甘ったるい二人
シープとウルフは、草原を歩いていました。草の上には馬車で何度も往復したのでしょう。二本の細い道が地平線の向こうまで伸びていました。
肩に食い込む重い鞄と、降り注ぐ太陽の光にシープとウルフの疲労は、じくじくと溜まっていきます。
「シープぅ、森に行こうよぉ」
ウルフが、道から逸れる場所に広がる森を物欲しそうに眺めました。
「道を、外れるから、だめです」
シープが言いました。しかし二人とももう限界に達しそうでした。はぁ、と大きなため息を吐くと空を仰ぎます。雲一つない青空でした。
「休憩」
「しましょうか」
互いに顔を見合わせたシープとウルフは、荷物をどさどさと芝の上に投げ置きます。身が軽くなった二人は、青々とした芝に飛び込むように寝転がりました。
「ふう」「はあ」
二人は靴を脱ぎました。汗ばんだ足の裏を涼しい風が撫でました。
ウルフは空まで腕を伸ばして、人差し指をぴんと立てます。
「太陽があのくらいに傾くまで、休もう」
「では先に寝ますね。頃合いを見計らって起こしてください。おやすみなさい」
「えっ、ずるい」
ウルフが横を向いたときには、くぅとシープは眠っていました。ご丁寧に、拳銃を握った右手はお腹の上に置いてありました。
「早いよ~」
ウルフは身体を起こして座ると、小さな鍋やら固形燃料やらを取り出して先に食事をすることにしました。今日のお昼ご飯はお湯で戻した乾麺に缶詰のミートソースをかけるものでしたが、ウルフはお肉を食べると吐き気がするので、お湯で戻した乾麺だけをすすることにしました。嫌悪を隠さずにもりもりと咀嚼して飲み込みました。
食後に、ティーバッグで淹れた紅茶をのんびりと飲みながらシープを起こしました。
「ふわぁ、おはようございます」
手の甲で目元を擦りながら、シープは大きな欠伸をします。
身体を起こしたシープの、ミルクティー色のふわふわの髪には草がたくさん絡まっていました。シープはそれらを払います。
拳銃を腰のホルスターに戻して、シープは鍋の前に座りました。
「おやすみ~」
「おやすみなさい」
ウルフが眠そうに、芝の上にころんと転がります。ご丁寧に、手袋を外して、鋭い爪の生えた手をお腹に置いていました。
シープは手のひらでぽんぽんとウルフの頭を撫でると、鍋に向き合いました。乾麺をお湯で戻して、缶詰のミートソースをかけました。美味しそうに、食べました。
食後に、角砂糖を二ついれた紅茶をのんびりと飲みながらウルフを起こしました。
「ふわぁ、おはよう」
身体を伸ばしてウルフが言いました。手の甲で目元を擦ったあと、手袋をはめました。
「さて、行きましょうか」
「行こうか」
きちんと片付けをして、靴を履いて、シープとウルフは歩き出しました。
しばらく歩くと、何かが見えてきました。ウルフが目を凝らして、じぃと見つめます。
「馬車が倒れてる。人が四人。人だったものが三つ」
「盗賊ですかね。避けられそうですか」
「無理。ここの草原は見晴らしが良すぎる」
「森を通るのはどうでしょう」
「だめ。一人こっちに気づいた」
「武器はわかりますか」
「わからない。でも馬車が倒れてるなら」
「銃はありそうですね」
「銃声は聞こえなかったけど」
「まぁ、行きましょうか」
「見逃してくれないかなぁ」
二人は大きな大きなため息を吐きました。シープは腰のホルスターから銃を取り出して、弾を確認します。ウルフは手袋から手を抜きました。
「はぁ、乗り物が欲しいです」
「同感。まぁ、行こうよ」
ウルフとシープは普段通り手をつなぎながら、てくてくと歩いて行きました。ただ、それぞれの武器はいつでも出せるようにしておきます。
倒れた馬車の手前で、立ち止まりました。盗賊たちの顔の作りがわかる位置です。二人はよっこらしょと荷物を置きました。
髭面の男が盗賊の頭でしょうか。肥った男に若い男、禿げ頭の男が、髭面の男の周りに集まります。
シープが訊ねます。
「おじさーん、ここ通ってもいいですかー?」
盗賊たちは互いに顔を見合わせて、地面に転がっている二人の男性と少女を見ました。従者らしき死体を除いて、地面に転がっている血塗れの男と特に外傷の見当たらない少女は、質の高そうな衣服を身に纏っています。この男と少女は親子なのでしょうか。
そして、盗賊たちはシープとウルフを眺めます。か弱い少年少女を頭から爪先まで舐めるように見つめます。そして面白そうに口元を歪めました。
「お嬢ちゃんたち通ってもいいぞ、と言いたいところだが、今まさに商品になる娘が、死んじゃってなぁ!おじちゃんたちお金がねぇんだ。だから」
盗賊たちは、脅すようにそれぞれの武器を覗かせました。ボウガンを持っている肥った男を除いて残りの三人は、刀をすらりと抜き出しました。赤い液体がこびりついているものも見えます。人が一人入りそうな大きな袋も落ちていました。
「痛いことしないから、おじちゃんたちについてきてくれないか」
盗賊だと思っていましたがどうやら人攫いだったようです。
人攫いの男たちは、仲間内でげらげらと下品に笑い始めました。微かに笑みを湛えるシープとウルフに気づくことは、ありません。
それは、一瞬の出来事でした。
三つの発砲音が響きます。
直後、地面に刀が落ちると同時に人攫いの手の甲からは血が溢れました。
「ぎゃ」
気づいた頃には、肥った男の腹にはボウガンの矢が深々と刺さり、赤い血液とぶよぶよした黄色い脂肪が草原の緑に撒き散らされました。
素早く懐に入ったウルフが肥った男のボウガンの向きを変えて、引き金を引いたのです。
再び肥った男が鳴きました。ウルフの爪によってアキレス腱をぶちりと切られたのです。
ウルフがシープに視線を送ります。シープは一つ頷きました。
「なんだぁ!てめぇらは!」
「名乗るほどの者ではないです」
シープとウルフは、それぞれナイフを手にしました。アキレス腱をぶちりぶちりと切断していきましす。ぎぇ、ぐぅ、ぎゃあ、と蛙が潰れるような悲鳴が聞こえますが、お構いなしでした。どす黒い血が草原に染みこんでいきます。鉄のような匂いが漂いました。
二人はナイフの血を払うと視線を交わします。
「これで動けないね」
「殺すことなくできましたね」
満足気に頷いて、シープとウルフはナイフを仕舞いました。シープが麻紐を取り出して、人攫いの両手首に巻き付け、順に動きを封じていきます。
血の香りに、ウルフのお腹が鳴きました。
「食べてもいーい?」
「はい、どうぞ」
動くことの出来ない人攫いたちは、三つの死体に無邪気に駆け寄るウルフをただ見ていました。
シープは笑みを浮かべながら、見守ります。
「えー、どれにしようかな。従者さんは頭が吹き飛んでるし男はお腹から血がドバドバ出てるしなぁ。女の子にしよーっと」
シープの不満気な視線に気づくことなく、口内に涎を溜めながら、ウルフは少女の死体を見ました。少女の死体には特に外傷もなく、馬車が倒れたと同時に頭を強く打ったと思われます。
ウルフは、少女の手のひらを握り、すぅと宙に持ち上げました。くるりと捻ります。
不自然な捻れを見せる少女の華奢な肩に、ウルフは足を乗せては、踏み場を確かめました。土埃で上質な衣服は汚れます。
ウルフは狙いを定めます。勢いとともに垂直に降ろされた足は、少女の肩の骨を難なく砕いてしまいました。
鋭い爪で少女の肩を切り離していきます。
ぶつん、と音を立てて腕と肩に空間ができました。
にこっと笑ったウルフは、草の上にぺたりと座ります。
「いただきまーす」
ウルフは大きな口を開けて、白い腕にかぶりつきました。尖った牙が白い皮膚を破り、埋まっていきます。
咀嚼音を立てながら、ウルフは目を細めて、それはそれは美味しそうに喰べました。
人攫いの男らはその様子を、唖然として眺めていました。
口の端から真っ赤な雫を、とろとろと流して微笑む少年を見ていました。
「うん、美味しいかな」
白い腕に歯を立て、ぶつぶつと千切り、咀嚼するウルフの姿を見て、人攫いの男らは次は自分らではないのかと震え上がり、恐怖に心臓を早鐘のように鳴らすのです。
ウルフが琥珀色の瞳を、人攫いらに向けました。
「大丈夫。おれ、生きてる人は食べたくないから」
血に汚れた口を三日月のように歪ませて、笑いました。最後のお肉の欠片をもぐもぐと味わいます。
「ごちそーさまでした。あぁ、でも」
指に付着した血液をぺろりと舌ですくいます。
「そこの肥ってる人は死にそう。どうしよう、殺したらだめなのに」
そこでウルフの食事を、どこかつまらなそうにじぃと見ていたシープが、ふと気づいたように頷きました。ウルフは側に落ちていた布を濡らして手を拭いたり、さっさと後片付けをしています。
「あぁ、殺してはいけませんね。では仕方ないですね」
“殺してはいけません”。これはシープとウルフの間の約束であり、決まり事でした。シープとウルフはこれまでもそれを忠実に守り、直接手を下すことはありませんでした。
今回も、約束事を守るためでした。このまま虫の息の男が死んでしまったら、約束事を守ったことになりません。
シープは肥った男の前に立ちました。
布で拭ったナイフを、手首にあてました。
冷たい刀身が、ひやりとシープの背筋を粟立たせます。
シープは自分の血液で、男の腹の傷を塞ごうとしたのです。矢が貫いたまま、です。
大きく息を吐いて、すぅと吸いました。
シープの肌に、ぷつりと血の玉が浮かんだときでした。
何発もの銃声が響き、肥った男は身体を跳ねさせました。
額から、肩から、腹から噴水のように黒々とした血が、吹き出しました。
「え、」
シープは思わず膝から崩れ落ちました。どうしたの?とウルフが隣に駆け寄りました。
すぐ近くで二輪車の地面を揺らす音が、聞こえます。
音のする方に、シープとウルフは視線を向けました。
バイクに乗っていたのは男でした。
靡く結った赤髪に、糸のように細い目、常に三日月のように歪んだ唇。
シープとウルフの瞳は恐怖で見開かれました。喉が干からびたように渇いて、声が出ません。
互いを守るように、互いの手を握り締めました。
バイクから、男がひらりと降ります。
どこか楽しげにくすりと笑います。
「ね~、知ってる?こういうゴミは、ちゃあんと殺さないとダメだよぉ」
右手には黒々と光る拳銃が握り締められています。残りの弾を撃ちました。鉛玉は的確に地面に転がる人攫いたち三人の頭を貫いて、脳みそを地面にびたびたとぶちまけました。
「はーぁ、きったないなぁ」
ホルスターに拳銃を仕舞う男を、シープとウルフは凝視しています。
喉が干からびたように渇いて、二人は声を発することはできませんでした。ぽつりと冷たい汗が、草の上に落ちるだけでした。
男が赤髪を揺らして、シープとウルフの方を向きました。
シープとウルフはさらに互いの手をきつく握り締めて渇いた声を、漏らします。
震える唇から男の名を、零します。
──ラビット
「怪物と化物の分際で、気軽にボクの名前を呼ばないでくれるかなぁ」
ラビットは、──サーカスの陽気なウサギの司会者は、笑いました。
ラビットは、バイクに体重を預けて、微動だにしない、顔を蒼白く染めたシープとウルフを眺めます。
一歩。ラビットは踏み出しました。
びくり。シープとウルフの身体が跳ねました。
陸に打ち上げられた魚のように、肺を動かす二人を面白そうに、見ています。
一歩。もう一つ踏み出しました。
シープとウルフは、ラビットの視線に絡まったようにもう動きません。
結った赤髪を炎のようにちろちろと揺らして、二人に近づいたラビットは、白い手袋に収めた手のひらでシープの顎を、ウルフの顎を掴み上げます。
翠玉色の瞳と、琥珀色の瞳を覗き込み、にたりと笑いました。
「あっはは!甘いねぇ、お前ら。ボクから逃げられると思ったぁ?」




