ある嘘の村 Ⅱ
「こんにちは、旅人さん。私は一度、村から離れたらけど、また戻ってきた、エミーナの古くからの…………友達よ」
ミミはぺこり、とお辞儀をしました。シープとウルフは"ミミ"という聞き覚えのある名前と、友達という言葉に小さな違和感を抱きました。
「まず、こちらから質問をしてもいいかしら」
シープとウルフの席に移動したミミは、訊ねました。シープとウルフは頷いて、
「どうぞ」
肯定しました。
ミミは花の刺繍が可愛らしい、少しくたびれたカーディガンを着ていました。
「なぜ、あなたたちはエミーナのことを知っているの?」
ウルフは鞄に手を突っ込むと、適当な番号の小瓶を取り出しました。『No.8』と記してありました。
「これ、川で見つけたんだ」
カツンと音を立てて、ウルフはテーブルに置きました。ミミは、はっとすると納得したように頷きました。
「成る程ね……。
エミーナは、とても優しくて、可愛らしくて、人気者で…………とても可哀想な人なの」
辛そうに眉を寄せると、ミミはカーディガンの袖を握りました。周りの人々も小さく頷いています。
「けっこう裕福な家庭で育ったエミーナには、一人の付き人がいたの……」
「ハルトさんですね」
ミミは、一瞬目を見開き驚きましたが、すぐに小瓶のことを思い出しました。
「……ええ。エミーナは一度その人と愛し合ったわ。でも……身分違いの恋だったから、あの子の両親も村人も許さなかった。だから、エミーナとハルトは駆け落ちをしたの」
「駆け落ち……ですか」
「でもね、その時にエミーナは過って川に落ちてしまって、しかたなく……村に戻ってきたの。エミーナの意識は数日間戻らなかった……」
「ハルトさんは、そのとき──」
「追放された。……当たり前よ」
ミミはシープの言葉を引き継ぐように言いました。そして、また淡々と話します。
「あれから目を覚ましたエミーナは彼女の親から外出の制限をされ、どこにも行けなかった。そして、二ヶ月に一度だけもらった、外出の許可の日には」
「手紙を川へ流しに行ったの?」
「ええ」
ミミは唇を噛みました。きゅうっと細められた瞳には、雫が溜まりました。
「……そして、いつまでもハルトを求めていたエミーナに皆嘘をつくことにしたの。わざと、人のいない所に家を建て、使用人を付け、"ハルトが死んだ"ことを伝え──」
シープが訊ねます。ハルトはこの話の内容では殺されても、死んでもいないので不思議に思ったからです。
「ハルトさんが亡くなったことは嘘なのですか?」
「さあ。着の身着のままで村外に放り出されたのよ。確実に死んでいるわ。いいえ、死ぬべきよ」
ミミはぷるぷると肩を震わせました。
「ハルトはエミーナの人生を狂わし、悲しい思いをさせている。それなのに、エミーナは……ずっと……彼を」
そして、ミミは自分の顔を両手で覆うと、ダムが崩壊したように涙を流しました。
「ああ、不憫なお嬢様……っ。お嬢様はなんと健気に……!」
「お嬢様って……あっ」
シープとウルフはやっと気が付きました。"ミミ"はエミーナの手紙に書いてあった、あの使用人の子なのだということに。
ぼろぼろと涙を溢すミミの肩を周りの人々が擦ったり、夫のような人が抱いたりしていました。村人たちは皆、同じようなハルトに対する憎悪が滲む空気を纏っています。村人の注意は、すでにシープとウルフにはありません。
「辛い話をさせて、申し訳ないです。本当にありがとうございました」
「いいの。……ごめんなさい、取り乱して」
「いいえ」
「旅人さん。私たちはハルトを許さない……」
ミミは涙を拭うと、
「私たちは、嘘をつき続けるわ」
確かな光を瞳に宿して言いました。
シープは立ち上がります。続いてウルフも立ち、二人で代金を払いました。その際に、
「エミーナさんの家はどこですか」
訊くと、今から行くことにしました。
店を出ると、太陽は真上にあります。日差しが少し、目に染みます。
ウルフとシープは少し駆け足で向かいました。
「シープ。エミーナさんに会って、何をするの?」
「……さぁ」
シープはことん、と首を傾げました。
二人共、エミーナの元へ行って何をしようとしているのか、自分達でもわからなかったのです。
◇
シープとウルフは村の小さな家の前に着きました。
二人は息を整えると、マントの乱れを直します。そして、一瞬顔を見合わせたシープとウルフは頷きました。
ウルフが扉をノックします。
コンコン。音が響くと同時に、扉が勢い良く開きました。
「痛っ!」
「ハルト……っ!」
ゴツン。鈍い音がひびきそして、ウルフは見事に額に痣をつくりました。
「はぅ……ウルフくん、ごめんね」
ウルフに濡らしたタオルを手渡しながら、エミーナは言いました。
「いや、名乗りもせずノックしたおれが悪いんで……」
若干テンションを落としながら、ウルフが貰ったタオルを額に押し当てます。
シープがウルフの鼻筋に垂れた水滴を拭いました。
その間、エミーナは落ち着きなく、そわそわとした様に口を開いては閉じて、髪を指に巻き付けて、再び開いては閉じてを繰り返しました。
「どうかしましたか?」
「あの……えっと、訊ねたいのだけど……」
「はい」
「あの……シープちゃんとウルフくんは、旅人なのよね?」
「はい」「そうだけど」
「じゃあ、私の恋人と会わなかったかしら?ハルト、って名前なの」
「すいません……会ってないです」
「そう……」
エミーナは悲しげに目線を下げました。
会話をしている間、シープとウルフは何気無く室内全体に視線をさ迷わせます。
室内には棚にはおそらく、ハルトと撮ったであろう色褪せた写真。小さめのソファーにテーブルと四つの椅子、テーブルの上に二つの飲みかけのコップがありました。
「……エミーナさんは、一人で暮らしているのではないのですか?」
「ええ、そうよ。今は買い物へ行っていて……もうすぐ戻ってくると思うのだけれど……」
「そうなんですか」
「そうだわ。飲み物を用意するわね」と長い髪を揺らして立ち上がり、台所へ向かいました。
ふわん、と透き通るような香りのミントティーが各自のカップに注がれた頃、玄関の扉が開きました。
膨らんだ革の袋と巻いた布を手にした男が入ってきました。
「ただいま~……あれ?お客さん?」
「お帰りなさい、フィール。この子たちは……」
「ああ!噂されてた旅人さんか」
「お邪魔しています」と、シープとウルフは二人揃ってお辞儀をしました。フィールはウルフの腫れた額に目をやり、次にウルフの手に収まる濡れたタオルを見ました。そして、驚愕を表情を浮かべ、荷物を玄関に全て落とすと、ウルフの元へ飛んできました。布袋から野菜がごろごろと転がります。
「うわぁっ!これ、エミーナがやったのかいっ!?」
「え、あ、はい……」
「あぁぁ……腫れてるし」
フィールは、そっとウルフの額に触れます。思わずウルフが痛そうに顔を歪ませると、フィールはすぐに戸棚から小箱を取り出し、中から塗り薬の瓶を開け、それをウルフの額に塗りました。手際良く湿布を貼ります。
「あ、ありがとうございます……」
フィールはにっこり、と笑顔を向けると「エミーナがすまんな」と頭に手を乗せました。そして立ち上がると、まったりとハーブティーを飲むエミーナの元へ行きました。
「エミーナ。また、誰か確認せず扉を開けたろう?」
「ええ。ハルトだと思ったの」
「前も気を付けろと言っただろう?」
「うぅ……」
フィールがどのような表情を浮かべているのかは、シープとウルフは見えませんでしたが、叱られた子供のようにエミーナは眉を八の字にして唇を軽く噛みました。
「あの、フィールさん。そこまで怒らなくてもいいよ?おれ、もう平気だし」
「そうかい?まあ、この少年に免じて許してやるから。もう一度、謝るんだ」
エミーナはカップをテーブルに置くと、ウルフとシープに頭を下げました。
「ウルフくん……ごめんなさい……」
「うん」
ウルフはエミーナに微笑みました。エミーナも嬉しそうに笑いました。
パチン、とフィールが手を鳴らしました。
「よし。じゃあ、エミーナ。そろそろおれは川の罠を確認してくる」
「罠……フィール、川に行くなら」
「ああ、わかってる。ハルトさんが戻ってきたか確認するよ」
「ありがとう!」
エミーナは笑顔を浮かべました。袖を捲ると、言います。
「私はスープを作るわ。シープちゃんとウルフくんも食べましょう?」
「いいんですか?」
「ええ。フィールと一緒に行ってきたら、どうかしら?魚がいるわよ」
「魚!」
エミーナの言葉にウルフが瞳を輝かせます。
「じゃあ、行こうか」
シープとウルフは椅子から立ち上がりました。
カツン。鞄を持ったその時、鞄の中で硝子がぶつかり合い、音を鳴らしました。
シープとウルフは思い出しました。
玄関から外へ出た、フィールを追いかけながらウルフは耳打ちしました。
「この小瓶、どうする?」
シープは、あっと目を見開き、苦笑を浮かべました。
「……フィールさんに訊いてみます?」




