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旅は始まる


 がさごそがさごそ、と静かで暗い場所から音が聞こえます。



 ウルフと別れて、シープは物置専用テントの中で食料やら救急道具やら何やらを布製の鞄に詰めていました。大きな木箱を漁ったとき、中に長方形の、シープの両手のひらからはみ出てしまう程の大きさの箱が入っていました。シープはそれを取り出しました。シープはゆっくりとその蓋を外すと、はっと息を飲みました。





 さて、そのころウルフはというと、動物たちの檻があるテントで鋭い爪と人並み外れた力を使って、檻の南京錠を爪で開けたり歪めて破壊したりと、せっせと外していました。不安そうにウルフを眺める動物たちに、にっこりと笑みを向けて安心させます。


「ごめんね、おれたちに協力してね」


 声を潜めて語りかけると、なんだか動物たちもやる気に満ち溢れているような気がします。いそいそと動物たちは檻の外に出ました。あとは、この動物たちに一暴れしてもらわなくてはなりません。ご褒美もなしにそれは悪いなと思ったウルフは、エサがたくさん置いてあるテントに入りました。

 しかし、現実では難なくことが運ぶわけはなく、何か異変に気づいた寝巻き姿の団長や用心棒達がテントの様子を見に来てしまいました。ウルフは干し草の入った木箱の陰に身を隠すと息を潜めました。


「おい、どういうことだ、猛獣どもが外に出ているじゃないか!」


 団長がそう叫ぶと、雇っていた用心棒達にやれ獣を檻に戻せ、やれ鍵をかけ直せと命令を下しました。用心棒たちはもともと、盗賊山賊に襲われた際に守ってくれる者として雇ったのです。商品同然の動物たちを殺さず、傷付けず捕まえられるものでしょうか。答えはもちろん、いいえ。獣用の麻酔銃に持ち、彼らはひいひい言いながらようやく一匹の豚を捕らえました。

 そして鍵が掛けられないことに気がついた用心棒の一人が言いました。


「団長、この南京錠は鍵で開けたのではなく、何者かに壊されたかのようですが」


 ばれちゃったなぁ。ウルフは顔をしかめると、影のようにそっと入り口の近くに移動しました。


「誰だがやったんだ! 猛獣使いを呼んでこい、はやく!」


 ウルフはぎゃあぎゃあとうるさい団長の近くにある木箱の陰にしゃがみました。琥珀色の瞳が団長の頭部を捕らえます。そして持っていた生肉をぽいとテントの奥に放りました。

 団長が腕を奥の方に向けました。そして大きな声で言いました。それだと動物たちの神経を逆撫でしてしまうのでと心配になってしまう程です。


「犯人が隠れてるかもしれん、お前ら奥を探せ!」


「はい」


 用心棒達は奥へ行きました。団長に、ウルフに、背中を向けました。今、団長の近くには、用心棒は一人もいません。ウルフは木箱の前に立ちました。団長はウルフに気づくと驚きの声をあげました。ウルフが地面を蹴って飛び上がりました。


「ウル」


 しかし最後まで言えませんでした。なぜならウルフが団長の頭上で体を捻り、ナイフのように鋭い爪で、彼の顔を引っ掻いてしまったからです。彼の鼻や唇は容易く切れてしまいました。ぶしゅうっと血が飛び散りました。


「ぶ」


 大きな荷物のようにお尻から倒れた団長を踏んづけて、すたん、とテントの外に着地しました。そして、用心棒達が気付いたときにはウルフはテントから離れた場所に立っていました。ふりふりと呑気に手を振っています。

 顔を押さえながら、団長は命令しました。


「は、早ぐ(づが)まえろっ」


 団長に肩を貸した用心棒以外は腰に装備していた消音器(サイレンサー)付拳銃を取りだし、安全装置を外して構えました。しかし、すでにウルフはその場にいませんでした。ふいに用心棒達の耳に空から声が聞こえました。


「まっずいなぁ……」


 いつの間にかテントの屋根に登っていたのでしょうか。ウルフは立ち上がったまま、指に付いた血を舐めていました。ウルフは血液から微かに香るアルコールの匂いに眉を寄せていました。

 今まで食べてきたどんな人間よりも、なんだか不味いような気がします。

 用心棒達はウルフに銃口を向けました。


「降りて来ないと撃つぞ」


 屋根の上からウルフは黒い前髪の隙間から黄金の満月のような瞳で彼らを睨みました。


「お前らに従う気はないよー、団長ごめんね」


 そう言って、ウルフはテントの屋根を伝って風のように、音も無く駆けてしまいました。ウルフはシープと待ち合わせをしている赤いテントへ行くつもりでした。騒ぎに気づいた者たちがぞくぞくとテントから出てきます。お肉をたくさん詰めたカバンから肉の塊を掴んでは投げました。

 もちろん、子どもたちの方には行かせないように上手く投げます。ふと自分が今立っているテントに、ラビットがいること気づきました。厄介な大人なので多めにお肉を放ります。口笛をひとつ吹くと、仲良しだったライオンがウルフに気がつきました。ぴぅぴぅ鳴らして、目の前でお肉をテントに入れていきました。いっそのこと、とカバンごと投げ入れてしまいます。

 結果は見ずに、またテントからテントへ飛び移ります。

 途中、眠気眼の子どもたちに見つかりました。手を振って名前を呼ぼうとすると子どもたちに咄嗟に静かにするように合図をすると、嬉しそうに口を塞ぎます。

 笑顔を作って、子どもたちの前に降りると言いました。


「今ね、おにいちゃんとシープねえちゃんははかくれんぼをしているんだ。大人に見つかったら負けなの」


 憧れのウルフの言葉に子どもたちは素直に頷きます。


「おれとシープねえちゃんが見つからないように、大人たちにどこに行ったか聞かれたら村の方に行ったよって嘘をついてくれる子はいるかな」


 子どもたちは、きゃあきゃあと甲高い声をあげながら手を上にあげます。ウルフは血のついていない方の手でみんなの頭を撫でながら、お礼を言いました。こんな可愛い子達を置いていくことに心苦しさがありました。

 でも、みんなを連れて逃げる責任は、持てません。


「さあ、みんな一回寝たふりをして。こんな夜に外に出てることがばれたら怒られてしまうよ」


 




 ウルフがテントからテントに飛び移りながら、赤いテントへ向かっているころ、シープは背をテントに預け、脇に空の木箱を置き、両手で頬を覆いながらウルフを待っていました。灰色のマントの下の肩には大きく膨らんだ茶色い皮の鞄を掛けていました。


 ───ぼふん。


 と、音がすると同時に月の光が何かに遮られました。上を向くと、テントの屋根にいるウルフが、座っているシープを覗きの込んでいました。月の代わりにウルフの瞳がシープ見つめます。


「遅いですよ」


「ごめんね。ちょうど用心棒と団長に見つかっちゃった」


「油断大敵ですよ」


「撒いたから大丈夫大丈夫」


 笑いながら答えるウルフにシープは呆れたように溜め息をつきました。行きましょう、とシープは言うと、お尻に付いた砂を払うと立ち上がりました。そして、少しふらつきました。荷物が重かったようです。


「ちょうだい」


「何ですか?」


「持つ」


「……ありがとうございます」


「投げて」


「ええ、重いから嫌ですよ」


 ぷう、と頬を膨らませたウルフは軽やかに地面に降り立ちました。

 シープから鞄を受けとると、「重い」そう言いました。

 さて逃げましょうか、とシープが話そうと思ったときでした。地面に生える雑草が、固い革靴に踏み潰されました。ウルフとシープがテントの影から見ると人がいました。


「ちっ」


 ウルフが舌打ちをしました。


「あー」


 シープが声を漏らしました。


 ウルフとシープのおよそ十数メートルに、革鎧を着た無骨な用心棒がいました。手分けをして探していたらしく、一人でした。しかし消音器(サイレンサー)付拳銃を構えていました。拳銃が月に照らされ、黒々と光ります。


「動くなよ」


 相手が幼気な少年少女と見えるのか、完全に侮られていることがよくわかりました。

 胸ポケットから笛を取り出します。これを吹かれたらたまったものじゃありません。きっと応援を呼ぼうとしているのでしょう。ただ、笛を吹こうとするときに、用心棒の視界から二人は外れました。


 ぴくり、とウルフの耳が何を感じ取ったのか動きました。

 ウルフがちらりとシープを見ます。


 シープは小さく頷き、笑いました。ウルフは駄目だ、と小さく口を動かしましたがシープは無視をしました。

 わざと音を立てて、一歩前に出ました。

 それに気づいた用心棒が引き金に指をかけます。

 すると、シープがマントの裾を握っていた手を外して後ろに組み直しました。


「動くなと言っているだろう」


 用心棒が照準をシープの胸の中央に合わせました。シープが挑発的に用心棒に笑いかけました。くすくす、と。

 用心棒が不快感を丸出しにして眉を寄せました。


「何が可笑しい」


「おじさんは、私ごときも撃てないのですか?」


 用心棒はシープを睨み付けました。それを見たシープは再びくすくすと笑いました。


「おじさんは紳士ですね。……いや、それとも臆病者ですか」


 挑発だとわかった用心棒は、動きません。シープもそれを感じとりました。そこで、再び幼い子どものような声で笑うと。

 一歩、近づきました。

 そして、二歩目。三歩目。

 それから、もう一度、言います。


「臆、病、者、さぁん」


 その言葉の終わりに、シープは拾っておいた小石を投げました。飛んできた小石に驚いた用心棒は肩を弾ませると、引き金を引きました。消音器(サイレンサー)が銃音を軽減してくれるので空気の抜けるような間抜けな音が響きました。


──プシュッ


「がっ……は……!」


 声と共にシープの体がくの字に折れ曲がり、こぽっとシープの胸から赤い液体が溢れました。銃弾は肋骨に当たり止まったので、貫通はしませんでした。しかし、骨は砕けてしまったので、シープの体には激痛が走ったことでしょう。


「シープ!」


 ウルフは叫ぶと同時に地面を蹴って、弾けるように走り出します。用心棒に急接近しました。そして、ウルフは勢いよく後方倒立回転をしました。その際に爪先で銃を蹴りあげると、下ろした再び足を前に押し出し、相手の足を払いました。用心棒はうつ伏せに倒れました。ガチャンと銃が地面の小石に当たり、音を鳴らします。

 ウルフが素早く呻く用心棒に馬乗りになり、爪を使って用心棒の顔の皮を剥がそうとしたときです。


 ───ぐちゃ


 何かをかき混ぜたような音が小さく、響きました。

 ウルフも用心棒も音のした方へ視線を送ります。その視線の先には、うつむいたシープがいました。月の光を背に、ゆらりと立っていました。


「もう……」


 シープの少し不愉快そうな声が聞こえました。シープの左手は胸の方にあり、蠢いています。よく見ると、撃たれた傷に細い指を突っ込んでまさぐっていました。ズチュ、と不快な音がウルフと用心棒の耳に届きました。用心棒が恐怖で目を見開き、息を飲みます。

 シープの握りしめた左手が雫を垂らしながら、宙を漂いました。シープが濡れる手を開きました。


 ───カツン


 小さな金属音と共に、シープが顔を上げました。首をコトンと傾げました。口の端から一筋の赤い線ができていました。その口が微笑を浮かべながら、動きました。


「……レディに、何をするのです?」


 シープの足下には赤黒い液体に濡れた弾丸が落ちていました。左手からポタポタと血が滴ります。


「シープ。大丈夫なの?」


 はい、とシープは不安そうに訊ねるウルフに向かって微笑みました。ゆらりゆらりとシープはウルフ達の方へ歩んできました。右手は背中に隠して。


「この痛みは、もう覚えていましたので、ふふ、思い出してきました……」


「は?」


「ねえ?おじさん」


 す、とシープはしゃがみました。氷のような冷たいモノを奥に潜めた瞳で用心棒の顔をじぃっと見ました。用心棒はシープの深い深い緑色の瞳に、恐怖で顔を歪ませながら映っていました。


「おじさん、前に私のこと撃ったことありましたよね? 練習とかなんだとか言って」


 まぁゴム弾でしたけど。

 シープが右手を現しました。手には、少女のそれには似合わない、冷々と月の光で輝く、銃が握られていました。

 シープがそっと囁きました。


「これ、本当に痛いですよね」


 冷たい銃口が用心棒の額に触れました。ウルフは用心棒に馬乗りになっていたので、気が付きました。用心棒は恐怖で体が冷たくなっていることに。

 ウルフは後ろを向くと、爪で用心棒のアキレス腱をブツン、と切断しました。用心棒が一声、悲鳴を上げました。


「シープ、こいつなんかを殺す価値はないよ。もういいでしょ」


 シープはゆっくりと顔を上げ、ウルフに小さく微笑みました。しかし銃口の位置は変わりません。それから、用心棒の頬を撫でました。シープは楽しげにうふふ、と笑いました。


「ひ、ひぃ……っ」


 シープの細い指が引き金に掛かりました。ウルフが目を見開きました。 シープは瞳を細めて、にっこりと、用心棒の頭に一生刻みこまれるような笑顔を残酷な笑みを浮かべました。


「お返しです、よ」


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