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ある獣の村 lll




 星の散らばる夜空の紺色に、朝焼けの赤色が滲む頃、ウルフは目を覚ましました。大きなあくびをすると、体を伸ばして関節を鳴らしました。


「グレイ、おはよ」


 ウルフと共に目覚めたグレイが尻尾をふさふさと振ります。その尻尾がぱしんぱしんとシープに当たっていますが起きる気配はありません。

 眠るシープの頬っぺたをぷにぷにと触ります。手袋越しでも柔らかさが伝わります。鼻もつまんでみます。起きません。


「まあ、いいか」


 ウルフはベッドから、ひょいと降りると手袋を外して、風通りの良いところに置きました。鞄から小さな袋を取るとそのまま階下へ降ります。

 袋を置き、机と椅子を端に寄せると、ウルフは軽く体を動かしました。柔軟などして体がほぐれると、腕立て伏せを始めます。ウルフは最近、シープに隠れて体を鍛えているのでした。


「力、最近出てない……のか?お腹空いてるからかなぁ」


 首を傾げました。そのあと、筋力を上げる運動をいくつかしました。全て終えて机などを戻すと、小さな袋の中身を広げました。フンフンとグレイが匂いを嗅ぎます。


「食べちゃだめだよ。今から爪を研ぐんだから」


 ウルフにとってはサーカスにいた頃からの習慣でしたので、慣れた手つきで作業を終えました。ぴかぴかの引っ掻かれたら血が出てしまいそうな鋭い爪をきらりと窓からの光を反射させました。

 ウルフとグレイは台所に行きます。そこにはテインが置いていった四つのモモが並べてありました。両方とも水でじゃぶじゃぶ洗うと、しまってあった包丁をとりだして剥きました。いつもシープにやってもらっていたウルフですが包丁を器用に使って薄い皮を剥いてしまいました。

 器に水を入れてグレイの前に置きます。


「グレイのご飯どーしよーか。テインさんのところに行く?」


 モモをむしゃむしゃと丸齧りながら言いました。グレイは器から顔を上げると、わふっと鳴きました。

 柔らかな果肉とたっぷりの果汁を飲み込みます。


「リンゴの方が覚えてるなぁ」


 四つ目のモモをごくりと飲み下すと、椅子から降りました。手をばしゃばしゃと洗います。


「ちょっと待ってて」


 手に付いた水を振り払いながら階段を上がって行きます。シープの眠る部屋にそうっと入り、手袋と鞄から紙と鉛筆代わりの黒炭を持ってくるとたどたどしいミミズが這っているような書き置きを残しました。紙を見直すと満足そうに頷きます。


「よし、行こっか」


  グレイはふさふさと尻尾を振るとウルフと共に玄関を出ました。外に出ると心地よい空気が体に纏わり付きます。朝露を含んだ草は太陽の光が当たるときらきらと輝きます。

 テインの家に着く頃には、ウルフとグレイの足は濡れてしまいました。グレイの足の毛は水でぐっしょりと濡れ、細く見えました。

 早朝にも関わらずテインの家はすでに動物の鳴き声が聞こえます。窓からテインの家を覗いてみました。小鳥が天井すれすれを飛び回り、それを猫が棚にのって目で追っています。子犬がきゃんきゃんと鳴きながらテインの持つ大きなお皿に盛られた朝ご飯を待ちわびています。


「……忙しそうだなぁ。少し待っていよう」


 飛び疲れた小鳥を頭に乗せながら大量のお皿を抱えて歩き回るテインを見て言いました。

 光の粒のような水滴を蹴り飛ばしながら、ウルフはテインの家の周りにある比較的草の生えていないところを辿って歩きました。テインが毎日往復しているのでしょう。町に続く道と、森の奥に続く道があります。ウルフは森への道を選ぶと、そちらに向かっていきました。

 道を辿っていくと、ウルフはぽつりと寂しそうにみえる建物を見つけました。周りには他の建物も木もなにもありません。

 道はそこまで続いています。その建物からうっすらと良い匂いがしました。


「なんだろう。食料庫かな、良い匂い」


 ウルフは壁に触れました。氷のように冷たいです。この村の他の建物とは違い、レンガは一つ一つ漆喰を使われており、丈夫な造りでした。扉も金属でき、重々しい雰囲気が漂います。鍵はしっかりと南京錠がかかっていました。ウルフはその建物の周りを歩こうとしましたが、


「あ」


グレイがテインの家へ戻ってしまったので追いかけます。尻尾をふっさふっさと揺らすグレイに追いつくと、ウルフはその頭を撫でてやりました。

 テインの家の玄関に辿り着いたグレイは太い手の大きな爪で、扉を引っ掻きました。毎回のことなのでしょう、扉には幾筋もの引っ掻いた跡が残っていました。


「はいはい、グレイか、ご飯だね。そろそろ来ると思ったよ」


 大きなタオルを持ったテインはグレイを室内に招き入れると足の裏を丁寧に拭きました。グレイは嬉しそうに鳴いて、テインの頰を舐めると、グレイ専用の大きな器に盛られたお肉の山に向かって駆けていきました。尻尾を振りながらじゃれにくる他の動物たちにお構いなしです。


「ささ、ウルフもどうぞ。他の子たちが出て行ってしまうから」


 タオルを渡しながら、ウルフに言いました。


「ありがとう」


「朝は忙しいから、僕はここで食べるよ。待っていて、朝ご飯持ってくるからね。シープちゃんには、食べ終わったらおいでって伝えといて」


 テインは部屋の奥に引っ込みました。たっぷり眠って、たっぷり朝ご飯を食べた動物たちは、外に出してもらえず暇を持てあましていました。手足を拭き終わったウルフが顔を上げると


「え?なんでこっち見てるの?」


新しい遊び相手を見つけた、子犬や小鳥や子猫が嬉しそうに飛びついて来ました。

 きゃんきゃん。子犬はしゃぎながらウルフの足元をぐるぐる回っています。


「うぉっ、危な……」


 ピチュピチュ。小鳥はウルフの頭に止まり、小さな爪が頭の皮膚に食い込んでいます。


「いたたたっ」


 にゃあにゃあ。子猫は棚から弾むように跳んできて、爪を立ててウルフの服にぶらりとぶら下がります。


「痛いってば!」


 どったんばったん。もう、大騒ぎです。

 痛いものは痛いのですが、ウルフの顔は笑っています。くそぉ、と言うと床に寝っ転がって一緒に遊んでしまいました。

 ウルフも動物たちも疲れた頃、ようやくテインは朝ご飯の入った籠を持ってきてくれました。籠は濡れていませんでしたが、上半身はびしょ濡れでした。一緒に、全身が濡れて、不愉快そうに身体中を舐め回している白い猫も出てしました。


「ふふ。あの子が水を……ふふ。お決まりなんだ……」


 テインは困りや怒りを通り越して笑っています。籠を受け取ったウルフは唖然としてテインを見ていましたが、笑いを堪えきれませんでした。

 びしょ濡れの白い猫が青色の瞳を開いて不思議そうに鳴きました。


 にゃお。

 




◇◇



 眩しいお日様の光が射し込む寝室には、シープの姿は見えません。もう起きてしまったのでしょうか。 

 すると、ベッドに積み上げられた毛布がもふもふと生き物のように揺れました。ぬっ、と腕が伸びて、毛布が崩れました。その毛布の隙間から、ミルクティー色のもふもふとした塊が出てきます。たくさんの毛布の中でシープは埋まっていたようです。

 ベッドの真ん中で大きく腕を伸ばして、ふわぁあと欠伸を一つします。窓から太陽の位置を確認しました。


「……ふむ。寝過ぎましたね」


  しつこい寝癖を整えて、若草色のチュニックシャツと茶色のパンツなど、普段通りの服に着替えると、顔を洗って下へ降りました。物音はしません。ウルフは見当たらないので、テインの家にいるのでしょう。

 軽い柔軟と体操をすると、拳銃の掃除をしました。すると、玄関の開く音がしました。


「ただいま。テインさんから朝ご飯をもらったよ」


 良い匂いのする籠を持ってウルフが帰ってきたのです。それをテーブルに置きます。


「シープ、おはよ」


 籠の中身を並べながらウルフが言います。


「おはようございます、ウルフ」


「二人分あるけど、そんなに食べないよね?」


「はい」


 朝ご飯はテイン特製のソースをたっぷり塗ってハムとレタスをこれまたたくさん挟んだサンドイッチでした。シープは大きな口を開けて、それにかぶりつきます。気をつけていても、ぽろぽろと口の端からパン屑がこぼれました。ソースに混ぜられているコショウが良いアクセントになっています。


「おいひいれふ」


 もふもふと口を動かしながら、言います。


「テインさん、朝ご飯食べ終わったら来てって言ってたよ」

 

「ふぁい」


 シープはもう一人分の朝ご飯を食べようかと迷いましたが、やめておきました。朝、モモの置いてあったところにサンドイッチを置きました。

 身支度を終えると、シープは空になった籠と布製の肩掛け鞄を持って出掛けていきました。

 見送ったウルフは陽の光が当たる床にごろんと横になります。大きな欠伸を一つすると、グレイが戻ってくるのを待ちました。





◇◇




 シープはテインの家に向かって歩いてます。腕をぐるぐる回したり、わざわざ道を外れて草を踏みしめます。花が咲いていれば匂いを嗅いで、満足そうに頷くと、容赦なくぶちりぶちりと引き千切っては鞄に押し込みます。

 途中、グレイとすれ違いました。


「あら、おはようございます」


 グレイは挨拶代わりに、シープの周りをぐるぅりと一周しました。ぱんぱんに膨らんだ鞄に鼻を押し当てすんすんと匂いを嗅ぐと、灰色の目を細めて顔を背けました。尻尾がシープにぽすぽすと当たります。もふもふのお尻を揺らして去って行きました。

 さて、シープは動物たちの鳴き声や走っている音が外にまで響く、テインの家に着きました。石と木材で作られた家は小刻みに揺れているように見えます。こんこんと扉を叩きます。

 

「シープちゃん、おはよう」


 青い瞳を持つ白い猫を抱っこしながらテインが出てきます。肩には三毛猫が乗り、頭には小鳥が二匹留まっていました。足元には尻尾を千切れんばかりに振る子犬が数匹じゃれています。


「…………おはようございます。朝ご飯ありがとうございました。美味しかったです」


 お辞儀をしたシープの頭に、よっこいせと言わんばかりにテインの腕をするりと抜け出した白猫が前足をかけます。


「あっ、こら!シロ!」


「ふぁっ!?」


 そのままシープの頭を通り、肩へ移動しました。お洒落な襟巻きを掛けているようです。


「猫ってすごいだらんだらんですね」


 首にフィットする白猫の頭をくりくりと撫でながらシープはつぶやきます。


「ごめんね。……シロは一度乗ったら一時間はそのままなんだ」


「……いつもお疲れ様です」


「まぁね。じゃあそのまま仕事場に行くけど、本当についてくるんだね?」


「はい」


 にっこりと笑うシープの顔見て、テインは頷きました。


「それでは、行こうか。じゃあ、皆行くよ」


 テインが森の奥へ繋がる道を歩くとどこかの国の笛吹き男の話をシープは思い出しました。ぞろぞろと動物たちがついてくるのです。しかし、仕事場に辿り着く間に、動物たちのほとんどが列を外れてどこかへ行ってしまいました。残っているのはシープの首に巻き付くシロと数羽の小鳥、老犬でした。


「テインさん。動物さんたちどこかに行ってしまいましたけど……」


 テインは笑います。


「いつもそうなんだ。でもお昼ご飯のときと、暗くなる頃には全員帰ってくるよ」


「なるほど」


 数分歩いた頃でした。


「さぁここが火葬炉がある場所だよ」


 その建物からはうっすらと良い匂いがしました。


「ここですか」


 シープは壁に触れました。氷のように冷たいです。この村の他の建物とは違い、レンガは一つ一つ漆喰を使われており、丈夫な造りでした。扉も金属でき、重々しい雰囲気が漂います。鍵はしっかりと南京錠がかかっていました。テインがポケットから鍵を取り出して、鍵を開けます。

 シープはその火葬場の裏を覗きました。墓石のようなものはありません。色とりどりの花が咲く、お花畑がありました。良い匂いです。


「ここの村ではお墓はないんですね」


「まぁ、そうだね。狭い村だからね。それに土葬だと、少し前まで……皆動物を飼っていた頃に掘り返す子たちがいたからさ」


「そうなんですか」


「それじゃあ、準備をするね」


 テインは扉を開きます。重い音が地面や空気を振るわせ、シープに響きました。テインは中に入ります。シープが後ろから続きました。動物たちは、どのこも中には入りませんでした。小屋の近くで二人をじっと見ています。

 レンガの分厚い壁で外の世界と切り離された冷たい室内は細い鎖が何本も何本も身体に絡みつくような不思議な重みがありました。

 テインは灯りを点しました。扉の横の机にの上と、火葬炉のごちゃごちゃした装置付近にしか灯りはありませんでした。

 ぼんやりと部屋を照らす灯りを頼りにシープは様子を窺います。壁から生えたレールのようなものが道標のように続いています。それを辿ると小屋の奥には火葬炉が重々しい雰囲気を纏いながら存在しています。 

 テインは奥に進むとか火葬炉の内部を確認しました。断熱扉の向こうにあるもう一つの扉の内部もしっかり見ます。そしてかちゃかちゃとボタンやら装置をいじっています。効率よく作業をするためには一度火葬炉を温めなくてはいけません。シープはその様子を見ています。


「……亡くなった方はどちらに?」


「もうすぐ二人来るよ。この小屋から煙りが出る頃に届けられるさ」


 白い煙が空に登って消える頃、棺を乗せた台車を引っ張るおもちゃのように小さな車ががやって来ました。深く被った帽子と、口元まで覆ったスカーフのせいで運転手の顔は見えません。


「彼の仕事は運び屋なんだ。彼の仕事場に冷蔵庫があって、そこから七日に一度連れてくる」


 運転手は車から降りると車と台車を器具で引き離しました。シープのことは気にも留めませんでした。

 いつものことなのでしょう。テインは台車を受け取ると小屋の横につけました。


「シープちゃん、そこ開けてもらって良い?」


「はい」


 シープは小屋にいるときは気づきませんでしたが、正面にある扉とは別に、棺を台車から小屋の中へ入れる別の扉がそこにありました。小屋の内部に向けて扉を押すと金属音と共に開きました。中にはレールのようなモノが続いています。壁から生えてるように見えたレールはこれだとシープはわかりました。

 テインが台車の後ろの板をばっこんと外して、扉に近づけます。台車の車輪を固定しました。

 台車に乗り、テインは棺の小窓を開けると瞼を閉じました。シープはその間、棺の中を見ていました。初老の男性と、まだ若い女性でした。女性は左の側頭部が不自然にへこんでいました。

 瞳に涙を浮かべたシープが言いました。息をするように噓を吐きました。


「私がここから中にいれるので、テインさんは中で受け止めるのはどうですか?」


「でも重いから」


「いえ、手伝わせてください。それと、私の村で行っていた弔いをやってもいいですか」


「弔い?」


「はい、花を入れるんです。あちらの世界でたくさんの幸せが花のように咲き乱れますように、と願いを込めるのです。そのあと言葉をまた続けるので、数分ほどかかってしまいますが」


「そうなのか。ふむ、きっと彼らも喜ぶ。じゃあ、小屋の中に入れる前に頼んだよ」


「ありがとうございます」


 ぽろりと水滴がシープの頰に落ちました。

 テインは表情を緩めると、小屋の中へ移動しました。

 テインが見えなくなった後、シープはにこりと可愛らしく微笑みます。翠玉のような瞳がきゅっと細められました。

 布製の肩掛け鞄から蓋付きの陶器とナイフを取り出します。静かに陶器を側へ置きました。

 冷たい刃に細い指を這わせます。





「ああ、よかったです」





 笑みを我慢しきれずに笑顔を綻ばせるシープをシロはじっと、見ていました。

 青色の透き通ったガラスのように澄んだ瞳に、シープの笑顔が映っています。







 にゃお。

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