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ある子どもの村 lV





 

 

 夕闇が青い空の端っこに滲んできています。

 どこからか軽快な音楽が、ころころと流れて、辺りに広がっていきました。

 煌めく夜空の下に広がる白い花畑。白い花畑に囲まれた森の中。鬱蒼と茂る森の奥。廃れた寂れたカラフルな建物。

 どうやらそこから、音楽が流れているようです。

 ぴゅう、と。寂れた建物に似合わない暖かい風が吹きました。

 いつかのいつかの遠い昔のサーカス団のポスターを、風がさらって白い花畑にぽとりと落とします。白い花たちが意思を持ったかのように(うごめ)き、やがてポスターはどこかへ紛れてしまいました。














 

 ──さぁ。





 ──さぁ!





 ──今夜はお集まりいただきありがとうございます





 ──今宵は儚い、夢のひとときを!







 ギギ、ギィ……。軋む音と共に、微かに埃が舞う赤色のカーテンが開きました。

 子どもたちの鈴の音のような歓声。しかし、すぐに止みました。

 なぜなら、舞台は真っ暗。

 静寂が、湖の水面にぽつりと落とされた雫の波紋のように広がります。

 その中で、ただただ明るい音楽が流れています。

 ようやく波紋がなくなった水面に、薔薇色の香水を一滴落としたかのように異質で、しかし胸を弾ませるようです。




 ぽぅ、と白い光が一筋の月明かりのように舞台へ射し込みました。

 光の下にいるのは、真っ白なフリルの塊、ひとつ。

 もこりと動いたフリルの塊に、子どもたちは小さな悲鳴をあげました。

 しかし、すぐにそれが白い不思議な物体ではないことに気付きます。白い花の蕾が綻ぶように、フリルはひらひらりと揺れて音楽に合わせて踊り始めました。

 白い花は、風で舞い上がるように踊ります。

 白いフリルで作られた衣装に身を包んだシープは踊ります。

 トントットンと靴先で地面を打ち、跳ねるように舞台の脇まで行きました。

 そして、くるりと踵を返し、反対の舞台袖まで駆けていたシープは、いつの間にか飛行台の上へ。

 子どもたちの目は、一拍遅れてシープに追いつきます。湧き上がる歓声の中、シープは梯子に手をかけ、さらに上へと向かいました。そうして、子どもたちの上空へ歩いてきます。天井近くに張り巡らされたロープの上を歩いてきます。

 ピーターたちの目に映るのは、シープのお尻、ではなくパニエだけです。

 そこでまた、シープはくるりと爪先で華麗に回りました。スカートが夢のようにまぁるく広がると、そこからひらりふわりひらひらと白い花が、降り注ぎます。



「魔法みたぁい」



 子どもたちの目は、花に奪われました。

 気付いたときにはもう、シープの姿はありませんでした。

 残るは手のひらの、儚い花びらのみ。





 ───そろそろ、この夢のような一時に終止符を打たなければなりません




 ───どこかの村のある物語の、えいえんの少年のように空を飛ぶ二人を、とくとご覧あれ








 暗転。

 子どもたちは暗闇に包まれました。

 子どもたちは静寂に包まれました。



 突然、パパッと眩しい光が舞台を満たしました。

 各舞台袖にある飛行台の上に、あるサーカスを彷彿させる白い衣装を身に纏ったシープとウルフが立っています。





 ──キィ。


 ウルフが足を引っかけてぶら下がったブランコが、軋みました。

 空中ブランコはウルフを連れていくように、空気を裂いてシープの元へ。

 空気が震え、床の、手のひらの花弁が震えます。空気が揺れ動き、花の香りが漂います。

 シープは、そんなウルフに誘われるかのように、一歩二歩と飛行台の先端まで歩いていき、遂には台の下へ落ちていきます。

 どの子どもたちもピーターでさえも、ひゅうと息を飲みました。

 無事にシープを掴んだウルフを、見て、歓声が湧き上がります。

 ウルフのいた飛行台にキィと戻る空中ブランコ。

 空気を孕んで膨らむスカートは、まるで花の蕾のようです。

 白い花が落ちては風に舞い上がり、くるくると踊る。そんな風景を、子どもたちはピーターは見ました。






 しかし、その夢もそろそろ終わりを告げるのです。

 軽快な音楽は、次第に小さくなって闇の中に溶けました。

 手を繋いだシープとウルフは、舞台の中央に降り立ちます。 

 二人は繋いだ手を上げ、子ども達に深々とお辞儀をしました。そして、顔上げ口元に笑みを浮かべると、子ども達に繋いでいないほうの手を振りました。






 ──これにて、ショーは終了致します。




 ──今宵限りの夢を、貴方たちの胸の中でえいえんに!








 





「やぁー、お二人さん、お疲れさまぁ」


 ピーターの山ブドウのジュースの入ったコップを二つ持ってきました。ショーが終わったシープとウルフは、小さな部屋に二人っきりでした。小さな椅子に腰かけた二人の服装はいつも通りのものです。

 脱ぎ捨てたフリルが部屋の一角に、頭を垂れていた花がぽそりと落ちたかのように積もっていました。


「やぁ、ピーター」


「はい」


 山ブドウのジュースを二人は受け取りました。


「ありがとうございます」「ありがとう」


 紫色の液体をこくりと飲み込んだウルフが訊ねます。


「ベルさんとか、他の子は?」


「食事の準備をしているよ」


 ピーターはシープとウルフの向かいに立ちました。そして、二人にぺこりと頭を下げました。


「無理を言って、すまなかった」


 シープとウルフは慌ててピーターの顔を上げさせました。二人に向けられた榛色の瞳は、きゅうと細められて、口もとは孤を描いています。どこか寂しげな、しかし明るい笑みでした。胸の辺りを抑えて、砂糖菓子を噛み締めるように


「素晴らしいショーだったよ。五十年生きてきたけれど、こんなにも胸が弾んだのは久しぶりさ」


 言いました。シープがちらりとウルフに目をやると、ぽっかりと大きなお口を開けてピーターを見ています。頭からつま先までじっくり、隅々と。最後にピーターの顔に視線を合わせます。ウルフの視界には、ピーターの弧を描いた唇が映りました。


「えっ?」


「ウルフ……、知らなかったのですか」


「あれぇ? 結構わかりやすく言ったのになぁ」


 頭の中の記憶の引き出しをやたらめったらにひっくり返したウルフが、何かを思い出したのでしょう。大きな手のひらを口もとに当てました。


「あっ、お風呂……! 白い花の話?」


「そう、正解」


 ピーターは榛色の瞳を揺らして、にっこり微笑みます。シープは、やれやれというようにため息を一つ吐きました。

 自分の顎を指でなぞりながら、ウルフはピーターに視線を戻しました。無遠慮に琥珀色の瞳を光らせて、眺めます。


「うぅん。やっぱり、五十歳には見えないや」


「僕もどうして、こんなことになったかわからないけれど、好きなんだぁ。今の僕」


「ふぅん。そっか、ならいいね」


 うむ、とウルフは頷きます。

 すると、ピーターはウルフの顔を覗き込んで、にこり。シープの顔を覗きこんで、にこり。笑顔を向けました。

 


「君らも、好きになれるといいねぇ」




 シープとウルフは少しの間、何のことだかわかりませんでした。しかし、互いに顔を見合わせると、すぐに笑顔のピーターの方へ戻します。


「はい」「うん」


 笑みを、返しました。花が綻んだ、ようでした。

 ぱちり。ピーターが手を一つ叩きます。


「食事の準備が整っている、行こうか」


 シープとウルフは、ピーターについていきました。他の子どもたちはすでに食堂に集まっているようです。静かな廊下に、こつんこつんと三人の靴の音が響きます。

 途中、半分開いた扉の奥に黒く光る塊を見つけました。


「あれは……?」


「君たちのバイクさ。あれも年上の子らが、下の子を先導して直したんだ」


 そう言うと、扉をパタリと閉じてしまいました。人差し指を口もとに沿えます。


「このことは秘密でお願いするよ。君らが発つ日にお披露目したいのさ」


「すごいですね」


「そうかい? 初めにも話したけれど、ここでは洗濯も食事も、屋根の修理も、洋服を仕立てるのも、食事の材料の調達も僕らで役割分担して行っているのさ」


「ふむ。本当に素晴らしいです」


 ピーターは、くすりと笑います。


「そうかなぁ。昔むかしから、こういう仕組みだったから、よくわからないな」


「おれには真似できないよ」


「君らもできる。好きなことを、追求していってこそだから、さ」


 ぴかぴかの廊下に次第に子どもたちの鈴の音のような甲高い声音が聞こえてきました。食堂の扉を開くと、すでに席に着いている子どもたちが一斉に、三人のほうを向きました。熱の冷めない視線が、シープとウルフに注がれます。


「おねーさん、妖精さんなのでしょ!」

「おにーさん、どうしてあんなに力持ちなの?」

「すごかったよ、前の子たちは絶対こんなの見たことないよ」


 小さな可愛らしいお口をぱかぱかと開いては、口々に言いました。シープとウルフは、声をかけてくれる子どもたちににこにこと笑みを返していきました。子どもたちにとってシープとウルフは、大きな存在になったでしょう。ことり。小さな音を立てて、心を動かしたのでしょう。

 シープとウルフ、そしてピーターは席に着くと食事が始まりました。ウルフは丁寧に断り、サラダだけをいただきます。シープはお肉にフォークを刺して口に含みました。ぶつ切りにした鶏のお肉を、果物と甘辛いタレと一緒に付け込み、じゅうじゅうと焼いたものです。噛みしめると、じゅわっと汁が口中にあふれて、頬っぺたが落ちそうでした。

 ふと、シープとピーターはパンを取っていなかったことに気がつきます。

 近くに座っていたジョンがパンを取りに行ってくれました。シープとウルフのパンを渡し終えるのを見たピーターがお皿を差し出します。


「……」 


 しかし、ピーターのお皿の上にパンが乗ることはありません。

 

「どうかしたのかい?」


 青い瞳を伏せたまま、ジョンは中々パンを渡しませんでした。口もとをもごもごと動かして、何か言いたいことがあるようです。そんなジョンを見て、ピーターは優しく微笑みました。


「あとで、時計の下へおいで」


 そう一言残すと、無理矢理ジョンの手渡すパンをもふもふと頬張っていきました。ジョンは小さく頷くと、自分の席へと戻りました。少し冷めてしまった甘辛い鶏の肉を、口の中へかき込みました。


 しばらくして、食事を終えた子どもたちがシープとウルフの周りに集まってきました。本来ならば眠る時間です。しかし、澄んだ瞳をきらきらと輝かせて話しかけます。まるで、親鳥から餌を求める雛のように、


「どうして空を飛べるの?」

「魔法使いなの?」

「わかった!妖精さんなのでしょ!」

「いいなぁ、ぼくも飛びたいよぉ」

「どうやったら魔法使えるの?」


 二人から答えを求めています。

 シープは、そんな子どもたちに優しく(たお)やかに微笑みかけました。


「あら、私にとってはあなたたちの方がすごいと思いますよ」


 子どもたちは細い首を、ことりと横に倒してシープを見ます。


「なぁぜ?」


 リリーがシープの腕にむぎゅうと抱きつきながら、訊ねます。シープは、リリーのおさげを撫でながら問いに答えます。


「こんなに美味しい料理をたくさん作れる人、汚れだお洋服を綺麗にできる人、お洋服を仕立てられる人、植物に詳しい人……それぞれが自分のできることを全力で行っているから、ですよ」


 一人の男の子が、言います。


「でも、おにーちゃんおねーちゃんがいてくれないと、できないよぉ。それに、みぃんなで助け合わないとできないよ」


「そう、その助け合いが出来ない人も、たっくさんいるのですから。あなたたちは、とても、すごいです」


 一人の女の子が、言います。


「助け合っても、空は飛べないよ」


「私たちだって、飛べませんよ。ただ、あなたたちよりほんの少し力持ちのウルフと、あなたたちよりほんの少し身軽な私が助け合って、ブランコを漕いでいるだけなのです」


 子どもたちはうぅんと首を傾げています。納得できないようです。シープがウルフの方を向くと、一連の話を聞いていたウルフが和やかに笑いかけていました。くすりと小さく、シープは笑いました。


「いずれ、わかりますよ。えいえんと言わなくても、あなたたちがこれからもずぅっと助け合って生きていくならば」


 シープは、リリーの赤らんだ丸い頰を人差し指でぷにっと突きました。リリーは、眉を寄せて、不服そうにシープに視線を投げかけます。他の子どもたちを見ると、その中でも年齢の高い子らはシープに教えてくれました。


「じゃあ無理だよぉ、そんなの」


 次はシープが訊ねる番です。


「どうしてです?」


「だって、次の“自分”が来たら出て行くから」


「……“自分のような”子ですか?」


「ううん。“自分”だよぉ」


「……自分は、一人だけだと思うのですが」


 中々理解してくれないシープにどうしたら伝わるのが、子どもたちがそれぞれ頭を抱えました。あっ、と閃いたのはシープの腕にぴったりくっついて離れないリリーでした。


「ジョンにぃちゃん! おねいちゃん、ジョンにぃちゃんに、そぉっくりな赤ちゃん覚えてる?」


「え、はい。もちろんです」


「あーいう風にね、自分とそっくりの子が来ると、その人たちね、ここから出て行っちゃうの。ずっとここにいたいって言った人も出て行っちゃうの」


「そう……なのですか」


「うん……、寂しいの」


 でもね。そこでリリーの言葉は遮られました。


「こぉら! 早く寝なさい!」


 赤ん坊を寝かしつけたベルが、食堂に戻ってきたのです。シープとウルフが周りを見渡すと、うとうとと眠気眼の子、ふわふわと欠伸をする子、ぐずぐずと眠さのあまり機嫌が悪い子などがいました。


「早く寝る準備しない子は、くまさんアタックだよ!」

 

 ぽすん。リリーの頭に水色のくまのヌイグルミが当たり、音もなく地面に横たわりました。リリーの視線は水色のくまからベルの顔を巡ります。ベルが口をぱくぱくと動かすと、リリーの顔から色がなくなりました。

 ぱっとシープの腕を離すと、大きな声で言いました。


「おねーちゃん、おにーちゃん、おやすみなさい!」


「リリーちゃん?」


「早く寝ないとくまさんになっちゃう!」


 リリーのその一言により、子どもたちの目は醒めました。きゃあきゃあと甲高い声を上げて、食堂から出て行きます。ぱたぱたとした軽い足音は、次第に小さくなっていきました。


「ごめんね。シープちゃん、ウルフくん、お話してたのに。そろそろ準備させないと、時間なくなっちゃうからさ」


 くまのぬいぐるみをまだ残っている子どもにぽすぽすと投げながら、ベルは言いました。


「そうそう。ピーターが二人を呼んでいたよ。そこの扉を右に曲がって真っ直ぐ、突き当たりを左に曲がったところに大きな時計があるから、それを二回叩いてくれる?」


 どうしても出て行こうとしない五歳程の男の子を担ぐと、ベルは食堂から出て行きました。暴れる子どもの頬っぺたをむにぃとつまみ、ぱたりと扉を閉めました。


「行こうか、シープ」


「行きましょうか、ウルフ」














 大きな時計を、二回叩きました。

 ギィと。時計は外側に向かって開きます。


「どうぞ。入って」


 ピーターが、二人を招き入れました。中に入ると奇妙な紋様の壁が広がっています。


「どうかしたのですか」


 ピーターは大きなくまのぬいぐるみに身を預けて、座っていました。緑色の大きなくまのぬいぐるみは、まるでピーターを抱き締めているかのようです。


「とりあえず、座って話を聞いてくれないかい」


 シープは羊のクッションに、ウルフは狼のクッションにそれぞれ身体を置きました。ふわふわしてて、くまのぬいぐるみの寝床のように、心地良いです。


「ここは、“ある時”が訪れないと子どもは入れない」


 ピーターが言いました。


「頼みが、ある」


 大きく息を吸い込み、吐きました。

 榛色の瞳の中で輝く光が、ピーターの心の内を表すかのようにちらりゆらりと揺らめきます。












「明日になったら、ここを出て行ってくれないかい」





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