ある縋る村 Ⅳ
ひとつここで、お話をしましょう。
リリシアの村、この陰にひっそりと佇むようなこの村のお話です。
村は、たくさんの木々が鬱蒼と生い茂る森に取り囲まれていました。そのせいで、森の奥深くまで進まないと、村に気づかないほどでした。
そんな深い森の奥で、金色の髪を持つ村人たちは、互いに助け合って暮らしていました。
どんなことも村中の皆で、協力して乗り越えていきました。しかし、人間の力と言うものは自然の力には全く歯が立ちませんでした。
困った困った村の長は、村の中で彼の家族だけ持っている黒色の髪を揺らしながら、鍵のかかった古く黒い書物を開き、解決策を探しました。
そして、長は"神様"を見つけました。
村よりもさらに森の深くに住まう"神様"でした。その神様の名は"神狼"と言いました。
"神狼様"は昔々に数回程呼び出され、願いを叶えてきたようでした。
書物の第一章によると、長による願いが記されていました。長によって願いは違い「飢饉が起こりませんように」「洪水が鎮まりますように」など、村がこんな森の奥で存在し続けていた理由を知ることができました。
第二章は"神様"を呼び出す方法でした。
神様を呼び出すためには、生け贄として一人の美しい少女と、村の魔法の力で作ることが出来る、生け贄の少女の生き血が調合されている薬が必要でした。
村の長でもあり、薬剤師でもある黒髪の一族は皆、薬の作り方を知っていました。
──そして、神殿に呼び出された"神狼様"に長は願いました。
「この先、他村との関わりがありませんように」
と。
以前、偶然他村の悪人に見つかって連れ去られた美しい少女達を思って、願いました。
◆◆◆
「さぁ、"神狼様"。願いを叶えて……!」
他村との交流を望む両親に憤怒しながら、若き長は願いました。
少女の空気を裂くような叫び声は、ウルフの耳には入っていません。
ウルフを欲望と空腹が支配していました。
ウルフは夢中で傷口から溢れる血液を舐めました。
甘ったるい血の味が舌に広がり、ドロリと喉へ垂れました。ウルフの体は熱があるかのように、火照り、汗ばんでいました。
ブツリと電源を切ったように少女の叫びは途切れました。そして喘ぎながら身を捩って、ウルフから逃れようとしてました。しかし、ウルフの力は強く、なかなか振り払うことが出来ません。
ウルフは少女の二の腕に、かろうじてぶら下がる少女のお肉の破片を口に含み、喰い千切りました。
ブチュン、と嫌な音を立てて口内に入ったお肉をウルフは咀嚼し始めました。
その様子を、リリシアが扉を背に見ていました。血に臆することなく、ニマニマと笑みを浮かべながら見ていました。
扉の外ではごうごうと風が吹き、村が"神狼様"の出現に歓声を上げているように感じました。
「ん?」
リリシアにはその風の歓声の中が一際大きくなったように感じました。しかし、すぐに
「リリ、シ……アッ様ぁ……」
岸に打ち上げられた魚のようにパクパクと喘ぐ少女がリリシアを呼びました。
肩に走る激痛に顔を歪ませ、少女は助けを求めるように、視線をさ迷わせています。少女と目が合ったリリシアは、少女に微笑みました。
救われると思ったのでしょう。少女の表情が緩みます。しかし、リリシアの行動で、すぐに凍りつきました。
とぽん。紅色の液体の入った小瓶を振ると
「痛み止めはあるわ。だからもう少し頑張ってね」
言い放ちました。妖しく笑いながら。
少女は絶望の色を瞳に表し、全てを諦めたかのように、四肢の力を抜きました。
ウルフの腕に重心が傾きました。
無意識でしたが、ウルフは少女の青い瞳を悲しそうに見つめます。
そして少女の肩を軽く舐め、血の味を再び確認しました。涎が舌から滴り、口の端を舐めたウルフは肩に噛みつきました。ガチン、と肩の骨にウルフの鋭い歯が当たりました。
「あぎゃっ……」
少女の口から悲鳴が漏れました。
ウルフは歯が骨に当たったことに違和感を覚えたのでしょう。
ウルフは肩のお肉から歯を離して、もう一度柔らかい二の腕に牙を立てようと口を大きく開きました。
ウルフの口が空を噛みました。
「……ぅぎっ!?」
ウルフの体が横に吹っ飛んだからです。覆い被さる黒い塊を撃退しようとウルフはその塊に爪を立て、喰らいつきました。
その瞬間、ウルフは脳を縛り付けていた針金がペンチで勢いよく切断されました。
「……っ!」
口に流れ込む血の味は、懐かしく甘美なそれでした。
「……早くッ──戻ってきなさい!」
◆
「……はぁっ。ウルフ……!どうか──」
──無事でありますように。
シープは祈りながら広場に向かって走っています。靴底で落ちてる小枝を折り、でこぼことした道に足を取られながら走っています。
段差に躓いたシープは、敷石に肌を擦り付けながら転倒しました。手のひらと腕に熱い痛みがズキズキと居座りました。
「……は、ふ……ぅっ」
体を起こし、座ると腕を見ます。細かな擦り切れた線がいくつか現れ、赤い血の玉がプクリプクリと浮かびました。砂を払い落とす間もなく、傷が治るのを早送りで見ているように、すぐに瘡蓋になり、皮膚が出来上がりました。皮膚の内部に取り残された砂が小さな鈍痛を生み出しています。爪で皮膚を引っ掻き、血の滲んだ肉から砂を掻き出すと、シープはやっと立ち上がりました。
「……ふぅ」
シープは息を整えると、目の前に見える広場に駆け出しました。
広場には、子供たちが追いかけっこを、その親たちが談笑をしていました。薄暗い村であるのに、輝く金色の髪はシープにはとても美しく思えました。
「あれ?おねーちゃん、たびびと?」
一人の男の子が立ち止まり、尋ねました。潤んだ青い瞳が印象的でした。
「はい、そうです。黒い髪の少年を見ませんでしたか?」
「おにいちゃんなら、リリシャアさまとあっちいったの」
男の子が指を指す方向に、シープは顔の向きを変えました。そこには、錆びた門がありました。
「あそこね、リリシャアさましかいっちゃだめなの。なのに、おにいちゃんいけたんだよ」
「そうなんですか。おそらく、私たちが……客人だからだと思います」
「うーん……わかんない」
首を傾けた男の子の身長に合わせて、シープは膝を折りました。
「教えてくれて、ありがとうございます」
笑みを浮かべたシープは、男の子に背を向けて去り、半開きになった門から中へ入りました。
「ウルフ……」
呟いたシープは、小道を歩き始めました。
風が吹くたび、唸るように木々がざわめき、シープの不安を煽ります。
シープはやっと、黒く重厚感のある扉を目の前にしました。耳を扉に押し付けて中の音を聞こうとしましたが、何も聞こえません。
意を決してシープは扉を押しました。風の手伝いもあり、重そうな扉は案外楽に開きました。
扉の音も掻き消され、光りも木々に遮られているおかげで、中にいる人は誰も、シープには気がつきませんでした。
息を整えたシープは壁に背中をピタリと付けて、可愛らしく膝を抱えているリリシアを見ます。鼻歌をフンフンと漏らしながら、髪をサラサラと揺らしながら、縺れる黒い二つの塊を見ていました。
グチュグチュと聞き慣れた音が聞こえます。
鉄のような、血の匂いが鼻腔を刺激します。
「……っ!」
リリシアが酔いしれながら眺めていたのは、血塗れの少女と彼女の肉を貪るウルフでした。
呆気にとられ見ていると、ぷはっとウルフが息継ぎついでに、少女の肩から口を離しました。
その時、シープの体は勝手に動きました。床を蹴り、ウルフに体当たりをしました。
シープの下で抵抗するウルフの口に自分の腕を噛ませて、押さえつけます。容赦のない強さでウルフは牙を立てました。鋭い歯で腕の肉を抉られました。久しぶりの痛みにシープは悲鳴をあげそうになりましたが、歯を食い縛って堪えました。
「……早くッ──戻ってきなさい!」
叫ぶと、空いた右手でシープはウルフの頬を思い切り叩きます。その拍子に歯の位置がずれ、冷汗が吹き出るほどの痛みが脳天までかけ上がります。気力で悲鳴を飲み込み、ウルフを精一杯睨み付けました。
驚愕したようにビクリと震えたウルフは、琥珀色の瞳を見開きました。
シープの翠玉のような瞳を確認します。震えながら、口内にあるシープの柔らかい肉に熱い舌を押しつけるとゆっくりと牙を抜きました。
ぽっかりと空いた穴から、赤黒い血が湧き上がり、滝のように流れます。
「ウルフ……」
綺麗な右手でシープはウルフの頬を撫でました。ウルフはシープの傷を凝視し、次にシープの瞳を見つめました。
「し、シープ……?血が、血が、血が……それは?何で?あ、あ──」
ウルフは信じられないというように、自分の両手を見ました。横を向いて血塗れ倒れる少女を、呆然と立ち竦むリリシアを見ると、再び自分の姿を見ました。
「え?あれ?真っ赤?赤い、紅い、赤い?何で?まさか──」
リリシアが嬉しそうにと妖艶な笑みを浮かべました。
シープが悲しそうに右の手で、傷口を押さえました。
少女が恐怖に満ちた表情で、ウルフを見ていました。
ウルフは、舌に広がる甘い甘い味に気づきました。血でベタつく手のまま、顔を覆うと
「うっ、うあ。あああああああああああああああああああああああ────っ」
◆
シープはウルフの悲痛な叫び声に顔を歪めました。シープはウルフを軽く抱き締め、頭を撫でます。荒かったウルフの呼吸は落ち着いていき、静かになりました。力の抜けたウルフはその場にへたりこみましす。
そして、シープはその元凶であるリリシアを睨み付けます。
「なぜ、笑っているのです?」
喜びを隠しきれないように微笑んだリリシアは言います。
「だぁって、神狼様に二人も食べられたのよ? 願いは絶対に叶うわ」
シープは構ってられないというように頭を振って立ち上がると、少女の方へ歩み寄りました。少女の顔は土色でしたが、金色の髪の毛は艶々と蝋燭の灯りを乱反射していました。
少女の口元に手を当て、シープは息を確認しました。ズボンのポケットから折り畳み式ナイフを取り出すと、手足の縄を切りました。
「ちょっと、何をするのよ!」
怒りながら近寄ってくるリリシアに振り向いたシープは
──プシュッ
「五月蝿いですね」
素早く腰のホルスターから抜き取った消音器付き拳銃で撃ちました。リリシアの髪が一束落ち、耳たぶから血が垂れます。
「……ひゃっ」
わざと外したシープは引き金から指を外し、狙いを定めたまま言いました。
「次動いたら、貴女の脳天を撃ち抜きます」
「……」
「貴方は見たことないでしょうが、これは鉛玉を人体をぶち壊すほどの威力で発射できるので、下手に動かないでくださいね」
シープは拳銃をホルスターに戻すと、少女の肩の傷を見ました。
ぶら下がった衣服を随分と痛みが引いた、左手で退かします。
ポタポタッと血が数滴、左手の指の先から、少女の傷口に落ちました。
シープはその傷口を見つめたまま、口をぱくぱくと動かしました。
なぜなら、少女の傷が──
「──え……?」




