アテルラナを踊ろう
その日、厳粛なる空気の中で裁判は行われていた。
裁判官が一人に、検事が一人。そして被告人が一人。
傍聴人は膨れ上がるほど多く、興味津々に裁判の行方に耳を傾けている。
この裁判は異例の裁判だった。それでいてよくある裁判でもあった。
被告人には本来いるべき介添え人がおらず、ただ一人裁判に向かっている。
検事は検事席に立って被告人に向けて告げる。
「かれはわるいことをしました。」
その声には断固とした怒りの声が籠っている。
それに対し被告人はうなだれたように首を縦に振ってこたえる。
「わたしはわるいことをしました。」
そう罪を認める発言とともに傍聴席が少し騒がしくなる。
「ねぇ、彼っていったい何をしたの?」
淑女が首を傾げた。隣の席に座った青年が得意げに語る。
「そんなことも知らずにここにいるのかい、殺人さ!」
「殺人?まあ恐ろしいどんな?」
「ふふん、長い付き合いのあった友人を殺害したらしいんだよ。後ろから刺してね。」
「まあ、酷い。いわれてみれば不健康そうな顔に暗い目つき、彼きっとやってるわ。」
裁判官が槌を叩いて静粛を促した。
「判決を下します。被告人は有罪。死刑です。」
そう粛々と告げられた言葉に被告人は思わず立ち上がる。
「待ってください。そんな死刑なんてあんまりだ。」
「それでもあなたはわるいことをしたのでしょう?」
「確かにわたしはわるいことをしました、でもそれは――」
「本法廷では弁明は聞きません。死刑執行の日時は追って知らせます。」
被告人は叫ぶが無視され、その姿を記者たちは写真に撮る。
そうして彼は手錠を刑務官に引かれて裁判所を去った。
醜態を晒した男は記事になって晒された。少しの間、話題になったがすぐに忘れられた。
少し時が流れる。死罪を言い渡された男の髭は無精に伸び目はどこか虚ろだった。
牢はコンクリートで作られた長方形の部屋でトイレとベットが1つずつ。
窓にも鉄格子がはまっており、入る日差しは十字に割かれている。
「きみはわるいことをしたのかね。」
ふと、そう尋ねる声があった。
男が見上げると、そこにはピエロマスクに道化服の男が立っている。
男は死を前についに幻覚を見るようになったのかと乾いた笑いを漏らした。
「ああ、わたしはわるいことをしたよ。」
道化はケタケタ笑う。
「なにをしたのかね?」
そう聞かれて男はふと、首をかしげる。
「言われてみると、よくはわからないんだ。人を裏切ったのだと思う。」
「悪意を持って?」
「悪意はなかったよ。しいていうなら弱さを克服できなかったのだと思う。」
「おかしな話をする。悪意がなければどう人を裏切るというんだ。」
男は少し考えるようにした後、答える。
「信頼だろうね。僕なりに努力はしたのだけれど、僕の努力は人からすればちっぽけでその信頼を満たすことはできなかったのだと思う。」
「なるほど、確かに信頼というのは諸刃の剣だ。時には強い力になるが、その柄先の刃で自分を傷つけることもある。信頼が相手の要求する水準に満たされていなければ、それは割かれたリソースの分マイナスになる。」
男は手を振って苦笑いする。
「努力していますとアピールするのが下手糞なんだ。」
「ああ、君はいつも何かやるとき文句を言いながらやる口だろ、愚痴を言いながら手を動かす、イライラを吐き出しながら物を調べる。それじゃあ、マイナスの面ばかりクローズアップされやすいさ。」
「まったくだ、後悔しているよ。正直になることが正しいことだと思っていたんだ。僕は自分がどうしようもない不器用だという自覚はあるからね。信頼を受けている相手だからこそ思ったことをきちんと話そう。それが誠意だと思ったんだ。」
「それは滑稽だ。人は君が思っているほど見てくれてはいない。そして見てほしいと思っていないことほど見ている。君は相手が何を言ってほしいのか頭で察した上で違う答えを告げているのだろう?」
男はうなずく。そこに本当の信頼関係があると考えた。
「答えが決められているのが嫌なんだ。違う答えがあってもいいと思うんだ。それを理解してほしいと考えてしまう。それが拙い答えでも笑って流せる。そこから妥協点を見つけていく、そこに信頼関係があると考えた。結果、その思いが人を裏切ってしまったわけだけどね。」
「とんだあまのじゃくだ。おまけに承認欲求持ちとは処置のしようがない。お医者さまー、お医者さまー、ここに患者様がいらっしゃいますよー。」
そうラッパを吹くような声で道化があちらこちらに呼びかけるように言う。
「わたしはわるいことをしました。」
「そうだね、きみはわるいことをした。人を信用しようとしすぎたんだ。そもそもそう深入りさせなければ、別に罪を犯すまでに至らなかったろうに…。」
「嬉しかったんだよ。たぶん話を聞いてくれてね。」
「だからといって人間だって限界がある。人は求めた問いに対して見苦しい言葉を作る人間を言い訳と切り捨てる。君は言い訳という言葉自体が嫌いだろ?きっとその言葉を言われるたびに腹を立てている。」
「ああ。だってつまらないじゃないか……言い訳っていうのはつまり求めている回答が来ないことへの不満だ。人間は一度、言い訳と言葉を認識してしまえば、その1つ1つを頭の中に入れずに切り捨ててしまう。中身なんて必要ない。すべて求めていない見苦しいものだから……多様性の否定でしかない。」
「ああ、だから君はむきになって言い訳めいた言葉を続けるのか、言い訳に意味を見出しているから……だがね、その哲学は誰にも理解は得られないよ。」
「そうだな、自分を偽って生きていく。それができることが罪を犯さずに生きていく為の術なんだと思う。」
「科学というのは妥協の元に成り立った技術だということは知っているかい?現在の科学は実は我々が思っている以上のことをすでに実現可能な技術として捉えている。無線送電技術など最近の技術に思われるかもしれないがその雛型は100年以上前に完成している。けれどそれが何故いままで採用されなかったかといえば、それを当時の人が理解できるように妥協しなかったからだ。妥協しなかったがゆえに絵空ごとにすらならず空中で分解した。君の哲学は君の基盤を支える崇高なものなのだろうが、孤独に生きていくつもりじゃないのならば、妥協点を見つけていくしかない。テスラの最後ぐらい知っているだろう?」
「少し悔しいよ。」
「それが生きていく上では正しいことだ。」
少しの静寂が過ぎた。
日が落ちて鉄格子ごしの窓には星空が映る、
「僕がやったことは死罪を言い渡されるほどの罪なのだろうか?」
真剣にいう男に対して道化は腹を抱えて笑う。ああ、そんなこともわからないのかと……情けなさを超えて哀れだと……。
「それは価値観が決めることさ。きっと君は同じことをされても許すのだろう。もしくは見捨てるのかもしれない。この世界での裁判は、裁判官の槌一つで決まる。君に弁護人はいない。決めるのは人間の感情だ。合理性ではない。君も君の哲学という感情に身をゆだねたのだから、たとえ理不尽だったとしても受け入れるしかない。」
「それこそそこに不義を申し出たら言い訳になると……。」
道化はうなずく。
「僕は道化だな。」
「世の中は奇怪な道化劇さ。僕らはその中をより滑稽に踊ることを求められている。素直といえば聞こえがいいが、その読み方は愚鈍だと知るといい。」
見上げるとすでに道化の姿はそこにはなかった。
男は静かに口笛を吹く。
昔、草笛を吹いて戦う男にあこがれた。
あんな風になりたかった。あんな風になれたらいいのにと思った。
そうして男は今ここにいる。
次の日、男は首吊り台に送られた。
道化劇を踊ろう。
チクタク
チクタク
次の開演時間まであと少し。