レッドナイン 前編
創立五〇周年を迎える、とある県立高がある。
県立明城高校。スポーツはまあまあの実績だが、野球部は全くの無名だった。いや、無名どころではない。
公式戦未勝利。そして夏の高校野球予選四九連敗は未だ県予選では破られていない。
そんな野球部に一人の女子がマネージャーとして入部してきた。
彼女によって、明城高野球部は変革の時を迎える。
俺の名前は永瀬 一成。一年生ながら、レギュラーをつかみ、外野手のスタメンとして野球部に入部後、すぐに練習試合で起用されている。
昨日、練習試合があった。その試合でも俺はスタメンとして起用され四打数四安打だったのだが、後続が倒れ、なかなか点が入らない。貧打なのはさておき、特筆すべきはエラーである。
俺以外のスタメン全員、エラーの記録がついている。しかも、エラーした場面が全て得点圏、つまり二塁以上にランナーがいる場面であった。
今日は月曜日。大会まではまだまだ日がある。俺は昨日の試合のことを考えながら、野球部の部室で着替えていた。
「昨日の練習試合、いいバッティングだったな、永瀬」
そう言ったのは、一年上の道園先輩である。
「ありがとうございます」
俺は丁寧に返しておいた。
「これじゃ、俺のレギュラーも危うくなってきたな。昨日はフライを後逸しちまったし、三打数ノーヒットじゃあな。監督にも怒られちまうし、散々だったよ」
道園先輩は高校から野球を始めた素人だ。そう一、二年でうまくなるものではないことは小学校から野球一筋の俺がよく理解している。
「まあ野球はすぐにうまくなるものじゃないんで練習あるのみ! ですよ」
「お前がそう言うなら……よし! 練習だ!」
「はい!」
そうして先輩と練習に向かう。
一番乗りだと思っていたのだが一人、グラウンドに先に来ていたようだ。よく見ると野球の練習着を着ていない。
ジャージ姿。今年から新しくマネージャーとして野球部に入部した、一年の山上沙良である。
彼女には不思議な雰囲気がある。何か自分を見透かされているような……。
実を言うと、彼女と会話したことは全くない。何より滅多に口を開かず、昨日の練習試合でスコアをつける以外のことは特にしていなかった。
そんな彼女が珍しく口を開いた。
「昨日の試合、エラーが多かったのは何故だと思いますか?」
俺は考えた。練習が怠慢であるわけではないから練習不足というわけではない。守備練習もしっかりとやっていた。それでもなぜエラーが起こるのだろうか?
「答えは簡単です。『エラー』という特殊能力を持っているからですよ」
「?!」
そして、彼女は信じられない言葉を口にした。
「私には、野球選手の中に眠る特殊能力を視ることができるんです」
俺は何を言っているのかよくわからなかった。
しかし、これが野球部が変わる転換点だったことは後になって知ることである。
「能力を視る?」
「ええ。私の視える能力の種類は大きく二つに分けられます。選手にとってプラスに働く能力が青、逆にマイナスに働く能力が赤、で選手の頭上に表示されます」
「おいおい、何話してるんだお前ら。一年同士、仲がいいことは結構だが選手は練習しなけりゃうまくならんぞ、永瀬」
そう言ったのは練習の準備をしていた道園先輩だった。
「無駄だと思います」
「無駄だと?」
自分の発言を否定され道園先輩はイラッとしている。そんなことをお構いなしに山上は続ける。
「エラーの原因が何なのか、先輩は考えましたか? 闇雲に練習することが全てじゃないんですよ」
「なら山上、お前はわかっているとでも言うのか?」
「ええ。道園先輩には、『エラー』の特殊能力が付いています。表示される文字は『赤』だったので、これが先輩にとってマイナスに働いています」
先輩は不機嫌そうな顔をしていた。無理もない。後輩が意味不明なことを口走っているのだから。
「エラーの能力だと? 冗談もその辺にしとけよ! 俺はなあ、エラーをしたくてしてるわけじゃねぇんだぞ!」
今にも彼女に突っ掛かりそうだったので俺が先輩の気を落ち着けた。
「落ち着いてくださいよ、先輩。まあとりあえずこいつの話を聞きましょう」
「そうだな……悪かった、感情的になって」
彼女は何事もなかったかのように話を進めた。
「『エラー』の能力は得点圏にランナーがいるときにエラーしやすいというものです。練習でエラーしないのはその練習が試合形式の練習ではないからです」
先輩は少し考えてこう言った。
「そうか。でもよ、前の試合でエラーをしたのは俺だけじゃない。まさか、スタメン全員にエラーの能力があるっていうのか?」
「いいえ。全員ではありません。永瀬さんだけはエラーの能力は付いていませんでした。でも永瀬さんには別のマイナス能力があります」
「え?」
俺は驚いた。小学校から野球一筋、リトル、シニアと野球をやってきて一度もレギュラーから外れたことがなかった。
打撃、守備、走塁。三拍子揃った選手としてシニアチームにいたときは全国大会にも出場した。
そんな俺に弱点などあるはずがない。ずっとそう思っていた。
俺自身が気付かなかった弱点。それは何なのだろうか……。
「その能力は『三振』です。二ストライクと追い込まれると三振しやすくなる能力です。能力の効果からしてすぐにわかるのですが、この能力は赤文字で表示されているので、永瀬さんにとってマイナスに働きます」
とはいえそれが目立たなかったのは俺のバッティングスタイルが早打ちだったから、だそうだ。
俺は衝撃を受けた。自分にもあったマイナス能力。全く気が付かなかった。
だが、疑問がある。マイナス能力は練習によって消すことができるのではないだろうか。
「その、赤能力はさ、日々の練習で消したりできないのか?」
俺は訊いてみた。
「個人の能力は得ることはできても、取り除いたり、消したりすることは難しいんです。記憶喪失にでもならない限り自分にとってマイナスな出来事は忘れにくいというように……」
「もういい!」
長い会話にしびれを切らした先輩が会話を断ち切った。この程度で我慢できないのはさすがに……とは思ったが、いきなり能力云々と言われても困る気持ちは俺にもわかる。
「メンバーそろそろ集まってるから全体練習やるぞ! まず軽くランニングからだ。早くしろ、永瀬」
気づけばほとんどの野球部員がグラウンドに集まっていた。
言い忘れていたのだが、道園先輩はこの部のキャプテンでチームを引っ張る存在だ。
実を言うとたまたま今年は三年生がおらず、部員の実力も均衡していた。
最近の高校野球では背番号一〇の選手がキャプテンであることがよく見受けられるが、道園先輩が狙っているのは当然レギュラーである。だからこそ、練習で手を抜く人ではない。
「何ボーッとしてんだ。早くしろ!」
いかんいかん。全体練習が始まってしまう。
「あの、道園先輩に『短気』の赤能力が……」
また何か言おうとしている彼女に道園先輩はこう言った。
「短気なのは元からだ! 悪かったな、気の短いやつで」
そう言って先輩がカッカしたまま練習が始まってしまった。
一通りの全体練習が終わり、内野、外野、バッテリーに分かれて、練習が行われる。この間に一〇分程休憩があるので彼女と話をする。
「あのさ、さっきの話の続きなんだけどさ、『短気』の赤能力ってどんな力があるんだ?」
「バッターの場合は特にこれといった問題はありません。ですが、投手の場合はコントロールが雑になってそれが失投につながるということがあります」
「ふーん。なるほど」
だが、俺が聞きたいことはそんなことではない。
「山上、お前はこのチームを優勝させたいのか? まず、この学校は公式戦で全く勝てていないチームだ。優勝を狙いたいなら強豪校にでも行けばよかったのに」
「学校を選ぶのは私の自由です。それに永瀬さんだってどうしてそんなに実力があるのに強豪校に行かなかったんですか?」
「どこのスカウトの目にも止まりはしなかったんだ……。俺は凡人の延長線なんだよ」
天性の才能なんてありゃしないのは百も承知だった。凄いやつはシニア時代のチームメイトにいくらでもいた。スポーツ推薦もダメで、私立の一般受験は高いからダメだと親に言われ、仕方なく家から近い所を受けた。
その事実を知った彼女は呆れた顔をしてこう言った。
「正直がっかりです。チームを全国の舞台に連れて行くとかもう少し深い理由があるのかと思いました」
そう言われて、俺はこう言い返す。
「なら、お前にはあるのか?」
多分ないだろうと俺は思っていた。が……。
「私には双子の兄がいました。本来ならば今年の春、私と同じ高校生になるはずでした。リトルでは大活躍して優秀選手として表彰されたこともあります。しかし、兄は中学入学後すぐにガンを発病して野球どころではなくなり、そして卒業式を待たずに亡くなりました」
重い話だ。軽々しく聞いたことを申し訳なく思った。
「亡くなる直前、兄はただ一言、『優勝したかった』と……。その言葉を胸に、私は優勝するためにマネージャーとしてできる限りのことをしようと決めたんです。兄が志望校として選んでいたこの学校で」
話し終えた山上は強くまっすぐな目をしている。俺は強い意志を感じ取った。
「そうか。なるほどな。選手の能力を視る力は優勝への思いが強くなった結果かもな。その力さえあれば公式戦初勝利だけじゃなく優勝も夢じゃないな」
俺はそう言ったが彼女は首を横に振って否定した。
「まだわかりません。赤の能力がスタメン全員についているんです。永瀬さんにもあるじゃないですか」
「俺のは自分のバッティングスタイルでカバーしているから問題ない。だがエラーとかはどうすればいいものか……」
すると山上は提案してきた。
「野球の基本は点を取ること、そして失点を減らすことです。エラーをしても点を取られなければいいんです」
だが、チームの問題は守備力だけではないのだ。機能しない打線もなんとかしなければならないのだが……。
「バッティング系の能力習得が一番の近道だと思います。永瀬さんは前の試合でもヒットが出ているので問題は特にないですが、永瀬さん以外の方は打撃系の能力を持っていませんからヒットがなかなか出ないのでしょう」
「要するに打撃練習と実践練習を増やしたほうがいいんだな」
「そういうことです」
そんな長い会話をしていて気づけばとっくに休憩時間が終わっていた。案の定、先輩に怒鳴られる。
「おい、永瀬! 休憩時間はとっくに終わっているぞ。早く来い!」
「はい!」
俺は慌ててグラウンドの方に向かう。
よく考えてみれば彼女とこれだけ長く話せたのは今日が初めてかもしれない。