ある平和な村 Ⅴ
ロイの無駄に思える程広い屋敷の、客間には、シープとウルフはいませんでした。
大きなテーブルには、ティーカップが五つあります。どれも飲みかけの、冷めた紅茶が入っていました。
ロイのポーチは、もう膨らんでいました。
ロイは小さく息を吐きました。
そして、向かいにいるルトスに目を向けます。
「ルトス、いつも通り頼んでも良いか?」
「はい!任せてください」
「私は、いつもの記録を取るから」
そういってロイは、胸のポケットから手帳を取り出しました。一緒に鉛筆も手にします。
手帳の、あるページを開きました。
ルトスは慣れた手付きで、ロイとルトスの狭間に横たわる人間だったソレを仰向けに寝かせます。
ソレは胸に穴を空けていました。どぷどぷと血は流れていましたが、ルトスは気にしませんでした。
ルトスはまず、ソレの口を開きました。
「銀歯、金歯」
「なし」
次に、手の指を見ました。
「指輪」
「なし」
そして、首もとを見ました。
「ペンダント」
「あり」
ルトスは金色の鳥のようなものが刻まれたペンダントを丁寧に外して、ロイに渡しました。
ルトスはロイに、笑いかけました。
「前は記章を忘れちゃってたもんね。気を付けたよ」
「ああ。ありがとう。服の中はやらなくていいよ。表面だけでいい」
「はーい」
ルトスはソレの髪を、金色の美しい髪を優しく整えました。
そして、丁寧に胸の銃傷から溢れる、まだ温かな血液を拭い、さらに布を当てて滲み出ないようにしました。
ロイが訊ねます。
「他の人も、呼んだ方が良いかい?」
「いいえ。おれ一人で大丈夫」
そう言って、ソレ──ソフィアの死体を背負いました。
「じゃあ、ロイ様。いつものところへ運んどく。後で父さんに頼んで森に、ね」
「ああ、いつも助かるよ」
「いつでも言ってよ。"平和"のためなら何でもするからね」
ルトスは子犬のような愛らしい笑みを向けると、いつもの場所へ行きました。
ラガットが運びやすいように、馬車庫の中の、一角へ向かいました。
途中、村人が台車を貸してくれたので、簡単に辿り着きました。
普段通りの場所へ、ソフィアの死体を横にします。
すでに、ソフィアの体は体温がなくなってきていました。
「さようなら」
人懐こい、誰もが幸せになってしまうような笑みを向け、ソフィアの手を握りました。
これも、ルトスの習慣でした。
そして、すぐにロイの元へ戻りました。
「拭くの手伝いに来た!」
「あはは。頼りになるね、ルトスは」
二人は仲良く、床に溜まっている血を拭きました。
「ウルフとシープも、この村に住めば良かったのに」
「無理強いは良くないからね」
「むぅ……」
アーデル村には今、穏やかな風が吹いています。
村人達は、その風を気持ち良さそうに受けていることでしょう。
そしてロイの屋敷にも、風が窓から滑り込み、ロイとルトスを撫でました。
「平和だね、ロイ様」
「そうだね。これから子供達を呼んで、お茶会でもしようか」
「はい!」
◇
シープとウルフはアーデル村をすでに出ていました。
太陽は、ほんの少し傾いています。
ガタゴトカダゴト。シープとウルフは再び、ラガットの馬車に乗っていました。
「ラガットさん、またまたお世話になります」
「いいよ。ロイ様の頼みだし、仕事も休めるし」
シープがミルクティー色の髪を揺らしながら頭を下げると、ラガットは冗談混じりに言いました。
「あははっ。ラガットさん、悪ぅーい」
けたけたとウルフとラガットは笑い、穏やかな時間が流れます。まるで、今日の気候のようです。
シープには疑問に思っていることがありました。聞こうか否か迷っていたシープですが、ラガットに訊ねてみることにしました。
「ラガットさん」
「なんだ?」
「村の皆さんは、ロイ様のやり方を知っているのですか?」
「そうだよ」
シープとウルフの位置からでは、ラガットの表情はわかりません。
しかし、ラガットの声からは、僅かながらの疑問や不信感は感じられませんでした。むしろ、誇らしいという感情が含まれているようです。
シープは頷きました。
「そうですか」
「そうだ、シープちゃんとウルフ君 。君らはどこへ行くの?」
シープとウルフは互いに顔を見ると、首を傾げました。
「わかりません。でも、たくさんのことを学びたいですね」
ラガットは少し考えました。焦げ茶色の髪を掻き上げています。
ふむ、とラガットは声にしました。
「この道を曲がれば、川があり、さらに進めば村が、あると思う。アーデル村も他村と交流を始めたのは、最近だから俺もよくわからないんだが」
「そうなんですか。そこはどのように行けば……?」
「うぅむ。送ってやりたいのは山々なんだが、道が細くてな……」
「じゃあ、俺たちは歩いて行くよ」
「すまんな……。これ以上は……」
「お気になさらずに。たくさんお世話になりました」
ラガットが馬車を止めました。
シープとウルフはいそいそと、鞄を持ち、リュックサックを背負います。
シープとウルフが降りると、ラガットも降りてきました。
ラガットがシープに二つのリンゴとパンが入った布袋を手渡しました。
そして、シープとウルフの頭を撫でます。
「シープちゃん、ウルフ君。またアーデル村へおいで。いつでも歓迎するよ」
シープのミルクティー色の髪も、ウルフの闇色の髪も、くしゃくしゃに乱れました。
シープとウルフは、それを整えることなく、深々と頭を下げました。
「本当にありがとうございました」
「この恩は忘れません」
ラガットは頷くと、歯を見せて笑いました。
つられて、シープとウルフも笑います。
「じゃあな。また、会おう」
ラガットは馬車に乗り込むと、来た道を戻っていきました。
ガタゴトカダゴト、馬車の揺れる音が徐々に小さくなっていきます。
ついには、見えなくなりました。
二人は、木々が鬱蒼と生い茂る小道へ歩みました。
シープとウルフははぐれないように手を繋ぎました。
ぽきり、とどちらかが枝を踏んで、折りました。地面は土なので、靴が汚れてしまいそうです。
ウルフがシープに訊ねました。
「シープ、どう思った?」
シープは葉の隙間から、ちらちらと降る木漏れ日に目を細めて、言いました。
「あれが、ロイさんが創り上げた"平和"です」
「そっか」
「私たちも、見習わなければいけませんね」
シープとウルフは、さらに強く互いの手を握りました。
風が、シープの長い髪を、ふわりと舞い上げました。
風が、ウルフのマントを、羽のように揺らしました。
「"幸せ"になるためには、どんな手段でも」




