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子どもと大人の話




「し、シープ……? なんで、ここにいるの?」








 琥珀の瞳で横たわるシープを捉えたウルフは唇を、震わせました。

 今まさに自分が蹴り入れたのは柔らかい肉。ぐしゃりと砕けた骨の感触。破壊された臓器に、飛び散る赤、響く呻き声。それらは全て彼女のものでした。シープのものでした。

 背中に氷を当てられたかのように、皮膚が粟立ちます。

 ウルフは飛びつくように、シープに駆け寄るとそぅっと彼女の前髪を掻き上げました。目蓋に半分ほど覆われた翠玉の瞳の焦点が、ゆっくりとウルフに合います。

 赤に汚れた口角を上げて、シープは静かに微笑みました。








「馬鹿ウルフ」























 時は数刻遡ります。






 村を出て、バイクでくるりと半周し村の入り口付近まで戻ってきたのです。守衛もいます。監視カメラに写るかも知れません。大人に見つかるかも知れません。

 しかしシープには、確信がありました。

 ウルフを捕まえた後、執拗に追って来なかった大人たち。

 簡単に、シープを村から出した守衛の大人。




 大人たちにとってシープを追うことは非効率極まりない行為であり、さらには彼らは子どもという存在を甘く見ている。



 シープは、そう考えました。

 バイクを走らせている内に、ゴーグルに隠れる翠玉色の瞳は大きな穴ぼこを見つけました。一つの人影も。ジグでした。シープがお掃除ロボットに渡した紙を見て、そこで待っていたのでしょう。

 ジグの後ろには、城壁とそこにはめ込まれた汚れた扉が一枚ありました。



「嬢ちゃん」


「ジグさん」


「なぜ俺が外に出れることを知っていたんだ」


 バイクから降りるシープに、ジグは訊ねました。ゴーグルを首にかけ、風で乱れた髪の毛をシープは手で梳きました。ジグに視線を向け、にこりと笑みを浮かべます。


「ゴミを保管している施設があるのに、地図にはゴミの廃棄場がありませんでした。だから、村の外にあるのだと。そして効率化を求めるのなら、すぐ出れる場所にあるのではないかと」


 シープは視線を、大きな穴ぼこへと向けました。ひしゃげたフライパンに割れた液晶ディスプレイ、大量の印刷物。一番手早く効率の良い捨て方は、分別せずに捨てること。穴ぼこはごみ溜めでした。

 そして、再び笑みを浮かべました。


「捨てるのですよね、白い花畑に」


 その言葉は、ジグの耳には届きませんでした。


「なるほどな……考えれば、わかることか」


 ため息を吐いたジグはおでこを搔きました。シープはさらににっこりと微笑みます。ジグがシープの考えを、“子どものくせに”と見下さなかったことが嬉しかったのです。

 それは置いておいて、シープは本題に入りました。


「ジグさん、持ってきてくださいましたか?」


「言われたやつはな、ほら、病院内の地図、砂糖と、指定された肥料だ」


「わぁ、ありがとうございます」


 シープは喜々としてそれらを受け取ります。瓶の側面に書かれた肥料の成分を見て、安心したように表情を緩めました。


「地図はわかるとして、なぜ砂糖? なぜ肥料なんだ……?」


「見ていればわかりますよ」


 砂糖と肥料を地面に置いたシープは、くるりと身体の向きを変えて地面を蹴りました。止まることなく、穴ぼこの中へ。ミルクティー色の髪の毛がふわふわと穴の中へ消えました。ジグは慌てたように、穴ぼこを覗き込みます。

 その時すでに、シープは大きな染みの付いたソファーからひびの入った戸棚に飛び移り、割れた額縁を踏んづけて穴の中を駆け回っていました。


「ゴミがたくさんあるから、登るのも楽そうですねぇ」


 シープは困惑するジグを気にすることもなく、でこぼこのお鍋を発見してご機嫌です。それからお鍋の中に破れたシーツや機械の部品などを放り込んでは、どこか楽し気でした。


 しばらくして、心配そうにシープを見守るジグに近づきました。


「ジグさん、これをそちらへ上げてください」


 シープはジグに、色んなものがごちゃごちゃと入ったお鍋を差し出しました。ぐぅんと一生懸命、背伸びをするシープからジグは唖然としながらもお鍋を受け取りました。


「ありがとうございます」


 お礼を言うと、シープは穴の縁から距離を取って走り出し、一本の脚がなくなった机を踏みつけて地上へ登りました。さすがはサーカス育ちです。見事な跳躍。

 そうしてジグからお鍋を受け取ると、シープはシーツや紙束を地面に置いてしまいます。


「ジグさん、量りを貸していただいてもいいですか?」












 シープは持ってきた鍋の中に砂糖と肥料を入れました。ふわりと粉は舞いますが、シープは口元に布を巻き、目にはゴーグルを着けているので、どうってことありません。

 手際よく固形燃料の上に金属板を十字に重ねたような形のデュアルヒートを乗せて、マッチで火を着けます。シープがよっこらせと重たげに、鍋をデュアルヒートの上に乗せると火の位置を調節しました。鍋の中には量りを使って、シープの頭の中の割合に沿って入れたお砂糖と白い粉が入っています。

 地面に膝を着き、端の欠けたスプーンでシープは鍋をゆっくりと混ぜ始めました。訳がわからないジグは、側に立ってただじっとその様子を見ています。

 青い固形燃料からは炎が揺らめいています。 


「嬢ちゃん、本当にそれだけで作れるのか」


「ええ、作れますよ」


「子供のくせに、すごいなぁ」


 シープはちろりと視線を動かして、ジグの表情を伺いました。ぽかんも口を開けた様子に、シープは口角を上げます。すぐに、鍋の中に視線を戻しました。

 お砂糖と白い粉は、しゃりしゃりと細かな音を立てて混ざっていきます。


「ああ、嬢ちゃんは旅人だからか」


 そう言ったジグに、シープは桃色の唇からくすりと小さな笑い声を一つ零しました。その唇の端からぷくりと血の玉が滲んでいます。ぺろりと舐めました。



「子どもだからと言って、大人より劣っているとは限りませんよ」



 シープは鍋を混ぜる手を止めません。しゃりしゃり、しゃりしゃり。



「私はこのようなことが記してある本を読み、覚えることが得意なだけです。私が旅人だからでは、ありません」



 しゃりしゃり、しゃりしゃり。



「人をまとめること、木の実を探すこと、料理をすること……子供の方が得意なことはたくさんあります。私よりも、そして大人よりも」




 しゃりしゃり、しゃりしゃり。




「強いて言えば、経験値の差と体格差くらいなのではないさょうか。大人と子どもの優劣は」




 しゃりしゃり、しゃりしゃり。




「子どもを“子ども”という言葉で括るのは、とっても難しいのです、よ」




 しゃり、しゃり、しゃり。ぼろり。

 今の今まで真っ白だったお砂糖と粉は混ぜられて、混ざり合って、茶色の塊がいくつもできあがります。それらはスプーンに触れられるとほろほろと崩れてしまいます。固まって崩れて、固まって崩れてをまだまだ繰り返します。

 ジグは黙って見ていました。何か言うこともなければ、何も出来ることがないので、ただ見ていることしかできないのです。


「ジグさん。もしお暇でしたら、そちらのシーツを破って繋いでロープを作っていただいてもよろしいでしょうか」


 シープはお鍋から目を離すことなく、言いました。

 ジグはシーツを手に取ると、地面の上にあぐらをかきます。び、び、とシーツを縦に長く裂いていきました。

 木々の隙間から漏れる光は少しずつ傾いてきています。シープの頰に落ちる睫毛の影もそれに伴い、暗い線を斜めに射していきました。


「ふむ、そろそろ良いですかね」


 お鍋の中のお砂糖と粉は、今やもう原型を失っていました。ピーナッツバターのようにどろどろとした不思議なものになっています。シープはお鍋を傾けると集めて置いた数枚の紙の上にぼとり、ぼとりと落としていきました。

 別の紙を裂いて縒り合わせた紙縒(こよ)りをぷすりと刺しました。これで乾燥すれば完成です。

 乾燥するまで、シープはお茶を飲むことにしました。

 小さな鍋を新たに火にかけると、ぽこぽことお湯を沸かせました。








 ベルトに引っかけたジグお手製のロープに、ポーチの中にぎゅうぎゅうと詰められたシープお手製のモノ。

 黒いフリルを揺らして、シープはジグの仕事場を通って村の中へ繋がる扉へ、足を踏み出しました。シープが村から出たときから、景観に変化はありません。ただ、お日様の位置と夕焼けに溶けた輪郭だけが異なるだけでした。 


「ジグさん、本当にありがとうございました」


 シープはぺこりと頭を下げました。


「おう、気を付けろよ。俺はモニターで見ているから」


「ええ、困ってたら助けてくださいね」


「……断る」


 ジグは腕を組んでそっぽを向いてしまいます。

 ふふ、と笑い声を残すとシープはお掃除ロボットの中へ身体を落としました。ジグが綺麗にしてくれたので、空き缶や、塵、そしてタバコの臭いは残っていません。


 


「嬢ちゃんは、」




 ふと、声がジグの口から漏れました。




「この村を壊すのか?」




 シープは花が咲くように笑って答えました。




「ただウルフを取り返すだけです」













 次に、シープがお掃除ロボットの蓋を開いたのは病院の前でした。いえ、病院を取り囲む塀の前でした。

 周りに人がいないことを確認して、シープは薄暗く狭い箱から外に出ました。足下をちらちらと駆け回る木漏れ日に、気付き、上を見上げると遥か頭上には葉っぱの天井がありました。ちらつく光にきゅうと目を細めます。お掃除ロボットにお礼をすると、かたことかたこと……と身体を揺らしてどこかへ去ってしまいました。

 ぽつりと佇むシープの前に広がる背の高い白い壁、後ろに広がる雑木林。なんとも不思議な場所でした。

 唇を細い人差し指で弄りながら、シープは呟きます。


「お掃除ロボットの搬入口から、入れたらよかったのですが……」


 病院内に入るお掃除ロボットは重量確認があるそうなので、そういうわけにはいかないのです。シープは一つ、ため息を吐きました。


「まぁ、問題ありません」 


 シープは腰に吊していた、ジグお手製のロープを外しました。ロープの片方には鉄の棒が結ばれています。鉤のような形だったらすぐに壁に引っ掻けて登ることができたのですが、ゴミ溜めの中からはどうにも見つけることはできませんでした。

 さて、どうするのでしょうか。



 すると、シープは結ばれていない方の端を手にしっかり巻き付けました。


「ふぅ……」


 手に巻き付けたロープをより一層きつく握り締めます。反対の手ではロープの端を緩く持ちました。シープの靴の先のすぐ近くにぷらりと鉄の塊が揺れます。


 シープが手首を使って、ロープを回しました。最初は重かったそれは、そのうちにぐぅんぐぅんと風を切って回り始めます。




「……ふ、んっ」




 シープが回す手を空に投げるように振ると、鉄の塊は手を離れて空へ。そして、重力に逆らうことなく、地面に戻ってこようとしていました。しかし、途中一本の枝にロープが被さると、次はぐるぐるぐるりと枝に巻きついてしまいました。


 シープはロープを自分の方へ引きます。あまりにもシープがぐいぐいと引くものですから中々ロープは外れることなく、さらに強く締まっていきます。


 そして、シープは息を吐きました。






 突然、砂が舞い上がるほどの勢いで地面を蹴り上げると、白い壁に向かって駆けたのです。








 諦めてしまったのでしょうか。


 気でも狂ってしまったのでしょうか。






 いいえ。








 瞬間、白い壁にぶつかったように思えました。しかし、ぶつかったのではありません。重力が傾いたかのように、シープは壁の側面を走っていました。ぐぅんと、回転に伴って生じる外向きの力───遠心力を使って、登ろうというのです。




 だ。




 だ。




 だ。




 凄まじい勢いで、シープは白い壁の上に着地。

 シープは無事に、壁の上に辿り着きました。

 ブーツの踵はすり減っています。




「はっぁ……、くはぁ……、はー……」




 肩を上下に動かして、シープは空気を肺に送ります。

 シープの柔らかな頰には赤色が射し、リンゴのようです。

 落ち着くと、額にぺたりと貼り付いた髪を掻き上げ、シープは自分の腕を見ました。そこにはシープの腕にはロープが巻きついています。ロープを辿って視線を移していくと、そのロープは枝にも巻きついていました。ロープはびんと張り、シープと枝を結んでいます。

 腕からロープを端から解いていくと、頰より真っ赤に染まった皮膚が露わになっていきました。

 シープの伏せた睫毛の影が瞳に落ちました。

 手のひらを握って開く、開いて握るを数度繰り返すと感覚のなかった腕にどくどくと熱い血の巡りを感じました。

 びゅう。風が走ります。シープの髪を、首もとを通って冷たい空気を当てました。

 白い壁の上から、真っ白い建物を眺めます。扉はありますがきっとあの扉には、防犯対策がされているでしょう。




 ここは用心深い“大人”の村ですから。




 ぷちりと唇を噛み切ると、血の味が舌に広がるのと共に施設内の地図が頭に浮かびました。

 ジョンはおそらく、228室にいるでしょう。臭いものには蓋をします。異物は一番奥へ隠すのですから。

 そして今から行う作業の手順をシープが脳内で組み立て始めました。その時でした。




「はあ~……、一服するか」

「いたいち裏口に回るの面倒臭いな」

「仕方ないだろ」




 白衣を着た二人の男がお喋りをしながら、やって来ました。成る程。ここは施設の裏庭で、あそこにぽつりと置いてある筒状の箱はどうやら灰皿のようです。シープは口角を上げました。


 男たちはタバコを吸いながら、塀の向こうの雑木林を見ることが日課なのでしょうか。灰皿まで辿り着くと、くるりと身体の向きを変えたのです。まるで予想していなかったシープは慌てましたが、それをぐぅと内に留めます。




「ん? 何で、子供、が」




 そう言った男の口元からタバコが、紫煙をくゆらしながら落ちていきます。ぽとりと力なく地面に落ちた、その瞬間。



 男の膝はシープの硬いブーツの底によって膝頭が割れてしまい、本来なら有り得ない方向に曲がっていました。


 自分の爪先が空に向かって伸びる様を見て、身体中に響く骨の打つ音を聞いて、そのまま地面に倒れてしまいました。

 流れるようにタバコを踏みにじったシープは、流れるように拳銃を腰から抜くと、くるりと回転させ銃身を握ります。    

 何も出来ぬまま立ち竦んでいた男の太ももに、無慈悲に振り落としました。







 シープは“痛み”を誰よりも知っています。

 どこを叩くと痛みが強いのか、どこを切ると麻痺をしてしまうのか、どこを傷つけると戦意を喪失するのか。

 よく知っていました。







 鈍く響く音と、太ももに熱く広がる激痛に男の口からは歪んだ声が漏れました。



「申し訳ないですが、やることがあるので……」



 シープは拳銃を再びホルスターに収めると、地面に転がる二人に謝りました。小柄な方の白衣をいそいそと脱がしていきます。

 脚が痺れて動けない男から白衣を脱がすことをとても難しいことでした。

 しかし、熱を帯びる脚を撫でながらシープが耳元でお願いをすると従ってくれたので、それほどの時間は要しませんでした。

 男たちは状況が読めないのでしょう。自分らより小さな少女を虚ろな瞳で眺めています。

 ふわりと髪を風に揺らし、白衣を身に纏ったシープは男たちに背を向けました。灰皿の中を覗くと、ひしゃげたタバコの吸い殻とどこかの村で見たような灰の山。



「幸運ですねぇ、これは」



 シープは腰に吊り下げたポーチからお手製の塊を一つとマッチの箱を一つ、取り出しました。歪なクッキーのようなそれには、間抜けな紙縒りがぴょこんと出ています。

 塊を灰皿の上にことりと小さな音を立てて置きました。マッチを擦って丸みを帯びた赤い先端に火を点します。シープの爪はつやりと光りました。


 ───じゅ


 マッチの火を、紙縒りに移します。

 紙縒りは次第に燃え尽き、黒い屑が落ちていきます。そして、小さな火は塊に辿り着きました。さらに二、三個取り出すと、紙縒りに火をつけていきます。

 全てに火がついたことを確認すると、シープは首にかけていたゴーグルを着けました。

 塊からは煙が上がりました。


「な、なんだそれは」


 男たちが、声をあげました。


「発煙筒……いや、筒ではないですね。ふぅむ、これは煙玉ですね」


 ぶつぶつと呟くシープの声は、二人には聞こえていません。

 もう一度訊ねようと思おうとも、それは叶いませんでした。なぜなら白い煙はみるみるうちに大きくなっていくのですから。

 身を退けて、二人は逃げようとしますが、どうにもこうにも脚が痛んで動くことができません。ただ背中を粟立たせるだけでした。

 ぶわり。白い煙が繭のようにシープにまとわりつき、輪郭がぼやけていきました。

 シープはゴーグルの奥の翠玉の瞳を三日月に歪めて、言いました。


「火を、つけたのです」


「は?」


「火をつけたので、この建物は燃えるでしょう」


 そう残すと、シープは白衣から男の身分証を探し当て、扉にかざしました。

 その姿は、男たちの目に映ることはありませんでした。









 白衣を翻し、白い廊下を走る、少女が一人。

 すぅ、と大きく息を吸い、ありったけの声で叫びました。


「火事です! 火事です! 裏庭で火災が発生いたしました! 速やかに外へ!」


 走るシープの手元に、お手製の煙玉はもうありません。すでに紙縒りに火を着けて、廊下の隅に置いてきたのです。

 白い煙は白い廊下に満ちていきます。

 シープの声に、白い煙に施設の大人たちはようやく気がつきました。

 駆け抜けていくシープに気を留めることもなく、大切な書類やらなにやらを抱えて裏庭から一番遠い出口───正面玄関へと出ていく大人がたくさんいます。

 消火器を抱えて裏庭へと向かう大人もいます。

 震えて座り込む大人もいます。

 慌てふためく大人たちを尻目に、シープは階段を上りました。

 煙はそんな時間も経たずに消えてしまいます。もうすでに薄れている頃かもしれません。

 そうしたら裏庭に倒れている二人も見つかってしまいます。

 すぐに大人が追ってくるのでしょう。

 だからシープは走ります。

 ウルフはどこにいるのか、シープは大体の予想をしていました。


 ジョンに会いに行く、そう考えていました。


 シープはすぐに228号室に辿り着きました。

 228号室は“救急患者入院室”であることを知っています。地図に書かれていたのですから、当然でした。

 勢いよく228号室の扉を開けて、中に入りました。

 

「ウル、フ」





 ただ、白い大きな部屋にはウルフはいません。

 ただ、白い大きな部屋にはベッドがぽつりと一つ。

 ただ、ベッドにはジョンが縛り付けられていました。

 ただ、ただ、ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつと昔のこと、今のこと、昔のこと、ピーターのこと、ベルのこと、お菓子のこと、ある日見た空のこと、料理のこと、楽しかったことを呟くジョンが在るだけでした。





「ジョン、なのですか」


 シープは恐る恐る訊ねました。

 ぎしり。ベッドが軋みます。

 びくり。身体が小さく跳ねました。

 なにも映していない、光の宿らない虚ろな瞳でジョンは天井を眺めています。



「きょう、は、いいてんきだね、ぇ! ピーター、ぴくにっくしよぉか」



 ジョンはけたけたと笑いながら言いました。


「ジョ、ン」


 シープの胸には、ふつふつと怒りのような熱いものが沸いてきました。

 それと同時に、疑問も湧き出てきます。


 ジョンがこうなってしまったのは誰のせいか。

 悠久の日々の思いでか。

 なにか。なにか、別のものか。

 ジョンを変えたのはなにか。

 なにか、なんだ、なんでしょうか。どうしてでしょうか。



「大人」



 シープの脳裏には、黒いシルクハットやウサギの仮面、栗色の巻き毛に、たくさんの人形(ドール)がぐるぐると浮かんで、光って、弾けました。

 踵を返すと、白い空虚な部屋から出ていきます。

 瞳は深緑に煌めき、桃色の唇をぎりりと噛みました。



「これは大人の、せい」



 ミルクティー色の髪の毛は、風にふわりと揺れました。



「壊さ、なくては」









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