野球研究会 破
試合の日になった。空は雲のない晴天。これ以上ないお出かけ日和だ。私は、試合が行われる球場に向かった。
球場に着くとすぐ、野球服の上に白衣を着た、怪しい女子が声をかけてきた。
「ここにいたんですかー探しましたよ、野上さん。こっちですよ。そこに更衣室がありますからユニホームに着替えてください」
先週行ったA高の野球研究会部長、安斉さんだった。
「えっ……いきなりそう言われても……俺、今日は取材に来ただけというか……」
「着替えて下さい。さもないと……」
そういうと、彼女はポケットからなにやら怪しげな物を取り出しそうになったのでここは従うことにした。
更衣室で着替えている時、私はつぶやく。
「……どうしてこうなった?」
メンバーが全員揃った。野球をやる上で必要な自チームのメンバーは九人だが、野球研究会の部員は七名で、私を含めても……。
「はい、じゃあ野上さんは監督ということで今日一日お世話になります。宜しくお願いします」
部長は穏やかに言った。
「よろしくお願いします!」
野球研究会の部員達が私に向かって挨拶した。
なんという若々しい声……じゃなかった!
「どういう冗談だ、私は聞いてないぞ」
「未成年のチームには顧問というか大人の責任者が必要なんですけど、顧問の先生が今日来られないそうで……。野上さんが帰ったあと、どうしようかって話し合いになった結果、野上さんにやってもらおうって全員一致で決まりました」
「えっ? 俺の意見は無--」
「やってください」
彼女は無表情でその言葉を発した。
「はい……」
そう言わざるを得ない。
だが、これでは結局七人。野球一チームは九人。二人足りないのである。
「それより、どうするんだい? メンバーは二人足りないんじゃないかな」
「心配はいりません。こんなこともあろうかと助っ人を連れてきたの。みんなにも紹介するわ」
前に出てきたのは黒人男性二人。身長は二人とも百八十を超えており、とても高校生には見えないが……、
「ブライアンとハーパーよ。二人とも高校三年生。うちの学校の留学生よ。彼らにピッチャーとキャッチャーをやってもらおうと思うの。異論はないよね?」
「「ミナサン、ヨロシクオネガイシマス」」
外国人二人が挨拶した。
チーム全員の顔は、歓喜の表情。全員の顔がとろけていた。
「なんだ……この勝ち確定のような雰囲気は……。そう簡単にいくのか……」
私は疑う。
だが、その疑念はあっさりと裏切られた。
ここで試合のことについて触れておこう。この大会の参加チームは一六チーム。一試合は五イニング制。四試合勝てば優勝だ。相手は地域の草野球チームばかりで動きも機敏である。
やはり甘くない。そう思っていた。
しかし、どうだろうか、この状況。
マウンドにそびえ立つ大男ハーパー。プロ野球選手顔負けの豪速球。一六〇キロは出てるんじゃないのかと思わせる球速、もちろんそんなボールは誰も打てやしない。
そんなボールを楽々、何くわぬ顔で捕るブライアンも化け物だ。
監督として采配を振る必要は全くなかった。投打ともに外国人助っ人二人の独壇場だ。心配など必要ない。彼らは平然とやってのけた。
三試合連続完全試合という信じられない大記録を。
まさか決勝に進むとは思ってもいなかった。
決勝も軽いなと誰もが思っていたが、野球はそんなに甘くない。
決勝戦までハーパーは一人で投げていた。
彼は疲れているに違いない。球威が一、二段落ちている時点で、決勝まで勝ち進んだチームに打てないボールではなかった。
キャッチャーのリードで幾らかはマシだったかもしれない。しかし、五回開始前ですでに十点取られていた。点は取られながらも要所を抑えていたが、点差は離れていく一方であった。
いくらバッテリーが良くても守っているのは野球研究会の連中だ。知識が追いついても行動が追いつかない。
野球研究会、といっても技能に関しては素人の集まりである。
ここまでの試合、守備機会は全くなかった。逆にそれが異常だったのである。
この決勝戦でようやく普通の試合になった。それと同時に、戦力の差が浮き彫りになる。
野球をやっていたり、観たことがあったりする人は平凡なフライに見える、が私から見ればヒットである。
ヒットとエラーのオンパレード。野球研究会はこの小さな大会の記録を数多く、良い意味、悪い意味両方で塗り替えただろう。
すでにエラーの数は二桁を数えた。守りにつく野球研究会のメンバー全員に覇気はなく、野球ゲームを楽しんでいたときの表情はすでに失われていた。
私は早く終わってくれと願った。この回だけですでに十点取られて、二〇対〇の逆転不可能な点差。
それでもなんとか二アウトまでこぎつけた。二アウト全てキャッチャーフライなのはいただけないが。
仕方ないではないか。どんなに弱いゴロであっても通り抜けていく、いないも同じ内野守備。どんなフライも取れない、いないも同じ外野守備。よくもここまでバレずに済んだものだ。
そんな中、一人、集中力の切れていない奴がいた。
ここまでずっと一人で投げてきたハーパーである。彼は聞くところによると、日本に留学してくる前はアメリカで有名な高校野球の選手だった。この学校に留学したのも、運動部ほぼ全てが全国出場というところに期待していたそうだ。日本でも活躍したいなんていう希望も抱いていただろう。
しかし、その夢は打ち砕かれた。野球部に入部して間もなく、彼の肘は悲鳴を上げる。全国出場常連とあってその練習量は相当なものであった。アメリカの高校ではそこまでハードな練習ではない。慣れない練習、言葉の通じない仲間、どうすることもできないまま悲劇は起きてしまう。
とある日の練習中、肘からブチッという音がした。痛みは引かず、病院に行くと右肘靭帯断裂が判明し、リハビリ含め、全治一年と診断されてしまった彼は絶望し、野球をやめた。
そういった話を聞いたことのある私は彼にとって残り少ない高校生活の場所なのだろうと思った。だからこそ彼の集中力は切れないのだろう。
彼の気迫の投球で打者を三振に打ち取った。最後のボールは疲弊していても一五〇キロは出ていただろう。何はともあれ五回表が終了。ベンチに戻ってくるハーパーや野球研究会のメンバーを私は讃えた。
「よくがんばったよ。最終回、一点だけでも返そう」
そう言うと、副部長、栗原さんが返した。
「一点じゃダメです。私たちは勝たなきゃダメなんですよ。言い方は悪いですが、こんな小さな大会では優勝以外、意味はないんです! 長年、特にこれといった活動をしてこなかった野球研究会は委員会に真っ先に目をつけられていたんですから。今まで記者さんには言っていませんでしたが、委員会からは優勝以外なら廃部なんて言われていたんですよ。だからこそ留学生を助っ人に呼んだりして対策していたんですが……」
今の言葉に私は怒りを覚えた。
私は教えてやらねばならない。
「留学生を呼ぶ前に自分たちがすべきことがあったんじゃないか? 君たちが練習して打ったり守ったりできるまでとはいかなくても、なぜボールに慣れておくといった選択肢がなかったんだ!」
私は本気で怒った。だが、ここでどうしようと状況は変わらない。二〇点差がひっくり返される試合など、聞いたことがないのだから。