ある獣の村 ll
テインに寝床として案内されたのは、テインの家の近くにある廃屋でした。そこはテインの祖父が住んでいたのですが、数年前他界したため誰も住んでいませんでした。
その家も気候が年間を通して安定しているこの村の他の家と同じように木材と石が組み合わせでできた家でした。土地は狭いものでしたが、二階建ての可愛らしい家です。
「あとで夕飯、ご一緒していいかな。僕が作るから」
わざわざ見送ってくれたテインが二人に言います。
「もちろんです。しかし、作っていただくのは悪くないですか?」
「いえいえ、グレイたちが一緒に食べてくれるのだけど、さすがに同じものを食べるのは彼らの体に悪くて……。作るのが楽しいんだ」
と、嬉しそうに微笑みます。
ウルフとグレイは大変仲良くなったので、グレイはシープとウルフについてきました。
家の入ると、シープとウルフは寝室を探しました。グレイが階段を上って、二人の方を振り返ります。
「二階か。グレイ、待ってー」
ウルフはシープの手を引いてグレイについて行きます。
寝室は二つありました。荷物を置いた二人は隣の部屋に行きました。テインから、家のものは好きに使って良いと言われていたのでウルフとシープは隣の寝室からもふもふと毛布と枕を移しました。テインが定期的に掃除をしているのか、埃は無く、毛布もふっかふかでした。
「……ふぅ、お風呂入りたいですねぇ」
シープの呟きを聞いたグレイはウルフに一度近づくと、階段を降りていきました。
「下だってさ」
二人はグレイを追いかけました。風呂の扉を爪でをカシカシ掻いています。扉をあけて確認すると、そこもまた綺麗に掃除されていました。
お湯を溜めている間、大きな桶を見つけた二人は庭で、水と石けんで汚れものを洗濯することにしました。
着ていた服も肌着を残して桶に放り込みました。
「だいぶ汚れましたね」
「明日肌着を買わないとね」
「シャツももうそろそろ買わないといけませんね」
シープは若草色のシャツを痛めないように気をつけて洗いながら言いました。
グレイは大人しく伏せながら、二人を見ています。
お湯がちょうど良く溜まったころ、洗濯物が洗い終わりました。
「すぐ干して入ろー。先にシープ入っていいよ」
「では、ありがたく入りますね」
脱衣スペースに入ると、肌着を脱いだシープは少し考えた後、肌着は体が洗い終わったら自分で洗うことにしました。浴槽から小さな桶でお湯をすくうと頭から被りました。石けんを泡立てて、汚れを落とします。温かい湯船に浸かると、じんわりと旅の疲れは溶けていきました。
「むふ~」
とても嬉しそうです。
お風呂をたっぷり堪能すると、お湯が冷めないうちにウルフと変わることにしました。
ウルフはお風呂に入る前に、洗濯物を全て絞って借りたタオルに置いておきました。
遠慮なしで肌着のみの姿だったシープとすれ違うときに、洗濯物を干しておいてと伝えました。
体を隅々まで洗ったウルフは湯船に浸かると、固まった筋肉をほぐしました。
「ふひ~」
思わず声を漏らします。
お湯が冷めてきたのでウルフは、湯船から上がりました。
体を拭いて、持ってきていた新しい肌着を身に着けます。二階へ上がると寝室のベランダで、シープは最後の洗濯物を干し終えていました。
「お風呂最高」
「同感です」
ウルフはリュックの中を漁って、あることに気付きました。
「着替えも洗濯しちゃった」
見るとシープは見たことない服を着ていました。ボタンは一つも付いていない、半袖のシャツでした。
「引き出しに入ってた物をお借りしました。これ、とても楽ですよ」
ウルフもそれを借りることにしました。
お風呂も入り、荷物も整頓し、やるべきことは全て終わらせたシープとウルフはふかふかの毛布が重なり合うベッドに飛び込みました。
「久しぶりのふかふか~」
「気持ちいいですー」
二人はにやっと笑うとごろごろと転がります。ポフンポフンと軽い音を立てて床に枕が落ちました。
うつらうつらとしてたグレイも、おや?なんだか楽しそうだぞ、と体を起こして二人を見ます。
落ちた枕を拾うと、ベッドに飛びに乗ってシープとウルフの間に座り込みました。ポトンと枕を落とします。
「なんだよー、グレイも混ざりたいのか~」
「そうなのですか~」
シープとウルフは毛が付くのも構わずにグレイをわしゃわしゃと撫で回しました。グレイは尻尾をぶんぶんと振ります。二人と一匹はまるで昔から一緒にいたかのように仲良しです。
しばらくすると、グレイの両脇から静かな寝息が聞こえてきました。旅の疲れもあり、シープとウルフは空腹も忘れ、寝てしまったのです。
グレイも毛布を踏んで眠りやすいように形を整えると、体を丸めて目を閉じました。シープもウルフも知らないことですが、グレイがテイン以外の人間の前で寝たのはこれが初めてのことでした。
コンコン。ティンが玄関の扉を叩きました。
太陽が森の向こう側に沈む頃でした。
まず、グレイが耳を立たせ、目を覚ましました。尻尾をプロペラのように回しながら玄関に跳んでいきました。
その際にウルフの足をぎゅむっと踏んでいったので、ウルフも起きました。まず、窓を見て日が暮れていることに驚くとシープを起こしました。寝起きの二人はぼぅっと毛布の上で黙って座ってます。
すると、外から
「ウルフくーーん?シープちゃーーん?」
テインの声が聞こえると二人の頭はやっと切り替わりました。シープとウルフはテインが家に来ることをすっかり忘れていたのです。
「忘れてた!やばい!」
ウルフは髪を手ぐしで整えると、階下に降りていきました。シープのふわふわの髪はどうしてもまとまらないので水で整えて寝ぼけた顔を洗うと、ウルフの後を追いました。
シープが入ると、すでに台所にあるテーブルをテインとウルフが囲んで座ってました。グレイはテインの足元で大きなあくびをしています。
「すみません。すっかり寝入ってしまって……」
シープが頭を下げると、ウルフも再び謝りました。テインはにこにこと優しげに笑っていました。
「旅は疲れるから仕方ないよ。僕も、皆とお散歩するだけで疲れてしまうし、気にしなくていいよ。さぁシープちゃん、座って……」
テインは持ってきた大きな籠の蓋を開きました。
シープのお腹がきゅるる、と鳴きます。シープは階下に降りてきたときから、この食欲をそそる美味しそうな匂いに気付いていました。
テインは籠に手を突っ込むと、テーブルの上に料理を出していきます。各々にフォークが配られました。出てきたのはミートパイと大きなモモでした。
きらきらと瞳を輝かせたシープがテインをじっと見つめます。我慢できなそうです。ウルフもその様子を真似しました。
テインはくすりと笑います。
「どうぞ」
「い、いただきます」「いただきまーす」
「口に合うと嬉しいな」
シープはまず、温かいミートパイにフォークをザクリと刺しました。バターをたっぷりと使ったサクサクのパイの屋根を崩すと、挽肉とタマネギやニンジン、キノコなどをテイン特製のトマトソースで煮込んだソースが見えました。さらにトマトとお肉のお腹の空く匂いがシープの鼻腔をくすぐります。
パイで挽肉をすくい取ると、シープは大きな口でそれを頬張りました。ジューシーな肉汁と、甘酸っぱいトマトの味が口いっぱいに広がります。シープは思わず頬っぺたを押さえました。
「本当に美味しいですっ!止まりませんっ」
シープは見ているテインが幸せになるような顔で食べていました。
「それはよかった」
ウルフも一口食べました。トマトの味が強いのか、最初は気持ちは悪くなりませんでした。しかし、美味しくはありません。それでも、ウルフはシープの表情をコピーしたかのような顔でミートパイを飲み込みました。
「“美味しい”!」
シープのお皿はあっという間に大きなミートパイを平らげてしまいました。あの細い体のどこに入るのでしょうか。
ウルフもシープに続いて食べきりました。嘔吐くような、不快な気分を押し込めて、満面の笑みを浮かべました。
「ご馳走までした」「ごちそうさま」
シープは満足気に息を吐くと、口を拭いました。
「ああ、モモもあるよ。ちょっと待っててね」
食べている途中にも関わらず、モモの皮を剥こうとしてくれます。
「あ、私にやらせてください。テインさんは食べててください」
テインの返答を聞く前にシープはナイフとモモを取ると、皮をしょりしょりと剥き始めました。
一口サイズに切ると勿体ない程の果汁がお皿の底に溜まりました。
「失礼なことを伺いますが、テインさんはどういうお仕事をされているのですか?」
テインさんは最後のミートパイの欠片を食べながら笑いました。
「昼間から広場で演説なんかしてるからって?」
「あ、えっと……はい」
「んー。僕の仕事はー……、あるときはあって、ないときはないんだけれど。食事中に言ってもいいのかな」
「大丈夫。あとモモが残ってるだけだから!」
もりもりとモモを頬張っているウルフが言いました。どうやら、果物は食べるのが楽な様です。
「死んじゃった人を、僕の家の裏にある火葬炉……焼却炉で焼いて、埋めるんだ」
テインは様子を伺うように、シープとウルフを見ました。そして、はっと気付き、慌てたように言います。
「もちろん、ちゃんと手も洗ってるよ。ミートパイにも変なものは入ってないから……」
「なるほど……」
シープとウルフは顔を見合わせました。そして、テインに向き直ります。テインの表情は若干引きつっていました。
「ようやく、村に向かう道から見えていた煙の正体がわかりました」
「そうそう、不思議だったんだよね」
二人の疑問は解決しました。シープだけのもっていた疑問も解決しました。今晩ウルフに話すことにしました。
そして、ふとシープは思いつきました。再び喋り始めます。
「テインさんにお話していただいたので、次は私たちについてお話したいと思います。実は私もですね……」
ウルフはシープが何を話すのかわからなかったので、じっと聞いていました。
「テインさんと同じ仕事を、故郷でしていたのです。両親の仕事を受け継ぎまして」
シープはつらつらと言葉を連ねます。
「そうなのか……」
おそらくテインは他の村人と溝があるのでしょう。シープを見る瞳は、同志を見る目でした。
「途中で仕事を放棄し、逃げてしまった私はテインを尊敬します。良かったらですが、明日お仕事がありましたら、手伝わせていただきませんか?」
シープは言いました。目を細め、口は緩やかな弧を描いています。柔らかな笑みでした。
「でも、さすがにお客さんに自分の仕事はなぁ」
シープはことりと首を横に傾けると、眉を寄せます。
「他の村のやり方を知る、いい機会になるのでよろしければ、と思いましただけです。すみません」
深々と頭を下げるシープを見ると、テインは困ったように目を細めます。小さくため息を吐きながら言いました。
「わかったよ。構わないけれど気分の良いものではないからね」
「ありがとうございます!」
シープは無邪気に笑いました。
「ウルフくんは、明日なにかしたいことはあるかい?」
「ん~……おれは、村でも見ようかなぁ。あと必要な物買いたい」
死体でもウルフはお腹が空いてしまうので、シープについて行くのをやめました。
「ウルフくん、一人で回るのかい?」
ウルフは椅子を降りると、グレイにもふんと抱きつきました。グレイはもふもふと尻尾を振ります。
「グレイと一緒に行きたい。だめ?」
口に運ぶ途中だった桃を空中で止めたテインはシープのお願いのときよりも困った表情を浮かべます。
「それは……ウルフくんも村の様子を見ただろう?君まで疎まれてしまうよ。それにグレイが何か迷惑をかけるかもしれない」
「大丈夫。グレイはとても利口だから。おれが前飼っていた凶暴なペットより」
ウルフはサーカスにいた熊やライオンを思い浮かべました。彼らはシープとウルフが逃げるためのおとりでもありました。凶暴でもウルフのお友達だったので、ウルフは少し心配になりましたが、今は考えてる時間ではありません。
テインはうーんと頭を掻きました。
「他の子と違ってグレイは普段も自由に色んなところお散歩してるでしょ?だめ?」
ウルフの腕から抜け出したグレイがティンの手をべろべろと舐めて、テインの顔を見上げます。テインはぐりぐりとグレイの頭を撫でました。
「本当に問題は起こさないでくれよ」
「うん!ありがとう!」
わふっとテインが鳴きました。
◇◇◇
テインは帰りました。一緒に帰ろうとしないグレイを見て、がっかりした様子でしたが「今日だけだって、グレイが言ってるよ」と伝えるとテインは笑顔で帰りました。
もふもふの布団に体を埋めるウルフは、明日の洋服をきちんと畳んで枕元に置くシープに訊ねました。
「ねー。なんで明日、テインのお仕事手伝うの?わざわざ噓までついて」
「まぁ、思いついたことがありまして。了承してもらえて嬉しいですが、迷惑をかけてしまいましたねぇ」
シープは毛布の中に体を滑り込ませました。グレイがウルフとシープの真ん中で目を閉じています。耳だけがシープとウルフの会話に合わせてぴくぴくと動いています。
「そうだ、ウルフ。明日、なに買いに行くのです?」
「とりあえず、ご飯と~、肌着と、服はいいのがあったら買うつもり。あと、ナイフ欲しいなぁ」
「ナイフですか。突然なぜ?」
「シープは拳銃あるでしょ?おれは爪と歯しかないから……」
「ナイフ買うなら、研石も買ってください。手入れの方法も聞いてくださいね」
「うんー」
ウルフはグレイの頭を撫でています。大分眠そうです。明かりを消すと、しばらくしてウルフの寝息とグレイの寝息が部屋を満たしました。
木材と石を組み合わしただけの家は気持ちの良い風が吹き抜けるだけでかたかたと小さな音を奏でます。
シープの目はぱっちりと開いていました。
翠玉色の瞳に窓から差し込む月の明かりが映り込んでいます。
月の位置がずいぶんと変わった頃、シープはゆっくりとベッドから抜け出しました。
グレイの耳がぴくりと動きますが、瞼を持ち上げ灰色の瞳を向けただけでそのまま眠りました。
シープは鞄から、鞘に収まるナイフと布袋を持ち出し、階下に降りていきました。
台所の棚から一つ、シープの拳が二つ入るほどの陶器の蓋付きの器を取り出します。
ナイフも陶器も、布袋に静かに入れました。布袋を陶器の元あった位置に置きました。
満足そうに微笑んだシープは、ベッドに戻りました。布団の中で手を伸ばして、ウルフに触れます。
シープは眠りにつきました。
静かに夜は空に広がっていました。月だけが、シープの行動を見ていました。




