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ある嘘の村 Ⅲ

 魚を入れる籠を背負ったフィールがシープとウルフをエミーナの家の裏側の、川岸まで続く、がたつく階段に案内しました。慣れた足取りで階段を降りていくフィールをシープとウルフは、少し慌てながら追いかけます。ウルフが歩く度に鞄の中の小瓶はガチャガチャと音を鳴らします。

 フィールは階段を降りきると、二人を待ちました。


「フィ、フィールさんは降りるの早いですね」


「慣れてるからかな」


 フィールは砂利の上を進みながら言いました。


「慣れですか……。フィールさんは、いつからエミーナさんのお手伝いを?」


 風で乱れた髪を整えながら、何の気なしにシープは訊ねました。

 フィールは指を折って考えています。


「えーっと……大体、一年ぐらい……前かな、うん。村に着いたのも、その頃だ」


 フィールは顎を触りながら、うんうんと一人で頷いています。

 ぴょんぴょんと石から石へと跳ぶウルフがフィールに訊ねます。


「じゃあさ、フィールさんは、ハルトっていう人のこと知ってる?」


 頭を掻いたフィールは困ったように微笑みました。ほんの少しの間のあと、


「うん。……よく知ってるよ」


呟くように言いました。


「よく知っているのですか。知り合いだったのですか?」


「……うーん」


 曖昧に言葉を濁したフィールは、再び笑いました。

 そして、お喋りをしている内に仕掛けている罠まで辿り着きました。

 フィールは岩に腰掛けると、ズボンを捲し上げ、ザブザブと川に入りました。

 岩の上からシープとウルフは、膝を抱いて、その様子を見ています。ウルフは、すでに重たい鞄を地面に置いてしまっています。

 そして、水に両手を突っ込むと、何度か弄くり、罠を引き上げました。

 それを平らな岩に、ドチャリと無造作に置きました。

 罠は、入り口が奥に入るほど細くなる簡単な造りの篭でした。

 篭の隙間から水が染みだし、岩に模様を描いていきます。

 ビチビチと篭の中から、音が絶えず聞こえてきます。


「シープちゃんに、ウルフくん、ちょっと手伝って欲しいんだけど」


 そう言うとフィールは籠を二人に支えさせました。

 罠から活きの良い魚が、五匹程度落っこちてきます。どれも、身が引き締まっていて、シープの目には美味しそうに映ります。


「うわわ、動いてる動いてる!」


 ウルフも瞳をきらきらさせながら、サーカス団では見ることがなかった生きている新鮮な魚に興奮しています。


「これ、何という種類の魚なのですか?」


 シープが訊ねました。フィールは首を傾げて「さぁ」と言いました。でも、美味しいよ。そう続けました。

 ウルフが興味深げに指で、日の光で銀色に光る魚を突っつきました。ビチチッと魚が跳ね、水飛沫をウルフの顔面に散らします。いきなりのことで驚いたウルフが思わず後退りました。

 その拍子に、ウルフは鞄に足を引っ掛けます。甲高い微かな音をいくつも響かせながら、小瓶がコロコロと転がり出ました。


「あっ」


 体勢を立て直したウルフは咄嗟にしゃがむと、転がる小瓶を拾いました。そして、汗を滲ませながらフィールを見上げます。



「あれ? それ、エミーナが川に流してるやつ?」



 フィールが訊ねました。

 ウルフが散らばった小瓶を慌てて集めます。シープが両手をぱたぱたと振りながら


「えっ、いや、その……っ。これはですね……」


 と、言葉を乱します。

 家を出る際にフィールに訊ねてみよう、と考えていたシープですが、どう説明するかまでは頭になかったのです。

 フィールはにやりと口元に笑みを浮かべました。手を伸ばして、興味ありげに言います。


「一回、読んでみたかったんだよね」


 ヒョイ、とウルフの腕の隙間から取りました。

 『No.1』。手にした小瓶には、そう記されていました。

 小瓶の栓をキュポッと外すと、中の手紙を抜き出します。シープが取り返そうと手を伸ばしますが、全く届きません。


「プ、プライバシーの侵害ですよ!」


「君たちも読んだんだろ?」


 フィールが悪戯っ子のように言います。

 シープとウルフは何も言い返せませんでした。小瓶を鞄ごと、フィールに押し付けます。むぅ、と頬っぺたを膨らますと、シープは渋々と言いました。


「ゆっくりと、お読みください……」



 膨れっ面のシープとウルフが魚が死んでしまわないよう、籠ごと川の浅瀬に浸けました。魚が再び活き活きとする様子を確認すると、フィールの元へ戻ってきました。

 その間、フィールは静かに読み進めていました。

 ふと、二人がフィールの顔を見ると、驚愕しました。


「フィ、フィールさん……?」


 シープがおそるおそる、呼びました。

 フィールは何も言いません。

 フィールは、ただ静かに、泣いていました。

 瞳から盛り上がった涙の粒が溢れ、頬に線を描いていました。

 頬を伝う雫が、顎から滴り、足元の小石にぽつりぽつりと落ちたとき、


「……エミーナ」


 フィールはやっと、涙を拭いました。







 川の流れる音ががごうごうと、三人の隙間を通り抜けます。

 魚はかなりの時間が経ったにも関わらず、まだ元気に跳ねています。


 岩に腰掛けたフィールは、手紙を握ると、熱い息を吐くように、呟くように、告白しました。



「…………おれは、ハルトだったよ」



 フィールは、ふぅと溜め息を吐き、シープとウルフに視線を向けました。二人の理解はまだ追いついていませんでした。ハルとの容貌を知りもしないのに、二人はフィールを頭のてっぺんからつま先までまじまじと眺めました。


「それは、本当ですか?」


「嘘を言って、どうするんだい」


 フィールが唇を軽く歪ませて、笑いました。ウルフが首を傾げて訊ねます。


「そのこと、エミーナさんと村人さんは知ってるの?」


「知らないよ。身体は成長して僕の見た目は変わってしまったし、......それに、まぁ顔は......まあいいや、そもそも言っていないしね」


 フィールは、俯くとまだ仄かに赤い目元を擦ります。シープとウルフは納得していないようです。少し考えて首を捻っては、思案顔になります。


「言わないのです?」


 フィールはゆっくりと、顔を上げたました。






「おれは、これで良いんだ。彼女に気付かれなくて、良い。ずっと、愛する人の隣で生きられることだけで、幸せなんだ」







 雲の切れ間から、光が射し込むような、そんな朗らかな笑みを浮かべました。


「それに、おれは村の皆から嫌われてるしね」


 面白そうにフィールは言いました。



「良ければ、その手紙くれないかな?」


「……え? 良いですけど」


「ありがとう」


 フィールは受け取りました。そして、それを全て川の、流れの激しいところへ向かってばらまきました。いくつもの水飛沫がボシャンボシャンと響きます。呆気にとられたシープとウルフが目を大きく見開きます。


「フィールさん?」


「さぁ、そろそろ行こうか」と、フィールは何事もなかったように立ち上がりました。川に浸けていた籠を持ち上げると、担ぎました。そして、シープとウルフに向き合いました。


「良いんだ」


 再び、目を細めて笑いました。

 ほんの一欠片、悲しさを含んだ笑みでした。












「おれは、彼女に嘘をつき続ける」














「あら、お帰りなさい」


 エミーナが白いエプロンを揺らしながら、三人を迎えました。ほわん、と食欲をそそる香りが部屋中を満たしています。


「遅かったわねぇ」


 三人が家を出て、すでに一時間は経ってしまっていました。お昼の時間はとうに過ぎていました。


「ごめんごめん、罠を取るのに時間がかかっちゃったんだ」


 フィールはさらっと嘘を言います。


「そうなの?まぁ、良いわ。お魚捌くわね」


 エミーナは納得したようすでした。フィールから籠を受け取ると、台所へ向かいました。

 シープはエミーナの元へ行って訊ねます。


「私たちが何か手伝えることは、ありますか?」


「あら、じゃあ……お魚を捌くのを手伝ってもらってもいいかしら?」


「はい」


「ウルフくんとフィールには、外でこの籠を洗ってほしいの」


「はーい」






「助かったわ。ありがとう、皆」


 エミーナが言いました。四人掛けのテーブルには野菜たっぷりのスープと、川魚の塩焼きが並べてありました。どれも熱々で、美味しそうな匂いです。シープの口内には涎が湧いてきました。ウルフも、自分が手伝ったことだったからでしょうか、嬉しそうに食べ物を見ています。


「あれ?エミーナ、パンは?」


 フィールが隣に座るエミーナに言います。先程買ってきたはずのパンが食卓に並んでいなかったのです。

 エミーナがしゅん、と身を竦めると「ごめんさない」と謝った。


「温めようと思ったのだけど、少しぼぅっとしちゃって、焦がしちゃったの……」


「ありゃりゃ。……シープちゃん、ウルフくん、ごめんな」


「構いません」「大丈夫ー」


 四人は食事を始めました。淡白な川魚のなら、ウルフのお腹にもあまり負担はかからなかったようです。ウルフも手慣れた様子で、"美味しそう"に食べていました。

 エミーナは、まだ熱いスープを口に運ぶと、口元を緩ませていました。美味しく出来たのよ、と嬉しそうにフィールに言いました。

 フィールは、エミーナを愛しそうに見つめていました。それはほんの少し憂いを含ませた瞳でした。


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