中編
少しのイライラから始まったことも、1週間も続けばきっかけなんかどうでも良くなり、さらに1週間するともはや癖、もしくは習慣になってしまっていた。
初めは声を張りすぎて少し喉が痛くなったが、体も慣れたのかそれも無くなった。
ほんの少し体が強くなった。なんてちょっと嬉しかった。
そう、変わったといえば、お客さんの方も少し変わった気がする。例えば小太りのサラリーマン。よくロースカツを買うからカツさんと心の中で呼んでいる。見た目は気難しそうなおじさんなのだが、1週間続けた結果よく話してくれるようになった。
以外にフレンドリーな人だと思った。まぁその話も今日は寒いだの明日は晴れるだの、本当にたわいもない事なのだが。
その相手も初めは少し嫌だったが…もう慣れた。どうせ一言返せば終わる話だし、ちょっとした息抜きにもなると気がついた。
カツさんだけじゃない。定年間際のサラリーマンや、サッカー青年。初めて弁当を買いに来る人だって少し話してくれるようになった。
そしてそれはあのイケメンさんも例外ではなく
「おはようございます。今日も寒いですね」
なんて爽やかな声と笑顔で話してくれる。こればっかしは声を張ったかいがあった。
「おはようございます。寒いですね~午後から雪が降るみたいですよ?」
なんて私も話をする。ちなみにこの情報はカツさんから流れてきたものだ。
そしてお弁当を包み、お会計を済ませて
「ありがとうございます。行ってらっしゃい、今日も頑張ってください」
なんて一言を添える。ちょっと夫婦みたいなんて考えたりして。
ちなみにこのイケメンさんは毎日紅鮭弁当を買ってくので心の中では紅鮭さんと呼んでいる。
そしてこんな感じに話をするようになると何となくお客さん気分が分かってくる
例えば…こないだの土曜日のこと
「おはようございます。ロースカツ弁当を1つ」
といつものサッカー青年がいつもとの制服とは違うジャージ姿で弁当を買いにやってくる。
なんとなく元気がない…服装と、そしてカツを買う所から見て…
「今日は試合でもあるの?」
そう聞くと青年は
「えぇ、そうなんです。
はじめてスタメンで出れるんですけど緊張で…」
なんて返した。話を聞くと高校に入って初のスタメン。
同期の中では初で、緊張しているらしい
けど私にとっては嬉しいこと
「凄いじゃない。ちょっと待っててね」
と、裏に戻り青年の弁当に2~3個唐揚げを詰める
「これ、余った唐揚げ入れといたからさ
頑張ってね!…あとこれは絶対内緒だからね」
弁当を受け取ると青年はとびきりの笑顔になった。
「ありがとうお姉さん!じゃあいってきます」
手を振りホームに向かう青年
「頑張ってねー!」
と、手を振る私。その数秒後、周りの視線が恥ずかしくなった。
…なんてことがあった。ちなみにこの余った唐揚げ、私のお昼になる予定だったらしく、その日の私のお昼はごま塩むすびだった。
まぁいい。次の日にニコニコしながら私に嬉しそうに試合の結果を話してくれる青年に会えたから。
繋がりが深くなって楽しい一方。すこし心配な事もある
よく煮魚弁当を買ってくれた定年間際のサラリーマン、心の中では煮魚さんがめっきりこなくなっていた
管理職をしているバリバリのやり手。だけどすごく優しくて弁当を買う度にカツさん同様たわいもない話をしていた。
…だが、最後に見たのは2週間前。弁当を買う時も今日で退社なんてことは言ってなかったし、普通に会議があると話していた
体を壊してしまった…?いや思い違いだろう。
たかがちっさな弁当屋に来ないだけで心配なんて…
と思いたかった。
しかしそのモヤも、週末に晴れた。
煮魚さんが奥さんを連れて弁当を買いに来たのだ。それもいつもとは違う昼前に。
「お久しぶりです。最近来ないんでどうしたかと思いましたよ」
なんて聞くと夫婦は笑顔になった
「いや、実は退職する前の1週間だけ、妻が弁当を作ってくれてね」
「前はしっかり作ってたんだけど体を崩しててね。
体調も少し良くなったから最後くらい作ってあげたくて」
優しい笑顔で話す夫婦。とても和やかな2人だった。
「そうなんですか、いや、ほんといい話ですね」
と、素直に話す
「そう言われると照れてしまうよ
それで今日は妻と2人で2泊3日の旅行に行こうとしてね
それでここの弁当をどうしても食べさせたかったんだ」
「この人がずっと食べてきた弁当ですもの
食べてみたくてね」
なんて話してくれる。なんて嬉しい事だろうか…
「ありがとうございます。…そうなるとやっぱり煮魚弁当ですか?」
「そうそう!ここの煮魚はとても美味くてね」
なんて煮魚さんは笑顔で答える。奥さんは優しい笑顔でそれを見ていた。
昼前の客が少ない時間というのもあり、裏から店長も出てきて少し話をした。夫婦の和やかな雰囲気が私達にも広がり、暖かで幸せな空間が広がる
その時間も終わりを告げ
「では電車の時間なので。行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。旅行楽しんできてください」
別れを告げた2人は2個の弁当をもって特急電車のホームに向かった。
そして夫婦は幸せそうな顔で特急に乗り、旅行に出かることだろう。そして列車の中で私たちの弁当を食べてくれるのだろう。
「こういうことがあると弁当屋冥利につきるね」
そう呟いて店長は後ろに下がった。
顔は見なかったが私にそうつぶやくということは相当嬉しかったのだろう。私だって心から嬉しい
初めはお客さんも店員の私も、心のない慣れてしまった受け答えをするだった。でも少し気を使っただけでこんなにも心を開いてくれて、ふわっと心を温めてくる事が起きるな事も起きた。
そういえば始まりは紅鮭さんへの下心と店長の小言だったか。お世辞にも綺麗な始まりではなかったが、続けてよかった。
そんな心温まる接客もあれば、心の底から落ち込む接客もある
それは煮魚さんが出発して3日目の夕方だった
いつもなら昼で上がりだが、明日が休みなのと、店長の用事があるということで昼に出て夕方まで働くことになった日。
閉店の時間になり、店の片付けをしている時だった
カウンターに背を向けて売上を記録しているときだった
「おい、お前!!」
と大声で私は呼ばれた
驚きながらも、「はい」と言って振り向く
そこには顔を真っ赤にした知らないおじさんがいた。
虚ろな目、何を考えているか分からない。
おじさんは我慢ならないような表情で唾を飛ばしたがら大声で叫ぶ
「何だこの弁当!?クソまずいじゃねぇか!?」
私は背筋が寒くなり、少し吐き気がした。
私にとってこういうクレーマーはトラウマだった。
次回で最終回です。
出来れば感想頂けると幸いです。