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ある子どもの村 V




 チクタク。時計の音。

 誰も何も喋ることがない、この空間で時計の音だけが響いていました。

 ふわふわの羊のクッションと狼のクッション。

 シープとウルフはそれぞれを、むぎゅうと抱き締めました。

 神妙な面持ちで、ピーターが二人を見つめています。その榛色の瞳を見返しながら、シープが口を開きました。


「突然、どういうことでしょうか」


 次いで、ウルフも口を開きます。


「おれたち、何かしたの?」


 ピーターは慌てて二人に向けて手を振ります。


「違う、違うんだ」


「では、どういうことでしょう」


 砂を噛むように口を動かしたピーターは、ごくりと唾を飲み込みます。視線が壁や天井、あちこちに向いてぶつかっては床にぽとりと落ちていきました。


「ジョンが、明日の朝ここを出て隣の村へ行く。それについていって欲しい。そして、そこから手紙を送って欲しい」


 旅の路銀になるものを払う、と言いピーターは頭を下げました。柔らかな髪が、風を孕んで揺れました。

 シープはじぃとピーターを見つめます。唇を細い指で、触れると頷きました。


「……それは、用心棒ということですね。しかし手紙を送るとは、どういうことでしょうか」


「真実を知りたいんだ」


「どういうことですか」


 ピーターは、ふっとどこか自嘲気味に笑いました。


「隣の村で、僕を覚えている子どもがいない。大人になった彼らはきれいさっぱり、忘れているんだ」


「そんなに綺麗さっぱりここでのことを忘れることは出来るのでしょうか」


 シープはサーカス団に買われる前のこと、買われた後のことを思い出し、ぶるりと身を震わせます。そう言われたウルフも同様に、サーカス団に拾われる前のこと、拾われた後のことを思い出し、ごくりと唾を飲みました。

 ただ、ピーターだけが首をことんと傾げました。


「さあ、僕は大人になったことはない……なることがないからわからない」


 シープは、眉間に皺を寄せました。つんと尖らせた唇が可愛らしいです。


「そうですか。ふぅむ……記憶が綺麗さっぱり消える? 興味深いですね」


「ここの伝書鳩を使って手紙を出してほしい。君らが発つときに渡すから、引き受けてくれるかい」


 そう言うピーターにシープは、考え込んでしまいます。何が起こっているのか知りたい、という気持ちがシープの頭を埋め尽くします。シープはウルフと相談しようと顔を寄せました。

 しかし、なんだか頭の中の曇り空は晴れることがないウルフは言いました。


「先走りすぎじゃないか、シープ。疑問を追求したい気持ちはわかるけれど、おれたちが何かあったときお互いを投げ出してジョンを助けられる?」


 今まで、シープとウルフは互いを守るためにしか旅をしてきませんでした。一人、守らなければならない対象を増やしていいのでしょうか。はっと気づいたシープは、迂闊であった自分を恥じました。

 ウルフは噓を吐くことが得意です。それ故に、ピーターの胸の内に潜む何かに感づきました。

 ピーターの榛色の瞳の奥に隠れる何かを引き出そうとウルフが、訊ねます。


「なんで……あんなに他の子どもたちと仲良しで楽しそうだったのに、ジョンは出て行くの? 他の子どもは出ていったの?」


 いつも通りの笑みを貼り付けたピーターは答えました。


「赤ん坊を、見ただろう?」


「うん。あの、ジョンにそっくりな赤ん坊でしょ」


「そう。ここの子どもたちはね、なんでか自分にそっくりな赤ん坊を拾うと、ここを出て行きたくなるんだ」


 もう何人も出て行ってしまった。そう寂しそうに言いました。


「でも、そっくりな赤ん坊なんてそうそういないのではないですか」


 訊ねるシープの瞳を、ピーターは覗きこみながら嬉しそうに笑みを作りました。悪戯っ子のような、どこか愛らしい笑みでした。


「いるのさ。何故なら、ここに捨てられる赤ん坊はここにいる子どもたちと血の繋がりがあるからね」


 僕だけが知っている事実さ。驚きで目をまん丸く見開くシープとウルフを置いてきぼりにしてピーターは続けます。


「大人は効率を求める。隣の村は、有能な血筋は有能な血筋でまとめているの。生まれた子どもは確かに有能だよ、ここでの作業の手際をみているとわかる」


 でも、とピーターはさらに続けます。ピーターの堰を切ったように吐き出すような言葉に、シープとウルフはごぼごぼと溺れそうでした。


「非効率な存在の子どもは、不必要なの。すぐに有能な大人が欲しい。だから赤ん坊は花畑に捨てる。捨てると僕が拾う。それからここにいる同じ血筋の子どもを送る。同じ血筋だとなんとなくわかるのだろうね、嫌がる子どもは誰もいないの」


 ピーターは愛おしくて懐かしい遠いあの日を見ていました。榛色の瞳は、潤んで光りを乱反射しています。しかし、雫がこぼれることはありませんでした。代わりに、艶々の唇を前歯できりと噛むと、自嘲を含んだ笑みを浮かべます。




「送られた子どもは大人になって、子どもの頃の記憶をさっぱり忘れて、また赤ん坊を花畑に捨てていく。……連鎖だよ。負の連鎖だ」




 そして大きな大きなため息を、吐き出すのです。

 つと壁に視線を向けた後、ピーターは手を膝の上で組みました。シープとウルフもつられて、壁に目を向けます。ウルフはすぐに、理解することができませんでしたがシープはあることに気が付きました。

 シープが気が付いたことに、ピーターも気付いてたようです。ふわりと微笑みました。

 再び、シープは壁をじっくりと見渡しました。

 緑色の壁紙を埋め尽くすのは、不思議な紋様です。いえ、紋様ではありませんでした。長い間、この部屋で壁に黒炭で刻み込むように書かれているのはここに住む子どもたちの名前。名前。名前。シープがざっと数えたところ、五十種類ほどありました。

 そして、そのひとりひとりの名前の下に、いくつかの線が書き込まれているのです。画線法で、何かの数を数えているのでしょう。


「これは、どういうことですか」


「子どもたちの、名前さ」


 シープは、大きく息を飲み込んでゆっくり吐き出しました。




「ジョンは、……何人目のジョンですか」




「僕が来てから数えると、三人目だよ」


 その言葉にウルフは琥珀色の瞳を煌めかせて訊ねました。


「それって、クローンってこと?」


 くすくすと笑ったピーターは、静かに首を横に振りました。


「ううん、そう言うことじゃないんだ。正確に言うと、昔々にここを出て行ったジョンが息子や娘を花畑に捨てているってこと。僕は白い花畑に捨てられた子どもが誰の赤ん坊なのか調べて、同じ名前をつけるんだ」


「女の子にも男の子の名前をつけるの?」


 立ち上がったピーターは、壁に手を沿わせました。ひとつの名前を指で指して、言います。


「ベルロロ、通称ベル」


 指を隣の名前の上に置きます。


「ジョアンヌ、通称ジョン」


 指を隣の名前の上に置きます。


「タイガーリリー、通称リリー」


 他にも、男の子でも女の子でも違和感のない名前がピーターの口からこぼれていきます。

 名前を呼ぶたびに緩む表情に、ピーターがどれ程彼らを愛してやまないか、シープとウルフに伝わっていきました。


「僕はこうして、隣の村に去って行ったかつての彼らがわかるように同じ名前をつけ続けた。子どもに戻れとは言わないけれど、ふと思い出して遊びに来てくれるといいなぁ、って……でも返ってくるのはお金だけ」


 ピーターは、「ごめんね」とシープに謝りました。ピーターはたった一つだけ、シープに噓をついていたからです。


「本当は、ここを出た子たちに食料をもらってるわけじゃないんだ。隣の村に、大人になりつつある子どもを向こうに送る対価として定期的にお金と共に貰っているんだ」


 ねぇ。ウルフがピーターの丸い頰に大きな手を添えました。うつむく顔を無理に上げさせます。

 ウルフの満月のような瞳に無力な子どもの顔が映っています。ピーターが映っています。


「そんなに辛いなら、子ども拾うのもお金を貰うのもやめればいいじゃん。ピーター、君は幸せそうな顔をしていないよ」


 ウルフは言います。

 シープの手が、ウルフを止めようと延びてきましたが宙を掴むとそのまま自分の膝に落ちました。ミルクティー色の髪がゆるりと揺れます。


「幸せになるためには、どんな手段でも、だからね」



「確かに……僕は子どもたちが、彼らが大人に変わり果てていくのは怖くて怖くて仕方がない」



 ふるふると、唇を戦慄かせてピーターは話し出しました。ウルフはピーターの瞳を真っ直ぐに見つめています。逸らすことはありません。



「子どもたちは自分が生きるために精一杯作業をこなしてるけど大人は村のために村のためだけに頑張ってる。楽しみも、夢も、全くないみたいなんだ」



「うん」



「不思議だね。その中で働くと疲れとか忙しさの中に子どもの記憶は埋もれていく。忘れていく。ふと思い出して、漠然とした楽しさだけを思って、戻ることをしないで嘆いている。それでもっともっと月日が経つと、ここにいたことを忘れ去って、また非効率的な赤ん坊を花畑に置いていく。それが僕は、とてもとても悲しいんだ」



「うん」


 ウルフは、ピーターの瞳の奥深くにもうここにはいない子どもたちの影を見ました。蜻蛉のようにすぐに消えて、代わりにぽとりと雫がこぼれ落ちました。





「……でも、でもね、僕は子どもたちを見捨てる方がもっと苦しい。お金を貰わないと子どもたちを育てられないから苦しい……苦しいよ。───だから僕は真実を知りたい」





「……うん、そっか」


 ウルフはピーターの涙を手袋を嵌めた手で拭いました。ピーターの喉の奥からこぼれ落ちた強いを思いを、感じました。

 頰から手を離すと、シープの方に顔を向けます。シープはウルフの視線に気が付くと微笑を浮かべて、小さく頷くました。ウルフは目を細めて、にこりと笑います。


「よーじんぼーになるよ。おれたちがジョンを安全に送る。それから、手紙も」


 ピーターの表情は、花が咲いたように明るく輝きました。


「……ありがとう! 二人とも、本当にありがとう」 


 ぴょんと軽やかに立ち上がったピーターは、小さな戸棚をからりと開けて手を突っ込みました。ずしりと重そうな布袋を取り出すと、ぱたぱたと足音を立てて戻り、二人の前に座ります。

  シープとウルフが微笑むとピーターは安心したのでしょう。大きな欠伸をしました。

 五十年の時を生きてきても、ピーターはえいえんの子どもなのです。ずっと抱え込んでいた、たくさんの思いを吐き出した彼には休息が必要でした。

 それからずっしりと重い布袋を抱えたシープとウルフは、前の晩に眠ったヌイグルミの山ではない寝床に案内されました。壁にも天井にも澄んだ青空の広がるこの部屋には、バイクに積まれていた荷物が置いてありました。しかし、この荷物はラビットのものです。シープとウルフの大きな荷物は、どこかの茂みに置いてきぼりです。ただ、シープとウルフのウエストポーチに入っていたガラス玉や金貨、身に着けていた拳銃やナイフは残っていました。これにピーターからの報酬を足せば、十分旅を続けることはできるでしょう。

 ラビットの荷物を広げてみると、以前の荷物の中よりはるかに性能の良い、旅にぴったりな道具が揃っていました。


「これは、いいですね」


「うん。あとはバイクに乗せるだけ……乗るかな」


「まあ、明日になったら考えましょう。まずは睡眠です」


 シープとウルフは、眠る準備を済ませると用意されていた大きな大きなクマのヌイグルミの腕の中に、ふわふわの毛布を身体に巻き付けて潜り込みました。たくさんのヌイグルミが積まれた寝床も心地良かったですが、こちらももこもことしていて気持ちがいいです。

 たくさん体を動かして、夜遅くまで起きていた二人はすぐに夢の中へ堕ちました。小窓から、細い三日月が二人の眠る様子を深い闇から覗いています。






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