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ある縋る村 Ⅲ



 

 図書館の天窓から見える空の色は、朝の鼠色よりも、深く濃いものになっていました。漂っていた紅茶の香りも消えています。ララはシープの集中力を切らないように、雑巾片手に静かに慎重に掃除をしていました。

 シープは文字の羅列を舐めるように眺めていました。黒い表の本は半分を切っています。内容は先ほどまで読んでいた伝記と大体同じでした。シープは頁を捲って、頁を捲って、頭を整理して、頁を捲って、頁捲って、それを何度も繰り返します。そして、シープはもう一度頁を捲りました。シープの翠玉色の瞳は見開き、


「……え」


 閉じていた唇から、吐息のような声を漏らしました。

 頬にかかっていた髪を、鬱陶しげに耳にかけます。本に顔を寄せて、文章を読みました。本の古臭い香りが押し寄せまてきます。

 そんな様子を本棚の陰から見守る人がいました。ララです。

 ララは緊張した面持ちで、雑巾を握り締めました。










 しばらくして、シープは立ち上がりました。その拍子に椅子が倒れてしまう程の勢いでした。

 黒い表紙の本を持ったシープは辺りを素早く見渡し、ララを見つけると駆け寄りました。


「この村に、神殿はありますか!?」


 緊迫した様子のシープはララに訊ねました。


「あるわ……」


「どこです!? 早く教えてください!」


 場所を教えたら今にこの場を去ってしまいそうなシープに、ララは言いました。


「その前に、本の内容を……」


 そう言った途端、シープの顔は引きつりました。金切り声のような声音でシープは言いました。随分と焦っています。


「私を頼らないでくださいっ!自分で読んだら良いでしょう!?」


 ララの胸に禁忌の書物を押し付けると

シープは、ララを睨みつけました。


「教えなさい」


 シープの突然の変わりように、ララの思考はついていきませんでした。

 意味もわからず、ララはシープに言いました。


「む、村の広場、にある……小道の奥に──あっ」


 シープは、ララの言葉を最後まで聞かずに、図書館を出ました。

 呆気に取られたララの手から、漆黒の本が滑り落ち、重い音が空虚な図書館に響きました。






























「あぁ……あたしは間違っていなかった。さぁ、神殿へ向かいましょう?」























 ウルフは"人間のお肉"以外、食べません。

 ウルフは"人間のお肉"以外の味を感じません。

 そんなウルフには、チョコレートの舌に絡みつく甘さも、香りも、何も感じない筈なのです。

 それなのに、今、リリシアが与えた、ウルフが口にしたチョコレートには、"味"が存在しました。

 あまりのことにウルフの思考回路は止まります。ある一つの可能性に気づかぬまま、ウルフはリリシアに手を引かれ神殿へ連れていかれます。

 リリシアに抵抗せず、瞳をぱっちりと開いたまま歩み続けます。

 恍惚とした笑顔のままリリシアは、神殿の扉を開きました。黒々と重そうな扉は、神様を歓迎しているようには見えませんでした。寧ろ神を引き入れた後、二度と外には出さない、という雰囲気さえ漂っています。

 二人の背後の扉が大きな音を立てて閉まりした。それと同時に魔法のように、建物内の灯りが点きました。

 古びたベンチがいくつも並び、奥の壁には狼の大きな紋章のようなものが飾られていました。

 


「ウルフさん、なぜそんなに呆然としているのかしら?何か問題でもあったのかしら?」


 ウルフが下を向きながら、口元を動かしました。掠れた音が漏れます。


「───んで、──るの……」


「ん? どうしたのかしら?」


 ウルフは顔を上げて、瞳を開いて言いました。


「何で、味が、するの……?」


 リリシアは、これまでで最も美しい笑顔を浮かべました。どんな蝶も集まってしまうような、極上の笑みを。


「あぁ……!伝説通りね!なんて素晴らしい……」


 リリシアはウルフに背を向けると


「ウルフさん……いえ、神狼様。少しお待ち頂けるかしら」


 言葉を残して、建物の奥へ向かいました。

 ウルフはリリシアの後ろ姿をぼんやりと見つめていました。

 








 物音が奥からして、リリシアが何かを引きずりながら、こちらに向かってくる様子が見えました。

 それと共に、あの香りが、ウルフの鼻孔に充満しました。



「……あ」



 ウルフは、やっと気づきました。チョコレートに入っていたモノは何なのか。


 ドクリ。自分の鼓動がやけに大きく聞こえます。

 時間が経っているはずなのに、ウルフの頭の霧はいっこうに晴れる気がしま線でした。

 しかし、たった一つの言葉だけが、自ら発光しているようにはっきりと、その輪郭を映していました。







 ───お腹、空いたな







 ウルフはいつにも増して、餓えていました。

 唾が、口内に溜まり始めています。舌が乾いた唇を舐めました。唇から漏れる息は、激しく、熱いです。

 腹に鈍痛のような、違和感が涌き出ています。理性がどこか遠くから、だめだ、だめだとその衝動を抑えようとします。しかし、ぼぉんぼぉんとある村で響いていたような鐘のようにくぐもってきこえました。








 ───お腹、空いたな








 リリシアが近づくにつれ、さらにその 気持ちは、強く、大きく、胸の中で育っていきます。



「は、あ───」




 ウルフは胸を押さえました。シャツに歪な皺が寄るほど、強く。どれだけ強く押さえつけても、鼓動は次第に高まり鎮まりません。

 一歩。リリシアは、足を進めました。

 コツン。固い靴底が、床を鳴らします。

 ようやくリリシアの顔が見えました。満面の笑みでした。

 引きずっているものも、よく見えました。















「神狼様。どぉぞ」


 リリシアは、ウルフの前に、その引きずっていたモノ──少女を転がしました。

 両手と両足を紐で縛られた、淡い金髪の少女は、瞼を閉じていました。苦しげな表情で気を失っています。

 ウルフは空気が抜けるような悲痛な声をを上げると


「い、いらない!」


 後退りました。

 リリシアはツインテールを揺らしながら、首を傾げます。きょとんとした顔で言いました。


「何故? 人間の肉、好きよね?」


「いいっ! いらない!」


 ウルフは叫びました。

 リリシアは「ああ!」と手を叩くとクスクス笑いました。


「あたしがいるから遠慮しているのね? ほら、平気よ」


 言葉を続けながらポーチからナイフを取り出すと、その少女の肩を切りました。

 その衝撃で目覚めた少女の呻き声が、濃厚な血液の香りと共に、辺りに振り撒かれました。


「ほら、ね?」



「──ハ、ふ……ッ」


 正直、ウルフは我慢の限界でした。

 脳味噌を鋭い棘のついた針金できつく縛られているように、頭痛が襲っています。理性をぶち壊そうと、ありとあらゆる神経を虫が這い回っているような感覚でした。

 止めることの出来ない涎が、舌を伝って床に模様を描いています。



 追い討ちをかけるように、リリシアはウルフの唇に触れました。血塗れの指で。









 ───シープ、助けて











 呟いた直後、ウルフの脳内で何かがプツリと切れました。
















「あ」






















 青い瞳を見開いた、少女の叫び声が、神殿内に響き渡りました。


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