で泣いていた頃に比べればなんてことは無い。

こんなのへでもない。毎朝起きる度に死にたいと思ってた頃とは大違い。天国なようなものじゃないか。私。

仲間がいない…助けてくれる人もいないなんて普通なことなんだ、慣れてるだろ、私。

「おいお前聞いてるのかよ!」

クレーマーは私のそんな気持ちは知る由もない。もう何をしたところで逆効果なんだろう。

クレーマーも頭に血が登り、手が出る寸前のところで

「あんた少し黙りなさいよ!」

と、大きな声がした。クレーマーと私を含めた駅にいる全ての人が1人の女性に目を向ける。

そこに居たのは小さなお婆さん。

しってる。

煮魚さんの奥さんだ。

隣に煮魚さんもいる。そうだ、今日旅行から帰るって言ってた。

クレーマーは突然の事で頭が回らないのか真っ赤な顔のままキョトンとしている

お婆さんは鋭い目線でクレーマーを睨みつけながら怒りの籠った声で言い放つ

「だいたい聞いていれば弁当が冷たいだの野菜がまずいだの!

弁当なんて冷たいのが当たり前でしょ!?それが嫌なら外食すればいいじゃない!」

私の言いたかったことをお婆さんは代弁する

「なんだとババァ!!」

クレーマーはお婆さんに怒鳴られてまたボルテージが上がったのだろう

お婆さんに掴みかかりそうな勢いで歩き出した

「ウチの家内に向かってババァとはなんだ!!」

と、次は隣にいた煮魚さんが年季のある思い声で怒鳴る

その声に驚いたのか、クレーマーは後ろにたじろぐ

「大体なんだ君は!さっきから聞いていれば訳のわからないことを何時までも

迷惑だと分からないのか!」

さすがは元管理職の貫禄だった。とてもかっこいい

クレーマーも言われてばかりではなかった

「だまれジジイ!ここの弁当が不味いのが悪いんだろうが!」

クレーマーは精一杯叫ぶ

「お姉ちゃんの弁当が不味いわけねぇだろ!」

と、次はあのサッカー青年が叫んでくれた。

「そうだそうだ!」

「味覚がおかしいんじゃねぇのか!」

と、彼の友達も叫んでくれる。

それを皮切りに

「その通りだ!」

「不味いわけねぇだろ!」

「お前が悪いんだろ!」

「ワガママ野郎が!」

と駅の中でクレーマーへのヤジが飛び交う。

なんでこんなに…

私は不思議だったがよく見ると、その人達はみんな見た事のある顔ばかりだった。

それもそのはず

「全員弁当を買ってくれたことのある人だ」

そう呟いてしまった。

煮魚さん夫婦と青年だけではない。

OLのお姉さん達、カツさんを初めとしたサラリーマンの皆さん。

学生、敬老会の人、主婦に小さい子供まで。

全員が話した事のある、そして弁当を買ってくれたことのある人だった。

こんなにも…こんなにも多くの人が…

1人で泣くことしか出来なかった私に…

気がついたら私は自然と涙を零していた。

こんなに嬉しいことがあるのか…

クレーマーは人数に圧倒されてたじろぐ

しかしここまで熱が上がった人は何をするかわからなかった

「く、クソっ!全部お前が悪いんだろうが!」

と、急に私目掛けて殴りかかってきた

殴られる

私は思わず目をつぶる

ドンというとても大きな音がした。

…しかしいつになっても衝撃は襲ってこない

恐る恐る目を開けると

目の前には見慣れた紺色のスーツを着た背中があった。

「お前いきなり殴りやがって…いい加減にしろよ!」

と、その声を聞いて確信した。紅鮭さんだ。

目の前の背中はあのイケメンの紅鮭さんだったのだ。

「う、うるせぇ!」

クレーマーは手に持った弁当を紅鮭さんに投げつける。

紅鮭さんは咄嗟に手でガードしたが、白飯やおかずがスーツにかかってしまう。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

そのままクレーマーは奇声を上げながら紅鮭さんに殴りかかろうとするが

「やめろ!」

「いい加減にしろ!」

と、数人の男性に取り押さえられた。

そしてその直ぐ、誰が呼んだのか警察がやって来てクレーマーを何とか取り押さえた。

騒然とする構内。警官は暴れるクレーマーを抑えるのに必死だった

「お怪我は無いですか?紅鮭さん!」

と、紅鮭さんはカウンター越しに私に駆け寄る

目まぐるしく突然が起きる状況に頭が着いていかず、ぼうっとしていたが、紅鮭さんの右頬をみて私はさぁっと血が引いた

「べ、紅鮭さん!ほっぺたが腫れてるじゃないですか!

それに血も出てるし」

紅鮭さんは右頬を真っ赤に腫らし、口からは一筋血が流れていた

「あぁ、さっき殴られたんですよ

大丈夫です。そこまで痛くはないです」

紅鮭さんはいつもの爽やかな顔で言うが、痩せ我慢なのは誰でも分かる

「ちょ、ちょっと待っててください!氷を持ってきますので!」

私は大急ぎで厨房の冷凍庫から氷を出し、袋に入れてカウンターで待つ紅鮭さんのところに持っていった

そしてそのまま右頬に氷を当てる

「いつっ」

紅鮭さんは小さい悲鳴をあげる

「あああぁ、す、すいません」

焦りに焦りすぎて訳のわからないことをしてしまった

「大丈夫ですよ、氷ありがとうございます」

そう言って紅鮭さんは私の手から氷を受け取り、頬を冷やした

ここまで酷い目に…いや、私を庇ってまでなんでこんなことをするのか…

「雪菜!大丈夫か!」

警察から数分遅れて店長も汗だくになりながら帰ってきた。

話によると常連さんが連絡をくれて急いで帰ってきたらしい


正直その後のことはよく覚えていない

私と店長、紅鮭さん、そして煮魚さん夫婦が事件の証人として1度警察署に行き、事情を聞かれた。

まぁこっちは被害者。店長と煮魚さん夫婦は30分ほど話を聞かれた後に開放された。店長と私は何度も煮魚さん夫婦にお礼を言った。その度に2人はさやしい笑顔で大丈夫、大丈夫と繰り返してくれた。

そのあと紅鮭さんと私は1時間ほど被害者として詳しく話を聞かれ、その後紅鮭さんの頬を見てもらう為に病院にいった。

さすがに守ってくれた人をほっとける訳もなく、私も同行した。

紅鮭さんの容態は、頬が腫れているのと口内が切れていた事くらい。さほど大きな怪我ではないとお医者さんが言っていたのが幸いだった。

診察後、紅鮭さんが会社に電話をして、私も店長に事後報告をした。全てが終わったのは19時過ぎだった。



駅まで帰る方向が同じということもあり、2人で冬の街を歩いた。

「本当に今日はありがとうございます」

私は紅鮭さんに、何度目か分からないお礼をいった。

「いえいえ、僕も咄嗟に出ていってこのザマですよ

いや、とんでもない1日でしたね」

腫れた顔で無理やり笑い、紅鮭さんはいつものように話てくれた。

それを見て私は少しほっとした。

「あなたが守ってくれなかったらどうなっていたか…」

そう言うと紅鮭さんは優しい声で話す

「本当に紅鮭さんが無事で良かった。

それに悪いことばかりじゃないんです、明日は事情聴取があるって嘘をついて休みにしてもらったんです。怪我の功名ですね」

なんて茶目っ気のある顔で言う。2人して笑った。

そういえば…

「なんで私の事を紅鮭さんって呼ぶんですか?」

そう聞くと紅鮭さんはハッとした顔になりあぁ…とこぼした

しかし私を見て観念したのか恥ずかしそうに話し出した

「いや…すいません。

毎朝笑顔で美味しい紅鮭弁当を渡してくれるので…

何となく心の中で呼んでいたんですが…バレてしまいましたね」

恥ずかしそうに紅鮭さんは頬をかく。

私はなんだかおかしくなって笑ってしまった。

「どうしたんですか?」

「いえ、実は私もあなたの事を心の中で紅鮭さんと呼んでいたんです。」

それを聞くと紅鮭さんはキョトンとしたが、直ぐに笑った。こんな偶然があるのかと思った。

2人顔を見ながら笑う

「変な話ですね」

「本当ですね」

和やかな雰囲気。

心の底から幸せと感じた。

イケメンの方の紅鮭さんは一通り笑い終えると一息付き、思い出すように語り出した。

「初めて弁当を買ったあの日、実はとてつもなく不安だったんです。新人研修が終わって、友達も頼れる知り合いもいない遠くに移動させられて…初めてのひとり暮らしの朝…

何もかもが初めてで…もう会社に行きたくないほどでした」

それを聞いて驚いた。あの日の紅鮭さんはそんな気持ちだったのかと

紅鮭さんは続ける

「初めて続きで焦りすぎて、その日弁当を持ってくるのを忘れたんです。会社の近くに食堂もコンビニもないと聞いていて、時間もなくて焦った時、あなたの弁当屋を見つけました。

本当に安心した。

正直ここで弁当を買うのは1度きりと思っていました。

でもあなたの笑顔と…最後に言ってくれた行ってらっしゃいに勇気づけられて、お陰様で初日は初めから元気よく、上手く行きました。」

私の下心があった笑顔がこの人を支えたとなるとちょっと心苦しかった…

だが、

「それからも弁当を買う度にあなたに行ってらっしゃい。頑張ってきてね。って言われる度に元気づけられて…気がつけば毎朝弁当を買っていました。」

そこまで言うと紅鮭さんは私の方を向き

「あなたの笑顔に救われました。ありがとうございます」

と真面目な顔で言った。

その言葉に私は救われた。

私はなんだか照れくさくなり、顔を伏せる

「そんな、私の接客がそんな事になるなんて

ただ愛想良く振舞っていただけですよ」

なんて誤魔化すが

「それでも僕は救われたんですよ」

と言った。見ると紅鮭さんは飾りっけのない優しい笑顔だった。

この笑顔を作る為のほんの少しの力になったと思うと、私も誇らしく感じた

「なら…良かったです」

と零した。自然と頬が緩んだ

冬の寒さなんて気にならないほど暖かな感情。

あれだけの不幸を吹き飛ばすほどだった。神様ありがとう。

優しい笑顔のを眺めている彼を見ているだけでも、私は幸せな気分になる。

だけど今日、また神様は私に微笑んだ。

「そ、それでですね…」

紅鮭さんは上を見ながら少し恥ずかしそうに切り出す

私はキョトンとしたが…

紅鮭さんは意を決したのか立ち止まる。私も自然と立ち止まった。

そして紅鮭真剣な眼差しで私を見ながら言った。

「も、もし良ければ…お礼もしたいですし今度ご飯に行きませんか!?」





それから半年。

私は弁当屋を惜しまれつつ辞めた。

最後の日の朝、いつもと変わらない常連のカツさんは、私に幸せに頑張れよと豪快な笑顔で言ってくれた

サッカー青年達は、今までありがとう。幸せにね!と爽やかな笑顔で言った。

OLのお姉さん、サラリーマンの皆さん。敬老会に主婦に子供に学生に…みんな私にエールを送ってくれた。

そして…

「雪菜ちゃん。これから大変だろうけど気をつけるのよ。

これ、お祝いだから。使ってね」

「僕と家内からだ。雪菜ちゃんならきっと上手に使えるはずだよ」

あれ以来、週に一度は来てくれる煮魚さん夫婦。煮魚さんの奥さんとはあの後仲良しになってまるで親子のように3人でたまに食事に行くほどだ。

そのおしどり夫婦から私は包装に包まれたある物を頂いてしまった。

有難く頂こう…きっと…いや、絶対に必要になるものだ。

私は嬉しさのあまり泣いてしまった。奥さんは私を優しく抱きしめてくれた。

そして閉店の時間。今日だけはできるだけ長く、ここにいたくて無理言って朝から夕方まで働いた。

「雪菜、正直に言うとお前が居なくなるのはほんとに寂しい。

お前は家の正真正銘の看板娘…いや、それ以上だった。

本当にありがとう。俺にはこれしか出来ないが受け取ってくれ。」

あの無愛想な店長がそう言ってくれて、私に秘伝のレシピの書いてあるノートをくれた。私はまた泣いてしまった。本当に今日は何回泣くんだ。




今日、カウンターに立ってこの風景を目に焼き付けた。

駅を流れるように歩く人達。笑顔の人もいれば疲れきった表情の人、怒った人、悲しい人、眠たげな人…誰一人として同じ表情はいない。きっと全員は覚えていない

けど…この弁当を買ってくれた人…私に笑顔をくれた人の顔は決して忘れない。たった1分少々のやり取りで生まれた暖かな笑顔は忘れられない。私の宝物だった。

きっと以前の私じゃそんなことは思わない。きっかけがどうであれ私は変わった…とても素晴らしいものを手に入れたんだ。

私は惜しみながら店を後にして、今までとは逆方向にある、新しい家に向かう。

仕事が終わったばかりだが、もうすぐに新しい仕事が始まる。

私の新しい仕事場で、笑顔を作る仕事が。





今日も今日とて朝5時に起きる

私の大切な人からもらった少し大きな弁当箱で、大切な人の弁当を作る為に

ほうれん草のおひたしは前日に作っておいた。

前日仕込んでおいた1口サイズをハンバーグを焼いてる間に、秘伝のレシピのだし巻き玉子をササッと作ってしまう。漬けてある白菜を程よい大きさに切る頃、ちょうど米が炊けるので、ご飯を弁当箱に入れる。


おひたし、ハンバーグ、卵焼きに白菜を、彩りよく弁当箱に詰めていく。仕上げに彼の好きな紅鮭を入れれば出来上がりだ。

あとは弁当袋に入れるだけ。


その頃になると寝癖のついた頭で彼はおはようと眠たそうに起きてくる。これは私の勝手な強がりなんだけど、弁当に入ってるおかずは絶対に朝食に出さないようにしている。今日も朝は白米と味噌汁と昨日の残り物。彼はそれをササッと食べて、朝の用意をして、7時頃出勤する

「はい、お弁当。今日も楽しみにしててね」

「わかった。楽しみにしてるよ」

そう言って彼は弁当を受け取る

「じゃあ、行ってくるね」

いつも通りの朝。私はどんなに忙しくても、どんなに機嫌が悪くても明るく、彼をこう見送るんだ

「行ってらっしゃい。今日も頑張ってね」



お楽しみ頂けたでしょうか。短い小説でしたが、閲覧してくれた皆さん、本当にありがとうございます。

実はこの話は私の実体験のようなものでして、まぁ運命の人にも出会ってないしましてや結婚なんて夢のまた夢なのですが…

ノンフィクションなのは3ヶ月で仕事を辞めた事なのですが…

…でも小さなきっかけのおかげでたくさんの幸せに恵まれました。そんなエピソードを小説にしてみたくて書いてみました。


…さて、実は次回作の構想はもう練ってあります。

まぁいつになるかは分かりませんが、出来上がりましたら是非一読おねがいします。


作者、ハルコ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ