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旅の始まり



 ある日、ある村の、月が明るい夜に開催された、鮮やかで華やかで残虐で残酷なサーカス団のテントがその街の外れにありました。テントの回りでは、数個の光がゆらゆらと揺らいでいます。それらはサーカス団のマークが入った小さめのテントにある灯りでした。

 団員は皆、その日のショーが終わり、檻の中や寝台やらがあるそのテントの中で自由に休んでいます。

 きらびやかな衣装は畳んで棚の中に。今は質素な寝巻きを身にまとって、ぐっすりと夢の中。

 だれもが眠るテントの一つの赤いテントに、あのショーで有名の人喰い少年と不死身の少女を含めた、寝台が数台ありました。そこには、数人の少年と少女がすうすうと寝息を立てて眠っていましたが、あの二人は見当りませんでした。

 あの二人は今、どこにいるのかというと、その赤いテントの裏側に二人は肩を並べて座っていました。まだ夜風が冷たいころなのだからでしょう。少年と少女はお揃いの暗い色の外套を羽織っていました。

 サーカスが開催されて三日目の夜には、決まって悪夢のようなショーを行わなければなりません。その度に二人は、静かな夜を求めます。



「シープ、今日は何人死んだかな」


 この質問も今までに、何度してきたことでしょう。

 ホワイトミルクティーの髪を風にふわりと揺らし、深い緑色の瞳を見開いてどこかを見つめるシープに、夜色の髪のウルフが問いかけました。琥珀色の瞳は暗く地面に落ち、風に揺れる雑草を眺めています。


「六人ほどでしょう。ウルフ、"使い捨て"に情を移してはいけないのです」


 真冬の風のように冷たい声で、シープが言いました。ウルフは声のトーンを低くして、寂しそうに言います。


「でも、あの中にいた栗毛の奴、おれのことをかっこいいって言ってくれたんだよ。おれみたいになりたいって」


 言って、夜のショーで空中ブランコに挑戦した少年を思い出します。ろくに訓練をさせてもらえない子どもが成功するはずありません。地面で頭を叩き割ったその男の子と、これまでも同じように死んでいった男の子の姿、それと同時に観客の汚い笑い声が脳裏に浮かびます。


「私も言われました。レディ、と。まるで普通の"人間"のよう」


 シープはテントからあと数十メートル程のところにある森を見ました。森の木々は闇の奥の何かを隠すかのように、鬱蒼と茂っていました。ウルフはがしがしと手袋越しに頭をかき混ぜます。どうも、ここ数年のサーカス団の、団長のやり方が気にくわないのです。


「“使い捨て”でも人間だ」


「私達と違って、ですね」


 

 その言葉に二人は黙り、しばらくの間、世界は静寂に包まれました。空を渡る雲が、煌々と光る月を隠します。二人の影は薄れていき、闇に溶けました。

 ウルフは溜め息をつきました。そして、とてもとても気まずそうに、琥珀色の瞳を伏せてシープに言いました。


「シープ、ごめんね」


「何がです? ウルフ」


 シープは横目でウルフを睨むよう見つめ、寒々とした声音でウルフに問いました。掠れた声でウルフは言いました。


「今日も、痛かったでしょ」


 ウルフは悔しげに顔を歪めています。しかし、それにシープは気がつきませんでした。なぜなら、ウルフはうつむき、地面を見つめていたからです。シープはホワイトミルクティーのふわふわの髪を自分の細い指に巻き付けています。


「別に、気にしていません。団長命令なら仕方がないことなのです」


「でも、シープは、それを苦しいと思ってる」


 仕方がない、と言い切る彼女にウルフは言いました。シープは自分のお腹の当りをつぅっと指で撫でます。そこは先程ウルフに喰われたところでした。シープはそれを思い出したのか、表情を苦痛の色に変えて言います。


「もちろんです。傷はすべて治ります。しかし痛みは感じます。この痛みを忘れることはできないのです」


「ああ……」


 ウルフが声を漏らしながら、前髪をかきあげました。

 でも、とシープは言いました。


「人間しか食べられないことが苦しいのだから、仕方ないのです」


 そうだよ、とくぐもった声でウルフは返しました。シープは目をすぅっと細めました。ウルフは続けます。とてもとても苦悶に満ちた表情でした。


「人間以外のものは、全て味がしない。動物のお肉を食べちゃったら頭もお腹も痛くなるし、吐き気もする。だから」


 シープを、人間の肉を食べるしかないのだ。続く言葉を飲み込みます。あのとき食べた干し肉の味を思いだして、腹の奥から虫が這い上がってくるような気分になりました。

 苦し気に喋るウルフの話を聞き、シープは安堵の溜め息を漏らします。


「その言い方だと、私の味は普通の"人間"なんですね。良かったです」


「 "人間" か "怪物" か……」


「いったい、どちらなのでしょうね」


 ウルフが項垂れながら、顔を上に向け、両手の平で覆いました。シープは眉を寄せながら、自分の膝に顔を(うず)めました。

 二人の心には、怒りや疑問、悲しみなどの負の感情がぐちゃぐちゃと混ざりあって溢れてきました。そして二人は声にして吐き出さないと壊れてしまうから、というように同時に、呟き始めました。風に掻き消されてしまいそうな程の二人の声は、お互い聞こえているのかということすら、わかりません。


 少年は吐き出しました。ああ、と。

 少女は吐き出しました。ああ、と。


 少年は言いました。


「なんで、喰えと言うのだろう」


 少女は言いました。


「なぜ、喰われろと言うのでしょう」


 声を震わせて、


「おれも、人間と形は同じなのに」


 細い肩を抱いて、


「私も、痛みを感じるのに」


 しかし、恍惚とした瞳で、


「だけど"人間"の味はとても甘い」


 しかし、絶望を露にした瞳で、


「しかし、傷はすぐに治るのです」


 ふたつの口は同時に動き、不思議そうに呟きました。


「なんで、こんな身体になったんだろ」

「なぜ、こんな身体で生まれてきたのでしょう」


 どうしようもない、糞みたいな世の中を吐き捨てるように、不可解な事実を嘆きました。しかし、いつも言うだけ。呟くだけ。ずっとこのまま、同じような生活をしていくのでしょう。なんて情けない。なんで、なんで。


「なんで、なんで、こんなに苦しい思いをしないといけないの?」

「痛いのは、もう嫌なのです。なぜ、痛みを強要するのです?」


 ずっと抱いてきた疑問でした。だれも、答えてくれません。

 ウルフがぽつり、とシープに語りかけるような口調で、言いました。


「"怪物"に、幸せは訪れるのかな」


 この問いに、シープはいつも必ず曖昧な言葉で濁します。

 シープは翠玉のような瞳を見開きました。ふと空を仰ぐと、嘘みたいに丸い、明るい満月が煌々と光り輝いています。そして、答えました。口をついて出たのはいつもと違う答えでした。


「ならば、探しに行きましょう」


 柔らかな声で言いました。シープが今まで読んできた物語の可愛そうな女の子や悲惨な過去を背負った男の子は、自分達で運命を切り開いていきました。ぐるぐると渦巻く頭の中の文字を、唇を噛み切りながら辿っていきます。

 今、動かなければ、きっともう自分達はこのままではないのか。そう、考えました。


「いつ、逃げ出しましょうか」


 シープは隣にいたウルフの手に、白い手を重ねました。手袋越しに伝わる熱に、はっとウルフが手を退けました。

 いつの間にかシープのは、ウルフの顔を覗き込んでいました。お互いが少しでも顔を前に動かせば頬が当たってしまいそうなほど近いです。ふわふわとした髪の毛がゆるりゆるりと撫でます。

 シープから温く漂う甘く、美味しそうな匂いにウルフの口内には涎が溜まります。ごくりと喉を鳴らしました。我慢しようと、必死に空腹を紛らわせます。しかしそれは闇夜と風のせいでシープにはわかりませんでした。

 振り切るようにウルフが立ち上がります。にっこりと笑いました。両手を広げて、その場でくるりと回転します。


「今なら全員寝静まっているよ」


「私達はそれだけで逃げ切れるでしょうか」


「わからない。でも今しかないね」


 ウルフは言いました。その理由は、二つあります。一つはこのサーカス団がこの村に滞在するのは今晩が最後で、まだ荷を積んでいないこと。二つ目は、ウルフ達が今見ている森を抜けると、この村から出れること。

 ウルフはうーんと唸り、黒髪をかきあげて、額を押さえました。

 シープも顎に手を当ててしばらく考えてました。ぷちり、ぷちりと、薄い膜を貫く音が響きます。シープが自分の唇を噛み切る音でした。この村から近くの村までの地図、荷が置いてある場所、だれがどこで眠っているか。彼女の頭の中ではパズルのピースを嵌めていくように、逃走経路が、これから先に必要なものが組み立てられていました。

 静かな数分が過ぎました。

 そして、シープはにこりと微笑みました。口元に垂れる血を拭い、たおやかに笑います。

 雲が去り、仄かに輝く月の光がその微笑を、薄く照らしました。


「思いついた?」


「ええ」


 ウルフはシープを見ました。シープは立てた人差し指を口元にかざし、小さな口から白い歯を覗かせながら笑いました。


「まずは、団長さんのお金と食料を盗むのです」


「それで?」


「───檻の動物たちを逃がしましょう」


 皆混乱するでしょう、とシープはウルフに笑いかけました。このサーカス団にはライオンに猿、熊にその他にもたくさんの動物たちがいるのです。ウルフはほんの少し考えて言いました。


「でも、鍵はどこかわからないよ」


 シープはウルフの片手を取りました。シープの手より大きくて固くて、鋭い爪のある獣のような手です。その爪をシープは自分の手のひらに押し当て、なぞりました。紙を切るように容易く、シープの皮膚が真っ直ぐに切れました。ぼたぼたと赤い血が地面に染みを作りました。


「......なにしてるの」


 シープはその手のひらををウルフの口に当てました。シープの血液がウルフの唇の端から滲みます。ウルフから、熱い息が漏れました。


「あなたの手ならできるでしょう?」


 シープのお肉を喰べてしまえば、ウルフの能力はより高まります。

 ウルフは不敵に笑うと、シープの手を握り返し、彼女のてのひらを舐め、肉を噛み千切りました。

 シープはサーカスでの痛みはこれで、最後になるであろう、と確信しながら痛みに顔をしかめながらも、同じような笑みを返しました。



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