野球研究会 序
この世には、日本中を探しても一つしか存在しない部活動が存在する。少なくとも、私はそう思う。
私は、週刊誌の新米記者の野上といい、特集の記事を任されていた。しかし、全くといっていいほどネタが出てこず、同僚に相談した。
すると、返ってきた答えはこうだ。
「だったらA高校に取材に行ってこいよ」
「えっ?」
「あそこは、部活動に相当力をいれているらしい。面白い部活が見られるかもしれないぞ」
ネタに飢えていた私はA高校に向かった。
そうして今、A高校の校門前に立っているのだが……どうしたものか。
すぐそばにある掲示板を見てみる。
そこには、とんでもない数の全国出場を果たした部活動が紹介されていた。
「全部活動の半数以上、運動部はほぼ全て全国出場だと……。なんだ、この学校は……」
そんな化け物紹介のような掲示板の隅に気になる部活動の名前があった。
『野球研究会』だ。
高校時代は野球をやっていた。とはいえ三年間補欠で試合なんてほとんど出ていない。
いい思い出ではない。できれば忘れたい思い出だったが、忘れられなかった。
なぜだろうか。その答えがこの部活にある気がする。
だから期待した、野球研究会に。
このとき私は知らなかった。この部活が危機を迎えていることに。
私は、野球研究会の部室前にいた。研究会というものだから、野球の事について様々な議論が交わされているのではないだろうかと思っていたが、ドアをノックして入った瞬間、野球をやっていた私にとって残念な光景が目に入った。
彼ら、いや、彼女らには議論の『ぎ』の字も存在しない。
そこにあるのは野球盤とゲーム機だった。
彼女たちはゲーム機を用いて野球の対戦をしたり、野球盤で遊んでいたり……。そこに野球を研究しようという熱意は感じられない。
「君たちは何をしているのかな」
私は訊いた。
「何って、野球の研究ですよ。野球ゲームを深く知る事で、野球を理解する的な……ねぇ」
「じゃあ君たち、コリジョンルールというものを知っているのかね」
「何? コリジョンって。ださい犬の名前みたい」
私は凍りついた。
「なんだ、この部活動は……野球研究会じゃなくて野球ゲーム研究会じゃないか……」
私は、本音をぼそっとこぼした。
「まあそうかもしれませんねー」
そう答えたのは、野球研究部の部長、安斉だった。彼女は、ゲームの腕前は全国トップクラスで、大人顔負けの実力者らしい。
しかし、理化学部や、機械研究部にも所属し、そこらで得た知識を応用して発明をしては皆を困らせるマッドサイエンティストとしても知られていた。
A高の生徒に彼女のことを訊くと、制服違反者としても知られており、制服ではなく、よく白衣を着て授業を受けているとのこと。
また、噂によると白衣のポケットに怪しい薬品を持っているらしいのだ。注意しようにも迂闊に近づけない。
そんな謎に満ちた彼女を含め、野球研究会の部員は七人で全員女子だった。
「あたし達全員『野球ってすごいなーマネージャーとかやってみたいなー』とか思っていたんだけど、『マネージャーはそんなに必要ない!』とか言われちゃって……、なんか悔しいと思ってイライラして……気づいたらゲームに走っちゃって……」
「あたし達はね、野球ゲームなら負けないのよ。この前、学校の近くで開かれた大会でも優勝しているんだから」
「でもね、これが実績のうちに入らないのよ。『ゲームは遊びだ』って部活動総括委員会に言われているし」
私は疑問に思った。聞いたことのない委員会の名が出たからである。彼女達に尋ねてみると長い回答だったが、同時にそれはこの部の危機を示していた。
「この学校はね、部活動数が多すぎて活動場所がないとか、部の予算が足りないとか、部活動関連の問題が学校全体の問題のほとんどを占めていたの」
「それを解決しようと創設されたのが部活動統括委員会。一年間で全く大会に出場しないなど実績のない部活は予算を削られて、最悪、強制廃部とかになってしまいます。この委員会ができたのはつい最近。だけど、すでに一八の部活が廃部になっています。それで廃部を免れるためになんとかしようとはしているんですが……」
と、説明したのは副部長の栗原さんだった。
彼女は部長の安斉さんとは対極で制服を綺麗に着こなしており、一目でわかるくらい彼女の真面目さが伝わってくる。
「それで、ゲームで現実逃避していた、と」
私は呆れつつそう言った。
すると部員の一人がこう返答した。
「しょうがないじゃない。もう打つ手なんてないんだから。あともう少しで委員会による活動実績調査がある。そのときが来たらこの部もおしまいよ」
場が静まりかえった。部員七人全員、下を向いている。
しばらくして、言葉を発したのは部長の安斉さんだった。
「まだ、諦めるのは早いわ。策はある。私たちの部活は今までゲームを通して野球知識を磨いてきた。この知識を生かして地元の野球大会に出ようと思っているの。そうすれば実績になるでしょ?」
「いやいや、無理でしょ。たとえ知識だけあっても、試合になったらゲームみたいに打ったり投げたりできないわ」
どうやら野球らしい議論が始まったようだ。
これ以上、ああだこうだ言ってはいけない。これは、彼女たちの部活、青春の一幕だ、と私は直感した。
ただ、一つだけ確認しておきたいことがあった。試合の日だ。彼女達が本当に試合をするというのなら日程だけでも訊いておきたいものだ。
「その試合はいつあるんだい」
私は訊いておいた。もしかしたら、記事のネタになるかもしれない。
「来週の日曜日ですよ。ここの近所のグラウンドでやる小さな大会です。記者さんも来てくれるんですか」
「一応ね。まあこれで私の用は済んだ。実に興味深い部活動だったよ。来週の試合、もし出るのであれば楽しみにしているよ」
そう言って、私は部室を出た。
だが、こんなところで立ち去るべきではなかったと、私は後々後悔することを知らなかった。
まさか、私が、『監督』をさせられることになろうとは、そのときは思いもしなかった……。