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花の雲の中で






 くすくすと、笑うラビットが上着の内側から一枚の紙を取り出しました。シープとウルフに見えるようにかざします。


「じゃーん。偵察に行ったら、ねぇ。これ見たとき驚いちゃったぁ」


 シープとウルフの視界に映ったのは、写真でした。愛想のない顔をしたシープとウルフの後ろでは、薄い桃色の花が咲き綻んでいる写真です。いつかの村で撮られたものでしょう。貼り出されたその中から、ラビットは見つけてきたのです。

 二人の口から、声にもならない音がぽとりと落ちます。


「ほんとぉっに、甘っ々だねぇ、シープ」


 ぴらぴらと写真を揺らしながら、ラビットはシープの頭を小突きます。ぐぃとミルクティー色の柔らかな髪を、乱暴に引っ張りました。


「痛い、です……」


「うん、だからぁ?ねぇねぇ、この脳みそってなにが入っているのかなぁ」


 自分の犯した、取り返しのない失敗に、シープは肩を震わせました。霞が(まと)わりつくように真っ白になった頭は、どうも使いようになりません。 

 いつもならば流れるように紡げる言葉の代わりに長い睫毛の先に、雫が溜まり、ころりと頰を伝いました。

 その姿を見て、ラビットは再び笑います。


「泣いているのかい?あぁ、可哀想にねぇ」


 錆び付いた機械人形のようにぎこちない動きでウルフは、はらはらと涙を溢すシープを自分の後ろに寄せました。

 逃げろ、逃げろ、逃げろ。ウルフの頭の中で、荒波のように繰り返し繰り返し、響いて鳴り止むことはありません。

 今ここで、シープを抱いて逃げることは出来ます。ラビットを殴り飛ばして、倒すことも出来ます。普段のウルフならば。

 しかし、身体が動きません。染みついた恐怖の鎖が何重にも巻かれているので、身体が心についていかないのでした。


「あはっ。なに庇ってんのさ。シープを美味しそぉに喰らっているくせにさぁ」


 ウルフの袖をシープが、震える指で掴みました。ラビットはその様子を見て、さらに笑みを深めました。さらさらと赤い髪が、揺れます。

 シープとウルフに伸びた手のひらは、優しく頭を撫でました。サーカス団で成功したときに、やってくれたときと同じ温もりです。

 心の鎖がよりいっそう締め付けられていることに気づかぬまま、シープとウルフの身体はふわりと緩んでいきました。

 そしてラビットは、二人にとろけるような甘やかな声音で語りかけます。

 

「さぁ、愚かでおぞましく可愛いお前たち。いいこだから、サーカス団に帰ろうね」


 白い手袋をはめた手のひらをシープとウルフに差し伸べました。安堵の笑みを浮かべたシープとウルフはその手を、握りました。


「いいこ、いいこ」


 満足そうに笑ったラビットが二人の手を握り、バイクへと歩み寄りました。バイクはエンジン音を唸らせてそこに在ります。重い足取りでよたよたと、しかし確実にシープとウルフはバイクへと、サーカス団への帰路へと向かっていました。

 ふと、シープが立ち止まりました。

 小さく首を横に振ります。合わせてミルクティー色の髪も、揺れました。


「い、嫌です……サーカ、ス団には戻りたくな、ないです」


 シープが呟くように言いました。ラビットは笑顔の仮面をはめたまま、シープの腕を引っ張りました。よろめきますが、シープは動きません。


「嫌です……、嫌です」


 シープは続けます。ラビットはウルフを掴む手を放すと、高く振り上げてシープの頰を打ちました。乾いた音とともにシープの手はラビットから離れ、地面に半身を擦りつけました。


「お前みたいな化物を買ったのはだぁれ?」


 ぐるりと首を回し、ウルフへ視線を向けます。ウルフは身をすくませます。


「お前みたいな怪物を拾ったのはだぁれ?」


 シープを叩いた手のひらを胸に当て、ラビットは言いました。赤い髪がうねり、いつかの血のようにぬらぬらと太陽の光を反射します。


「食べ物を与え、服を与え、お前たちに見世物としての商品しての“価値”を与えた」


 ラビットは続けます。


「お前らの持ち主はお前らでも団長でもない、ボクだよ」


 細い目蓋の奥深くから覗く、藍色の瞳でシープを蛇のように睨みつけます。気丈にも翠玉色の瞳でラビットを睨み返しました。瞳に涙を湛え、こちらを見上げるシープを見たラビットは面白そうに、くっくと(わら)います。


「いーいことを思いついちゃったぁ」


 手を放していても側を離れなかったウルフの髪を掴み座り込むシープの前へ乱暴に立たせました。琥珀色の瞳と、翠玉色の瞳が互いに互いを映しました。

 ラビットは、ウルフの首元に指を這わせます。耳元で、ぽとりと囁きました。


「シープの首を咬み千切れ、ウルフ」 


 シープは心臓さえあれば、何度でも再生します。

 ラビットはシープの何度も再生する身体を持ち帰ることができれば、それで満足なのでした。

 そしてサーカス団でシープの頭が再生したら、こちらを睨む深淵のような瞳も、口答えするようなら口も縫いつけてしまえば良いと考えていたのです。


「や、だ」


 ウルフは微かに首を横に振ります。

 ラビットはウルフの手を包む手袋を、そぅっと外しました。身体を強張らせるウルフにラビットは、優しい言葉を聞かせます。


「シープを喰らったら、お前を(ゆる)してあげる。何不自由ない生活をさせてあげる、食べ物も、景色も、全て」


 ウルフは闇色の髪をさら、と揺らして一歩足を踏み出しました。


「ごめん、シープ」


 ウルフは、消え入るような声で呟きました。

 シープは目を大きく見開いて、ウルフを見ています。

 倒れ込むように、(いだ)くように、ウルフはシープに覆い被りました。


「ぁ」


 ブツリ。お肉を引き裂く音が、響きます。

 シープの首元から、鮮血が飛沫となってぱたぱたと地面に落ちました。濃厚な血の香りが、ぶわりと三人を取り囲みます。

 真っ赤に染まり行く二人を、いつかの夜のサーカス団での二人に重ね合わせながら、ラビットは嬉しそうに笑いました。




「また甘い世界に堕ちておいで」










 そのうちがくがくと糸の切れた操り人形のように不格好で惨めな動きをしながら、シープは立ち上がりました。

 死んでも可笑しくないほど首元からぼちゃぼちゃと血を流しています。しかし再生を繰り返すシープの身体は、治る度に一つ痙攣していきました。


「なんだい。命乞いかい?」


 ラビットは至極嬉しそうな表情で訊ねました。今にも崩れ落ちそうな体勢で小さく足を運ぶシープに、腕を広げて向かえようとしました。

 瞬間、スコ、と間の抜けた音をラビットは自分のお腹の辺りから聞きました。


「これは?」


 お腹から生えるナイフと、じわりと滲む血を認識し、遅れてやってきた痛みにラビットは顔をしかめました。

 血塗れのシープはスローイングナイフを投げた姿勢で立っていました。口元には微笑が浮かんでいます。 

 シープの手には、本来ならばラビットの上着の内ポケットらにまとめていたスローイングナイフがありました。


「ラビットさぁん、甘いですねぇ」


 ラビットは唇を歪ませます。


「いつのまに」


 シープは目を細めて、くすりと笑いました。


「これも、貴方から教わったことですよ」


 スコ、と再び間の抜けた音が続きました。ラビットの肩に、もう一本生えました。ラビットは腰にぶら下がるホルスターに手を伸ばします。

 流れるような手つきで構えました。


「あぁもう。本当っにお前が嫌い」


 安全装置をカチリと上げ、シープに狙いを定めます。躊躇うことなく、引き金を引きました。

 しかし、ハンマーの下がった音だけが無情に響くだけでした。ラビットは手元に視線を向けました。

 シープが自分の空の拳銃と入れ換えていました。

 そして、ラビットが顔を上げた時には、ウルフが風と共に目の前にいるのです。琥珀色の瞳を煌めかせ、犬歯を剥き出しにして笑っています。


「ウル」


 爪が閃き、ラビットの頰を引き裂きました。

 勢い良く地面に倒れたラビットの腹に、ウルフは手を突っ込みました。ウルフの鋭い爪が、ラビットの衣服を、皮膚を、内臓を貫き、地面に到達しました。ごぷりと口の端っこから血液があふれます。

 そんなラビットを見て、ぎこちない笑顔を浮かべたウルフは呟きました。


「ちゃあんと……殺さないと、」


 捻るように手を抜くと、いくつかの肉片がくっついて、光りました。

 そして、それ以上息も絶え絶えであるラビットに意識を向けることなく、ウルフは駆けました。ラビットのバイクに跨がります。 


「シープ!」


 ドルン、とギアを回します。シープが血の粒を撒き散らしながらラビットの側を駆けていきました。

 ラビットは腹を、溢れる臓器を押さえながら、二人を睨みつけます。

 その眼差しが、シープとウルフにしっかりと恐怖を植え付けます。

 しかしシープとウルフは、サーカス団での見世物としての姿と同じように、深々と礼をしました。


「さようなら」


 土煙を上げて、バイクは出発しました。








「あーあ、失敗しちゃったぁ」


 ごぽごぽと、自らの血液に溺れるような声音です。

 ラビットは、ずるりと芋虫同様に身体を這わせて血だまりの中へ身体を落としました。

 どちゃり。草の上に転がる血の玉や、土に染みこんだ血はまだほんのり温かく思えました。

 血だまりの中で、シープのつくった血だまりの中で、意識を手放しました。

 意識が離れ行く前に、ラビットはぽつりと呟きました。


「やっぱり欲しいなぁ」




















  シープはトランクの上に腰かけ、ウルフに掴まっていました。ウルフは前方を、地平線を見ながらシープの温もりを感じていました。

 強い風のせいなのか、纏わりつく恐怖のせいなのか、なぜなのかシープとウルフはわかりません。

 ただ、二人の瞳からはぽろぽろぽろぽろと涙が溢れては、風に流され、宙で煌めきました。

 

「あははっ」


 ウルフが笑いました。シープもつられて笑います。しかし涙は止まりません。

 次第に地面の草原には真っ白な花々が増え、雲の上を走っているかのような感覚に見舞われました。

 そしてウルフはバイクを止めました。バランスが崩れ、白い花々に埋もれるように倒れてしまいました。シープとウルフは咄嗟に花の雲の中へ飛び込みます。

 寝転んだまま、二人は手を繋ぎます。白い花の上で、赤黒く固まった血の衣服を纏う二人は、異質な存在のようでした。まるで白い羊の群れに雑ざる、黒い羊です。


「シープ」


「なんでしょう」


 ウルフはシープへ視線を向けます。シープは目蓋を閉じて、たおやかに微笑んでいました。


「喰べようとして、ごめん」


「いいですよ」


「抱き締めてくれて、ありがとう」


「いいですよ、いいですよ」


 シープはゆっくりと目蓋を開けました。


「貴方は、気づいてくれましたから」


「うん」


「まだ、怖いですか」


「少し」


「そうですか」


「まだ、怖い?」


「少しです」


「そうか」


 くすくすとシープとウルフは(さえず)りのような笑い声を上げました。そして、互いの顔を見てさらに笑います。


「シープの顔、化物みたいだよ」


「ウルフこそ怪物みたいですよ」


 シープもウルフが流した涙は、頰の血を落として白い線を作り、紋様のようでした。

 ふと、シープとウルフは赤色を思いました。

 赤髪の揺れる、ラビットは、どうなったのでしょうか。

 シープもウルフもまだ、人を殺すことに恐怖を抱いていました。

 自分たちに“価値”を与えた、彼を殺すことに恐怖を抱いていました。

 ウルフは、ラビットにとどめを刺したつもりです。しかし、死んだのかどうかは確認していません。こんな二人は、まだ甘いのでしょうか。

 心のどこかで、ラビットの赤が、サーカスの赤が身体中に染みついた血のように乾いて固まって拭えません。


「ねぇシープ」


「なんでしょう」


「眠いねぇ」


「眠いですねぇ」




 空を映す二人の瞳は、とろりとろりと微睡んでいきます。次第に目蓋が閉じ、翠玉色と琥珀色を覆います。

 ふわふわと揺れる白い花の芳香が優しく、柔らかく二人を包んでいきます。

 シープとウルフは、花の雲の中で眠りにつきました。






























 シープとウルフは、目を覚ましました。カラフルな天井に、響く子どもたちの声。サーカス団を彷彿とさせました。
















「ねぇねぇ!君たちも大人に捨てられたの?」

 



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