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ある双子の話 ll



「お断りします」




 革の手袋を嵌めた手のひらを突き出しながら、ウルフはきっぱりと断りました。

 チェナとリチェは白い睫毛に縁取られた瞳を大きく見開きました。チェナは言います。


「何故ですの!? “人間”が食べられるのに」


 白菫色の髪をぶんぶんと振り乱しながらチェナは言いました。頬っぺたにぴしぱし当たるそれを迷惑そうに左手で払いながら、リチェは溜め息を吐きました。


「おれは人間を食べるとは言ったけれど、生きてる人間は食べない。約束なんだ」


 両手の人差し指を交差して、口元に持ってきたウルフは首を振ります。

 そんな様子のウルフに、チェナは頬を栗鼠のようにぷくぅと膨らませました。シープはホルスターに、拾った銃を収めると、チェナに言います。


「なぜ、食べられたいのですか? 痛いですし、……死にますよ」


 シープはウルフの白い牙や鋭い爪を思い出し、服の上からお腹を撫でました。何度も赤を露出し、てらてらと脂を光らせたものですから、シープの脳みそを巣食うように痛みの記憶はこびりついています。

 普通であれば、死ぬでしょう。

 チェナはシープとウルフに言いました。


「少しだけ長い、お話をしてもいいかしら」











 

 




 シープとウルフと、同じ年頃のチェナとリチェ。ひとつの身体に収まった双子のチェナとリチェ。

 右手はティーカップをチェナの口許に運びました。角砂糖は三つ。普段はミルクをたっぷりと入れるそうです。

 左手はティーカップをリチェの口許に運びました。

角砂糖はなし。普段はたまぁに輪切りのレモンをひとつ入れます。

 チェナは右半身を、リチェは左半身を、それぞれ操っていることがわかります。食べ物の好みも違うのです。

 さて、


「ご覧の通り、わたしたちは二人でひとつ。生まれたときから、一緒なの」


 チェナはそう話し始めました。

 シープとウルフは二人の向かいで紅茶を飲みながら話に耳を傾けています。

 風が吹くと、ざあざあと樹が揺れます。それでもチェナの澄んだ声は、しっかりとシープとウルフの耳に入ってきました。


「不気味に思った両親はすぐにわたしたちを捨てたわ」


 長いまつげを伏せた二人の白い頬に、その影が射しました。チェナとリチェはお互いに目を向けて、にこりと微笑みます。


「それでもよかったの。わたしにはリチェがいて」

「ぼくにはチェナがいた」


 シープとウルフは、その二人の様子がまるで自分達のように思えて、胸がきゅうと苦しくなりました。シープの皮膚はじくりと疼き、ウルフの喉はごくりと鳴ります。

 気づくことなく、チェナは続けました。


「孤児院でも周りから敬遠されて育ったわ」


「そこでもちょっと辛かったよね、人間扱いされないのは」


 渋い顔をして昔のことを思い出すチェナとリチェ。二人の顔はやっぱりそっくりで、まるで鏡写しのようでした。

 ただ違うのは襟の作り。チェナはひらひらとしたフリルの丸い袖が可愛らしく、リチェの袖は形の違う小さなボタンが連なり、首を覆っていました。

 ふと、ウルフは疑問を抱きました。


「お洋服や、その指輪は高そうだけど、どうやって手に入れたの?」


 チェナとリチェは視線を下に落とし、自ら身に纏う服を眺めました。質の良い白いブラウスに、太ももが露になるショートパンツを履いています。細くて白い脚は、黒のハイソックスとブーツに収まっています。

 ただ、右側はドレープが効いた布がドレスのように垂れ下がり、濃紺の生地に星が散りばめられたかのような銀の刺繍が施されていました。

 ブラウスは肌触りもよく、濃紺の布も余分な皺はひとつもありません。ブーツもぴかぴかと光っています。


「確かに、この格好だと」

「その疑問は湧くよね」


 チェナとリチェは同時に頷きました。シープとウルフに再び顔を向けると、小さな唇を動かしました。


「このお話には続きがあって」

「一年ほど前に、この村のお金持ちのおじさんにに引き取られたのさ」


 シープとウルフはなるほど納得、といったように手を叩きました。それならば説明がつきます。

 人とは少し違う双子。親に捨てられた可哀想な双子。それでも新しい家族に出会った双子。豪奢な洋服を着せてもらって、それでなにが不満なのでしょう。

 死を求めるほどに。


「それから部屋を与えてくれたのだけど」

「与えてくれたのだけどねぇ」


 すでにぴったりとくっついている身体を、もっとくっつけるかのように、互いを抱き締めるように身を縮ませたチェナとリチェ。わざとらしく怯えた表情を浮かべます。


「夢のような空間だったわ」

「……気づくまではね」


 二人の口から紡がれる、部屋の情景はとても不可解で贅沢なものでした。

 連れられた部屋の黒い壁は、鏡のようだったこと。

 そして、窓はひとつもなかったこと。

 そうにも関わらず、家具は豪奢で繊細で美しかったこと。

 白いネズミや、白いウサギの剥製がなんだからとても可愛らしかったこと。

 天井に並んだライトが、とてもとても眩しかったこと。

 中央にあるベッドはそれはそれは大きくて、雲のように柔らかかったこと。

 チェナとリチェはお人形のように飾り立てられたこと。

 何一つ不自由なく日々を過ごしていたこと。

 主人は滅多に部屋に入らなかったこと。

 使用人や、仕立て屋だけが決まった日時、決まった時間に訪れていたこと。

 他はずっと、二人の世界。二人だけの世界です。


「好都合だった……」


 とっぷりとその居心地の良い、二人の世界に溺れて、チェナとリチェは改めて互いが互いに必要であったことに気づかされたというのです。

 初めてその屋敷に、その部屋に連れられて、二人は互いに再確認しました。

 互いの愛を、確かめあったのでした。


「確かめる……?」


 ウルフが首を傾げます。シープは遮ろうとしましたが、チェナとリチェは悪戯をする子どものような笑みを浮かべると、薄く桃色に色づいた唇同士を重ねました。


「こういうこと」


 チェナはウルフにウィンクを送りました。え、あ、となにやら口から溢すとウルフの頬は朱が射しています。胸は思わずどきどきと跳ねているのを感じました。

 なんだか急に大人びて見える双子に、ウルフは琥珀色の瞳を向けました。

 白菫色の髪がさらりと風に揺らされ、艶のある唇の端にひたりとくっつきました。

 それを指で払ったチェナは、言います。続くように、リチェも言いました。

 

「この行為を、いえ私たちの全ての行動をね」

「ずっとずぅっと、村人全員に見られていたのさ」


 シープとウルフは、再び首をかしげます。シープがぷつりと唇に歯を立て、血を舐めとると、ふと思い付いたように、口にしました。


「マジックミラーですか?」


 チェナとリチェの二人は愛らしい笑みを咲かせて頷きました。

 「思い出すのも嫌ね」。そう吐き捨てたチェナは身震いします。


「しかし、どうしてそれがわかったのです?」


 シープは唇にほっそりした指先を当てながら、訊ねます。チェナはドレープの裾を、リチェはブラウスの襟を摘まむと、菫色の瞳を細めました。


「仕立て屋さんから」

「教えてもらったのさ」











 ───チェナとリチェはあのときのことをきちんと覚えています。

 耳にかかる仕立て屋の細い声。依頼主への裏切りの恐怖と、憐れな双子に対する同情心を含んだあの声です。


『……すべて、見られています。今も、そして、───』


 大衆に見破られないように、胸囲の採寸をしながら微かに唇を動かしていました。前髪に覆われた仕立て屋の表情はなにも見えず、ただ滴る雫だけが菫色の四つの瞳に映ります。

 細々と紡がれる言葉に、チェナとリチェは反応しないことに精一杯です。

 どれほどの屈辱でしょう。

 仕立て屋が帰った後も、愛の証を見られていたことが堪えようにもなく悔しくて、恥ずかしくて、それと同時に主人に対して憎悪も湧きました。

 しかし、この部屋を出て逃げ出そうにも、自分たちを待ち受けているのは、奇怪なものを見る大衆の視線と、無力。

 勇気は湧いてきません。

 日々は変わらず、ただひとつだけ、双子の心に巣食う闇が増えるばかりでした。

 その抱える闇が祟ったのか、理由はわかりません。



 ある晩に、チェナは熱を出しました。

 幸いなことにただの風邪であると医者から診断されました。

 不思議なことにリチェは健康で、ただただ苦しむばかりのチェナをすぐ隣で見ていました。

 数日の間、チェナの熱は治まることはありません。付きっきりで面倒を見たのは、使用人です。リチェではないのです。

 使用人は、時おり表情を歪めながら、静かにリチェの涙を拭いました。



 そうして、


「もう完治したね」


 医者は言います。

 カルテに視線を移しながら、医者はチェナとリチェにあることを告げました。表情は緩み、どこか嬉しそうです。

 柔らかな声で言葉を紡ぎました。


「──君たちは、運が良い。ひとつの身体に二人分の頭部があるのだと思っていたが、実際はひとつの身体に二人分の臓器も入っていたのだね」


「運が良いって」

「一体どういうことさ」


 チェナとリチェには理解しがたい図や絵、羅列する文字。それを眺めながら、医者は続けます。


「今回のように君たち、どちらかが、病気になったとしよう。普通なら一緒に臥せるところだが、片方は健康体。薬も片方にしか効かないから、過度な負担はないんだ」


 穏やかな笑みを、浮かべて言います。


「旦那様も喜んでおられた。どちらかが息絶えても、すぐに切除すれば片方は生き延びるのだからね」


 白菫色の髪に、アメジストを埋め込んだような美しい容姿。醜い、人間離れした姿でも、恵まれた生活をするチェナとリチェ。その美しさ故に拾われ、その美しさ故に例えどちらかが死んでも、一人いれば充分なのです。

 その事実を知った双子は、どくどくと心臓か早鐘を打っていることに気がつきました。滲む汗に、絞られたように苦しくなる呼吸を感じます。

 医者が帰ったあと、双子はベッドに潜り込みました。


「ねぇ、リチェ」


「なに、チェナ」


 チェナは湿った手のひらで、リチェの頬を撫でました。湖面の薄氷がぱきりとひび割れ、冷たい水がひたひたと沁みていくように双子の心は冷えていきます。


「旦那さまはきっと、わたしたちのどちらか死んだら片方を剥製にして飾ってしまうわ」


「どうして、チェナ」


「だって、このお屋敷にはたくさんの美しい剥製が飾られているもの」


「生きている双子の片割れと、剥製になった片割れ……旦那さまの趣味にぴったり」


 諦めたようにくすくすと笑う白い双子。二人は決めました。

 この屋敷を逃げ出すことを誓いました。

 まず双子が行ったのは使用人に話を持ちかけること。能力の足りない子どものように振る舞い、それでも悟られないように巧妙に話を進めます。

 どうやらこの屋敷の者たちは、人間の姿ではない双子は知能がとてもとても低いと思っているようでした。

 それを知って知らずかチェナとリチェは、まるで蜘蛛の巣をひっそりと張るように、静かに物語を広げていきました。

 ある日、逃げ出す機会が訪れました。

 旦那様の児戯のようなものだったのでしょう。或いは、逃亡した先で殺せと言う命令でも出てたのかもしれません。使用人は従順に、二人の逃走に手を貸したのです。

 それでも構いません。構わなかったのです。

 この場所から、二人きりになれない場所から逃げ出せれば、

 チェナにはリチェがいれば、リチェにはチェナがいればそれでよかったのです。



 何て言ったって二人は生まれたときから一緒で、これまでもいままでも、一緒。

 それは死ぬときも、


 










「だから、わたしたちは」

「食べてもらいたいんだ」


 ウルフは突然自分へ向いた意識に、びくりと肩を震わせました。いつの間にやら、双子は立ち上がっていました。濃紺のドレープがゆったりと揺れます。


「本当はね、逃げ出したあと二人で自殺をしようと思ったのだけれど」


「ここでは、野犬に食べられてしまうかもしれないでしょう?」


「湖に身を投げても、きっと魚につつかれてしまうでしょう?」


「死んでからもばらばらになるなんて嫌」


「どうしようかと考えていたけれど」


「あなたが来てくれてよかった」


「あなたの中で、一人の人間の中で、二人きりになりたいの」


 一歩。一歩。

 ウルフににじり寄る白い双子の紫水晶のような瞳に絡め捕らわれたように動くことができません。蕩けるような笑みを浮かべた美しい顔が、じりじりと迫ってきます。

 はっはっ……、と怯えた犬のように熱い息を漏らすと、瞼をぎゅうときつく閉じました。

 

「ところで、」


 シープがウルフの首根っこをひっぱりながら、言いました。ウルフは背中から地面に倒れます。しかし、どこか安心したように、ため息をこぼしました。


「何故、女性を殺したんですか?」


 きょとんとした双子は、互いに顔を見つめ合うとすぐにシープに戻しました。薄く白い頬の皮膚には、ほんの一差しの赤が滲みます。


「えぇ! よくわかったわねぇ」

「すごぉい、自殺に見せかけたのに、ねぇ」


 心底驚いた様子で、座り直す双子にシープは続けます。湖に視線を移しました。ふらふらと揺れる縄の切れ端も、視界に入ります。


「踏み台が、湖に落ちていたので。首を吊るときにはあんなに勢いよく転がるとは思いません」


 シープの言葉にチェナはリチェの頬をつんつんとつつきました。リチェはそっぽを向いています。


「ほらー、強く蹴りすぎだと言ったじゃない」


「……」


「あのねぇ、あの死体は使用人の……あぁ、名前は忘れてしまったわ」

「彼女は僕らのためにね、確認してくれたのさ」

「穴の大きさをね」

「頼んだのは僕らだけど」


 チェナとリチェはそれぞれの指で自身を指すと、にっこりと笑います。


「頭が二つあるから、余裕がないといけないわ、と確認してくれたの。親切にね」


「使用人も運良く死ねば人避けにもなるかなぁって思って蹴ったら」


「見事にね、首が引っ掛かって」


 そのときの瞬間を思い出しながら、チェナとリチェはけらけらと声を立てました。鈴の音のように高く、澄んでいます。

 木にぶら下がった縄の一部は、抗議をするように風に揺れました。ざぁざぁ、樹も連れててさざめきます。


「まさか、ねぇ」

「人避けに殺したのに、食いつく人がいるなんて!」


 もうびっくりだよ! とチェナとリチェは目を丸くしながら言いました。あまりにも驚いている様子なので思わずシープもくすくすと笑い声をこぼしてしまいます。


「それも物理的に、ですしねぇ」


 今度はウルフがそっぽを向く番でした。拗ねたように唇を尖らせてしまいます。背中についた草をシープが払いながら慰めました。

 束の間、和んだ柔らかな雰囲気が漂います。

 しかし、


「それで、ウルフさん」

「僕たちを殺してくれる?」


 双子は弾んだ声で言うのです。


「だから、おれは生きてる人を食べないって言ってるでしょ」


 少し怒りの含んだ声で、ウルフは返します。琥珀色の瞳を二人に向けました。


「この先をずっとずぅっと行った村に、互いに愛さえあれば暮らせる村があるよ。そこに行けばいいじゃん」


 すらっと美しい猫を思い出しながら、ウルフは話しました。ふわふわと蕩けるような甘い空間を、シープも頭に浮かべました。角砂糖を齧ったように、なんだか歯がゆく思えます。

 チェナとリチェは、目をぱちくりとさせながら問いました。


「血が繋がっていても?」


「うん。兄弟でも、女の子同士でも、男の子同士でも、女の人と馬でも、男の人と猫でも」


「銅像と口づけをする女の子もいましたね」


 仲間を見つけた安堵と、興奮。

 白い双子は頬を紅潮させ、目を輝かせていました。紫水晶の瞳は光を閉じ込め、内側から発光しているように見えました。

 眩い二人を目を細めて眺めたシープは、静かに声を出しました。



「───死ぬ必要、ないのではありませんか」



 シープには、わかりません。

 なぜ、死にたがっているのかが、わからないのです。



「幸せのために、決まってるじゃない」


 チェナの言葉は、シープにとっては理解し難いものでした。

 サーカス団を、逃げ出した怪物と化物。

 鏡の檻から、逃げ出した白い双子。

 前者は“幸せ”を求めて、必死に旅をしています。人間らしく人間を殺さないように、生きています。

 後者は“幸せ”を求めて、死を望んでいます。人間らしく人間を殺してまで、死にたがっています。

 この違いは、一体何なのでしょうか。



「逃げ出したのは、わざわざ使用人まで殺して逃げ出したのは、なぜですか? 死にたいのに」


 シープの本心でした。

 翠玉のような瞳に、睫毛の陰が落ち、ひっそりと輝きを失いました。同時にウルフの琥珀の瞳も陰りました。

 それに対して、チェナとリチェはというと、弾んだ声音で








「なぁーんってね」






 言いました。


「まぁ、死にたいっていうのは本当だけど」

「殺してっていうのは嘘さ」


 それぞれの手でティーカップを持つと、残りの紅茶を飲み干します。シープが用意したドライフルーツやクラッカーは、手をつけられないままでした。


「まだ死ねないからね」

「まだ足りないものね」


 シープはクラッカーを一つ摘まむと、口に放りました。日は傾き、山の影に隠れようとしています。白菫色の髪は夕日の色に艶々ととろけていきます。双子の輪郭が金色に溶けているようにも見えました。

 思わず、シープとウルフは目を細めてしまいます。


「ねぇ、シープさん、ウルフさん」

「君たちは今からどうするのかい」


「今日は、もう遅いので明日になったら、先へ進みます」


「火を焚くけれど、チェナとリチェも一緒にこのまま休む?」


 チェナとリチェは指を絡ませると、静かに首を横に振りました。


「いいえ、大丈夫よ」

「ぼくたちは、木の虚の中で眠るから」

「野犬が来ないように、工夫もしてるのよ」


 悪戯っ子のように、微笑みました。

 それから双子は紳士淑女のように、お辞儀をしました。さらりと、白い髪が合わせて揺れました。

子どもなのか、大人なのか、雰囲気はころころ変わります。


「ご馳走さま、ありがとう」


 そう言うと、二人は去っていきました。

 シープとウルフは、虚の中へ消えていく双子を眺めていました。


「二人とも、自殺なんかしないよね」


「しかねませんね」


 封を開けてしまったクラッカーとドライフルーツを、シープは口に運びました。湿気たクラッカーと、べたつくドライフルーツは、歯にぺたぺたとくっついてしまいます。

 角砂糖を二つ落とした紅茶で、飲み込んでしまいました。

 バイクから荷を降ろして、シープとウルフは寝床を作りました。いつもと同様に、二人で見張りをすることにしました。







 ぱちぱち。

 薪の爆ぜる音。

 舞う火の粉はひっそりと朝の闇に溶けました。

 空に浮かんでいた三日月は、朝日の訪れを察したのか、白く薄く霞んでいきます。

 シープの規則正しい寝息に耳を澄ませながら、ウルフは火の粉を眺めていました。

 揺れる灯りを頼りに、ウルフは手帳に文字を連ねています。こっそりと、シープに気づかれないようにウルフは文字を書く練習をしていました。

 最近では、以前より読めるようになっていますがまだまだ、書くのは難しいようすです。

 こうして夜明けを待っているウルフは、わからないことがあってもシープを起こすことはしませんでした。

 シープは少しでもぐっすり眠りたいのです。





 ぱきん。





 樹の方から、音が聞こえました。

 小枝を踏みしめたような、音でした。

 ウルフはゆっくりと振り向いて、音の原因を確認しました。


「チェナ、リチェ」


 双子が同時に欠伸をしながら、やって来ました。

 さらさらの髪にはひとつも寝癖はついていません。シープが羨ましがるでしょう。

 ウルフはお茶を用意しようと、あらかじめ沸騰させておいた湖の水を再び火にかけました。

 山の隙間から、陽の光が射してきます。

 樹と、双子の背から射し込む白く眩い光にシープは起こされました。ぼやける視界を、目を擦って醒まそうとします。

 毛布からはまだ、抜け出せません。

 ウルフには悪いですが、シープはまだ声をかけませんでした。


「おはようございます、ウルフさん」

「昨日は困らせてしまって、ごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げる、双子にウルフはにこにこと笑みを返しました。


「大丈夫。気にしてないから」


 ウルフの前に、チェナとリチェは立ちました。

 一向に座ろうとする気配がない双子に、不思議そうに目を向けます。シープもそうでした。

 しかし朝の光が目の中でちかちかと瞬くので、ウルフとシープには双子の表情がわかりません。

 

「やはり、考えたんですよ」

「幸せについて、愛を確かめながら」


 淡々とした口調で、双子は言いました。

 ウルフはなんのことかわからず、首を傾げました。そんな様子もお構い無しに、言葉は紡がれます。








「“愛し合って一緒に死ぬこと”、──それがわたしたちにとっての“幸せ”で」

「それを選択できたこともぼくたちにとっての“幸せ”なんだ」


 ほんの一瞬、雲が日に被りました。

 ウルフと、シープの目に、映りました。

 幸福を溶かしたような、甘い紅茶を飲んだときのような蕩けるような笑顔を浮かべています。チェナもリチェも、羨ましいほどに、妬むほどに幸せな、笑み。

 

 腰から垂れる濃紺のドレープが翻ると、双子の手にはこれまた綺麗な装飾が施された短剣が握られていました。







「“幸せ”になるためには」

「どんな手段でも!」






 チェナとリチェは互いを抱き締め合うように、身を縮こまらせました。

 そして、ウルフに身を預けるようにして倒れ込みました。

 不意をつかれたウルフは、咄嗟に手を伸ばしました。あそこで手を伸ばさければ、よかったのでしょうか。

 わかりません。

 誰もわからないことでした。



「ありがとうございます」

「お願いしますね」


 理不尽な言葉で、身勝手な理由で、双子だけの幸せに縛られた、可哀想なウルフ。

 さらに強く縛るべくチェナとリチェは、ウルフの伸ばされた手をとると短剣の柄を無理矢理に握らせたのでした。






 あり得ないほどに、深く。

 ブラウスが肉の中へ縫い付けられるほど、深く。

 それぞれの短剣は、チェナの胸に、リチェの胸に押し込まれました。

 ウルフの嵌めている茶色い手袋は、双子の血液を吸い込み、濡れています。熱い血液がウルフの手をびちゃりと、包みました。

 シープは、微塵も動くことができないままでした。

自分の手が震え、冷たくなっていることに気づきました。

 ようやく動けるようになったとき、ウルフに目を向けると、






 甦るは、あのときの記憶。

 あのときの、感触。

 あのときの、笑顔。

 あのときの、愛情。










 ───ウルフは笑っていたのです。




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