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あるガラスの村





 リィン。リィン。靴が地面を踏みしめる度に、靴音が鳴ります。

 シープとウルフは楽しそうに、きゃらきゃらと笑い声を上げながら、靴の踵を地面に打ちつけます。

 赤、青、黄、緑がきらきらと光ります。二人の靴が降ろされる度、地面にこびりついたガラスが、リィンリィンと、鳴りました。


「綺麗だねぇ、シープ」


「綺麗ですねぇ、ウルフ」










 シープとウルフは、雲の合間から射し込む光に、ちかちかと虹色に輝く村に来ていました。

 虹色に輝くモノは全て、ガラスです。

 広い道にも、家々の壁にも、屋根にも、星の数ほどあるガラスが埋め込まれていました。透き通るガラスによって太陽の光は歪められ、乱反射し、地面や壁に映る光はゆるゆると揺らめいています。まるで、水の中を歩いているようでした。

 この村は、大きなガラス工房のあった村です。

 それはそれは繊細で美しく大きなガラスの作品を、他の村にはできない秘密の技術で作っていました。それは旅人にも絶対に教えることは、ありませんでした。

 しかし、この村ではもう、大きなガラス工房はありません。個人経営の工房が作るガラス細工の小物が、商人の手によって周りの村に出回り、高値で取引されているだけでした。






「申し訳ないのですが、この村では一日しか滞在を許しておりません。一晩眠ったら出て行ってもらわなくてはならないんです」


「そうなんだー」


「けれど、お二人に楽しんでいただけるよう、村を案内させてくださいねぇ」 


 シープとウルフは、この村の娘に案内され、きらきらと光の散る通りを歩いていました。年頃はシープとウルフと同じくらいです。

 その娘は裸足でした。

 そして、不思議なことにその頃、または少し上の少年少女たちも皆、裸足だったのです。

 さらに、不思議なこと少年少女は裸足だというのに、歩くとリィンリィンと涼やかなガラスの声が聞こえます。 


「ねぇ、どうして裸足なのに、ガラスの綺麗な音が聞こえるのさ」


 ウルフが訊ねます。娘は答えます。


「それは、私の足の裏には美しいガラスが嵌まっているからですよぅ」


 三人はその場に立ち止まります。娘は側にあったベンチに腰かけると、ぬぅと脚を伸ばしました。細い足首をくう、と傾けると足の裏をシープとウルフに見せました。


「あぁ、本当だ」


「美しいですね」


 足の裏には、人魚の鱗のように、ガラスがびっしりと生えていました。

 白い脚に映えるのは桃、赤、青、黄、紫など透き通った色鮮やかな美しいガラスでした。日の光を乱反射して、きらきらと、輝きます。 

 二人は感嘆のため息を漏らします。


「これは、どうして?」


 シープとウルフは、その理由を訊ねました。娘はお茶を飲みながら話しますね、と笑います。

 

「シープさんにウルフさん、ここですよぅ」


 娘に案内されて、シープとウルフは小さな喫茶店に来ました。淡い色合いのステンドグラスから射す光は、喫茶店の落ち着いた雰囲気に合いました。

 白いテーブルクロスに、桃色や水色、黄色の透き通った光がちらちらと映っています。三人が腰かけると背筋をしゃんと伸ばした老婆がやってきました。娘は、お勧めの飲み物とスイーツを頼んでいきます。


「お金はー?」


「いいんですよぅ。旅人さんは無料です」


「お嬢さん、俺たちはー?」


 向こうのテーブルにいた兵隊らしき笑顔で男の人が話しかけてきました。


「兵隊さんは、毎日来ているでしょう。だめですよぅ」


 にっこり微笑む娘は、両耳の下から垂れるおさげを揺らしました。

 二人の兵隊はすでに食べ終わっていたので、笑いながら出て行きました。


「ここの飲み物はくせになるぜ、旅人さん」


 その際に、飴玉を三つ、シープたちのテーブルに残していきました。


「あの人たちは?」


「隣の村の兵隊さんです。資源が豊かな村なので、支援に来てくれているんですよぅ」


 すぐに、老婆が飲み物を運んできました。

 薄いガラスのグラスにはなみなみと蜂蜜色の液体が注がれています。ひんやりと冷たいグラスに顔を近づけたシープは鼻先をぴくぴくとひくつかせて、匂いを嗅ぎます。

 娘はグラスを持つと、こくこくと喉を鳴らして飲みました。


「とっても美味しいのですよぅ。どうぞ飲んでみてください」


 娘に促され、シープは薄いグラスの淵に桃色の唇を付けました。ウルフはシープの表情を横目に見ながら、飲み始めました。

 甘く爽やかな液体が喉を滑り落ちます。シープは初めての味に、目を見開きました。次いで、もう一口、口内に含みます。


「美味しいです」


 ウルフも、シープの表情を真似しました。


「うん、“美味しい”」


 冷たい飲み物は、この村の暑さを吹き飛ばしてしまうほどです。娘は二人の顔の見て、喜びました。

 

「よかったぁ」


 シープはこの飲み物は何か娘に訊ねました。


「あとで、教えますねぇ」


 娘は言いました。


「ねぇねぇ、どうして君の足の裏には、綺麗なガラスが嵌まっているのさ」


 ウルフは言いました。娘は答えます。


「それはですねぇ、私が五つのころの話になります」


 シープとウルフは、娘の話を蜂蜜色の液体を口に含みながら聞くことにしました。


「この村には、それは大きな大きなガラス工房があったんです。村の若い大人たちがその大きなガラス工房で働いて、私たち……子どもたちは、近くの湖で遊んでいました」


 娘はおさげを指先でくるくると弄びます。


「ガラスは、よく混ぜた材料を釜の中で千五百度程度の熱で溶かしていました。どこかの村の領主様に頼まれて、大きな大きな作品を作るために大きな大きな釜で溶かしていました。あの日、それが爆発したのです」


 リィン。娘が足を動かした音が涼やかに響きます。シープとウルフは、娘の話に黙って耳を傾けます。周りで聞いていた人々のすすり泣きのようなか細い声を、意識しないようにしています。

 娘は続けます。



「私たち子どもは必死に工房に向かって走りました。ガラスが空気に触れて固まるのを知っていたからです。おかあさんとおとうさんの無事を確かめたかったのです」


 娘のガラス玉のように透き通った瞳に、ステンドグラスから射す光がきらきらと当たりました。


「工房に近づくにつれて、固まりかけたガラスとまだとろけているガラスが足の裏に、ぷつぷつと刺さって、気づいた頃には固まっていました」


 そういう理由なんですよぅ、と娘は微笑みました。血だらけでも固まったガラスを見てさすが私の村だと思いましたよぅ、と娘は和やかに言いました。

 シープとウルフは何も言うことが出来ず、どちらも喋りません。グラスの中の蜂蜜色の液体がなくなったころ、シープがようやく口を開きました。


「そうなのですか……」


「そうですよぅ。でも、皆私の中で生きていますし、私もこのガラスの足は気に入っているんです。そんな暗い顔しないでくださいよぅ」


 そこで、スイーツが運ばれてきました。


「わぁっ。本当に美味しいんですよぅ、これ」


 牛の乳から作られたムースが詰められたタルトでした。サクリと中を割ると、とろりと甘酸っぱい蜂蜜色のソースが出てきました。娘とシープはたっぷりと味を楽しみ、ウルフはごくりと飲み込みました。
















「それでは、村一番の美しいものをお見せしましょう!」


 リィン、リィン。色鮮やかな光を翻しながら娘はシープとウルフの前を歩きます。

 リィンリィン。歩いているうちに、光を凝縮したように眩しいところへやってきました。ガラスで出来た岩のような塊は、神様が気まぐれに落としたかのように点々と転がっていました。きらきらと光を弾いて、とても美しいです。

 娘は一際大きな塊を指差します。


「あれが工房だったものですよぅ」


 娘は言いました。

 かつて地面があった場所にも、とろけたガラスが流れてきたのでしょう。地面には虹色に光るガラスの膜が張ってありました。


「こっちですよーぅ」


 娘はガラスの膜の上をリィンリィンと渡り歩きます。シープとウルフは、ガラスの膜を割ってしまわないように慎重について行きました。時折、ピシリとひびの入る音が聞こえました。

 

「ここが、私たちが遊んでいた湖です」


 湖にはガラスは張ってはいませんでした。しかし、太陽の光は揺れる水面に乱反射し、油膜のようにギラギラと輝いていました。三人は、湖に沿って歩きました。湖には生き物はいません。

 この湖には自然にできたガラス玉が星の数ほど転がっているそうです。不意に娘が地面に膝を付けます。水の中に手を突っ込んで、ざばぁと抜きました


「天然ものですよぅ」


 手のひらいっぱいのガラス玉をシープに差し出しました。チン、と擦れ合うガラスの音に戸惑うシープへ笑顔を向けた娘は、ガラス玉同士が互いを傷つけ合わない特製の入れ物にガラス玉を入れてシープにあげました。


「あ、ありがとうございます」


「希少価値でもつけて売って、旅の路銀にでも」


 それからまた三人は歩き出しました。湖から離れて、緩やかな坂を登ります。空と丘の境目は目も潰れそうなほど眩しく輝き、どこだかわかりません。娘は慣れているのでしょう。涼やかなガラスの音と共に、進んでいきます。

 きゅるる、とウルフのお腹がなりました。

 シープとウルフは、娘と共に立ち止まります。


「これは……」


 唖然としたシープが、声を漏らします。


「綺麗ー」


 ウルフもまた、うっとりと見上げています。娘はえっへんと胸を張り、言いました。


「これは、ガラスの樹です」


 それは、とっても大きな樹でした。枝の先、葉の端っこまでも、ガラスの膜が隙間なく張られたように虹色に光る樹でした。リィンリィンリィンリィンリィンリィンと、風が吹く度に音色を奏でます。

 リンゴほどの大きさのガラスでできたような果実が鈴なりに生っています。

 娘が言いました。


「果実一つ、取ってもいいですかぁー?」


 すると、樹の枝のどこかでなにか作業をしているのでしょう。あちらこちらから「はぁい」やら「いいよー」などの声がころころと降ってきました。娘はナイフを取り出します。それは柄も刀身もガラス細工で作られており、キンと透き通って、美しいものでした。


「綺麗ですね」


「ふぇ?あ、これはこの村にしかないナイフなんですよぅ。あとでお店を紹介しますねぇ」


 にこにこと娘は微笑みました。そして、樹に向き合います。


「よーいしょ」


 近くにあった果実を手のひらで支え、枝の細い部分に当てて、ナイフで切りました。カツン、と鋭い音が響きます。

 娘はシープとウルフに、その果実を差し出しました。

 形はリンゴにそっくりでした。

 しかし、その果実はガラスで出来ているかのように日の光を吸収して、虹色を四散させていました。中でとぷりと揺れる蜂蜜色は、蜜なのでしょうか。

 娘が言います。


「シープさんと、ウルフさんがお店で飲んだ、あの飲み物の原料ですよぅ」


「見たところガラスで出来ているようだけど身体に影響はないの?」


 娘は横に首を振ります。


「この果実はですねぇ、うちの村でガラスを作るときの原料の一つなんですよぅ。この果実の蜜のおかげで、ガラスはゆっくりと固まるようになり、強度を増し、透明度を上げるのです」


「つまり?」


「一日ぐらいは食べても問題ありませんが、毎日食べると影響があります。もちろん、シープさんとウルフさんは異常ないです」


「兵隊さんに、伝えている?そのこと」


 ウルフはお店にいた兵隊さんを思い出しながら言いました。

 おさげをくるくると弄りました。にこにこと花のように笑みを浮かべ、娘は唇をぱかりと開きました。


「ガラス工房は、兵隊さんたちの村によって爆発したんですよぅ」


「え?」


「この村のガラスを作る技術と、秘密の原料を知りたかったんですよぅ、彼らは」


 娘はナイフを日の光に煌めかせながら、ガラスの果実をカツリと割りました。綺麗なガラスの器の中に、蜂蜜色が揺らめきます。それを唇の端が切れることもお構いなしに、娘は唇をつけました。こくりと一つ、喉を動かします。




 






「これは、村人全員で行われる長期的殺人と、緩やかな心中です」










 ガラスの果実が娘の手からこぼれ落ちました。地面にガラスのあたる甲高い音と、飛び散る蜂蜜色の液体にシープとウルフの視線は奪われます。

 その時に、二人は見つけました。

 ガラスの樹の美しさ、眩しさに意識を遮られて、今まで気づかなかったことが不思議に思えるくらいです。

 ちかり、とそれが輝きます。

 地面に生えた、ガラス細工の腕が、輝きます。

 ちかり、とそれらが輝きます。

 地面に生えた、ガラス細工の顔が、ガラス細工の足が、ガラス細工の男が、ガラス細工の女が輝きます。

 どれも陽の光を浴び、虹色の光を発していました。


「これは……」


 娘は、口の端から伝う赤い線を拭うと、言います。


「爆発で身体をガラスで覆われてしまった人たちです」


 娘はリィンリィンと足音を響かせ、人間だったガラスの塊に近づきました。上半身を地面の上に出している男、だったものでした。


「これは私のおとうさんなのですよぅ」


 にっこり微笑んで、むぎゅうと抱きつきます。 


「ガラスで覆われたところ以外、土に埋めて、この樹の中で生きているのですよぅ。そして、私の体内(なか)でも」


 ガラスの内部のお肉が、まだこびりついているのでしょう。所々熟れて腐った果実のような色が透けて見えました。

 何人もの何人もの人間だったガラスを見て、シープのお腹はきゅうと悲鳴をあげました。咄嗟に口を押さえます。

 ウルフはその様子を見て、少し悲しくなりました。ゆっくり背中を擦ってやります。


「大丈夫だよ、シープ。おれたちが食べてるものは、いつだって死骸だから」


 優しく声をかけました。

 さて、娘は「またくるねぇ」と言い、父親だったガラスの額に口づけをしました。

 リィン、とガラスの足音が響きます。


「さぁ、シープさん、ウルフさん。ついてきてくださり、ありがとうございます!次は工芸品を売っているお店に案内しますねぇ」














 シープとウルフは、この村で買ったものをベッドの上に並べていました。ガラスの細工のアクセサリー、ガラス細工のナイフなど、荷物にならず、尚かつ旅の途中で高値で売れるものを買いました。

 どれもきらきらと夢のように輝き、星のように瞬いています。

 ウルフも自分用に一つナイフを買いました。刀身が自ら光を放ってみえるほど美しいものです。戦いには向いていませんが、護身用ぐらいにはなるだろうとウルフは言います。


「ガラスでできた靴を、履く人なんているのかな」


「昔、一人買っていったみたいですよ」


「へぇ。まぁでも」


「今は皆、履いているようなものです」


 シープとウルフの頭の中には、リィンリィンと娘の足音がこびりついて、離れません。

 その音色の奥底では、娘の言葉がゆるゆると漂っていました。

 


 シープとウルフは、約束通り、夜が明けると村を出ました。娘と、他の少年少女が二人を見送ります。いくつものガラスの足音が絡まり、鮮やかな音色を奏でます。

 お守りに、娘はガラス玉を小袋に入れました。シープには翠玉色、ウルフには琥珀色と二人の瞳と同じ色で出来ていました。

 ガラスの靴音が響かなくなるところまで、歩いたところで二人は振り返りました。

 煌々と、朝陽がガラスの中に、ガラスの村に閉じ込められたようにきらきらと光り輝いて、とても幻想的です。


「綺麗だったね、シープ」


「綺麗でしたね、ウルフ」








 リィン。リィン。今日も村にはガラスの歌が響き渡ります。

 リィン。りぃん。人魚の鱗のように生やしたガラスを鳴らしています。

 りぃん。りぃん。綺麗なガラスが欲しければ、ぜひこの村へ。


 美味しい飲み物と、夢のような光景はいかがですか?


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