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ある自由な男




「旅人さん、自由とは何だと思いますかね」


「何にも縛られないことかな」


「自分の意志で行動することでしょうか」


 男は溜息をつきました。

 長い枝に糸を垂らし、針を括っただけの釣り竿を池に垂らしています。


「そうか……」


 男はシープとウルフに向けていた視線を、池に戻しました。シープとウルフは、男から少し離れた岩の砂を払って腰掛けました。どさどさと荷物を下ろして、お茶を飲む準備を始めます。

 ウルフが鍋を水に浸け、ちゃぷんとすくいました。シープは固形燃料の上に金属板を十字に重ねたような形のデュアルヒートを乗せて、マッチで火を着けました。

 鍋を置いて水を煮沸消毒します。ティーバッグを入れて、熱々の紅茶かできあがります。二人はゆっくり飲みました。シープは前の村で買っておいた木の実やドライフルーツなどを砂糖で固めた美味しい方の携帯食料を口に運びます。ウルフもそれで腹を満たします。この際二人とも栄養バランスを考えてサプリメントを飲み下しました。


「自由……か」


 シープとウルフは互いに顔を見合わせると、シープが小さく頷きました。


「おじさん、飲む?」


 ウルフがお茶を差し出します。ついでに携帯食料も渡しました。


「ああ、ありがとう」


 紅茶に口をつけました。熱さに顔をしかめます。それでも飲みます。飲みたいからです。ボリボリと携帯食料も食べてしまいます。

 ぐう、とウルフのお腹が鳴りました。シープは我慢してくださいねと言い、紅茶のおかわりをウルフに渡します。

 男は言うのです。






「もう、わからないんだよ」






 シープとウルフは黙って聞いていました。なぜなら男は、誰に聞かせるでもなく独り言の様に喋っているからです。  

   





「皆、みんな、僕に協力的になれとか。規則を破るなとか。あれをしろ、これをしろ。何なんだよ。急に自由にしていいよだなんて」






 シープとウルフは紅茶を啜りました。おかわりをしたシープは角砂糖を二つ入れました。甘いのも美味しいですねぇ、と思いました。




「そんなの出来るわけないだろう。ずっと、ずっと誰かが敷いた線路を歩んできたと言うのに。いきなり自分で考えろとか、無理に決まってんだよ」




 

 ウルフは手袋と靴を脱ぎ始めました。シープはそんなウルフの様子を、ミルクを足した紅茶を飲みながら見ています。






「母さんだって、僕に頼りにしてるだなんて言っておいて、二人で頑張ってきたのに。わざわざ恋人だって捨ててこんな所で逃げて暮らしてたのに。男作ったら僕に、自由にしていいよだなんて。縛ってごめんねだなんて」






 ウルフは足を洗おうと、池に足を浸けました。男は気にも留めません。ちゃぽんと水面が揺れました。何度見たって魚はいないや、不思議だなぁと思いました。






「僕は、僕は、母さんと暮らして行くのは僕なのに。自由にならなくって、幸せだったのに。自由になれって言うから、自由になろうとして、でも自由ってどういうことかわからないんだ。自由、自由、自由は、自由で、自由って、なんだ?なんだ?なんなんだ?」






 片付けを終えたシープも靴を脱ぎました。ウルフに続いて足を浸け、旅の汚れを落とします。タオルの用意も忘れません。ひんやりと冷たい水で疲れていた気持ちもなくなってしまいます。






「先生も。友人も。彼女も。馬に乗った旅人も。通りかがりの商人も。母さんも。母さんが、みんなが、言ったんだ。“自由”とは、何にも縛られないことだって」



 



 シープとウルフは足をきちんと拭きました。ブーツに足を通します。身なりを整えて、準備をしました。

 






「それでも僕は、自由になれない。“自由に”縛られる。皆の“自由”に縛られる」








 男は立ちあがりました。枝と糸と針で作られた簡単な竿が池に落ちて、ぷかりと浮きました。

 ウルフとシープの方を向きます。とてもとても苦しそうに歪んだ顔でした。男はゆっくり、歩いてきました。






「だから、だから。僕は!」
















「ウルフ」




 ぽちゃん。





 池に、包丁が落ちました。続いて男が、地面に腹から倒れます。ウルフは男が動かないよう、その上に乗り、親指と親指を細い縄できつく縛りました。

 シープが、男に言いました。


「だから、あなたは縛るモノ全てを、殺してしまったのですね」


  抜け出そうと身をよじりますが、ウルフの力はとても強いので、体は動きません。男は地面に顔を擦りつけながらも、言いました。


「あいつらが!お前らが!僕を言葉で縛る!自由で縛る!何に縛られないことが自由なら!縛るものを全て!消していけばいいんだろ!」


 シープは言うのです。


「あなたに、自由をあげます」


 疑るような視線で、男はシープを睨みます。少し大人しくなりました。シープは、準備をしておいた黒く冷たい金属の塊を男の目の前に置きました。





「自分で死ねばいいのです」





 男は全身の覇気が抜けたように、静かになり、シープの話を聞いています。ウルフは男を離し縄を解き、座らせました。しかし、シープに襲いかかる動作が一瞬でもあれば、ウルフの鋭い爪は牙は男に向くでしょう。ウルフを信じているシープは無防備に男の前で、黒く冷たい拳銃の前で続けます。




「人は死にます。死にたくなくても、いつかは必ず死にます。けれど、自分で死ぬということ、それはあなたの自由です。自分で選べるのです。あなたを縛っていた人を殺して、あなたは何になるんです?いつまでも自由に縛られているあなたは、あなたです。変わりません、変われません。自分の意志で死んでこそ、真の自由を手に入れるということになります」




 女神のように微笑むシープの唇から紡がれる、呪いのような言葉を聞いて、男は瞳を煌めかせました。翠玉の様な瞳が木もれ日にちかりと光りました。シープは、拳銃を差し出します。



「あなたは自由です。さあ、どうしますか」



 男は、頰を上気させ、手を伸ばしました。


「僕は自由になれる。自由になれるんだ」


 男は嬉しそうに幸福そうに、拳銃を受け取りました。

 そのまま、こめかみに銃口をひたりと当てます。ウルフは男から離れました。 


「僕は自由だ!」

















 そして、池の水には鈍い赤色が広がり、再び静寂が訪れました。

 シープとウルフは、男の家へと向かいました。男の家は、木材で出来た簡単なものでした。どこもかしこも継ぎ接ぎだらけで、一生懸命生きた痕がありました。

 

「ねえ、シープ。これがきっと彼のお母さんで、こっちが新しいお父さん」


「そうですね」


「旅人さんに、商人さん。おともだちに、彼の恋人」


「そうですね」


 彼の包丁によってズタズタにされた数日前まで商人だったお肉や、数週間前まで旅人だったお肉、友人だったお肉、恋人だったお肉もあるでしょう。そして原型をとどめてないほどどろどろに崩れた母親だったお肉に、その新しい旦那さんだったお肉もあるでしょう。これらが、無造作に、ぐちょぐちょに混ざり合った一つの塊が、得体の知れない液体で床を湿らせながら落ちていました。


「やばい、匂いだけで酔っちゃうよ」


「酔っ払いさんですね。あまり吸い込まないように気をつけてください」


「シープ、確認もしたし役人さん連れてこようよ」

 

「そうですね、依頼も達成しましたし」


 そう言って連れてきた役人は、背筋を粟立たせ、腰を抜かしながら最終確認をしました。途中で一度胃の中のモノを全て出してしまいました。ふらふらになりながら、役人は男だったお肉の手から拳銃を抜き、袋にしまいました。


「はい。全て確認いたしました。シープさん、ウルフさん、ありがとうございます」


「うん。約束通りちょうだいね」


「はい。どうぞ、確認してください」


「うん」


 ウルフが頑張って謝礼を確認している間にシープは役人に話しかけました。


「どうしてそちらの方で彼を始末しなかったのですか」


「……こちらにも事情はありまして。目撃証言がないと、こちらは家に侵入することもかなわないんですよ」


「はぁ、そうですか」


 役人に答える気がないことをシープは理解しました。数え終わったウルフが、荷物を背負います。


「それでは、失礼します」


「ええ。改めて、彼を殺してくださりありがとうございました」


 シープとウルフは、次の村へと歩き出しました。

 青く澄んだ空にはぷかぷかと白い雲が浮かんでいます。




「殺さないで、殺すのは難しいですね」


「そうだね」






「彼は自由になれたでしょうか」



「さぁ、どうだろうね」



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