ある平和な村 Ⅳ
日が沈み、村は闇に包まれました。夕食を食べ、昨日と同じようにシープとウルフは背中合わせでベッドに寝転んでいました。
ラガット、リリス、ルトスはすでに寝静まっています。
シープは、ウルフに向かって静かな声で話しかけます。
「ねぇ、ウルフ」
「なぁに?」
シープはベッドの隣の小さなテーブルに手を伸ばして、先程まで眺めていた記章を手に取りました。きらり、仄かな月明かりを記章は反射しました。
「ソフィアさんのお父さんは、すでに死んでいると思います」
「……それじゃあ、ロイ……様は嘘をついているってこと?」
「おそらくですが」
ふぅん、とウルフはどうでも良さそうにいいました。
「それは、何でかな?」
「さあ、知りませんよ」
シープは記章を一度、軽く握り締めました。それと同時に、月には雲がかかり、月光は薄くなりました。
「明日、本当のことを教える方が良いのでしょうか」
「ソフィアさんにとって、すっごく大事な人だとしたら、教えれば良いんじゃないの」
「そうですね」とシープは、記章をもう一度見つめて言いました。
金色の鳥のようなものの複雑な紋様が刻まれた、記章。ソフィアがつけていたネックレスと同じ模様、のその記章です。
「明日、全てがわかりますね」
シープは言いました。
◆
シープとウルフ、ルトスの三人は歩いています。
目的地はロイの家です。
ウルフの背にはラガットからもらった、生活用品と着替えとタオルが入ったリュックサックを背負っています。シープも肩掛け鞄を持っています。
つまり、全ての荷物を持ってきているということです。
「何でそんなに大荷物……持とうか?」
「いえ、平気です。ありがとうございます」
びしっと手のひらを向け、シープは断りました。
「ルトスはロイ様の家、何回か行っているの?」
ウルフが訊ねました。マントが黒色に近いので、暑いのでしょう。額にはうっすらと汗が滲んでいます。
「……まあ、人よりは多いかな」
ルトスは、笑いました。
それから、歩いて数分経ちました。
シープとウルフ、それにルトスがロイ・イーブルの家の前に立っています。
ロイの家は他の村民の家より庭も広く、立派なものでした。
「あれ?昨日の印象と全然違う」
ウルフは正直な感想を言いました。
「ロイ様のお父さんは、すっごく偉そうだったからね。でも今、この家はロイ様が無料で場所を提供しているんだ」
「だから、ソフィアさんはロイ様にお世話になっていたのですね」
「うん。父さんが使っている馬車も、ここのを改造したんだ」
「へぇ、凄いなー」
「でしょ?」。ルトスは嬉しそうに笑いました。ルトスが扉を叩きます。
コンコン。ノックの音が、響きます。
「やあ、いらっしゃい」
すぐに扉は開き、微笑を浮かべたロイが三人を招きました。
重い扉はゆっくりと閉まります。
「ルトスも来たんだね」
「はい!いつも通り手伝いに来ました」
「それは頼もしいね」
ロイは大きなテーブルのある部屋へ三人を通しました。ルトス曰く、そこは客間だそうです。テーブルの一席には、すでにソフィアが着いています。金色のペンダントを細い指で弄んでいます。こちらに気づくと、微笑んで会釈をしました。
ロイは三人を席に座らせました。シープとウルフとルトス、向かいにロイとソフィアと、並びました。
「ルトス、お茶を淹れてもらってもいいかな。場所はわかるね」
「はい!」
「じゃあ、頼むよ」
ルトスは馴れた足取りで部屋を出ていきました。そして、四人の間には一瞬の沈黙が訪れました。
ルトスがお茶を入れたポットとティーカップを持ってきて、皆の前に置いてくれます。役目を終えたルトスは席に着き、カップの中にたっぷりの砂糖とたっぷりのミルクを注いで混ぜました。
「……さて、始めようか」
ロイは紅茶を一口啜ります。砂糖とミルクは入れませんでした。
「まず、この村の規則を知ってもらわなくてはならない」
「ルール……ですか」
覚えれますかね、とシープは口を尖らせました。
「守ることは、一つだけ。簡単だよ」
ロイは何かよくわからない、しかし本能的に警戒しそうなモノを含んだ笑みを浮かべました。
「ソフィアとルトスは、もう知ってるね」
「ええ」「もちろんです!」
ふふ、とロイは嬉しそうに微笑みました。
「じゃあ、ルトス。言ってごらん」
ルトスは人差し指をぴん、と立てて、ごほんと一つ咳払い。そして、皆が聞こえるよう、少し大きめの声で、
「"平和"を望むこと!」
一言、言い放ちました。
シープとウルフは、三人を見ます。皆、黙っています。シープが小さく首を傾げました。
「……それだけですか?」
くすくす、とロイが面白いモノを見るような目で微笑みます。
「ああ。これだけだよ」
ウルフが窺うように、琥珀色の瞳で皆を見渡します。そして、首をことんと傾げて、一瞬考えました。
「ロイ様」
「何かな?ウルフ君」
「"平和"って、何のこと?」
ウルフは、訊ねました。
平和とは、争いがなく、安全で安心できること。ということは理解していました。
しかしウルフには、争いの傷痕などないこの村での"平和"とは一体何なのかわからなかったのです。
そんなウルフの問いにロイに優しく、丁寧に答えてくれました。
「この村は見ての通り、争いもなく、安全な村だね。それは、ずっと前からも続いている」
「……へぇ」
シープは紅茶を一口飲みました。少々の砂糖とミルクが舌に仄かな甘みを馴染ませます。
シープは今、ソフィアとルトスと共に談笑中です。これまで回った村の話をサーカス団のことを伏せて喋ったり、ソフィアの身の上話を聞いていました。
ただ、シープはロイとウルフの話を聞いていないようで、しっかりと聞いていました。
「そんな、この村での"平和"とは何だと思うかい?」
ウルフは馬車でラガットが言っていたことを覚えていました。
「……平等?」
「正解」
ぱちぱち、とロイが気の抜けた拍手を送ります。ウルフの瞳は、ほんの一瞬嬉しそうな色を表しました。ロイが今ままで細めていた目を開き、真面目な表情になりました。しかし、すぐに表情は緩みます。
「私は、"平等"こそ"平和"の象徴だと思っているからね」
ロイは紅茶を飲みました。
「平等ですか……」
シープが呟きます。
「あの、ロイ様」
ソフィアが、少し表情を引き締め、ロイに声をかけました。
ソフィアが多めの砂糖と、ミルクを少し混ぜた紅茶を口に含みました。金色の髪が不安気に揺れます。
「ウルフ君とのお話を終えたなら、わたくしから質問が」
ソフィアの重い表情を見ると、ロイの表情も硬くなりました。
「何かな?」
「あの……お父様の病気はどのようなものでしょうか……。もう四日もお会いできていないので、不安で」
ソフィアは両手で白い頬を覆いました。
シープとウルフはお互い視線を交わすと、静かに二人を見つめていました。
ロイは相手を安心させるような暖かな視線と、雰囲気を滲ませました。そして、柔らかな口調で言います。
「ああ。お父さんなら今──」
「死にました」
シープが言いました。ウルフは、ちらりとシープを見ました。すぐに、ソフィア達に視線を戻します。
ルトスは驚いた様子でシープを見つめていました。
「……え?」
ソフィアは目を見開き、呆けた声を漏らしました。
シープは翠玉色の瞳を、ソフィアに向けます。
「ソフィアさん、あなたのお父さんは、もう死んでいます」
シープがはっきりと、言いました。
「……それは、どういう───」
囁くような、小さな呟きのような声でソフィアは言いました。小さく肩が震えています。
ロイはソフィアの体を支えました。
「シープちゃん。そのような冗談はよしたほうがいい」
ロイは、眉を寄せてシープに言いました。
シープは慌てることなく、ポーチから記章を取り出し、ロイに向けました。
「この記章、森にありました」
「それは、お父様の……」
「はい。襟の裏側に」
記章は、きらりと光りました。まるで、愛しい娘に会えて、嬉しがっているようでした。
ソフィアも、胸のペンダントに触れました。
「ソフィアさんのお父さん、胸を撃たれて死んでたよ。ロイ様がやったの?」
ウルフは無邪気に訊ねました。
「うん。そうだよ」
ロイは、さらりと言いました。
質問を当然のことのように肯定したロイに拍子抜けしたシープは訊ねます。
「言ってもいいのですか?」
「バレているところで今さら嘘をついても……ね」
ロイは、何食わぬ顔で微笑みました。
「私の村では、"平和"を望まない者は消すことにしているんだ」
紅茶を啜りました。紅茶は随分と冷めています。
「そう、ですか」
シープは記章を眺めると、「お返ししますね」とソフィアに渡しました。そこでシープはソフィアの肩が戦慄いていることに気が付きました。同じく気が付いたロイが呼びかけます。
「ソフィア?」
バチンッ。
音が響きました。
ロイは、仄かに赤くなった頬を押さえました。
立ち上がったソフィアが、ロイを叩いたのです。
「ふざけないで……っ!」
ソフィアは瞳に大粒の涙を溜めながら、鋭い声で言いました。
「ソフィア、どうかしたのかい?」
ロイは、あくまでも優しげな声で、宥めるように言いました。
ソフィアは拳を固く握り締めました。
「貴方はお父様を殺したのでしょう!」
「ああ」
「何故、平然と嘘をついていたのよ」
「それを知ったら、ソフィア、君は悲しむだろう?」
ソフィアは表情を歪ませると、拳を振り上げ、ロイの胸を叩きました。
「何故、お父様を……っ!」
「それはね、ソフィア。君のお父さんは以前居た村での地位を未だにぶら下げ、色々と注文をつけてきたからなんだよ」
「それだけで……っ」
「私の村で、"平和"を望まない者は重罪だ」
ソフィアは怒りを、悲しみを瞳に映し、唇を噛みました。そして、再び拳を振り上げ、同じところを殴りました。
「お父様を返して!」
もう一度、殴りました。
「お父様っ……を、返し……ぅあっ……あぁっ……」
ソフィアは床に膝から崩れ落ちると、堪えきれなくなった涙を頬に伝わせました。
「ソフィア」
「……っ」
ロイは、ソフィアの前に立ちました。腰には、昨日見たポーチがぶら下がっています。
「私はこの村は、安全でなければ、平等でなければ、平和でなければ、ならない」
「……そんなのっ、貴方の理想を押し付けているだけじゃない!人を殺して良い理由にはならないわ!」
ソフィアはロイを睨み付けました。
溜め息を吐いたロイがルトスに目配せします。ルトスが歩み寄り、ソフィアの背を撫でました。
「触らないでっ」
ソフィアがルトスの手を払います。ルトスは困った顔をロイに向けました。ロイは小さく微笑みました。
「君は、私のやり方に反対するのかな」
「当たり前でしょう!」
ソフィアは涙を滴らせながら、言いました。
ロイはやれやれ、と小さく首を横に振ります。
右手が、腰の方へ移動しました。
そこにはポーチがありました。
そのポーチの蓋を開きました。
そして、ポーチからはシープとウルフも所持しているモノが抜き出されました。
シープとウルフは、その様子を見ていました。風のない湖の水面のような眼差しでした。
ロイは、至極哀しそうな表情で言いました。
「それは、"平等"を、"平和"を望まない……ということだね」
「……え?」
ソフィアは顔を上げました。
目の前には、銃口。
生まれて初めて見る、人を殺す道具でした。
「……ロイ様?」
ソフィアは恐る恐るロイの瞳へ視線を移動しました。その瞳は羽をもがれた憐れな蝶を見るかのようでした。
ソフィアの背筋は氷を当てられたように、粟立ちました。
ソフィアはこの冷たい場所から逃げ出そうと、立ち上がろうとしました。
しかし、
「駄目だよ。ソフィアさんのお父さんは、荷物まで持って村の外まで逃げちゃったんだから、大人しくしててよ」
人懐こい笑みを浮かべるルトスがソフィアの腕を掴み、背で固定させました。今、ソフィアはロイに頭を差し出す姿はまるで罪人でした。
「ロイ様。ソフィアさんを殺すのですか?」
シープが訊ねました。
「もちろん」
ロイは、腕は微動だにしませんが、優しげな笑みを浮かべて言いました。
「そうですか。その後は私たちですか?」
シープはロイを見つめて言いました。
「いや。私は村人にしか罰を与えない。君らは、まだ……ね」
「わかりました。どうぞ、続けてください」
シープは紅茶を口にしました。
隣ではウルフは、じっとロイ達を眺めていました。
ロイは微かに驚きを表しましたが、「ありがとう」と、すぐにソフィアに向き直りました。
ソフィアの顔は、涙でびしょびょに濡れ、酷く哀れなモノでした。
金色のペンダントが揺れます。
「貴方は、間違っているわ……」
銃を突き付けていても、まだ状況を理解していないのでしょうか、冗談だと思っているのでしょうか、ソフィアはロイを睨み付けています。
涙が一滴、ソフィアの白い頬を伝わりました。
ロイは、言いました。
「"平和"にするためには、どんな手段でも」




