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9 《18歳・5》

 返事のない玄関の前に立ち、庭の奥を見つめる。璃子の部屋にあかりはついていなかった。

 璃子はやっぱりいないのだろうか。そう思った途端、玄関が勢いよく開いた。

「颯介?」

 目の前に立つのは璃子だった。驚いた顔をして颯介のことを見つめている。

「璃子……その……なんともないか?」

 璃子の表情が、一瞬凍りつくように固まった。しかしゆっくりとその頬が緩み、かすかに微笑んで口を開く。

「大丈夫だよ?」

 璃子の後ろで、ぎしっと床が軋んだ。奥の部屋からこちらをじっと窺っている、男の姿が見える。

「大丈夫だから、早く家に帰りなよ? 真帆ちゃん、待ってるんでしょ?」

「けど……」

 その声をかき消すように男の声が響く。

「璃子! 早く酒持って来い!」

 それだけ言って、男が襖をぴしゃっと閉めた。それに弾かれたように颯介が言う。

「璃子、うちに来いよ! 真帆もいるから。今すぐ一緒に俺と行こう?」

 つかんだ腕を璃子が振り払う。呆然とする颯介の前で、璃子は静かに首を振る。

「行かない。行ったら……あいつに何されるか……」

 璃子の声が、力なく消えていく。

「だったら、なおさらだろ! 早く一緒に……」

「いやっ! 行かない!」

 璃子が頭を抱えてうずくまる。その細い体に触れようとして、颯介は手を止めた。

「俺じゃ……頼りにならない?」

 璃子の体が小刻みに震えている。

「俺じゃ璃子を……守れない?」

 奥の部屋で何かが割れる音がした。璃子がふらりと立ち上がって、颯介に背を向ける。

「そうだよ……颯介はあたしを守れない」

 璃子が短い廊下を走って、奥の襖を勢いよく閉めた。

 颯介は黙ってその場に立ち尽くす。頬に伝わるものが涙だと気づくまで、かなりの時間がかかった。


「颯介? 今日はバイトお休みなの?」

 ごろんと横になった頭の上から、母親の声が降ってくる。適当に返事をして、颯介は寝返りを打つ。

 コンビニのバイトは、体調が悪くて休むと連絡した。夜に行くつもりだった工場にも、休むと電話を入れておいた。

「だったらたまには遊んでくれば? ごろごろされても困るのよね。狭いんだから」

 洗濯物の入ったカゴをよいしょっと持ち上げて、母が颯介の体をまたぐ。一番奥の網戸を開け、狭いベランダに洗濯物を干し始める。

 文句を言いながらも機嫌よさそうに、鼻歌なんか歌っている母親の背中を、颯介はぼんやりと見つめた。

 毎日続けたバイトも、一生懸命貯めたお金も、何の意味もなくなった。もっと言えば、生きる意味がなくなった。璃子に、必要とされないのならば……。

 そんなことを考えていたら、急に眠気が襲ってきた。昨日の夜、ほとんど眠らなかったからだろう。

 暗闇の中に引きずり込まれるようにして、颯介は深い眠りに落ちた。


 夢の中で、璃子はあの男に犯されていた。

 璃子の白い肌に男のどす黒い肌が重なって、スローモーションのように腰を前後に動かしている。

 颯介はそんなふたりを黙って見ていた。動きたくても動けなくて、叫びたくても叫べなくて、ただふたりの重なる姿を、ぼんやりと見つめていた。

 そんな颯介の耳に璃子の声が聞こえてくる。

「たすけて……颯介」

 ――たすけて、たすけて。たすけて、颯介……。


「璃子っ」

 目を開けるのと、体を起こすのが同時だった。しばらくの間ぼうっとして、やっと夢から覚めたことを理解する。

 どれくらい眠っていたのだろう。あたりは薄暗く、窓辺にぶら下がった風鈴がちりんと音を立てる。体中に嫌な汗をかいていた。

 舌打ちしながらTシャツを脱ぐ。洗濯機に放り込んだあと、テーブルの上に置かれた、母の書いたメモを見る。

『夜勤に行ってきます。真帆は璃子ちゃんちに行きました』

 真帆が璃子の家に? 颯介の頭に嫌な予感が渦巻き始める。

 時計を見たら午後六時だった。真帆は何時にここを出たんだ? 家に璃子はいるのか? もしもあの男とかち合ったりでもしたら……。

 ガチャリと音を立ててドアが開く。颯介が振り向くと、そこには真帆が立っていた。

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