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ある仮装生活の村 l




 熱々のアップルパイがありました。

 サクサクとしたパイ生地の格子から艶々とした金色のリンゴが覗きます。砂糖でじっくりと煮詰められたリンゴの甘い匂いがシープとウルフの鼻腔をくすぐり、お腹を鳴かせました。

 二人はフォークを握り締め、それぞれの目の前に置いてあるアップルパイを涎を口内に溜めながら見つめました。


「では食べましょうか」


「うん!」


 同じタイミングで、サクリ、とアップルパイをフォークで一口分に切り分けました。さらに濃厚なリンゴの香りが辺りに漂います。

 シープとウルフは互いを見て、微笑むと、フォークに刺さったアップルパイの欠片を頬張りました。じゅわりとリンゴの爽やかな酸味の残る汁と、カスタードクリームのとろりとした甘さが舌に広がります。

 シープは頰を押さえ、うっとりとしながら呟きます。


「美味しいです……いままで食べたどのアップルパイよりも」


 ウルフは、涙をぽとりと落としながら笑いました。


「もう一度食べられるだなんて、思わなかった」


「……美味しいのですか」


「美味しいよ」


 シープは困ったように微笑みました。

 ウルフは、じっくりと味わってアップルパイを母親の記憶と共に飲み込みました。


「おれのかあさんのアップルパイは、とっても美味しいんだ」







 















「はい、こちらは仮想生活が出来る村です」


 城門で待ち受けていたまだ若い女性が、満面の笑みを浮かべて言いました。シープとウルフはことりと首を傾げて訊ねました。


「仮想生活、とはなんですか?」


「はい、それでは説明していきます。ついてきてください」


 シープとウルフは仲良く手をつないで、女性についていきました。途中、村人に会うことはありましたが、全員が女性と同じように成人したばかりの若者あるいは子どもであると思われました。

 女性に連れられ、二人は白く大きく無機質な窓のない建物の前に来ました。城門から見えたときから、この白い建物は太陽の光を反射して、シープとウルフの目を眩ませていました。


「ここで、素晴らしい仮想生活を楽しんでもらいます。もしよければ、お試しをしてみませんか?」


「無料なら──痛っ」


 握っていたウルフの手の中指を有り得ない方向へ、曲げながらシープは制しました。


「とりあえず説明をお願いします」


 女性はそんなシープとウルフのやりとりを微笑ましく思いながら頷きました。


「もちろんです。ゆっくり決めてください」


 シープとウルフは、大きな白い建物の中へ入りました。二人は来客用の部屋へと案内されます。シープの部屋とウルフの部屋、どちらとも窓のない部屋で簡素な白いベッドが二つと、白いクローゼットに白いテーブルなど生きていく上で最低限の家具が揃っていました。


「この施設を回るに当たって、お手数をお掛けしますが全ての荷物をこの籠にいれていただけますか。もちろん、服も。全部消毒させていただきます」


 籠に車輪がついたようなロボットがカタコトカタコトと音を響かせながらシープとウルフの前にやって来ました。


「服はどーすればいいの?裸?」


 女性はくすりと困ったように笑います。すらりと手のひらをクローゼットに向けました。


「裸ではないですよ。全て整っていますので、着ていただけると……」


「了解でーす」


 ウルフは荷物をロボットの籠に入れながら言いました。そして、片方の部屋に白い扉を開け放したまま入っていきます。ウルフが無造作に入れた荷物を丁寧に詰め直しながらシープは訊ねました。


「荷物を消毒するのは構いませんが、私たちはどうすればいいですか?」


「おれたち汚いよー……あっ、スリッパもある」


 跳ねた泥水が乾いてぱらぱらと土が落ちる靴も、脱いで籠に入れました。シープがため息を吐きながら、丁寧に詰め直します。


「ええ、シャワーもあるのでどうぞごゆっくり。終わったらこの呼び鈴を鳴らしてください」


 そう言って、ぴかぴかと金色に光る呼び鈴をシープとウルフに渡しました。

 二人はそれぞれの部屋でお風呂をたっぷりと楽しみ、着がえを済ませました。着がえはこれまた簡素な白い洋服でした。

 扉の前で汚れた服を持った、シープとウルフは互いを見つめます。

 ある日の夜に開催する、あるサーカス団のある少年少女を彷彿とさせました。

 同時に、チリリンと呼び鈴を鳴らしました。




 


 ロボットに汚れた服を渡すと、シープとウルフは真っ白な服を揺らしながら別の部屋に連れて行かれます。まだやるの、とでも言うようにウルフは女性に見えないように舌を出しました。シープはしっかり見ていました。


「次は施設の中を、まぁ仮装生活をしている村の皆さんを見てもらいます」


「おぉ、楽しみ~」


「どのようになってるんでしょうか」


 仕組みに興味津々なシープは、メモ帳を取り出そうと手を腰に当てましたが、ポーチがつり下がっていないことに気づき、がっかりしつつ諦めました。

 さて、女性がパスワードを打ち込むと、三人は横にスライドする自動扉を通り抜けました。

 壁や床には細かな穴が数え切れないくらい空いています。そこから風が吹き出し、身体に付着した埃は天井の穴に吸い込まれてしまいました。奥の扉まで進み、再びパスワードを打ち込むと扉が横にスライドします。


「さぁ、シープさんウルフさん。ここで村民の皆さんは仮装生活を楽しんでいます」


 とても広い空間でした。

 人が一人入ると白いカプセルが綺麗に、部屋全体に並んでいます。

 羽虫が飛び交うような機械音がシープとウルフの耳に小さな振動とともに伝わりました。四方の黒い壁には時折、光の線が走り、消えてしまいます。

 まるで宇宙のようです。宇宙に蚕の繭がいくつもいくつも浮かんでいるような、不思議な空間でした。 

 女性に連れられて繭の間を歩くと、その繭──カプセル───には小窓が取り付けられており、中がよく見えました。

 予想通り、中には人間が入っていました。たくさんの管に繋がれた子供から老人まで幅広い年齢層が詰まってました。特に老人が多いように思えました。

 女性が言いました。


「ここでは村民の七割ほどの人数が仮装生活をしています。管理は開発した人を中心に、新たな世代つまり若者が行っています」


 カツンコツンと女性の靴音が響きます。扉に辿り着きました。向こう側は明るいのか、扉の隙間から細い光が漏れて、光の筋が浮き出て見えました。

 女性がパスワードを入力すると、扉が開きました。

 壁一面に大きな液晶のモニターがあります。数十人もの人間がそれを見つつ、自分達の前にある機械の液晶画面を眺めキーボードを叩いたり、機械に話しかけたりと作業をしていました。

 シープとウルフは大きなモニターを見ました。神様が世界を見下ろすように、ある豊かな街を上から映していました。

 シープが呟きました。

 

「この映っているモノが仮装生活の舞台なのでしょう」


 その通り、と女性は続けます。


「ここでは、仮装生活の街でで皆さんが、より快適に暮らせるよう、体調など管理するところです。ある程度の要望も満たせるよう努力しております。職員一人につき村人を数人のグループを作り、職員が責任を持って管理します。こちらをご覧下さい」


 女性はシープとウルフを、一つの機械の前に連れていきました。その職員と女性が交代し、シープとウルフに液晶画面を見せました。そして、耳の穴に押し込むと音が聞こえるイヤフォンというものも渡しました。

 液晶画面のある機器と連動するのでしょう。たくさんのボタンがあるキーボードを女性の指ががすごい速さでボタンを叩きます。液晶画面にお庭にいる初老の男を上から撮ったような映像が流れます。花壇には赤いバラが咲いていました。手首に巻き付いている腕時計のようなものに男は話しかけています。イヤフォンから男の声が聞こえます。


『マスターさん。昨日はいきなりメッセージを送ってすまないね』


「ええ。大丈夫ですよ」


『メッセージ通り、バラを育ててたんだがね、咲いたバラの色が思ってたのと違ってね。赤だったんだ』


「存じております。確認します。……青色でよろしいですか」


『ああ。頼んだよ。料金はいつものように』


「了解しました。少々お待ちください、……はい、……はい、出来ました。どうでしょうか」


 花壇のバラは、とても綺麗な深い青色になっていました。











「……と、言うようにですね。管理は私たちが責任を持ってやらせていただいています。なにか質問はありますでしょうか」


 女性は休憩室と呼ばれる部屋へ二人を連れて行きました。使い捨てのカップに紅茶を注ぎ、座る二人の前へ置きました。


「さっきのおじさん、料金って言ってたよ。お金とるの?」


 ウルフは熱い紅茶を喉を潤すためにちびちびと飲み込みながら言いました。シープもふうふうと息を吹きかけては冷まそうと頑張ります。女性は言いました。


「ええ。もちろんです。仮装生活をしていても、生活は生活です。お金は大切ですよ。あ、初めていらっしゃった旅人さんたちからは取りません。他の村にも広めて欲しいので」


 にこにこと微笑む女性にシープは言います。ちょうど良く冷めたのでしょう。紅茶をこくこくと飲みました。

 ちらりとこの村の本音が垣間見えたような気がしましたがシープとウルフは気にしませんでした。女性は、続けます。


「スリルある生活も叶いますよ。空も飛べますし、異世界にだっていけますし、勇者にだってなれます。人だって殺せますよ。仮装生活ですから」


 ウルフとシープはカップの端にに唇を付けながら聞いていました。そして、シープは


「美味しいご飯は食べられますか?」


真面目な表情で訊ねました。


「ええ、もちろん」


「ふかふかのベッドで寝られる?」


「ええ、できます」


「熱いお風呂には入られますか?」


「はい。要望があれば、またカプセルに入ってもらってから説明する、ウィンドウというものを開いてメッセージを送ってくだされば、なんでも出来ますよ」


「では、やります」


「はい。了解しました」


 女性は嬉しそうに、にっこりと微笑みました。

 そうして、飲み物を飲み終えた二人は先程寄った、カプセルがたくさん並ぶ部屋へと連れられました。隅の方に置いてある、二つのカプセルの前に立ちました。女性がリモコンで操作をすると、二枚貝が上と下に開くように、ぷしゅうと空気の抜ける音と共に半分に開きました。


「まず、どちらから入ってみますか?」


 シープとウルフは互いに顔を見合わせます。シープが口を開く前にウルフは言いました。


「シープから、先にやって」


 シープは不思議そうな顔で、ウルフを見ましたが、頷きました。そして、ウルフをじっと睨みつけます。


「……なに」

 

 人差し指をすっと立て、対角線上にある部屋の角を指差しました。


「レディが着替えるんですよ。あの、隅っこの角っこの薄暗いところでお待ちください」


 いままで気にしたことなかったじゃん、とぶつぶつ言いながらもウルフはスリッパを鳴らして去って行きました。

 やれやれとシープはスリッパを脱いで肌着を脱いで白い服だけになり、言われた通りにカプセルの中に入りました。


「……これは履かなければだめですか」


「だめです」


 そして、シープはなにか太い管でカプセルと繋がれたパンツも、履きました。横になると低反発の素材だったので、シープの身体はゆっくりと沈みました。

 女性が身を乗り出して、シープの頭に黒い王冠のようなヘルメットのような機械を頭に嵌めました。そして、カプセルの側面から生える、先に吸盤のついた管を引っ張っては服に手を突っ込み、シープの首や胸や足やお腹をなどに、左腕を除いてぺたぺたと貼っていきます。くすぐったいのでしょう。シープは笑いを堪えながら訊ねました。


「……ふふっ。こ、これはっなんですか?ぅふっ」


 女性は手を止めるとこなく質問に答えます。


「これは電流を流して、仮装生活での動きに可能な限り沿った筋肉を使えるようにします。仮装生活で長期に渡って生活する方もいるので」


 そして、最後に何故か左腕を動かないよう固定し、女性の手は止まりました。おかしなことに、先になにもついていない細い管が一本だけ残っていました。シープがその管を見ていると、女性がその管を手に取りました。なにかかちゃかちゃといじって、リモコンをぽちぽち押します。

 

「いまから点滴の針を刺しますね」


「えっ」


 消毒をしっかりすると、驚くシープを気にすることなく、ぷすりと刺しました。


「仮装生活で何か食べたとしても、それは現実ではないですから。所詮、偽物です」


 シープは何か言おうと口をもぐもぐしましたが、何も言いませんでした。女性は、再びなにかのボタンを押してカプセルを閉じました。言い慣れた台詞なのでしょう。流暢に話します。


「それでは、これから仮装生活に入ってもらいます。まず、目が覚めたら私の声をお待ちください」


 女性は花が咲くような笑顔を作り、言うのです。


「楽しい仮装生活を!いってらっしゃい」


 そのカプセルの小窓に阻まれ、くぐもった言葉を最後にシープの意識はふわりと抜けていきました。






 さて、次はウルフの番です。部屋の隅っこの角っこからシープの様子を遠巻きに見ていました。耳の良いウルフは、所々話が聞こえていました。


「点滴っておれに効くのかな」


 まあ良いか、とウルフは思いました。普段からサプリメントも飲むのできっと問題ないのでしょう。

 シープの入ったカプセルが閉まったので、ウルフは白い服をはためかせ、女性の元へ行きました。

 女性は微笑み、カプセルを開きました。ウルフは言われた通りに肌着を脱ぎ、管のついたパンツを履きました。横になる前に、女性に言いました。


「おれ、食べ物の味、感じられなくなったんだ」


「そうなのですか」


「それでも、味はわかるの?」

 

 べぇっと赤い舌を出しました。女性は、笑顔をしまい込み、しばらく黙った後、言いました。


「……食べ物の味を感じられた時があったならば、その味を再現することは出来るのですが……」


 その言葉を聞くと、ウルフの瞳は陽にかざした琥珀のように、黄金色の蜂蜜のように輝きました。にっこり笑うウルフを見て、女性も笑い返します。


「それなら、良かった!」


 そうして、シープと同じように準備をしてもらったウルフは意識をふわりと飛ばしました。




「楽しい仮装生活を!いってらっしゃい」

 


 



 

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