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結局のところ小説とは?

作者: アバラ

 小説は自己表現だ。

 言葉の羅列でしかないはずの小説はそれを書いた人間の心の内を気味が悪いほど如実にかたどる。その象った形は時として作者自身も予想外な形になっていることがある。

 小説が書きたくないということは他人に対して自己表現をしたがらないということで、そんな人間が小説を書いたとしても中途半端なだけか、まったく面白くないか、あるいは両方か。

 自己表現とはつまり、素直な気持ちだ。あの子が好きとか、あの子が嫌いとか。それくらいのことであればきっと自己表現はもっと簡単なのだろうけど、そうじゃない。複雑で、善悪など何かの基準によって分けられるものではない。

 趣味嗜好しかり、普段考えていることしかり。

 とんでもない性癖の人や何かの行動がエスカレートして狂ってしまうような人だって。薬が使いようによっては毒になるように、人間は内になにかしら社会の規範を著しく犯してしまうような聞いた人間がすべからくドン引きしてしまうようなものがある。客観的に見てそうでも本人が意識しすぎてしまうようなものもある。いわゆるコンプレックスと言われる。

 つまり面白い小説とはそれら他人に語るにおいて難しいものを他人に伝えられるという越えがたい障壁を乗り越えた人間が書いたものだ。剣を構えた相手の懐に飛び込むように自らをさらけ出すという常人なら必ず踏みとどまってしまうような行為を越えた人間によるものだ。


 改めてその難しさを実感する。

 というのも、僕はその越えがたい障壁を前に立ち止まってしまっている人間だからだ。それゆえに今こういうことを考えている。

 僕は小説が書きたい。けれど書けない。

 なぜか?

 書くのが怖ろしいからだ。書きたくないからだ。書く自信がないからだ。

 書きたいと言って、書きたくないと書けば何か矛盾しているように見えるが、ついさっき出した剣の例を使えば矛盾していないとわかる。

 つまりこれは剣を合わせ、向かい合っている人間を倒したいと同時に、剣に斬られるのが怖いから懐には踏み込みたくないと言っているのと同じなのだ。

 さて、それではどうする?

 どうすれば躊躇なく鋭い剣先を突き立てられる相手に対して懐に飛び込めるようになる?

 強くなるなんて抽象的な言葉を使ってちびりかけそうな自分を奮い立たせようとしても無駄だ。それがただの心理的な障害でしかなかったとしても乗り越えられないものはある。ならどうする?

 別に難しいことじゃない。慣れればいいのだ。

 誰かに真剣を向けてもらって、最初はゆっくりと振ってもらい身体を慣れさせる。殴り合いと同じだ。まったく殴られたことのない人間は殴られるということに対して必要以上の恐怖を見せるが、何度も殴られたことのある人間は大した恐れも見せない。

 同じなのだ。慣れていないなら慣れればいい。全力で振りぬかれる剣先に対して紙一重で避けて懐に踏み込むことを何度もすればいい。自分の性癖やコンプレックス、本音を出すことに慣れていない人間は少しずつでもいいからそれらを出していけばいい。慣れるまで小出しにすればいい。


 できないことなんてない。

 それはできないんじゃなく心の底からしたくないだけだ。


 だから追い込まれれば人は勝手に死ぬし、高いところから飛び降りることに慣れている人間は何の躊躇もなく飛び降りる。虫をよく食べる人間は気持ち悪いなんて思わない。

 だから僕も練習しよう。そのうちに小説を書くことに大して何の躊躇もなくなるはずだから。

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