ふっかつのじゅもん【前編】
「おうじょのあい」は要らなかったけれど。
「わーーっ! そこ、ジャマ! どけろーーっ やめろーーっ」
「ふっふっふっ。止めろ、と言われて止めるアホはいないのだよ、明智君」
「明智君って誰だよ! オレは加藤だよ! あーーっ 怒ったカニがーーっ 死んだーーっ!!」
日曜日の昼下がり。明るい日が差し込むリビングが賑やかだ。大画面テレビに映し出される、荒い画素のゲーム画面。大小二つのの黒い短髪の塊が、その前で派手に揺れ動く。どうやら我が息子はまた負けたらしい。
今年中学生になったばかりの息子だが、ゲームに熱中する様は小学生の頃と変わらない。普段と異なるのは、やっているゲームが、いわゆる「レトロゲーム」だということだけだ。
ある世代の心をわしづかみにした、昔懐かしいテレビゲーム機の復活版。形だけは掌サイズに小さくなったものの、色も姿もそのままに。そして昔懐かしい複数のゲームが遊べるとあって、発売が決まるや否や予約が殺到した。
俺もその思惑にはまり早々に予約した甲斐あって、幸いにもファースト・ロットで手に入れることが出来た、アラフォー世代だ。夜、たわいもないゲームに熱中する俺の姿に、最初は変な顔をしていた息子だったが、やがてその輪に加わるようになった。今では日中、友人たちと遊んでいる時もあるそうだ。
「あー、もう! こんなドット荒いキャラのくせに! 生意気なカニめーーっ」
「わっはっは。これで6連敗だな、明智君」
「だから、明智君って誰だよ!」
「なんで通用しないのさ??」
そりゃ通用しないだろう……と、肩をすくめて二人を見遣る。『少年探偵団』……と言って、今の中学生に通じると思っている真咲の方がおかしい。俺は二人のための珈琲を入れながら、キッチンカウンター越しでそんな微笑ましい光景を眺める。コポコポと音をたててサーバに落ちていく褐色の液体、くゆる芳ばしい香り。
往生際の悪い息子の『もう一回!』という言葉に、真咲は再び小さなコントローラーを振り回す。再発売にあたり本体サイズが小さくなったのはいいのだが、一緒にコントローラーまで60%サイズになったのはいただけない。ボタンはともかく十字キーを大人の指で操作するのは至難の業だった。
だが、同じように大人の手であるはずの真咲は、あの頃と変わらない動きでスイスイとゲームキャラを上下左右に移動させる。未だに単純な操作性に慣れない息子が操作する赤いキャラが、真咲が操作する緑のキャラに下から押されて今度はカメにぶつかった。
「ふわっはっは。『殺し合い』で我に勝とうなど、30年早いわ!」
「それ、年齢差そのままじゃん!!」
7連敗を喫した息子はまだリベンジしたそうだったが、真咲はコントローラーを置く。俺が準備した珈琲の香りに誘われるように、ソファに戻って満足そうに俺に笑いかけた。
「大人げない……」
「勝負の世界には、大人も子どももないのだよ、明智君」
「だから、今の子どもに『明智君』は通用しないって」
一口、砂糖も入れない珈琲をすする。お互い、珈琲はブラック派。時たま、甘くミルクたっぷりのカフェオレを飲みたくなるが、香りと繊細な味の違いを楽しむだけの舌を二人とも持っていた。
息子にも声をかけたが『今はいい』の返事。彼は、ゲームソフトを一人用のバイクゲームに切り替えて、画面の荒さや動きの雑さに文句を言いながらも楽しそうにプレイしていた。
「……あれも対戦型だったらよかったのになー」
「……一人プレイでもお前、NPCのバイクを転かせることばっかり熱中してただろうが……」
「あれって、そういうゲームじゃなかったっけ?」
「違う!」
昔から真咲は、そうだ。対戦型や二人プレイのアクションゲームとなると、ゲーム本来の目的をさておいて『いかに相手をジャマするか』に燃え上がる。そして、その手腕が素晴らしいだけに手に負えない。昔懐かしい小学生時代、仲間内では『ボスキャラ』以上に恐れられていたものだ。
俺は、アクションゲームはそれほど得意ではなく、真咲のいいカモだった。どうやらその傾向は、息子に引き継がれてしまったらしい。
「和泉もアクション系、苦手だったもんねー」
「お前にトラウマを植え付けられた所為だと思う」
「その代わり、やりこみ系のゲームは今でも得意じゃん。コツコツ努力型の性格は、人生において悪くないと思います!」
「お前はその努力を、脇からかっさらっていくタイプだったけどな!」
懐かしい、ピコピコとした単純な電子音楽がリビングにたゆたう。音も画像も、何一つリメイクしなかった開発陣を褒めてやりたい。ゲームに加わらなくても、音を聞き、その画面を見るだけで楽しめる。
「…………“あのゲーム”が無いのは残念だったよね」
「まあな……色々権利とか難しいんだろ、きっと。今も新作がでてるしなぁ」
多分、この復活ゲーム機を入手した多くの大人たちが思っているであろう台詞を、真咲は何度も口にする。初めて「ロールプレイング・ゲーム」の日本オリジナルタイトルとして発売され、RPGなど知らない子どもたちをも夢中にさせた、伝説のレトロゲームだ。
俺も夢中になった一人。ドはまりした、と言ってもいい。限られたゲーム時間をフルに活用して、少しずつレベルを上げ、シナリオを進め。ようやくクリアしたときには涙した。……あれは、春休みのことだった。真咲の家でエンディングを見ながら、二人で手を取り合って泣いたものだ。
真咲と俺はいわゆる「同い年の幼なじみ」だ。一緒に野原をかけずり回り、秘密基地を作り。そんな小学生時代に発売された「コンピュータ・ゲーム」には、皆と同じようにのめり込んだ。
俺の家は、上に姉が一人と兄が二人。そこで止めておけばよいものの『もう一人、女の子が欲しかったのよね』と言う母の願いだったらしい。
願い叶わず、残念ながら俺は三男坊。兄貴たちと共同戦線で親にねだって手に入れたゲーム機だった。その後、誕生日やクリスマスなどのプレゼントはほとんどがゲームソフトになったし、お年玉をかき集めて新作ゲームを買うのが常だったものだ。
当時のゲーム機は、ソフトウェアの入れ替え式。「カセット」型のゲームソフトはゲームの数だけ必要だが、ゲーム機本体は一つあればいい。当然、俺の家にあった本体は一台きりで、上に二人も兄がいる状態では、十分なプレイ時間など夢のまた夢だった。
一方、真咲は一人っ子。俺はその僥倖を最大限活用した。
真咲は学校の成績もよく、先生方や俺の両親の覚えもめでたい。
『真咲ん家で遊んでくる』と言ってでかければ、誰も止めない。ポケットにゲームカセットを忍ばせて、真咲の家に通い詰めたものだ。真咲はいわゆる「鍵っ子」だったので、兄弟や大人にジャマされることのない至福の時を過ごせたものだ。
「そりゃ、確かに人間はジャマしなかったけどさー」
「…………おう、そうだった。お前ん家、強敵がいたよな……」
鋭い真咲のツッコミに、嫌な記憶がよみがえる。真咲の家では猫が飼われていた。俺にもなついていた雄のサバトラ猫。人なつっこい子で、真咲の家に行くと構って欲しくて寄ってくる。すぐに膝に座りたがり、胡座をかいてテレビの前に座り込む俺の膝の中で、ヤツはいつも心地よさそうに丸まっていた。
「……アイツには、何度煮え湯を飲まされたことか……」
「正真正銘の『猫リセット』!! 和泉の真っ白に燃え尽きた顔、トラの無邪気な顔、それを怒るに怒れない情けない顔が見物だった」
ケラケラと真咲が笑う。
『猫リセット』……読んで字のごとく、猫などの動物に『ゲーム機のリセットボタンを踏まれ、プレイ中のゲームがリセットされる』という、恐ろしい必殺技だ。
電子ゲーム機は、どうしても温かくなる。その所為もあるのだろう。猫のトラは、俺の膝に飽きるとゲーム機の側に寄りたがる。そしてそのまま本体の上を歩き、上部に位置している「リセットボタン」をピンポイントで踏み付けて行くのだ。
当時のゲーム機には、今のように『いつでも中断可能』などという高度な機能が備わっていない。「ゲームの終了」は、ゲームオーバーになるか強制的に終了するか、だ。
『猫リセット』は、当時の子どもたちにとって『おかんの掃除機アタック』並みに恐れられていたものだ。
「ぜったいトラの奴、わかってて踏んでただろ?」
「あの子、賢いから」
「クリア直前で踏まれたときには、さすがに尻尾を引っ張ってやったぞ!」
「そして引っ掻かれる、おバカな和泉くんでしたね。『ふっかつのじゅもん』のノートだって、よく座布団にされてたじゃん」
「書き写そうとして、ノートや鉛筆が見当たらない時の絶望感が、お前に分かるか!?」
「あっはっは。それは飼い主の責任ではないのだよ、明智君。そういえば、あのゲームがでるまでは、他のゲームでは“クリアの途中でセーブ”っていう概念すら無かったもんねー」
「あれが登場したときには、本気で神に感謝した」
ゆっくり進めるやりこみ系のゲーマーである俺にとって、本当に天恵の機能だった。
「…………それだけ?」
ふと、真咲が俺の目をジッと見つめて問いかける。ちょっと悪戯な瞳。口元がからかうように少しだけ上げられる。
「あのノートには、もっと素敵な思い出があるんじゃないの? 和泉くんには?」
「…………そりゃ、お互い様だろうが」
ヘタレな俺は、ぷいっと視線をそらす。そんな俺を許さず、真咲は両手で俺の頬を掴んで顔を向けさせる。あの頃と同じ、キラキラした瞳が俺には眩しい。
『ふっかつのじゅもん』
くだんのRPGゲームにあった「ゲームの継続保存用のパスワード」のことだ。
今で言う「セーブ機能」だが、当時はひらがなを組み合わせたパスワード方式。ゲームを途中で中断する場合、限られた場所でのみ表示されるその20文字からなるパスワードを書き写す必要があったのだ。
「今だったら、スマホで写真撮って終わりだよねー」
「ほんと、そうだよな。あの苦労を知らないヤツは、あのゲームをやる権利はない」
「自分が苦労したからって、容赦ないですねー、和泉くんは」
ブラウン管の画面では、文字は幾分滲んで見える。濁点や半濁点も含むひらがな20文字を正確に書き写すのは、小学生にとって結構な労力だった。
「ば」と「ぱ」を見間違えたり、「ぬ」と「め」などのよく似たひらがなを書き写し間違えることによる悲喜劇は、当時の誰もが一度は経験しているはず……だと、俺は思う。なお、次作ゲームではその文字数が最大52文字にまで増え、なお一層の悲喜劇が発生したことは言うまでも無い。
今ではアルゴリズムが完全に解析され、好きな名前やレベル、進行状況の「ふっかつのじゅもん」を作り出すツールも存在しているが、あんなのは邪道だ。あれは、自力で頑張ってその記録を残したからこそ、価値がある。
「あのノート、どうしたの?」
「…………知らん」
「実家にはなかったよね? でも捨ててないでしょ、和泉くんは?」
一層と悪戯な気配を濃くする真咲の視線。至近距離で見つめ合う状況に、ついつい息子の様子が気になる。幸い、彼はゲームに夢中でこっちに気付いていないようだ。
「……あんな“黒歴史”ノート……」
「ほぉぉお~? そう申しますか。よほど和人の前でバラされたいようですな?」
「おま……それ、自爆じゃねーか?」
息子に自分の「恥ずかしい思い出」をバラされる恐怖は、そろそろ反抗期にかかってもおかしくない年の息子を抱える父親としては、絶対に避けたい。それはさておき、俺の「幼い頃の恥ずかしい思い出」は、そのまま真咲との思い出に直結するのだ。自らのダメージを顧みないその攻撃態度は見上げたものだが、いたたまれなさが半端ないので止めた方がいいと思う。
「別にー? だって『黒歴史』でもなければ『恥ずかしい思い出』でもないしー?」
「おま……男らしいなー?」
「和泉が女々しいんだよ」
話題にあがっている通り、俺と真咲の間には「ふっかつのじゅもん」を記したノートに絡む、忘れ得ない思い出がある。あの当時からして「恥ずかしさ」が勝っているものだったし、アラフォーの親父となった今では赤面ものだ。
だが、当時から思い切りがよく快活だった真咲には『懐かしい、良い思い出』としての記憶だけがあるようだ。