6 《18歳・2》
「颯ちゃん、あんたここ辞めてもいいんだよ? コンビニのバイトもやってるんだろ?」
高校生になってから、颯介は定食屋とコンビニのバイトを掛け持ちでやっていた。
「こんなところより、もっと時給のいいバイトもあるだろうし」
「じゃあ、新しい人が見つかったら辞めます」
このセリフを言ったのは何回目だろう。こんな古臭くて潰れそうで、最低賃金以下の時給しかくれないこの店で、働きたい人なんかいないだろう。
だけど颯介はここが好きだった。ずっと世話になった女店主の手伝いを、いつまでもしてあげたいと思っていた。
「なあ、颯ちゃん。あんたそんなにお金貯めてどうするつもり? 高校行くの、そんなに大変なのかい?」
客のいなくなった狭い店に、富士子の声が響く。
「いえ、公立はたいして金かかりませんから」
「じゃあ欲しいものでもあるの? 女の子と遊んでる気配もないしねぇ。あんた可愛い顔してんのに」
富士子がにやっと笑って颯介を見る。颯介も少し笑って、小さな声で答える。
「早く……この町を出たいから」
耳の遠い富士子には、聞こえないほどの細い声だった。
「高校行ったのも、この町出て就職するとき、中卒より有利だと思ったから」
「んー? あんた家出したいのかい?」
颯介は何も答えなかった。そして、汚れたテーブルをごしごしこすりながら、璃子のことを想った。
もう少し……もう少ししたら、この町を出る。嫌な思い出をすべて捨てて、璃子を連れてこの町を出る。
「まぁ、そん時はおばちゃんに相談しな。餞別ぐらいはあげたいから」
たいしたもんはやれないがね、と言って笑う富士子の声に、颯介も笑顔を見せた。
夜のコンビニでレジを打つ。高校生がバイトをできる午後十時まで、あと二十分。時計から目をそらした颯介に、自動ドアから入ってくる若いグループが見えた。
「いらっしゃいませ……」
高校生らしきその集団は、やけに上機嫌だった。酒でも飲んで酔っているのかもしれない。するとその中のひとりが、颯介に向かって高い声を上げた。
「あれ、もしかして颯介くんじゃない?」
顔を上げた颯介の前に、女の子が駆け寄ってくる。
「あは、やっぱ颯介だ。あたし、美優。覚えてない? 中学の時、同じクラスだった」
「ああ……」
覚えている。璃子といつも一緒にいた楠木美優だ。
「うそ、ここでバイトしてたのぉ? 知らなかったよー」
茶色く染めてくるくると巻いた髪を、指先に絡めながら、美優がレジの前を陣取る。鼻にかかる男ウケするような声は、あの頃のままだ。
「ね、そういえば颯介って、璃子と家近かったよね?」
美優の口から出た璃子という言葉に、颯介は反応する。
「あの子元気ー? 高校別になってから、全然会ってないけどー」
「え? 誰よ、璃子って」
美優の仲間が話に加わってくる。レジの前がにぎやかになって、カゴを持った中年の女性客が顔をしかめた。
「中学の時、ちょっと仲良かった子」
美優が仲間に説明をする。
「でもその子超ヤバいの。中二で妊娠して、子供おろしたんだって」
「えー、ウソでしょ?」
「ほんと、ほんと。あたし聞いたんだもん、本人に。それを他の子に話したら、学校中に噂広まっちゃってさ」
「マジでー?」
「しかもその相手の男っていうのがすごくて……」
颯介がレジの外へ出た。美優の腕をつかんで、店の外へ引きずり出し、その体を思いきり突き放した。
「そういう話だったら外でやれ! 迷惑なんだよ!」
「な……」
地面にしりもちをついた美優が、声を震わせる。怒りで顔がこわばっているのがわかる。
「なんなのよ、あんた! あたしは客だよ!」
「お前なんか客じゃない! 営業妨害なんだよ! 帰れっ」
そこまで言って周りを見た。美優の仲間や店先の客が、自分のことを変な目で見ている。
すると、のろのろと立ちあがった美優が、ふっと笑って颯介に言った。
「なぁんだ……清四郎の言ったこと本当だったんだ」
颯介が美優を見る。
「颯介は璃子に惚れてるって。璃子の悪口言うと、あいつキレるって」
勝ち誇ったように笑っている美優に背中を向ける。店の中でもう一人のアルバイトの女の子が、ひやひやした表情でこちらを見ている。
「だったら付き合っちゃえばいいじゃん。それとももうやっちゃった? あの子誰とでも寝るんだってね?」
殴り飛ばしたい衝動を抑えて両手を握る。美優の笑い声を背中に聞きながら、颯介はコンビニの中へ戻る。
無駄に明るい音楽が耳について、頭がおかしくなりそうだった。