森での出来事
平地が広がっていました。
旅人、商人など、たくさんの人々が何度も通ったからでしょうか。辺り一面に短く茂る雑草の中に、土が剥き出しの道が出来ていました。
そして、その道を踏み締める二人の人影がありました。
ミルクティー色の髪のシープと闇色の髪のウルフです。二人ともけっこうな荷物を背負っており、疲労が溜まっているようです。
ウルフとシープの視線の先には小さな林があります。おそらく人の手で植えられたものなのでしょう。遠目からでも、不自然な程均等に、木々が生えています。
「シープ。森、発見!」
ウルフが人差し指をビシッと人工林に向けました。
「先程から見えていますよ。それに、あの規模だと林ですね」
疲れているのにも関わらず、シープは冷静に言いました。ウルフは口を尖らせました。
「どっちでもいいじゃん、別に」
「そうですかね」
真面目なシープは「でも、あの木の並び方ですと……以前読んだ……」と、かなり前にサーカス団でのテント内で読んだ本を思い出しながら、ぶつぶつと呟いていました。その桁外れの記憶力に感心しつつも、面倒臭くなりそうな予感のしたウルフは、話を逸らしました。
「ねぇシープ、きっとあの林の向こうには村があるよね」
「……おそらく、ですけどね」
「じゃあ、頑張ろうっと」
ウルフはやる気を奮い立たせると、歩調を速めました。シープはほんの少し不満顔でしたが、黙ってウルフについていきました。
◇
シープとウルフは、林に辿り付きました。シープが予想した通り、その林は人工林でした。
シープは荷物を一本の木の根元に置きます。それからウルフの方に向き直ると、訊きます。
「ウルフ、少し休みません?」
「休む気満々じゃん」
「休ませなさい」
「はい」
シープは土で汚れるのも構わずどっかりと、座りました。今すぐ歩く気はないという主張でしょうか。靴の紐を緩めました。
「ふぅー……。疲れました」
辺りを見渡し、「やはり、人工林でしたか……」と呟きました。
鞄を漁り、水筒を取り出しました。そして、ウルフが持つリュックサックから固形燃料と調理器具を出します。小鍋に水筒の水をとぷとぷ、と注ぎました。固形燃料の上に立てた金属板を十字に重ねたような形のデュアルヒートを乗せて、マッチで火を着けます。
「シープ。俺、この辺り見てくる」
「あら、構いませんが飲まないのです? もうすぐ沸きますよ」
「じゃあ、飲む」
そうして、二人は温い水を飲み、休みをとりました。長時間歩き続け、疲労の溜まった四肢に、水が染み渡ります。
「ふー……。水分採るだけで何か違うね」
「そうですね」
「んー……っ」
ウルフは大きく伸びをすると、袖で口を拭いました。外していたマントを羽織直すと、シープに向けて言いました。
「じゃあ行くね。荷物任せていい?」
「良いですよー。いってらっしゃい」
返事をしたシープは調理器具諸々を片付け始めました。
ウルフは助走をつけて、高く跳躍すると、一本の木の枝を掴みました。くるり、とそのまま、逆上がりの要領で上りました。
「ほいっ」
声を上げて、着枝すると、別の枝に飛び移りました。シープは手を止めると、視線を上げて、その様子を見て、
「お見事です」
声をかけました。
「ありがとっ。行ってきまーす」
鴉の翼が広がるようにマントが靡き、ウルフの姿は木々に紛れました。
◇
木々が風で揺れ、葉が擦れる音。
自分が身動ぎし、落葉が鳴る音、鳥の羽音。
それらがよく聞こえる静かな空間でした。
シープは樹の根元に座りながら、暇を持て余していました。
取り敢えず、手帳をパラパラと捲り、今まで書いていた情報を読みました。同時に、記憶が蘇ります。暗い部屋で出番まで読み漁った本のいくつもの情報を書き殴った、その記憶。そして、脱ぎ捨てられたフリルの塊。
シープは、その頃やったように、瞼を閉じて、手帳に顔を埋めました。
小さく息を吐いて、吸います。手帳を顔から離し、白紙のページを開き、鉛筆を持つと、
「人工林。 生殖段階を人の手で行った樹木の密集地。具体的には……」
ぶつぶつと呟き始めました。サーカス団にいたころ、読んだ本から得た知識を数行に渡って書き綴りました。
シープの記憶力は、とても凄いものです。物事を覚える際、唇の端を血が滲むまで噛む癖があるものですから、痛みと共に覚えることで、脳内に定着するのでしょう。
「……人間が樹木の生殖に関わることにより、木材供給に適し……」
───パキンッ
小さな枝が折れる、微かな音が鳴りました。その他愛のない音が、シープの集中力をプツンと切りました。
シープは顔を上げました。
音の鳴った方へ、視線を向けます。
シープは静かに立ち上がると、音もなく、進みました。
◆
───タン、トッ、タタン
───タン、トッ、タタン
枝から枝へ。リズム良く跳んで、掴んで、着枝を繰り返すウルフがいました。ベルトに括り付けた手袋が、合わせて上下します。
一人なので、遠慮なく声を出して、楽しそうに独り言を呟いていました。
「なーんか、良いもの、落ーちて、なっいかなぁ~」
よく聞くと、これは独り言ではなく、歌のようです。
「例えば~、死っ体とかぁ~」
飢えているのでしょう。物騒な願いが歌われます。
───タタン
「……ふぅー」
ウルフはいきなり、止まりました。
今来た方向に、くるりと頭を向けました。枝に腰かけると、茂る葉が揺れました。
「飽きた」
そう一言、声に出すと上を見ました。
風で木々が揺れる度、木漏れ日がちらちらと動きます。ウルフは目を細めて、その様子を眺めました。
きゅるる……、とウルフのお腹が鳴りました。しかし、どうすることも出来ないので、ウルフはいつも通り我慢します。
ふんふんふーん、とウルフの鼻歌が森を走る風のざわめきと混ざります。
「お腹、空いたなぁ……」
ウルフは手を顔の前に翳しながらいました。葉の隙間から溢れる太陽の光が、手の輪郭を縁取ります。
ウルフは手を握ったり、開いたりします。手の甲に浮き出る血管をじっと見つめました。手を口元に移動させます。
そして、
───がり。
自分の手に噛みつきました。
チリッとした刺さるような痛みを感じました。さらに、皮膚を破るように、強く噛みます。熱い血が、舌に染みました。
「不味い……」
そう呟くと、ウルフはすぐに口を離しました。
「痛いし……。シープは、凄い」
唇についた血を舐め取ると、溜め息をつきました。自分の歯で傷つけた皮膚の、微かな痛み。それを押さえながら、ウルフは木に背中を預け、ぼぅっとします。
静かな、落ち着く空間は、ウルフの気を、ふわりと緩ませました。うとうとと微睡みかけた頃、
「───────────っ」
静寂を切り裂くように、少女の悲鳴が響きました。
「!?」
ウルフは弾かれたように起き上がると、声の元へ向かいました。この声が、シープのものではないとわかりました。
しかし、脳裏にはシープの顔がちらつきます。
自分が、向かっている先は、シープと別れた場所だったからです。
ウルフは、風を切って、跳びました。
声の元へ、辿り着いたウルフの視線の先には───




