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嗚咽と約束


 夜空を閉じ込めたように、森は真っ暗です。

 その中に、ゆらゆらり、と動く光がありました。一匹の蛍が、迷い混んで来たように見えます。

 その光はウルフが掲げるランプでした。シープとウルフは、夜の森を歩いています。

 二人の声も、虫の鳴き声も、聞こえません。

 時折吹く風が木の葉を揺らしています。木々が囁き合っているかのようにザワザワと、まるでシープとウルフが森に訪れたことを、隣へ隣へと伝えているのかもしれません。


「……」「……」


 いつもは二人で仲良くお喋りをしながら、旅をします。今はしていません。シープは疲れています。ウルフも疲れています。二人共、疲れているのですが、歩みを止めません。

 ザクザクと落ち葉を踏み締めていく音がただただ響いています。

 シープはウルフと言葉を交わすこともなく、前を向いて、森を出ようと歩いています。すると、後ろでウルフが転びました。


「……っ」


「大丈夫ですか?」


 シープは足を止めて、ウルフを見ました。地面に手を着いているウルフにシープは手を差し出しました。


「だ、大丈夫」


 ウルフはシープの手を避けると、膝の土や葉っぱを払いながら立ち上がりました。シープは行き場を失った手のひらを、不思議そうに眺めました。不服そうに眉を寄せますが、すぐにいつもの表情に戻しました。


「少し、休憩しませんか?」


 シープが近くの木に、寄りかかりながら言います。少し止まったら、足が重りのように重くなったのです。ウルフが心配そうに言います。


「夜の森って危険なんじゃ……」


「危険ですが、疲れきって襲われる方がもっと危険です」


「でもどこで?」


 シープは上を見上げました。そして、自分が寄りかかっている木をぺしぺし叩きます。


「ここです」


「木の上?」



 ウルフは背の高い木を見上げました。夜の暗さもあって、木の先端は全く見えません。

 シープは首を横に振りました。


「いえ、この木の陰で、交代で見張りをして休憩しましょう」


 シープはドサリと荷物を下に置きます。その隣にランプを慎重に置きました。一晩も、ランプがもたないと思ったシープはウルフに言いました。


「落ちている枝と葉っぱを集めてください。火を焚きましょう」


 シープは膝を折り曲げて、枝を黙々と拾い始めました。ウルフも、シープの真似をして、比較的乾いた枝を集めました。仄かに灯るランプの淡い光の中で、二人は喋ることなく集めました。

 数分後、石に囲まれた円の中にこんもりと積まれた落ち葉と枝の小さな山が出来上がりました。シープは鞄からマッチを取り出すと、一つの枝に火をつけました。朧気だった互いの顔が、ほんの少し見えやすくなりました。次に、それを落ち葉の内部に入れました。二人でふぅふぅと息を吹きかけているうちに、落ち葉に火はぼぅ、と燃え上がりました。


「はぁー」


 シープは座ると、木に体重を預けました。

 ウルフもその隣に座ります。二人の間に少しだけ距離が空いています。


「ウルフ。食事にしましょう」


 ウルフがお湯を沸かしました。

 二人は湧いた水をカップに移して、缶のケースから紅茶のパックを取り出して、入れました。ウルフは角砂糖無しで、シープは二つ入れました。

 シープは不味そうに携帯食料をかじり、ウルフはぼうっとしています。

 食事と片付けが終わると、シープはウルフに言いました。

 

「鞄の中から、リリシアさんからの薬を取ってもらってもいいですか?」


「うん」


 ウルフはねっとりとした塗り薬の入った小瓶を取り出しました。シープに差し出します。シープの人差し指が、ウルフの指に触れました。ピクリとウルフの指が跳ねました。小瓶がシープの完全に手に握られる前に、ウルフは手を離しました。


「……。ありがとうございます」


 じっ、とウルフを見つめたシープは小瓶を受け取ると、きつく閉じられていた蓋を開けました。つん、とした香りが鼻を抜けます。右手の人差し指と中指で小瓶から薬を取りました。


「ウルフ」


 シープはウルフの右手を引っ張りました。その際、手袋を掴んでいたので手袋を外してしまいます。


「うわっ」


 ウルフが手を引っ込めようとする前に手首を握りました。


「さっき、転んだでしょう」


 シープは半ば強引に手のひらを返すと、手袋に覆われていなかった手首の擦り傷に薬を塗り込みました。


「ひっ……!」


 傷に沁みるのでしょうか。ウルフが顔をしかめます。シープはしっかり塗り終わると、手袋をウルフの手に戻して、反対の手袋も外しました。そこにもしっかり塗ります。


「あれ?」


 シープはウルフの手の甲に出来た小さな傷を見つけました。何でこんなところに、と思いつつも薬を塗っておきました。手袋を戻さずに、シープはウルフの手を握りました。ウルフの大きな手の中に、シープの手は収まってしまいます。 黙って、握っているとウルフは手を抜こうとしました。


「なんで」


 シープはぽつりと呟きました。ウルフは首を傾げます。シープの翠玉色の瞳がウルフの琥珀色の瞳を見つめました。


「なんで、避けるのですか」


 ウルフは目を逸らしました。


「別に避けてなんか……」


 シープはまだ見つめています。ウルフは気まずそうに顔を伏せました。


「転んだとき、私の手から逃げたでしょう」


「それは……」


「私のことが、嫌いになりましたか?」


 ウルフは吃驚したように顔を上げると、首を左右に振りました。


「そんなわけないだろ!」


「じゃあ、なんでです……?」


 シープは悲しそうに眉を寄せると、下唇を噛みました。ウルフはなかなか言葉を吐き出せずにいます。


「……それは」


「……はい」


 ウルフがシープの手から、自分の手を抜きました。今度は簡単に抜けました。

 ウルフは視線を下に向けました。


「だって、約束を破っちゃったから……」


「え?」


「だって、シープと約束したじゃん。人間はもう喰べないって、シープを喰べないって、約束……っ」


 でも、でも、とウルフは髪を掻きました。グニャリ、とウルフの表情が歪みます。ウルフは手で膝を抱きました。膝に顔を埋めました。ウルフの口から嗚咽が溢れます。


「で、も、喰べ、ちゃった……っ。シープも人間も……っ」


「……ウルフ」


 シープはウルフに近寄りました。ウルフの体は強張ります。シープは手のひらで、ウルフの頭を不器用に撫でました。


「美味し、かった……。それだけ、しかっ、考えれなくて……っ」


 ウルフは目からぼたぼたと溢れくる涙を服の袖で拭いました。


「きっ、と……っ。おれは、シープを……いつ、か、喰べちゃう」

 

 ウルフは顔をあげたました。シープに顔を向けました。ウルフの琥珀色の瞳は雫が溜まって輝いています。大きな一粒が、炎の光を反射して光りながら地面に落ちました。


「痛かった、よねぇ!おれが、喰べちゃったから!おれの、せいで……ごめ、ん」


 ウルフはシープに言いました。ウルフの痛みが言葉に乗って、シープまで届きます。



「ごめ、ん、ごめんね。シープ、ごめん。ごめん……」


 ウルフは謝っています。ずっと、ずっと。

 シープはウルフに肩を貸しました。ウルフはシープにぎゅうっと抱き着きました。シープはまるで、母親が子供にするように、背中を擦りました。

 温かい涙が、肩に染みました。

 そのうち、ウルフの声は、どんどん小さくなっていき、眠りに落ちてしまいました。眠りつく、最後まで、ウルフはシープに呟やいていました。





 パチン。薪が小さく爆ぜました。

 シープは、揺らめく炎を眺めました。






「大丈夫ですよ。ウルフ」







 シープと見張りを交代したウルフは炎を眺めていました。

 もうそろそろ夜は明けるでしょう。

 シープは今、自分の膝に、頭を乗せています。マントに包まれて、静かな寝息を立てていました。

 シープのミルクティー色の髪は、炎の光に照らされて、金色に見えます。ふわふわと柔らかい髪の毛を、ウルフは恐る恐るといった様子で、触れました。

 繊細なガラス細工の物を触るように、優しくシープの頭を撫でました。

 シープが動いて、左手が地面に投げ出されました。すべすべの肌がウルフの目に入ります。ウルフは、シープが自ら切り裂いた肌を、指の腹で、なぞりました。


「ありがとう」


 ウルフは呟きました。

 他人の傷も癒してしまう、シープの血。だからあんなにも甘美なのかも知れない、とウルフは思いました。

 ウルフは何だか胸騒ぎがしましたが、なぜだかわかりませんでした。

 薪から、ふわりと舞ってきた火の粉に気づいたウルフは、それを手で払いました。




 パチン。薪が小さく爆ぜました。

 ウルフは、揺らめく炎を眺めました。






「守り続けるからね、シープ」









 朝です。

 薪は燃え尽き、細い煙がゆらゆらりと空へと伸びています。

 朝靄がシープとウルフを包んでいました。しっとりと朝露で湿った空気が、冷え冷えと二人を撫でます。

 木々の隙間から迷い込んだ朝の光が、そこらにちらちらと走っています。


「おはようございます」


「おはよう」


 シープが目を手の甲で擦りながらいいました。ウルフが水で湿らせ布をシープに渡します。シープは顔を拭って、その後、ぼさぼさの髪を撫でました。鞄から出した櫛でガシガシととかします。

 ある程度、格好を整えたシープはウルフに言いました。


「そろそろ……」


 シープとウルフは荷物を担ぎました。

 林から出るために歩き出しました。

 

「行きましょう」


 シープはウルフに手を差し出しました。


「うん」


 ウルフはその手を握ります。

 二人は手を繋いで進んでいきました。

 
















「わぁーーー!」


 目の前に草原が広がっていました。

 シープとウルフは草の上に倒れるように寝転びました。

 何時間歩いたでしょうか。

 たくさんたくさん歩いて、シープとウルフはやっと林を抜けました。

 シープとウルフの心は開放感に満ち溢れました。


「足痛い!」


 荷物を放り投げて、ウルフは寝っ転がりながら靴を脱ぎ捨てました。


「下がふかふかです!」


 同様にシープも靴を脱いで、ウルフの隣に寝そべりました。閉じ込められているように圧迫感のあった木々の天井は無くなり、青空が広がっています。ぽっかりと浮かんだ真っ白な雲と、日の光にシープとウルフは目を細めました。


「気持ちいいー……」


「眠く、なります、ね」


「うん……」

 

 涼やかで優しい風が、シープとウルフを撫でていきます。暖かい空気と草の香り、地面の微かな湿り気。

 シープとウルフはうとうとと、微睡んでいき、ついには眠ってしまいました。

 シープとウルフを照らす中、太陽の光はどんどん傾いていきました。




















 シープとウルフが手を繋いで眠るなか、一つの影が、二人に近づきました。








 シープは目を覚ましました。

 赤色が目に飛び込んできました。



「あら?目が覚めたかしら?」 

 

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