馬と女の人
シープは目を覚ましました。
赤色が目に飛び込んできました。
視界いっぱいに空が広がっています。真っ赤に染められた雲が浮かんでいる、夕焼け空でした。
「あら?目が覚めたかしら?」
ウルフでもない、全く知らない声に驚いたシープは飛び起きました。すると、黒い影がぬぅっと顔に急接近し、
ベロン。
生温かくて、じっとりと湿った柔らかい何かが、シープの這いました。
「うひゃっ!?」
シープは濡れた頬を手のひらで押さえながら、上を向きました。
馬でした。艶々とした茶色の毛並みで、優しい目をした馬が目の前にいました。ぶふーっ、と馬が鼻で呼吸をしました。少し臭う、湿った息がシープの顔にかかります。
「え?え?」
シープは座りながら髪の毛を整えると、辺りを見回しました。馬と、眠っているウルフしか見当たりません。シープは再び馬に向き直りました。
「あなたが喋ったのですか?」
ブフン、と馬は鼻を鳴らしました。
馬が喋った、とシープが混乱しながら、頭を抱えていると、馬の陰から堪えきれなかったのかクスクスと笑い声が聞こえてきました。
「うふふっ。喋ったのは私」
ひょこっと馬の陰から顔を出したのは、女性でした。
女性は右耳の下で括った髪を弄りながら微笑みました。
「こんにちは。何でこんなところで寝ていたの?」
勘違いをして、真っ赤になって悶えているシープに、女性は訊ねました。
黄色いリボンがフワリと揺れました。
「あは。えっと、その……村に……」
熟したリンゴのように赤く染まった頬を押さえながら、しどろもどろに言いました。
「あら、あなた達も?」
女性は嬉しそうに微笑みました。
胸に手を当てて、名乗ります。
「私はサラ。それから、」
胸に当てていた手を伸ばして、
「あっちで彼を舐めているのがレッド」
寝惚けつつ半身を起こしたウルフを執拗に舐めている、艶々の毛の美しい馬を紹介しました。
顔中を涎まみれになったウルフが飛び上がりました。
「何っ!?うえっ、馬ぁっ!?」
「ウルフ!?」
「シープゥッ!」
何が起きたか把握できないウルフは、シープに助けを求めました。
無事、シープとサラに救出されたウルフは涎でベトベトになった顔を濡れた布で拭っていました。
ウルフは不満を顔いっぱいに表しています。
対してレッドは満足気に鼻を鳴らすと、サラに荷物を下ろして、とねだりました。
「あらあら、お疲れ様でした」
サラはドサドサと荷物を下ろしていきました。旅をしてるようには見えない荷物の量でした。
レッドは嬉しそうにサラの手を舐めると、ブフンと鼻を鳴らします。サラにお尻を向けて、尻尾を揺らしながら、背の高い草むらへ入っていってしまいました。
「あ、行っちゃったよ?」
ウルフが濡れた布を絞りながらいいさた。サラは大丈夫よ、と二人の目の前に腰かけました。
「水を飲みに行っただけ。前にもここに、来たことがあるから」
ところで、とサラはシープとウルフに訊ねました。
「えーと、シープちゃんとウルフくんだよね。メイレー村に行くの?」
「あ、はい。しかし、どのような村かわからないんです」
行き先も村名も全くわからないシープでしたが、堂々と肯定しました。さらに、情報を得ようと、都合よく言いました。隣でウルフが「何で知っているんだ」と首を傾げています。
「メイレー村は、素晴らしい村なの。行けばわかるわよ! どうせなら一緒に行きましょうよ!」
サラは手を合わせて、村の方を遠い目で見つめました。サラの頬は赤い刷毛でなぞったように、薄紅に染まっていました。
そんな様子のサラにシープとウルフは頭を下げてお礼を言いました。
いいのよ、とサラは笑います。
シープが訊ねました。
「一度行ったことがあるんですか?」
「そうなの」
「久しぶりの……村だねぇ、シープ」
ウルフの言葉の中にある空白には、“穏やかな”が入ったはずでしょう。
「そうですね」
「あら、そうなの?」
喋りながらサラは積んであった荷物から布の袋を取り出すと、それをシープとウルフの前に広げました。
赤く熟したリンゴや、少し萎れたニンジン、日保ちする黒パン、唐辛子とニンニクが入った肉の缶詰やらが出てきました。
「明日の午前中には村に着くから、朝の分を残して食べちゃいましょ」
「え?おれたちも食べていいの?」
「もちろん!」
そう言ってサラは食糧を三人分、均等に分けました。サラが食べたことない、と言った携帯食料をシープが「味は保証しませんが」と配りました。
お湯を沸かして、カップに注いで、紅茶のパックを入れて、お砂糖を各々入れました。ほっと、一息吐くと、まずシープが携帯食料の包みを剥がしました。
粘土の塊のような茶色い固形に、三人はかぶりつきます。
「うぐっ……なにこれ……」
「ぬぅ、相変わらずの味です……」
あまりの不味さに思わず顔をしかめるシープとサラを他所に、ウルフは一人、
「ん?」
平気な顔をして携帯食料をゴリゴリと咀嚼していました。
それから、サラとシープはリンゴやパンでお口直しをしました。
すると、そこへレッドが長いしっぽをゆさゆさとリズムよく揺らしながら、サラに近寄りました。まるで猫がすり寄るように、面長な顔をサラの頭に擦り付けて甘えます。
「あらあら、レッド。甘えん坊ね」
サラは自分がかじったリンゴを一つ、レッドにあげました。レッドは歯でリンゴを砕き、美味しそうに飲み込みました。
「あぁ、そうだ。シープちゃん、ウルフくん」
「はい」「なに?」
「私ね、村について、次の日に……結婚式を挙げるの」
顔をリンゴ以上に真っ赤にしながら、サラは言いました。レッドの腹のあたりを撫でながらでした。
「そうなんですか!おめでとうございます」「へぇ、おめでとー」
「私、まだ、その村に知り合いが少なくて……出来れば、二人にも見に来てほしいのだけれど」
「えっ!?いいのですか?」「見てみたい!」
サラは急に立ち上がると、レッドの首に手を回しました。
「もちろん観光の間でいいわ。来てくれる?」
「はい!」「うん!」
サラは嬉しそうに、ぎゅうっとレッドに抱きつきました。
「良かったわ、ねぇレッド?」
ブフフンと鼻を鳴らしたレッドが思っていることをシープとウルフには明確には窺えませんでしたが、なんとなく、喜んでいるように思えました。
「あ」
サラは声をあげました。
サラは黄色いリボンをくるくると弄りながら、でもね、と口を尖らせました。
「入村するのに、条件があるのよ」




