野球研究会 急
長い沈黙の後、口を開いたのは部長の安斉さんだった。
「心配は無用よ。留学生がいるからこの手は多分使わないで済むと思っていたけど今が使いどきね」
「何するんですか部長さん」
「最終回は栗原さんからね。とりあえずこのヘルメットかぶって、肩に力入れずに打席に立ってて。何もしなくて良いから」
何をするのだろうかと私は疑問に思った。何もしないということはこの試合の終了を意味する。だが二〇点も取られて策などあるのだろうか。
栗原さんが打席に立った。ここまで野球研究会のチームは相手チームに対し、ノーヒットだった。相手ピッチャーは中学のシニアチームの全国大会で見たことのある顔だった。週刊誌の記事でも有望選手としてたびたび注目されていたから、打てないのも当然だった。
しかし、初球、信じられないことが起こった。
栗原さんは見事に相手ピッチャーの球をバットの芯でとらえ、センター前クリーンヒットを放ったのである。
「部長さん、栗原さんに何をしたんで……」
言い終わる前に答えがわかった。安斉さんの膝下には、バックネットから見た風景が映っているディスプレイとコントローラーがあった。
「もうみんなを私の手で操作するしかない。それしか方法はないのよ。ヘルメットが脳波とリンクしてコントローラーで操作すると、バッターの構えからスイングできる」
私は空いた口が塞がらなかった。理解が追い付かない。安斉さんは続ける。
「この十字キーでディスプレイに表示されているミートカーソルが動くわ。タイミングよく当てればヒットに、うまくいけばホームランが打てるのよ」
「そ、操作って……そんなことができたらプロ野球選手だって苦労しないさ……。そんなこと不可能だ!」
「でも実際にやってのけたでしょ。私は機械に関しても詳しいのよ」
「いやいや、それでもし三振してゲームセットになったら……しかも逆転するには二一点取らなきゃいけないんだ。そこまでヒットを続けられるのか?」
「なめないでちょうだい。記者さんは私たちをなんだと思ってるの。他の部員は私ほどじゃないけど野球ゲームの達人。野球はできなくてもゲームの操作ならお手の物よ。私は野球ゲームの試合で二九点取ったことがあるのよ。仮に私が打席に立っても、野球研究会の誰かが操作したら二〇点超えは軽いのよ」
「さっすが部長! 野球研究会の本領発揮っすねー」
部員の一人が大喜びして言った。
「とにかく勝ちにいくよ。のんきに守ってる相手チームに衝撃を与えてやるわ。それもとびきりでかいやつをね!」
それからというもの、野球研究会が攻める五回裏は非常に長かった。昼過ぎに始まった試合だったが、すでに日が傾いている。
たくさんの快音が聞こえた。点差はみるみるうちに一桁になり、順調なサヨナラ勝ちを収めるかに見えた。
しかし、二〇対一七になったとき問題が起きたのである。
「あれーコントローラーで十字キー動かしてるけど反応ないなーなんでだろ……」
恐れていた事態だった。ゲーム機になんらかの問題があったのだろうか。
「でも心配することないでしょう。次はブライアン、ハーパーと続く打線ですよね。どっちかがこの試合を決めてくれるでしょう。ここまでの試合で打点をあげているのは二人だし、なんとかなりますよ」
できればそう願いたいところだが、相手はシニア時代の注目選手の一人。ただの選手ではない。
ハーパーと同じく、ブライアンもアメリカの高校で野球をやっていて、ジャパニーズドリームを夢見て留学してきた一人である。彼もまたケガが原因で野球を諦め、沈んでいた。
そんなハーパーとブライアンを助っ人として勧誘した安斉さんが、彼らに高校生活の最後の思い出作りプラス、野球に対する悔しい思いを発散させたいという気持ちが少しでもあったのなら賞賛したい。
だがしかし、ハーパーもブライアンも疲れていた。彼らの汗は尋常ではなかった。全ての力を使い果たしたような顔のハーパー、二〇点取られながらも嫌な顔せずキャッチングをしていたブライアン、体にガタがきていてもおかしくない。
そんな状態の二人にシニアで全国大会に行くような選手の球が打てるはずもなく、ブライアン、ハーパーは二者連続三振に打ち取られた。
これで二死満塁。あと一アウト取られれば、終了である。
「終わった……」
私は言葉を発した。
次のバッターは野球研究会の部長の安斉さんだったが、彼女は打席に入ろうとしない。なぜだか、一塁側の自チームのベンチに戻ってきた。
彼女は驚くべき言葉を発した。
「記者さん、代打です。ここで試合を決めてください」
「えっ、なんで俺が」
「メンバー交換用紙には、あなたの名前も書いておきました。あなたは選手兼任監督としてこのチームに参加してたんですよ」
「でもいいのか……、自分のような大人がこの部活の運命を背負っても……関与してもいいのか」
「いいんですよ。あなただって、野球で悔しい思いをした人のうちの一人でしょ? 私の兄から『野上という、下手くそでも誰より野球を愛するやつがいた』って話を聞きました。ここですよ。あなたが今までの野球に対するうっぷんを晴らす場所です」
「そうか……安斉。どこかで聞いたことある名だと思ったら、全国大会にも投手として登板した俺の高校時代のチームメイト、安斉の妹なのか。野球好きで野球ゲームの腕前がすごいのは兄弟そっくりだな……」
「打てー!」
野球研究会メンバーの声援が聞こえる。
だが、それだけではない。
「「ガンバッテクダサーイ」」
ブライアンとハーパーの声援だ。
「おう!」
私は声援に応えバッターボックスに向かう。
打席に立った。が、背筋がゾクッとした。相手ピッチャーのオーラだ。真っ赤に燃えている。
私は………………。
「そのあとどうなったんですか?」
「は?」
「試合ですよ、し、あ、い」
ここは週刊誌の仕事場。今私は取材の原稿を書いていた。
「ああ、まず、部長さんに背中を叩かれてな……」
「えっ?」
「シャキッとしろって……な」
「要するに緊張が丸わかりだったんですか」
「そういうこと」
今でもあの時のじーんとした感覚は、僅かだが残っている。
「で、気になるのはそのあとですよ」
後輩は話の続きが気になるようだ。
「迷いが……消えたんだ。あの部長の安斉ってやつ、すごいと思うぜ。やっぱり兄弟だな。よく考えれば、レギュラーはおろか、練習試合にすら全く出られなかったのに野球を続けられたのは、全国大会に出た安斉のおかげだったと思う。あいつがいなけりゃ俺は野球をやめていた。もしかしたら週刊誌の記者の仕事をしていなかったかもな。それに、あの出来事がなけりゃ俺がこうしていい後輩を持つこともなかっただろうし……な」
「ははっ、そりゃそうですね」
そう自信満々に後輩は言った。
「お前が言うな」
私と後輩は二人で笑っていた。あの頃に浸り取材の面白さを深く考えていた。
三年前のあの日。野球研究会を結果的には救うことができた。だが、自分のおかげとは思っていない。
ハーパーやブライアンらの留学生の頑張り、安斉さんや栗原さんら野球研究会のメンバー全員の意地。それが私に逆転ホームランを打たせたのだ。
「しっかし、なんで野上先輩はA高校に取材に行ったんですか」
「そのときの同僚に勧められてな。それに、あそこは母校だったからな」
「マジっすか!」
後輩は目が点になっている。
「ああ。俺が学生だった頃は運動部の半数が全国に行ってた。それだけでも十分化け物だが、取材に行ったときはほぼ全部だからな。笑うしかないぜ」
「ほへ-そりゃやばいっすね-」
のんびり背伸びをする後輩。のんびりな彼に私は言った。
「というか仕事、仕事。早くしねえとお前原稿の締め切り明日だぞ」
「あちゃ-、ってそれは野上さんも同じじゃ」
……うっかりしていた。とりあえずここは笑っておくとしよう。
「ははっ。そうだったな-」
「もう、しっかりしてくださいよ-先輩」
「悪い悪い。さあ、あともうひと仕事すんぞ!」
「はい!」
あれから三年、俺は後輩を持つ記者になった。
今となっては安斉兄弟には感謝しなければならない。ありがとう安斉。そして野球研究会のみんな。頑張れよ!
「へっくしょん」
「風邪?」
そこにいるのは大学生になった野球研究会の元部長安斉と元副部長の栗原。
「誰か私のこと噂してる?」
「そりゃいるでしょ。あんたのゲームの才能は妬まれるレベルだし」
「ははっそうかも。疲れたし、もうそろそろ帰ろっか」
「え-まだゲームちょっとしかしてないのに-」
これは野球を研究し知識その他諸々で草野球大会に挑んだ者たちの物語である。
以上、「野球研究会」全三話これにて完結です。実を言うとこの小説が自分が初めて書いた第一作目なのです。楽しんで頂ければ幸いです。