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大人になるために


 土埃を上げて砂利道を走るバイクに、三人の身体はがたごと揺すられます。香る花の匂いに、白い花畑が近づいていることに気付かせました。

 きらきらとした表情で辺りを見回しているジョンの視界には、白い花がぽつぽつと地面に咲いているのが見えました。


「花畑だ!」


 弾む声音でジョンが言います。

 シープはウルフの背中に押し当てていた頰をずらして、前を見ました。ミルクティー色の髪がふわふわとなびきます。

 白い花畑は雪原のように眩しく、思わず目を細めてしまう程でした。


「もう少し、進んでから休憩しようかー」


「そうですね」


 バイクの車輪は無情なほどに白い花をぶちぶちと散らし、地面を抉ります。それこそ花びら雪のように、ひらひらと白い花は舞いました。

 ジョンは遠くの方に連なる山々や、青い空を飛翔する鳥を楽しげに眺めています。ピーターたちのいる森からどんどんと遠ざかって行くことにさえも、ジョンは気付いていませんでした。ただただ行く先だけを見つめています。

 花を巻き上げて、バイクに揺られます。黒いバイクに乗るのにも大変体力を使うようで、ウルフとシープは汗ばんできました。太陽も三人の頭上で輝きます。


「そろそろ休もうかー」


 ウルフはそう言うと、ブレーキに手をかけます。徐々にスピードは落ちていきました。サイドカーがあって安定しているので、今回はきちんと止まることができました。

 シープがひょいと花畑に降り立ちます。白い花とは対照的な黒いフリルがふわりと揺れました。続いて、ジョン、ウルフが降りました。



 シープはサイドカーに詰めてあった荷物から、調理器具を取り出しました。


「……さすがです。さすが形から入る典型的な人ですね」


 サーカス団の愉快な司会者のことを思い出しながらシープは言いました。


「ウルフ、花に火がつかないようにその辺りだけ花を退かせてください」


 ウルフが小さなシャベルで花々を一掃します。ジョンが少しだけ悲しそうな顔をしましたが、ウルフは気にしません。シープは折りたたみ式固形燃料用ストーブと、缶入り固形燃料を置きました。固形燃料用ストーブの下に固形燃料を設置します。


「金属板を持ち運ぶより格段に楽ですね、これは」


 どこか嬉しそうにシープは小鍋など他の調理器具を出していきます。その脇でジョンも瞳をきらきらさせながら、調理器具に触れました。一人退屈そうなウルフは、ジョンがサイドカーで抱き締めてきた鳥籠を覗きました。鳩が逃げないように、もらっていた餌を与えます。手袋をぽいと外して、餌をつまみ上げます。鳩は餌に夢中になってしまったので、ウルフはころりと寝っ転がってしまいました。



「シープさん、食事を作るのを手伝ってもいいかな」


「あら、……構いませんが、今からの昼食はピーターさんから頂いたサンドイッチですよ。これはお茶を作るだけです」


「そっか、美味しいバターを持ってきたのに」


「バターですか?」


「うん、そうさ。村に着くまでも新鮮なバターを食べたくて持ってきた」


 頷いたジョンが鞄から出したのは、金属の容器です。表面に水の粒が浮かび上がり、ぽつぽつと落ちてはジョンの荷物をしっとりと濡らしています。二重構造になっていてまだ冷えているこのバターは、明日の朝にはきっとどろどろととろけてしまうでしょう。シープが唖然として、その様子を見ていました。


「わわ、氷が溶けてきてる」


 寝転んでいたウルフが目蓋をぱかりと持ち上げると、ジョンを見ました。その顔は冗談を言ってある様ではありません。


「ねぇ、ジョンさん。そのバターはたぶん明日の朝には使えなくなってしまうんじゃないかな」


「えっ」


「天気もいいですし、ぽかぽかしてますから、溶けますね」


「えっ、あっ、それはそうだね」


 ジョンは恥ずかしそうに淡い茶色の髪を搔くと、銀色の容器に目を落としました。なんと言っても初めてピーターの元を離れて、新しい世界に出て行くのです。ジョンでも、うっかりすることはあるのです。

 そこでジョンは、銀のスプーンでその容器の中のバターを混ぜ始めました。

 シープとウルフはびっくりです。


「ジョンさん? そんなことをするとバターが早く溶けてしまうよ」


「明日朝には溶けるといっても、まだ使えるのですよ」


 さらにジョンは小瓶の中身を、銀の容器に落としてぐるぐると混ぜました。ジョンはどこか不安そうに自分を見る、シープとウルフに向かって笑いかけました。


「夜までお楽しみに」


「……我慢します」


 ジョンが何かをしている間に、お湯にはぼこぼこと泡が浮かび上がります。慌ててシープは火を止めて、ティーパックを三つ程浸しました。ふんわりと香ばしい紅茶の匂いが漂い始めます。寝そべるウルフの背中をテーブル代わりに、サンドイッチの入った紙袋を置きました。お湯が綺麗な紅色になっていることを確かめるとティーパックをすくい上げます。器に三等分すると角砂糖の入った容器をウルフの背中にそっと乗せました。紅茶は熱々なので、置きません。

 シープがウルフの横に座りました。


「それでは昼ご飯にしましょうか」


 ジョンがシープの向かいに座ります。


「準備してくれてありがとう、シープさん」


「ねぇ、シープ。おれは? ずっとテーブルになってればいいの? ねぇ」


 草花の匂いをすぐ近くで嗅ぎながら、ウルフは言いました。ウルフは身体を揺らさないように、健気に 頑張ります。シープが紙袋に手を突っ込んで、包みを取り出します。ジョンにも渡します。シープは包みをそっと開きました。大きい口でぱくりと齧り付きます。揚げたハムカツは甘辛いソースが染みこみ、噛み締めるとじゅわりと美味しさが舌の上に広がります。新鮮なレタスはハムカツの脂っこさを丁度良いものにしました。あっという間に、シープの手からサンドイッチが消えていきます。

 漂うお肉の匂いにウルフは顔をしかめました。しかし地面に頰を押しつけているので、誰からも見えません。


「食べないならウルフのハムカツいただきますね」


 シープはウルフの分の包みを開くと、ひょいとハムカツをつまみ上げて食べてしまいました。


「あーーーっ、酷いよシープ」


 ウルフはぱっと立ち上がると、紙袋と角砂糖の容器が滑り落ちます。シープはそれを見事に受け止めると、ウルフに紙袋を渡しました。ハムカツのなくなったハムカツサンドの包みが残っています。


「もーーっ」


 そう言ってウルフは二人に背を向けて、レタスサンドをもりもりと口に押し込みました。栗鼠のように頰を膨らませたウルフは、冷めてしまった紅茶で口の中のものを流し込みます。まったりと器の淵に唇をつけて紅茶を飲むシープに、ウルフは言いました。


「少し休んだら出発だからね!」


 ウルフはごろりと横になると、腕を枕にしてすやすやと眠ってしまいました。 

 ジョンが、ふぅと一息ついたシープに訊ねました。


「ハムカツよかったの?」


「いいのです」


 角砂糖を一つ落として、シープは再び、器に唇をつけました。




 さてウルフの目がぱちりと覚めたところで休憩はお終いです。ウルフはまだ重たげな目蓋を擦って、身体をぐぅと伸ばしました。手の甲にまた噛み傷が残っていました。寝てる間に噛んでしまったのでしょう。ウルフは隠すように手袋を嵌めました。

 見渡すと片づけは済んでいて、あとはバイクに乗って出発するだけです。

 ウルフはバイクに跨がり、シープはウルフの後ろに。ジョンはサイドカーに乗り込みました。


「さぁ、夜まで走るよ」


「了解です」


 ドルン。エンジン音が鳴ります。ウルフがスタンドを蹴り外すと、バイクは再び白い花々を散らして進み始めました。

 辺りは雪が積もったかのように真っ白が広がっています。果てしないそれは、どこまで続いているのでしょう。ジョンは眩しそうに目を細めると、笑みを浮かべました。新しい世界に、飛び出ていくことで早鐘のように鳴っていた心はバイクの振動で、ジョンの中から消えてしまいました。

 ただ残っているのは光り輝く希望です。

しばらく走っていると青い空と遠くに蒼く滲む山々の境界線が次第にはっきりしてきました。

 太陽は傾き、空気も少し冷えてきます。冷たい空気にも澄んだ夜の香りが満ちてきます。

 一面に広がってきたの白い花畑も終わりが迫ってきました。花畑の端々に木々がぽつりぽつりと生えているのが見えます。

 この夜、花畑で過ごしたら明日の昼には村に着くでしょう。


「あの木の下で、夜を過ごそう」


「そうしましょう」


 ウルフが指した先には、花畑の真ん中で寂しそうに立つ一本の木でした。ウルフはもうへとへとです。バイクを止めて、二人が降りるや否や、花を押し潰して寝転びました。


「ご飯、携帯食料だけでいい」


 ウルフにとって普通の食事は疲れを癒すものではありません。栄養満点の携帯食料を腹に収めるだけで、今日はもう精一杯なほど疲れていました。


「お疲れ様でした、ウルフ」


 そんなウルフの傍らに膝を着いたシープは、指先をぶちりと噛み千切ります。痺れるような痛みが広がりますが、それも一瞬のことです。塞がる前にウルフの唇の端に赤い液体を押し付けました。

 琥珀色の瞳が、翠玉色の瞳を窺います。それから赤い舌でシープの血をちろりと舐めとります。染みる甘さにウルフはにこりと笑います。


「あと少し、がんばるよ」


「その意気です」


 寝そべるウルフに外套を羽織らせると、シープはジョンの方へ向かいました。固形燃料についた火は煌々と燃え、鍋を覗き込むジョンの顔を橙色に染め上げます。ジョンはシープに言われて、缶詰のトマトと挽き肉でスープを作っている最中でした。あとはここにマカロニを入れれば完成です。

 ウルフはお行儀悪く寝そべりながら、ごりごりと携帯食料を囓ります。時折紅茶を飲むために身体を起こすだけでした。

 シープとジョンは熱いスープをもぐもぐと食べ始めます。ジョンはウルフの食べるものを見て、それからスープを見ると不思議そうな表情を浮かべました。


「ふぅ、ごちそーさま。疲れたから先に眠るね」


 ウルフは一足先に、食べ終わると鳥籠を自分のすぐ隣に置きました。鳩はぐっすり眠っています。そして外套に身を包み直し、寝る体勢に入っているウルフに、器を慌てて置いたジョンが話しかけます。


「ウルフくん、これは食べないかい?」


 ジョンが差し出したものを見てから、ウルフはジョンの表情を窺います。ため息をごくりと飲み込んで、それを手に取ると頬張り、咀嚼し、器に残っていた紅茶で流し込みました。失礼にならない程度の笑みを浮かべて、ウルフは言いました。


「“甘くて美味しい”。ありがと」


 そう残すと、ウルフは幹に頭をことりと預けて目を閉じました。余程疲れていたのでしょう、すぐに眠りへ落ちました。

 手の中の籠を見てジョンはなんだか寂しげです。


「ジョンさん、私がいただいてもいいですか」


 食べ終わった器を、お湯で濯いでいたシープが訊ねます。


「うん……。もちろんだよ、たくさんあるから」


 シープは手を伸ばして、それを取りました。香る甘い匂いにシープは微笑みました。

 白いバターが、二枚のクッキーに挟まれたものです。


「これは?」


「バターサンドだよ。バターが大量に余っちゃったとき、ピーターが提案してくれたんだ」


「初めて食べます」


 しっとりとバターの水分を吸ったクッキーは、そぅっと持たないと潰してしまいそうです。口に入れるとほろりと崩れるクッキーと、柔らかなバター。


「ん……、これは山ブドウですか」


 バターには砂糖漬けされた山葡萄とグミの実が、含まれていました。噛み締めるとじゅわりと甘酸っぱさが舌の上に広がっていきます。バターの優しい甘さに隠れた、仄かに香るアルコールの刺激に、シープは頰を緩ませました。

 あっという間に、シープは一つのバターサンドを平らげてしまいます。


「ピーターは、もっともっと良くなるように考えてくれて、山ブドウの砂糖漬けを混ぜることにしたんだ」


「そうなのですか。さすがピーターさんですね」


 二つ目を頬張るシープが言いました。ジョンは何かを思いだしたのか、くすくすと笑います。


「ピーターは最初、バターはなんでも合うからって言って干し肉を入れたんだ! クッキーの間に!」


「それは……美味しかったですか?」


「ううん、美味しくなくてね、笑っちゃった。ピーターとベルと、皆で食べ比べてね」


「ピーターさんが……、なんだか意外ですね」


 シープの目に映るピーターは、自分と同じくらいなのにどこが大人っぽく、大勢の子どもたちを統括するしっかり者です。シープがそう口にすると、ジョンは首を横に振りました。


「普段のピーターはもっとふざけるし、馬鹿なこともたくさんするよ。君たちの前では、すっごく猫被ってたってベルと話してたんだ」


「ふふ。あら、そうなのですね」 


 楽しげに、ピーターのことを語るジョンにつられてシープもくすくすと笑ってしまいます。どんな人も、見る角度によって違う見え方をするのです。ふと、シープは訊ねました。


「ジョンさんは、ピーターさんの身体が成長しないことについてどう思ってますか?」


「ん? そうだなぁ、ピーターはピーターだから」


 考えたことないや。空色の瞳を細めて、照れたようにジョンは笑いました。

 そうして再びピーターとの思い出を、ジョンは楽しそうに話します。どんどん固形燃料はどろどろと溶けていきます。紅茶も次第に冷めていきます。

 冷めた紅茶を飲み干したジョンは言いました。


「そろそろ眠りましょうか、シープさん。長々と話してすまない」


「構いませんよ。とても素敵な思い出ですね」


「ああ、大人になって辛くなったときでも、僕にはこの思い出があるから大丈夫なんだ」


 使った器を残ったぬるま湯で濯ぎながら、ジョンはそう笑うのです。

 空に広がる夜には、星がちかちかと瞬いています。片付けを終えると、夜風で風邪を引かないようにシープとジョンははそれぞれの外套を身体に巻き付けました。シープはウルフの隣にころりと寝転ぶと、すぅと眠ってしまいます。

 ジョンはサイドカーに乗り込んで、目蓋を閉じました。ピーターたちと眠った温かな寝床を思い出すと、ほんの少し寒くなりました。

 








 昼を過ぎた頃に、三人は村に到着しました。そびえ立つ灰色の城壁には、蔓がへばりついています。

 入村審査を行う部屋には、いつかの仮装生活の村で見たような電子演算機を指先で叩く男の人がいました。その向かいの長机にシープとウルフ、ジョンの席がありました。それぞれの前に置かれているティーカップの中身は、ほとんどありません。

 三人はすでに写真を撮られ、身体の特徴を調べられました。村外からなにか病気を持ってきていないか調べるための血液検査もしました。細い針の先端にウルフはごくりと唾を飲み込みます。ウルフは注射器が苦手でした。

 そして、血液に関してなにか咎められるのではないかと、シープとウルフの心臓は早鐘のように鳴りましたが、特に何も言われなかったのでほっと一息つきました。


「ふむ、ジョアンヌ系統の男性と、旅人のお二人さん。特に異常はありませんね」


 あとは鳩、と電子演算機に文字を入れていきます。入村許可証をシープとウルフに手渡しました。鳥籠に入った鳩も、ウルフの腕の中に収まります。

 そしてお茶のおかわりも、シープとウルフのティーカップに注ぎました。

 どこか冷たく貼り付いたような、にこやかな笑みに、シープとウルフも微笑を返します。


「どうぞ。旅人さんたちはこの村を観光したいそうですね。係の者を呼びますのでしばらくお待ちください」


「僕はどうすればいいんですか」


 空っぽのティーカップを前に、ジョンが聞きました。審査官は電子演算機をかたかたと叩くと、ジョンをちらりと見ました。


「……えーと、育成したのは003……あのガキか」


 小さく呟いたのを、ウルフは聞き逃しませんでした。しかし、何も言うことはありませんでした。

 そして審査官は椅子から立ち上がると、ジョンに笑顔を向けるのです。








「さて、ジョアンヌ系統003。君は今から“大人”になっていただきます」





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