レッドナイン 後編
練習が終わった帰り道、山上に会った。
「永瀬さん。お疲れ様です」
「おう」
とりあえずそう返しておく。
「そろそろ抽選が始まりますね。どこと当たっても、悔いのない戦いができるといいですね」
そうだな、と俺が返す。いつの間にか無口な彼女がよく話すようになっていた。そのことについて訊いてみると、
「永瀬さんは私にとって話しやすい人だからですよ」
「そうか。まあ良かったよ。女子はこの部でお前一人だったから孤立しそうで心配してたし」
「そうでしたか。嬉しいです」
彼女は笑っていた。俺は驚いた。
俺はこの日、彼女の笑顔を初めて見た。
抽選の日。
部員たちの顔は真っ青になった。
くじ引きとは時に残酷であることを思い知らされた。
「俺らは一回戦最後のカードで相手は県内屈指の強豪、東神学院だと……。終わった……」
抽選後、部員の一人がそんなことを言い、部員全員が慌て、場がざわつく。
しかし、彼女、山上は違った。迷いのない声で、
「今までやってきたことを信じましょう。幸い、まだ時間はあります」
彼女の声だけでは部員を鼓舞するには至らない。ならば……。
「そうですよ。俺は練習で手応えを感じています。相手が強豪であろうと今までやってきたことを出せばきっと勝てるはずです」
その言葉で部員たちは冷静になった。彼らの心の中には、まだ不安が残っているのかもしれないが、落ち着いた表情で俺の話を聞いていた。
俺の次に口を開いたのはキャプテンである道園先輩だった。
「おいおい、後輩に慰められるとはなぁ……情けねぇ……。やるしかねぇんだ。つべこべ言わず自分にできる精一杯のことをやるだけだ!」
「「オオッ!」」
そして、俺たちの夏が始まる。
試合の日。抽選会から試合までそんなに時間はなかったが、誰もが今まで以上に練習に真剣に取り組み、万全の状態で試合に臨む。
そうは言っても相手は普通の高校ではない。相手の東神学院は全国大会出場経験もある強豪だ。正直、勝てるという確証は全くない。
それでもやってやる。公式戦初勝利を掴んでみせる。そう俺は心に決めた。
試合が始まった。先攻は東神学院。層の厚さは否めない。ベンチ外の選手は一〇〇人以上。スタメンの身長は全員一八五センチ以上あった。体格は完全に相手が上だ。
俺たち明城高校の先発は二年生エース、相原先輩である。コントロールやスタミナがあり、味方がエラーさえしなければ強豪校とも本来は十分わたりあえるレベルである。今日の調子は絶好調だそうで、腕の振りも良かったのだが……。
相原先輩は相手の強力打線に逃げずに立ち向かう。しかし、三連打を浴び、無死満塁の大ピンチ。迎えるは東神の四番、細谷さんはプロ注目の三年生。これはさすがにきつい。
相原先輩が投じた一球目。アウトコース低めの直球。これを細谷さんは、いとも簡単にスタンドに放り込んだ。
初回ながら四点を失った明城ナイン。苦しい展開が続く。さらに連打で無死一、二塁。相手の打球が三塁手を襲う!
しかし、これをうまくさばき、三塁ベースを踏んで、二塁へボールを転送、さらにボールは一塁へ転送され、トリプルプレー成立。
「奇跡だ……」
俺は思わずつぶやいた。球場からは大歓声。
道園先輩は言った。
「諦めるな! 流れはウチにきてるぞ! この回で追いついてやるぞ!」
勢いはあった。
初回で点を入れることは叶わなかったが、三回、無死二、三塁から道園先輩のスリーランホームランで一点差に追いついた。しかし、後が続かない。あと一本、いいところでヒットが出ない。ランナーを三塁まで進めても点が入らない。
だがその条件は相手も同じだった。明城から飛び出す好プレー。守備は大幅に改善されていて『エラー』の能力を持っている選手達とは到底思えない。
山上によると、『守備職人』の能力を持っていることによって、『エラー』の能力の発動を大幅に抑えることができるというのだ。
結果、相手に追加点をやることなく、その後はスコアボードにゼロが並ぶ。強豪校と一点差でギリギリの勝負ができるのは奇跡だ。
九回表の攻撃をゼロに抑え、ベンチへと戻る明城ナイン。俺はベンチに座る。右隣にいた山上が話しかける。
「スタメン全員が赤、マイナスの能力を持つ『レッドナイン』。それでも強豪校に一点ビハインドですけれど、ここまでの接戦になるとは思いませんでした。練習によって得た青、プラスの能力の可能性に私は感動していますよ」
「それでも、ここまでやれるなら勝ちたい……」
俺はつぶやいた。最終回は七番からの下位打線から始まる。誰か一人、塁に出れば俺に打席が回る。だが……。
俺の頭は不安でいっぱいだった。すると、山上が俺の右手を握ってこう言った。
「大丈夫ですよ。下位打線でも今日はヒットが出ていますし、なんとかなりますよ。それに永瀬さんだってただの選手じゃないでしょう?」
確かに明城ナインの中で野球経験が最も深いのは俺だ。だが、今日の俺は……。
九回裏、抑えに本来は野手の細谷さんが登板した。キレのある豪速球になすすべもなく七番、八番が連続三振に倒れ、二アウト。
俺は青ざめた顔でネクストバッターズサークルに向かおうとする。何を隠そう、今日の俺は無安打。早打ちをしようとするが、全くタイミングが合わず、赤の『三振』能力もあって、全打席三振に倒れている。
ベンチからグラウンドに出る寸前、山上に腕を掴まれた。
「そんな顔しないでくださいよ。道園さんなら、きっとあなたにつないでくれます。永瀬さんで試合を決めてください」
「とは言っても、俺は今日……」
「私に選手の能力を視る力があるように、永瀬さんにも特別な力があるんですよ」
「えっ」
俺は驚いた。赤能力があると聞かされたあのときのように。
「それは……」
突然、歓声が上がった。
「つないだぞ! 後は頼む、永瀬!」
道園先輩はボール球をうまく見極め、フォアボールを選んだ。
代走が送られ、先輩はベンチに戻ってきていた。俺は背中を軽くたたかれ、激励される。
山上は、最後に一言、こう言った。
「見せてください。永瀬さんの力を。信じてますから」
俺は打席に立つ。迷いはない。自分のスイングをすることだけを心がける。相手が投じていたのはストレートだけ。
「見せてやる、俺の力を。この一打で、明城高校公式戦初勝利を……掴んでみせる!」
「なあ山上、永瀬と何を話していたんだ?」
道園先輩は山上に訊いた。
「能力の話ですよ。永瀬さんには赤でも、青でもない能力が存在したんです」
「それは?」
そのとき、グラウンドに金属バットの快音が響く。
打球がバックスクリーンに突き刺さる。
「『伝説のサヨナラ男』。青の能力のはるか上をいく超強力なプラス能力、金の能力です」
俺はダイヤモンドを一周する。あふれんばかりの大歓声。ホームベース上で待つ明城のチームメイト。
逆転サヨナラ二ランホームラン。明城高校の公式戦初勝利の喜びとともに胸に刻み込む。
初戦の喜びに沸いた俺達だったが、強豪校との戦いは終わらなかった。強豪校を倒すという番狂わせがあれば勿論、その逆もあるわけで俺たち明城ナインは二回戦で姿を消した。
あれから七年。大学野球で好成績を残した俺は下位指名ながら、ドラフトで指名されプロ野球選手となった。高校野球の本選が始まる夏真っ盛りに俺は大卒ルーキーながら一軍に昇格し、取材を受けていた。
あれから七年の歳月を経て母校、明城高校が甲子園の切符を手にしたことについてどう思うかという質問に、俺はこう答えた。
「いいところまでは行くでしょう。きっとやってくれますよ。俺も負けてられないですね」
「今年も赤能力持ちの選手だらけか……それでもまさか私達が甲子園の土を踏むことになる日が来るなんてね……」
人が少なくなった夕方の職員室で独り言をボソッとこぼしているのは高校教員、そして野球部監督になった山上である。
彼女のパソコンには『大卒ルーキー永瀬、初昇格』の見出しで書かれたウェブニュースのページが開かれている。
「カズくん、頑張ってるんだ。私も頑張らなくちゃ」
そう言って彼女は作業に取り掛かる。
彼女の左手の薬指にはめられた指輪が夕日に照らされ、日の差す限りずっと輝いていた。
レッドナイン全二話、これにて完結です。
変わった野球モノを書いてみたいというところから始まり、このような形になりました。
楽しんで頂ければ幸いです。