ある平和な村 Ⅰ
村をぐるりと囲む、茶色い煉瓦を積み上げて造られた城壁がありました。軋んで開いた門を赤い四つの車輪が特徴的な馬車が、通ります。
馬車の御者台に乗る焦げ茶色のくしゃくしゃ頭の男が守衛に会釈をしました。そして、潜り抜けたあと振り向きました。
「シープちゃん、ウルフ君。着いたよ」
「はい」「うん」
シープとウルフはすぐに返事をしました。しかしウルフは握った木炭で、ガリガリと手帳が真っ黒になる程何度も自分の名前とシープの名前を書いていました。
「ウルフ、着きましたよ」
シープがウルフの肩を叩きました。
「うん」
ふっと息を吹きかけて木炭の粉を飛ばすと、手帳をシープに返しました。
「ありがとう」
「どういたしまして」
カタン、と馬車が小さく揺れました。ラガットが手綱を引きました。すると、馬車は速度を緩めていきました。ラガットは振り向き、言いました。
「シープちゃん、ウルフ君。ここで降りてくれないか」
「あ……はい」
シープとウルフは不安気にラガットを見上げました。ラガットは慌てて言いました。
「別に置いてく訳じゃない。入村するための身体検査と、この村に帰ってきた報告をするんだ」
「そういうことかー。シープ、降りよう」
ウルフはさっさと降りました。そして、段差でもたつくシープに手を貸しました。それをラガットは眩しそうに目を細めて見ていました。シープが乱れたマントの皺を伸ばしました。その時、指が腰にぶら下がる冷たく固いものに触れました。
銃です。
「あの……ラガットさん。この村に持ち込んではいけないモノってありますか?」
ラガットははっとしたように目を開くと、手のひらで顎を撫でました。
「うーん。基本的に武器はダメかな」
シープは、ウルフに耳打ちしました。
「ウルフ、今後のためにも銃は手放したくありません。何とか誤魔化すことはできないでしょうか」
ウルフは少し考えると
「大丈夫」
と、言葉を返しました。
ラガットが「どうかしたのか?」と二人に声をかけました。
ウルフは小さく頷くと肩に掛けた鞄の蓋を開け、
「ねぇ、ラガットさん。俺たち一応、タビビトだから食材切るナイフとか持っているんだけれど」
と、中から小ぶりのナイフを取り出しました。
「ああ、そういうのなら……」
「それに、銃も」
そして、腰に吊り下げた拳銃をぽんぽんと叩きました。ラガットは目を丸くして
「え!?」
と、声を上げると自らの口を手で押さえました。そして、ゆっくりと外すとウルフの目線に合わせて膝を曲げました。厳しい光を瞳に湛え、ウルフの顔を覗き込みました。
「ウルフ君。この村ではそんな危険なものは必要ない」
ウルフはでも、というようにたじろぎました。
「ラガットさん。じゃあ、これはどうすればいいの?」
「守衛に預けよう。……いや、分解して捨ててしまおう」
ウルフの銃に手を伸ばすラガットの手をウルフが掴みました。かくん、とウルフはうつ向きながらしゃがみます。呆気に取られたラガットが首を傾げました。そして、次に顔を上げたウルフの琥珀色の瞳は潤み、目の縁には透明の滴が溜まっていました。シープはただ、突っ立ちながらぽかんとその様子を見ています。
「ラガットさん……」
ウルフの瞳に溜まっていた涙はとうとう頬の上を流れました。ラガットも言葉を出せないほど驚いています。
「ごめんさないっ。この銃は捨てられない……。これ、俺を引き取ってくれた両親の形見なんだ……っ」
ぽろぽろと滴を溢しながらウルフは嘆くように言います。
「……っ俺達の家族は旅をしながら暮らしてた……。でも、山賊に襲われてっ! 結局俺とシープしか生きれなくて……!」
嗚咽を漏らしながらウルフは喋ります。ラガットの手を握る力を少し強めました。ラガットは開いていた口を閉じました。
「弾は全部捨てます……。だけど、銃は捨てなくてもいい?」
潤んだ瞳をラガットに向けました。良心が痛んだのでしょうか。ラガットは手を引っ込めると、その手をウルフの頭に乗せました。そして、笑いかけました。
「ごめんな。そうとは知らずに。ウルフ君、その銃はリンゴが入った袋に入れておこう。おそらく、リンゴに紛れるから守衛は気付かない」
「本当……?」
ウルフは目を拭いながら訊ねました。
「ああ」
「ありがとう……」
ウルフは濡れた頬を緩ませて、嬉しそうに笑いました。ラガットはほっとした様子でシープの方を向きました。
「シープちゃんも、持っているのか?」
茫然と眺めていたシープははっと我に返ると
「は、はい」
と言い、銃を抜き出しました。そして、弾が二発欠けている弾倉を抜きました。
「よし、弾は俺が捨ててくるよ。シープちゃん達はあそこで身体検査を受けておいで」
そう言うとラガットは銃弾と銃を受けとると馬車に戻りました。シープとウルフは言われた通りに馬車の影から抜け、守衛達の方へ向かいました。
「驚きましたよ。まさか泣き崩れるなんて思いませんでした」
シープは肩にかかった髪を払いました。髪はふんわりと背中を覆いました。ウルフは濡れた目元を袖で擦りました。
「まあね。人を騙すのは得意な方だしね」
ウルフはおどけたようにぺろっと舌を見せました。
「ラガットさんも騙されて可哀想です。それに弾丸はまだありますよ」
わざとらしく溜め息を吐いたシープは腰のポーチを叩きました。そこには弾倉がいくつか入ってます。
「シープの肌着にでも包んでおけば……うん、無理かな」
ウルフが可哀想な子を見る目でシープの小さめの胸を一瞥しました。シープは翠玉色の瞳でウルフを睨みました。
「デリカシーという言葉を知っていますか? ……まあ、良い案ですけれど」
そう言うとシープは自分の持つ衣類の隙間に、素早く弾倉を入れました。ついでにホルスターも、です。守衛は気が付いていません。シープとウルフは無邪気に話しかけました。
身体検査の終わったシープはバインダーに挟まれた紙に自分の名前と性別を書きました。
一人の守衛がウルフをマントの上からパンパンと叩きます。もう一人の守衛はシープの持つ荷物を素早く適当に調べました。
身体検査が終わったウルフも自分の名前を書きます。たどたどしい文字でしたが、きちんと書けました。
そして、ほとんどの作業が終わったのでラガットの元に戻りました。
「──ところで、ラガットさん。ここら辺に安い宿はありますか?」
「え?宿か、宿……うーん」
「ない、ですか……」
ウルフが「野宿かー」と面倒臭そうに呟きました。シープはふむ、と考え込んでいます。
「いやいや!そういう意味でなく、俺の家に来ないか?」
「ラガットさんのお宅ですか……でもこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかないです」
「しかし、な。君達をここで置いてくのは俺の良心が痛む。それにあの、さっき預かったやつ……あれも他の場所では渡せないし」
「それもそうだねぇ。シープ、もう泊まらせてもらおうよ」
「でも……。あの、せめてお金だけでも払わせていただけませんか?」
ラガットは断りかけましたが、すぐに頷きました。
「ああ。でも少しでいい。代わりに俺の奥さんの家事を手伝ってやってくれ」
シープは渋々といった様子で条件を飲みました。ラガットは人の良さそうな笑みを浮かべると、馬車に乗り込みました。
「よし、乗って。じゃあ行こう」
ウルフとシープは乗り込みました。ストンと腰掛けに座ります。馬車が発進すると二人は真っ赤なリンゴが入った袋から真っ黒の拳銃を慎重に取り出すと、ホルスターに差し入れました。