ある獣の村 Ⅳ
「あぁ、これは助かります」
シープは呟きました。
花が咲いたような満面の笑みで死体を見ているシープはとても嬉しそうでした。
その様子を動物たちは黙って見ていましたが、シープは彼らに笑みを向けると、口元で人差し指を立てます。
女性が横たわる棺の蓋を開けると、手を突っ込んで温度を確認します。ひやりと冷たいです。
シープは女性の腕を掴みました。布で手を覆って、ナイフを持つと、長そでのシャツを器用に肩まで切り裂きました。
そしてナイフの冷たい刃を女性の冷たい二の腕に当てました。力を入れるとまだ張りのある皮膚からぷちりと血の玉が浮かびました。そのまま骨に当たるまで深く深く刃を突き立てていきます。何かの繊維を切っているのか硬直しているからなのかわかりませんでしたが、ブチュブチュとした手応えがありました。皮膚とピンクのブヨブヨとしたお肉の塊をシープは陶器に入れました。ベチョっと音が鳴りました。
ふわふわと、日を置いて生臭くなった、鉄のような血の匂いがしました。シープは萎れた花を鞄からたくさん取り出すとそれを腕の下に敷き詰めます。甘い香りが広がりました。
数分後、女性の二の腕は両方とも骨と血と脂とお肉が丸見えになりました。じわじわと赤色が広がり、服や花が染まり始めます。血に濡れたナイフの刃を女性の服で拭きました。
シープはずっしりと重くなった陶器の蓋を閉めて、ベルトに巻いてあった麻紐を解くと、蓋が外れないように縛りました。
ぺこりと頭を下げました。小さな声で言います。
「ありがとうございました」
シープは急いで扉に棺を押し込みました。
「テインさん!いきます……っあ」
拍子抜けするほど棺はすんなり動きます。なんと、小さな木製の車輪が四つ付いていました。ゴトンと音を立ててレールに乗りました。
「おっ……と。ありがとう、とても良い香りだ」
「ありがとうございます」
「合図するまで次の棺はいれないから、こっちおいで」
「はい」
テインが向こうで、棺の車輪とレールとを調節する音が聞こえました。
満足気にシープは花の香りがする布製の鞄の口を広げて、残りの花をかき出します。残った花をもう一つの棺を開けて、無造作にぎゅうぎゅうと押し込みました。
満足気に、シープは棺の蓋を閉めると広げた鞄の口に、静かに陶器を入れました。布で包んだナイフも入れます。
シープが肩掛け鞄を掛けて、台車から降りるとシロも老犬から降りて近づいてきます。老犬は一匹、地面にのたうち回るミミズを見ていました。
寄ってきたシロはシープの鞄の匂いを嗅ぎました。ゆらりゆらりと尻尾を揺らします。シープに向けて
にゃおん
鳴きました。
シープは顔を背けたシロの頭を無理やり撫で回します。満足すると、シープはテインのもとへと向かいました。
「ああ、シープちゃん。いまから焼くから」
テインがカチリとスイッチを入れると扉の向こうから、ごうごうと炎が踊っている音が聞こえます。棺が焼き朽ちた時、女性は身体を軋ませながら炎と共に踊るのでしょう。焦げた花を散らしながら。
とても、綺麗なのでしょう、とシープは思いました。
◇◇
さて、そのころウルフは町に出て買い物をする予定でした。
シープと入れ違いにやって来たグレイを、家の中に招き入れます。そして、ウルフは町に出る準備をします。残りの食糧や肌着の確認をして荷物を全て出すと、お金をリュックの中に放り込みました。
足首までのよれた革のブーツを履くと、
「出発しんこー!」
日向で微睡むグレイに抱きつきました。グレイはペロリとウルフの頰を舐めました。グレイの頰をもふもふと触りながらウルフは笑いました。
「色んなお店があるところに行きたいんだ。そこまでの案内よろしくね!」
わふっ、鳴いたとグレイはウルフの腕から抜け出すと玄関に向かいました。
ウルフは笑って、追い掛けました。
レストラン、洋服屋、八百屋に武器屋などなど。様々なお店が並んだ通りが見えてきました。賑やかな通りでした。
人のいない建物の裏に茂みがあります。なにやら、もぞもぞと動く黒色の塊と灰色の塊がありました。ウルフとグレイです。グレイは村の人々に嫌われていることを十分承知していました。村人に会わないよう、自分だけの道をウルフと歩いてきたようです。
「あ、ここかぁ。まずなにを買おうか……」
ウルフは茂みから抜けると、通りに足を踏み入れました。しかし、グレイは茂みから頭だけ出したまま動きません。ウルフはグレイのもとへと戻ります。
「どうしちゃったの」
グレイの頭を撫でました。うぅ、きゅう、と喉の奥からグレイは声を漏らしました。
ウルフは琥珀色の目を細めます。地面に落ちてる小石を拾いました。
「お前は頭がいいね。じゃあ、この紙にお日様の光があたったときに戻ってくるよ」
紙の切れ端を鞄から取り出すと、小石を重石にして建物の陰に置きました。時間にして二時間程でしょうか。グレイはふんふんと紙の匂いを嗅いでいました。
「わかった?」
グレイの頭をぐりぐり撫でます。グレイは、わんっと鳴きました。とことこと日向まで歩いて行き、芝の上でごろりと横になりました。ウルフはにこりと笑って、通りに出て行きました。一度振り返ります。茂みのおかげでグレイは見えません。
ウルフはきょろきょろと通りを見渡して、お店を探します。必要な物を思い出して、買いに行きました。
行きはぺちゃんこだったリュックは、パンパンに膨らんでいました。携帯食料、肌着に研ぎ石などたくさん買いましたが、予定よりお金はたくさん残っています。旅人であるウルフにお店の人はおまけをしてくれたのです。ウルフは嬉しそうにお金の入った袋をリュックの中に入れました。
そしてウルフは人に見られないよう気をつけながら、茂みの中へ入っていきました。
「グレイ~」
グレイはぴくりと耳を動かしただけでした。
ウルフは、寝っ転がっているグレイとお日様の光が当たっている紙を見ました。
「おぉ、ぴったし」
そう言って紙を拾いに行くウルフは気がつきました。グレイの向こう側に青色のお皿が置いてあります。お肉の匂いがする皿の中はグレイが舐めたのかてかてかと光っています。
ウルフは犬のように鼻を、ひくひくと動かして、辺りを見渡しました。グレイはそんなウルフの様子をじっと眺めていました。ウルフはそぅっと音を立てずに歩くと一本の木の前で立ち止まります。コンコン。まるで、ドアをノックするように木を叩きました。木の後ろで誰かが声を漏らしました。
「だーれ?」
「……ご、ごめんなさい」
怯えた、高い声が返ってきました。女の子のようです。
「なにしてるの?何もしないから出ておいでよ」
ウルフの優しい問いかけに、女の子はおそるおそる出てきました。おさげが揺れるかわいらしい女の子でした。ウルフより二、三つ下のようです。
震える声で、もう一度、言いました。
「……ごめんなさい」
怯えてうつむく女の子のまつげにじわり、と滴が溜まり、重力に逆らえずにぽとりと頰に落ちました。
驚いたウルフは、しゃがみました。下から女の子の顔を見上げる姿になります。ウルフは言いました。
「どうしてグレイにご飯くれたの。嫌ってるんじゃないの?」
女の子は首を振りました。
「嫌いじゃないもん。グレイはあたしのだもん」
どうやらこの女の子はグレイの前の主人のようです。どうりで、グレイがウルフの行動に気を配って、いつでも動けるようにしているわけです。
グレイがぽろりぽろりと涙をこぼす女の子の頰を舐めました。くさい~、と言いながらも女の子は嬉しそうでした。
「こんなに優しいしかわいいグレイと離れるのは、とっても辛いねぇ」
「うん……。お兄さんはグレイのこと……動物のこと可愛いと思うのね」
女の子はグレイをむぎゅうと抱きしめます。もっふ、と女の子の半身がグレイの毛の中に埋まりました。
「変な村だなぁ。ねぇどうして動物と一緒にいたらだめなのさ」
ウルフは日向ぼっこをしながら女の子の話を聞くことに決めたようです。リュックを傍らに置いて、ごろりと芝生の上に座りました。隣の芝生をぽすぽす叩くと、女の子を座らせました。
ウルフと女の子はたっぷりと話しました。お日様は、真上に移動しています。
女の子はお肉屋さんの娘だそうで、途中で家からコロッケを持ってきました。けれど、ウルフは人間以外のお肉を食べると気持ちが悪くなってしまうので一口だけ囓ると、何かを悟ったのかグレイがぺろりと平らげてしまいました。その様子を見て、女の子は言いました。
「お兄さん、そろそろお昼の時間なの」
「そうか。お話聞かせてくれてありがと」
女の子は、にこりと笑顔を浮かべました。そして、むぎゅりとグレイに抱きつき、もっふと埋まると「グレイもまたねぇ」と言い、撫で回しました。
「じゃあ、お兄さん。ばいばい」
「うん。ばいばい」
おさげを弾ませながら、女の子は駆けていきました。
「それじゃあ、帰ろうか」
わふっ、とグレイは鳴きました。
◇◇
シープはお日様の柔らかな光が当たる場所に椅子を置いて腰掛けていました。とろとろと眠気を誘う和やかな雰囲気に抗えず、シープにしては珍しく姿勢を崩していました。ミルクティー色の髪は、ふわふわと日の光に透けて、金色にとろけています。
台所ではテインの作ったスープが、部屋中にお腹の空く良い匂いを撒き散らし、シープのお腹をくぅくぅと鳴かせました。
「遅いですねぇ」
微睡みながら、シープは呟きました。ふわぁ、と欠伸が一つ漏れたとき、玄関が開きました。ウルフが帰ってきたようです。
ウルフは身体中にくっついた葉っぱを払い落としました。
「あーっ、ご飯食べててよかったのにぃ」
「グレイはどうしたのです」
「お昼ご飯食べに帰った」
ウルフは手袋を外して、風通しの良いところに置きました。ザブザブと手を洗います。そして、トイレへ行くと胃の中のモノを出しました。
「うー……気持ち悪」
「どうかしたのですか?」
シープは温かいスープをお皿に注ぎながらたずねました。テーブルにはふかふかのパンと飲み物が置かれています。
「コロッケもらったんだ」
ウルフは買っておいたリンゴをテーブルに出しました。
「それでは、食べましょうか」
「いただきまーす」
グレイは皮のまま、リンゴに歯を立てました。むしゃむしゃと咀嚼しては飲み込みます。
「ところで、シープ」
「はい」
スプーンで上品にスープをすくって、こくりと飲み込みながら返事をしました。
「その匂いは何?シープの隣の椅子」
ふふ。シープが笑いました。
「あら、気付きましたか。夜渡そうと思いましたが、今でもいいでしょう」
シープはそぅっと陶器を取り出しました。ウルフの目の前に置きました。人形のように可愛らしい微笑みを浮かべて、言うのです。
「どうぞ」
ウルフの口内には、すでにたっぷりの唾液がたまっています。ウルフはその唾液をごくりと飲み込みました。手を伸ばして、陶器に触れました。ひやりとした冷たく固い感触でした。蓋を縛っている紐に指を掛けて、はずします。カタッと蓋がずれました。ぶわり、と蜜のように甘ったるい匂いがウルフの鼻腔に届き、脳みそを痺れさせます。
中を覗かずとも、これが何だかウルフはわかっていました。
赤とピンクと黄色と黒が、ぐちゃぐちゃと入り混じり、てらてらとぬめって光るモノでした。美味しそうな美味しそうな人間のお肉でした。
「なに、これ」
ウルフはたずねました。今すぐ、食べてしまいたかったくらいでしたが一生懸命我慢しました。シープが身を乗り出して、陶器の中に指を突っ込み、すぐにウルフの唇へ触れました。ぬるりと唇に付着する甘い液体をウルフは舐めました。
「よかったです。そんなに喜んでもらえるなんて」
ウルフの頰は赤みが差し、潤んだ瞳は蜂蜜がとろけているようです。べったりと口元に血を付けたウルフはシープを見て微笑みました。鋭い犬歯がちらりと覗きます。
「はぁ、美味しかったぁ。ごちそーさまでした」
シープもにっこりと笑い返しました。二人ともとっても嬉しそうです。ウルフは陶器の底に溜まった血も飲み干しながら言いました。普段より呂律が回っていませんでした。
「これぇ、少し日ぃが経ってたの?」
「そうですね」
「シープには言ってなかったけどぉ、もう少し腐ってたら、大人がお酒に酔うみたいになるんだぁ」
そう言って、けたけた笑いました。
◆◆
「んーー、なーんか頭がふわふわする」
と、ベッドの上でふわふわのグレイの背中に抱きつきながら言いました。ウルフはお風呂に入ってきれいさっぱりしています。シープが部屋に入ってきました。こちらもお風呂に入ってきたのでしょう。すっきりとした表情でした。
「まぁ、はい。気をつけますね」
「大丈夫大丈夫」
ウルフは立ちあがると灯りを消しました。そして、グレイを右腕にシープを左腕に軽々と抱え、ベッドへ飛びこびます。もっふ、と二人と一匹は毛布の山に沈みました。
「いきなりなんですか、もう。荷物はまとめ終わってます?」
「もちろん。……今日さぁ、グレイの元ご主人の女の子と会ったんだ」
グレイのもふもふの毛に顔を埋めながらウルフは話しました。
この村の今の村長の息子が飼い犬に噛まれたという些細な出来事が、動物たちと一緒に暮らすことを禁じるきっかけとなったということでした。なんでも、“汚く”“臭い”といって犬を下等なモノとみなし、暴力でもって征していたようです。その弾みで息子を噛んでしまったということもあるでしょう。
ウルフは言いました。
「ねえ、シープ」
「はい」
「動物は俺たちの言葉がわかるのに、動物の言葉がわからないのは人間なんだよ」
「そうですね」
「不思議だね」
そしてウルフは眠そうなグレイを撫でながら続けます。
「そんでね、自分の動物を殺せなかった人たちが葬儀屋さんのテインに預けたんだってさ」
「そうなんですか。村長さんから見ると葬儀屋は、おそらく動物たちと同じ立場であると見なしているのですね」
「そ。正解」
「……人間は図々しいのでしょうか、ね」
シープとウルフは話しているうちに、まぶたが重くなってきてしまい、とろりと意識を眠気の中に手放しました。
ぱちり




